堕ちた星と希望の灯

 図書館特有の紙とインクの少し甘い匂い。本の頁を捲る音。そして、視界を埋め尽くす大量の文字。それが今の私の五感が感じる全てだ。


 私はこの時間が好きだ。現実の全てを置き去りにして、読書に没頭するこの時間だけが、私の生き甲斐だ。


 昨年まで、私も物語の少女の様に純粋に夢を追いかけていたことを思うと、胸が痛む。

 あのときこうしていれば。もう少し続けていれば。と、後悔の念ばかりが押し寄せてくるが、もう一度挑戦しようという勇気だけは湧いてこなかった。


 だから、私は物語の中で夢を見ることに、文字通り夢中になってしまったのだろう。












「お客様、誠に申し訳ございませんが本日は閉館のお時間となります。」


 顔を上げると、新人だろうか初めて見る顔の司書が申し訳なさそうな顔をして立っていた。

 さっきまで夕方だった気がしたが、時計を見ると確かに針は20時を指していた。やはり夏は日が長いらしい。


「あ、すいません。すぐに出ます。」


 席を立ち本を棚に戻しに行く。


「あ、あの……」


 後ろから声をかけられ振り向くと、先程の司書が物言いたげに私を見ていた。


「なんですか。」


「本、借りられて行かないんですか。

あ、すいません。真剣に読まれていたもので、つい。」


「いえ、明日もまた来ますので。」


「そうですか。またのご来館お待ちしております。」


 嬉しそうにお辞儀をしてその場を立ち去る。

 なんだったんだろう。


 私は、所轄ニートというやつで朝から晩まで図書館に赴き本を読んでいる。


 図書館の閉館時間は20時なので、その頃には大体疲れて家に帰る。そして、ご飯を食べたり風呂に入ったりしてすぐに寝る。

 そんな生活を、一年間送ってきた。

 まあ、閉館日である月曜日は本屋巡りをするのだが、これは別の物語、いつかまた、 別のときにはなすことにしよう。




 翌日、約束通りいや約束などしていないのだが、図書館に行き昨日の続きの本を読んでいると、視線を感じ顔を上げる。


「おはようございます。」


「あ、ども。」


 そこには、昨日閉館の時間を教えてくれた司書が立っていた。

 司書というのは、閲覧者に対して挨拶をするものなのだろうか。少なくとも、私は初めてされた。


「その作家さん好きなんですか。」


「ええ、まあ。」


 司書というのは、以下略


 司書は私の隣に腰を下ろし「私も好きなんです。」といい本を開き読書を始める。


「仕事しなくていいんですか?」


「よくないですね。そろそろ働かなければと思っています。」


 言いながらも読書を辞める気はないらしい。

 気になってチラッと覗くと、私が読んでいる本と同じ作者の本だった。しかも、まだ私が読んでいないやつだ。趣味は合うのかもしれない。仕事をしてない点でも。


 私は横に座っている司書が気になってチラチラと見てしまう。昨日は全然気にしていなかったが、年はおそらく私と同じくらいで、薄く化粧をしているのだろうが整った顔立ちをしていた。どこかで見たことがあるような気がしたけど、思い出すことは出来なかった。


 こんなにも、読書に集中出来たかったのは久しぶりだ。


 そもそも私が図書館へ通い始めたのは、去年の4月のことだ。

 私は高校を卒業してから上京してアイドルとして活動してきたけど、2年経っても売れなかったら辞めると親と約束をしていたから、一年前に親に引き戻されて地元に戻ってきた。

 収入は、アルバイトもしないとやっていけない程度だったし、メンバーと衝突することもあったけど、たのしかったなぁ。ファンの人も少しずつ増えてきてこれからだって思っていたのに……。


 しかし、地元に戻ったからと言って特になりたいこともない。戻ってきてすぐはバイトを始めたが、やる気がないならやめろと店長に怒られてそのまま辞めた。


 そして、何か資格でも取ろうかと図書館に通い始めたが、息抜きに始めた読書に夢中になってしまい現在に至るという訳だ。


 それにしても、隣の司書は一向に働く気配がない。

 流石にもう一度声をかけようとすると、彼女もこちらを見た。


「お腹空なかすきませんか。」


 お腹空なかすきませんか。何を言っているのだろう、こいつは。

 お腹が空いているかいないかといえば、いている。なぜならば、もう12時だからだ。しかし、こいつは働きもせず自分の読書を楽しんでお腹が空いたと言っている。なぜ誰もこいつを注意しないのだろうか。

 色々言いたいことはあるが、取り敢えず質問には答えることにする。


「お腹空きますね。」


「じゃあ、一緒にランチ行きませんか。」


 私は、こいつが何を考えているのか理解できなかった。だが、それ故に興味を持ってしまった。この頭のおかしい司書が、何を考えどうやって生きているのか。


「え、原付で移動するんですか。」


 私はてっきり、近場の店で済ませるのかと思っていたので少し尻込みしてしまう。


「近くにお店ないですし。」


 言われてみると確かに、この辺で一番近い店はステーキハウスだし、そこでも歩いたら10分以上かかる。真夏のこの時間に歩いたら汗だくになること必至だろう。


 普段は昼ごはんを食べないので失念していた。


 司書は白いバイクの座席からヘルメットを2つ取り出すと、片方を私に寄越す。キックスタートでエンジンをかけるとバイクに跨る。


「どうぞ乗ってください。」


「これって二人乗りしてもいいやつ?」


「51cc以上なんで大丈夫です。ほら、黄ナンバーでしょう。」


 よく分からないけど大丈夫らしい。

 とはいえ、バイクに二人乗りなんてしたことがなかったから恐る恐る跨る。


「じゃあ走りますよ。」


「はい。」


 ゆっくりと加速していくけど、スピードが出てくると怖くなり、彼女にぎゅっと抱きつく。すると、力が強すぎたのか車体が右に左にと揺れる。


「ごめんなさい、大丈夫ですか。」


「ひゃい。大丈夫です。」


 大丈夫だといっていたが、声が明らかに上ずっていた。やはり強く抱きつき過ぎたようだ。ごめんなさいと心の中で再度謝罪する。


「何か食べたいものありますか。」


「あ、なんでも大丈夫です。」


 真夏の日差しを直接浴びて、汗をかき始めるがバイクに乗っていると風を感じて涼しく感じる。

 冷たいものが食べたいなぁと思うけど、そんなに図々しくはなれない。


「じゃあ、冷やし中華でも食べますか。」


「賛成です。」


 話のわかる人で良かったと思う。


 原付で走ること10分弱ほどで目的地に到着する。そこは、冷やし中華始めました。と書かれたのぼり旗がいくつか立っている普通の定食屋さんだった。


「ここの冷やし中華美味しいんですよ。」


 なんて言っていたが、冷やし中華なんてどこで食べても大差ないような気がする。麺も具材もたれもみんな似たようなものを使っているのだから。


 司書の後ろについて店に入っていく。エアコンの冷気が当たって気持ちいい。内装も普通の定食屋のようだった。メニューは結構豊富で、カツ定食や野菜炒め定食からカレーやラーメンまでなんでもある。

 ついつい目移りしてしまいそうになるけど、ここで、冷やし中華以外を頼むと空気を読めない奴だと思われてしまいそうなので、素直に冷やし中華を頼む。


 注文をしてから料理が来るまでの間、とても気まずい。車の中では暑くてそれどころではなかったし、流れる景色を見ていればそんなに気にならなかった沈黙が、今はとても重苦しい。


 やることもないし、周りを観察する。


 客層は平日の昼ということもあり、主婦のようなおばさんの集団と、工事業者だろうか作業服を着たおじさん集団しかいない。

 おばさん集団も、おじさん集団も定食やラーメンばかりで冷やし中華を食べている様子はない。


 私は、沈黙に耐えられるほど大人ではないので、質問をする事にする。


「あの、聞いてもいいですか。」


「はい。なんなりとどうぞ。」


「じゃあ、名前なんて言うんですか。」


「……あ、言ってませんでしたか。」


 この女ボケているのだろうか。


「私は、日向ひなたと申します。22歳無職です。


 誕生月にもよるが、どうやらこいつは一つか二つ歳上らしい。しかも、自称無職とか、私を煽っているのか。


「私はきらり。21歳無職です。」


 意趣返しのつもりで言うと、日向は何故か泣きそうな顔をしていた。私をあわれんでいるのだろうか。イラっとする。

 でも、なんだかあの泣き顔には見覚えがある気がする。たしか、ファンの……。」


「きらりさんはこの辺りの出身なんですか?」


「生まれも育ちもこの辺りです。」


「そうだったんですね。」


 この人と話をしていると、会話が噛み合わないときがある。まるで、私じゃない誰かと会話しているみたいに。それがちょっとムカつく。なのにこの人の声を聞いていると、心が落ち着く。懐かしい感じがする。やっぱり、どこかで会ったことがある気がするのだ。


「あの、私達って……」


「お待たせしました。冷やし中華2人前です。以上でご注文はお揃いでしょうか。」


「はい、そうです。」


 店員の声に私の質問は遮られる。けど、まあいいかと思い直し、運ばれてきた冷やし中華に意識を向ける。

 

 一見するとなんの変哲もない冷やし中華だったけど、普通の冷やし中華にはない具が一つあった。


「なんか、レモンのってる。」


「ふふん。ここの冷やし中華はレモン風味なんです。今日みたいな暑い日にはぴったりなんですよ。」


「へぇ。美味しそう。

私、レモン好きなのよね。」


「そんなんですか。それならよかったです。」


 彼女はニコニコしながら、箸に手をつける素振りは全くない。

 少し気まずいけど、お腹も空いたので先に食べることにする。


 醤油ベースのたれと、レモンの酸味がマッチしていて美味しい。


 ちらっと日向の様子を伺うと、先程から微動だにせずにニコニコとしながらこちらを見ていた。


「日向さんは食べないの?」


「あ、忘れてました。」


 そうして、ようやく冷やし中華を食べ始めた。


 この女、やっぱりちょっとおかしい。

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