第2話

 それから私とファビオラは、二人だけで会ってこっそり遊ぶようになった。

 私だけの秘密の遊び場だと思っていた森の中は、彼女のほうがずっとずっと詳しかった。虫を捕まえてみると、彼女はその虫のことを何でも教えてくれた。私が今までただの虫だと思っていたそれらにも、命があって、生き方があって、仲間がいて、敵がいることを知った。鳥がどういったところに巣を作って、なにを食べているのかを知った。木々がどういった木の実をつけ、誰に食べられ、どのような芽を出し、成長していくのかを知った。世界はどれだけ複雑で、たくさんのものが詰まっていて、美しいのかを、ファビオラが教えてくれた。



 ある日は、ファビオラおすすめの海の磯辺までやってきた。スカートの裾を目いっぱいたくし上げて海水を蹴り上げると、海水が光を反射しながら舞い上がった。夏の日差しに、海の冷たさがとても心地よかった。

 ファビオラは海遊びよりも足元の世界が気になってたまらないようだった。私も習って足元を覗き込んでみると、小魚の群れが寄ったり離れたりをしていた。海の魚は泳ぎが早くてきれいなものだとばかり思っていたが、ファビオラに教えられながら見ていると、泳ぎの下手くそな魚も地味な魚もいることを知った。


「ねえ、見て!」


 そうしているうちに、ファビオラが、カニの死骸を拾い上げて私に見せてきた。私の手のひらを二つ並べたよりも大きなカニだった。よく見渡すと、そんなカニが磯辺のあちこちに浮いていた。


「まだ臭ってないわ。食べられるわよ。おみやげにどう?」


 私はめいっぱい首を左右に振った。随分思い切ったことを言うなあ。


「そうね。こんなおみやげを持って行ってしまったら、子供だけで海に来たことを知られてしまうものね」


 ファビオラはきらきらと笑った。わかっていてそのようなことを言うものだから、私はどうにも敵わないと思うほかなかった。



 ある日は、二人で森のさらに奥まで行ってみようということになった。

 大人たちから禁じられていた森の奥は、実はそれほど鬱蒼としていなく、木こりのおじさんがきちんと木々の世話をしているようだった。おかげで思っていたよりも歩きやすかった。それでも子供の私たちからしてみればたいそう立派な藪に感じられて、どうにか首から上だけを出しながら森の中を進んだ。


「ねえ、何か声が聞こえるわ」


 道中で見つけた木苺を頬張りながら一休みしていると、ファビオラが突然そう言い出した。私も耳を澄ましてみると、確かにどこかの藪の中から小さな鳴き声が聞こえてきた。

 私は枝が服に引っかかるのも気にせずに藪の中を探して見ると、小さな小さなひな鳥がそこにいた。もう夏も終わるというのに、羽毛も生えそろっていない。その翼は、育ちきっていない小さな体すら支えれ上げられそうにないほど弱弱しいものだった。


「可哀そうに。巣から追い出されてしまったのね」


 森を見上げるファビオラの視線の先を、私も追った。子供では到底届きそうにない場所に、鳥の巣があった。


「でも、仕方のないことだわ。だって、自然のことなんですもの」


 いつかの寂しそうなファビオラの顔がそこにあった。私はいてもたってもいられず、自分がこの子を育てると言った。


「無理よ。親鳥の代わりにはなれないわ。私たちじゃあこの子に飛び方を教えてあげられないもの」


 それでもどうにかしてみせる。私は自信満々に言った。根拠も何もなかった。でも言ってみせた。

 ファビオラはちょっとだけ目を丸くして、悩むように顔を伏せると、それから小さく笑った。


「あなたを信じてみるわ」






 夏がおわり、麦の収穫がすっかり終わり、秋が来た。

 そして新たな種蒔きの季節がやってきた。


 私がお父さんとお母さんと一緒に麦の種を蒔いてしていると、妙な人だかりが出来ていることとに気付いた。見ると、馬にまたがった領主様勤めの騎士様が、村長さんになにやら話しているようだった。村長さんは真っ青な顔になって、なにやら大声で話しているみたいだったけれど、周りの大人たちもあれやこれや話していて、その内容はわからなかった。ただ、村長さんのそばに立っている、村でよく見るうつむいた様子のファビオラが気がかりだった。


 私はその晩、たまにするように、村長さんの家のファビオラの部屋をこっそりと訪れた。

 外から窓をノックすると、ファビオラがぱあっと笑顔になって迎えてくれた。それから私は家の壁に寄り掛かって、ファビオラは窓から身を乗り出して、小声でおしゃべりをした。


「おじいさまったら、何も考えないで言うんだもの。聞いていておかしいわよ」


 ファビオラは不満そうだった。昼間の話のことだとすぐにわかった。


「領主様が、『最近は麦の収穫量が悪いからどうにかしろ。出来ないなら責任をとれ』って言ってるからって、もっと神に祈るのだーって言うのよ。おかしいわ」


 私もよくお父さんやお母さんと一緒に神様をお祈りするから、何とも言えなかった。


「祈ったって別にいいのよ? だけど、神様って直接何かをしてくれるってわけでもないじゃない。"ここまで頑張りました。ですのでどうか心の支えになってください。見守っていてください"ってときに、お祈りするべきだと思うわ。頑張っている人の心の中にこそ、神様はいると思うのよ」


 思えばそうだ。楽をしているのに祈っていたらすべて解決するというなら、都合のいい話だ。


「最近の麦の取れる量が減っているのだって、もっといろいろ頑張れることがあると思うの」


 そのいろいろがどういったことなのか、私にはわからなかったけれど、とりあえず今は元気な芽の出る麦を選んで丁寧に種を蒔こうと思った。


「素敵な作業よね。冬が落ち着いて、芽吹くころが楽しみだわ」


 秋は麦を収穫したり冬に向けての準備をしたりでいろいろ忙しいけれど、どこか頭の片隅には春の暖かさがあった。

 くしゅん、とファビオラが可愛らしい声を上げた。ファビオラの鼻の頭が、お化粧をしたみたいに真っ赤になっていた。こんな可愛らしいファビオラを知っているのはきっと私だけなんだ、と思うと胸がうずうずした。

 そして、その日はファビオラが風邪をひいてしまうよりも前に家に帰ることにした。


 種蒔きが済むと、まもなく冬が来た。

 冬が来ると、外での仕事はすっかりなくなってしまった。森の中もすっかり静かになってしまって、そこでファビオラと遊ぶ機会もすっかりなくなってしまった。だから私は、たびたび夜に抜け出しては、ファビオラの部屋の窓を叩くようになった。

 ファビオラはいつだって笑顔で迎えてくれた。


 そう思っていた。

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ファビオラの残香 るどるふ @LUDLUF

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