第21話 酔っ払った女性を送っていくという事は

 会社の宴会。

 そこは、上司に対してお酌をするとともに上司からの酒を断ることは難しい。


「おい、澤木。お前が骨折している間は大変だったんだからな。ちょっとこっちにこい」

「すみません、課長。安藤先輩に呼ばれているので」


 英一は、にこやかに課長に笑顔を向けて拒否した。

 向こうで、ストレートのロングヘアの眼鏡をかけた美人。英一の教育係の安藤先輩が手招きして向かいに座るように指さしている。


「うむ・・・安藤が呼んでいるなら仕方ないな・・・」


 会社でも有能で通っている安藤先輩の命令。課長も仕方なく英一を解放した。

 英一は安藤先輩の向かいに座ると、ビールを先輩のグラスに注いだ。


「先輩。この度は、いろいろとフォローしていただいて大変助かりました」

「そうだね。でも、左手が使えなかったとしても、もっと効率よく仕事ができたはずよ。ちゃんと反省してね」

「すみません・・」

「例えばあの不具合に対するデバッグのやり方だけど・・・」


 その後、安藤先輩から英一の仕事に対する指摘が延々と続いた。


 だが、英一は分かっていた。

 これは、酒の弱い英一を他の上司から守る方便だという事を。


 宴会の度、安藤先輩は他の上司から英一を守ってくれていた。

 おかげで、ひどい目に合わずにすんでいた。


 ところで、安藤先輩はなぜか今日は結構なペースで飲んでいる。


 顔を赤らめ、酔いが回ったと思われるころ・・・英一に急に質問してきた。

 なぜじゃ、目を合わせようとしない。


「ところで、澤木君・・・最近、あなたは柔道を始めたんですって?それで骨折したって本当?」

「それが、柔道を始めたんじゃなくて練習に協力しているだけなんですけどね」

「練習?」

「そうなんです。の柔道の練習台になっているんですよ。それで、ちょっと油断して怪我をしてしまいました。本当に、ご迷惑をおかけしました」


 すると、安藤先輩はにっこりと笑みを浮かべた。


「なんだ、そうだったんだ。噂では、なにやら女性と喧嘩して骨折したって聞いたものだから。彼女でもできたかと思って」


 英一は、あっはっはと笑って言った。


「まさか~。彼女なんていませんよ~」


 そんな英一の眼をじっと見て安藤先輩は小さくつぶやいた。


「そ・・・よかった・・・」






 一次会の店を出る。

 課長の呼ぶ声がする。


「お~い、安藤!澤木!2次会に行くぞ!」


 その課長に対して、英一は言った。


「すみません、安藤先輩が結構酔っているようで・・・タクシー乗り場まで連れていくので、僕はこれで・・」


 英一の横に立っている、安藤先輩は目の焦点が合っていない様子。フラフラと足元がおぼつかない。


「仕方ないなぁ、じゃあ付き添ってやれ。絶対変なことをするんじゃないぞ」

「わかってます!それでは。これで」



 英一は安藤先輩を連れて、駅のタクシー乗り場までやって来た。

「あ、これ飲んでください」

 途中の自販機で買ったミネラルウォーターのふたを開けて手渡す。

 先輩はそれを、美味しそうに飲んだ。


「先輩、家はどの辺でしたっけ?」

「〇〇駅の近く・・・」

「それじゃあ、方向一緒ですね。僕も一緒に乗っていきますね」


 タクシーはすぐやって来た。

 一緒に乗り込む、英一と安藤先輩。


「○○駅の方へ、お願いします」

 運転手に告げる英一。


「先輩、大丈夫ですか?」

「うん。水を飲んで落ち着いてきたわ、ありがとう」

 そう言いながらも、英一の肩にもたれて目を閉じる。


 30分ほどすると、○○駅に近くなってきた。


「先輩、駅の近くに来たんですがどこに向かえばいいですか?」

 英一にもたれたまま安藤先輩は目を開く。

「あ・・・あのコンビニの次の信号を右で・・・その先の自販機の近くで・・」

「はい、了解しました」

 運転手は、指示されたとおりにタクシーを移動し停車した。


「先輩・・着きましたよ」

「あ・・・澤木君、ありがと・・・」


 ようやく身を起こした安藤先輩。

 英一は先にタクシーを降りて、安藤先輩が降りるのを手伝った。


「安藤先輩。大丈夫ですか?うちに帰れそうですか?」

「大丈夫。もうこのマンションだから」


 タクシーの前のマンションを示す。

 先輩は、背の高い英一を見上げる。

 真っ赤に顔を赤らめ、うつむきがちに小さな声でつぶやく。


「あのね・・澤木君・・よかったら・・・」


 その声に気づかない英一は、さわやかな笑顔で先輩に言った。


「先輩、明日は休みだからゆっくり休んでくださいね」

「え?・・・あ・・・うん・・・」


「じゃ、僕は帰りますので。お疲れ様でした!」

 タクシーに乗り込む英一。

「運転手さん。××駅に向かってもらえますか?」




 走り去るタクシーを見つめる安藤先輩はつぶやく。


「もう・・・鈍感なんだから・・・」




 タクシーの中、運転手は英一に言った。


「お客さん、あれでよかったんですか?」

「え?なんのことですか?」


 にこやかに運転手に聞き返す英一。



 運転手は思った。

 このお客・・・物凄く鈍感に違いない。

 どう考えてもチャンスなのに・・・

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