第18話 ハツコイ

 その日の朝。

 かおりは、ぼーっとしたまま起き上がった。

 ぼーっとしたまま、朝ごはんを食べた。

 ぼーっとしたまま、家を出て・・・試合会場に向かった。


 まったく練習をしていないまま試合に臨む。


”どうして、試合しなきゃならないんだっけ・・・”


 今までは、こんなことは無かった。

 試合に勝って、賞をもらって、皆に褒められて。

 柔道をするのが楽しくてしょうがなかった。


 なのに、今は全くモチベーションが上がらない。



”今日は平日だから、英ちゃんは来れないよね”

 わかってはいるのだが・・・胸の奥が苦しくなった。



 そして・・・その気持ちのままで、試合が始まった。

「始め!!」


 


「どうしたの、朝からミスが多いわよ」

「すみません・・・」


 安藤先輩が心配そうに聞いてくる。

 理由はわかっている。朝から気になって、仕事の集中できない。


「体調でも悪いの?あさからぼーっとして」


 そうか・・・体調・・・


「そうですね・・・そうかもしれません!」

「はぁ?」


 英一は、席を立つと課長の席に向かった。


「課長!」

「なんだね?」

「今日は体調が悪いので早退させてください!」


 課長は、ポカンとして言った。


「どう見ても、体調悪いようには見えないんだけど?どういうつもりなんだ?」

「いえ、体調が悪いので休ませてください!では!」


 そう言って、課長の席から自分の席に戻り帰り支度を始める。


「ちょ・・・ちょっと、待ちたまえ!!澤木!!」

 課長がわめいているが、無視して帰る。

 それを見ている安藤先輩は、肩を震わせて笑いをこらえていた。




 1回戦。

 試合は一方的だった。


 かおりは、攻めようとするそぶりを見せない。

 警告を与えられた。

 試合に集中できていない。

 

”あぁ・・私何してるんだろ・・・”

 かおりは、試合中に考え事をしていた。

 いつもは、積極的に攻める。だが・・・なんとなく、そんな気になれなかった。


 試合中に考えているのは、英一のこと。

 

”わたし・・どうしちゃったんだろう・・・”


 こんなこと、今までなかった。

 柔道が、全然楽しくなかった。


 私は、何のために柔道をしていたんだろう・・?


”もう、柔道・・・

やめちゃおうかな・・・”

 涙が出てきた。

 




 そう思った時。大きな声が聞こえた。


「かおり!!何やってるんだ!!」


 その声の方を見る。

 



 そこには、澤木 英一がいた。

 左手のギプスは無かった。


 その手をブンブン振っている。


「おまえ!一緒に練習しただろ!思い出せ!練習のことを!」


 そう怒鳴っている。


”英ちゃん・・・”

 胸の奥が、ドクンと鳴った。


”来てくれたんだ・・・”


 それだけで・・・それだけで・・・、もうなんでも良かった。


「練習通りに動けば、絶対に勝てる!」

「うん!」


 次の瞬間。鋭い背負い投げが決まった。


”そっか・・・私・・・”

 




 結局、かおりは4回戦で負けてしまった。

 全然練習していなかったから、仕方がない。


「残念だったな」

「うん!」

「まぁ、次頑張ればいいさ。また練習すればいい」

「うん!」


 ええと・・・残念に思っている気配はないね・・・


 かおりは、英一にの隣に座ってぴったりと引っ付いている。

 ニコニコを満面の笑みである。


「でも、英ちゃん来てくれてありがとうね」

「まぁな。せっかく練習につきあったんだから見に来ないとな」


 かおりは、英一に抱きついて言った。


「ありがとう!次の試合に向けて一緒に練習しようね♪」


 ぱき


 英一はその言葉が耳に入っていなかった。

 ただ、痛みに悶絶し、声にならない声を心の中で絶叫していた。


”うぎゃあ~~~~~~~”





試合中、かおりは気が付いていた。


”そっか・・・私・・・、英ちゃんのことが好きなんだ”


 かおりにとって初恋を自覚した瞬間なのであった。

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