第16話 邂逅

 


『なあ、そこのお前、聞こえてるか?』


 神条かみじょう瑠香るかは耳元でそう声を掛けられ、ビクッと顔を上げた。


 小学校を卒業した瑠香は、家から離れた場所にある中学校に進学した。

 まだ、入学して数週間しか経っておらず、電車での通学にも慣れていない。


 それは、下校中、家の最寄り駅の改札から出た直後の出来事だった。

 声の主を探そうとする瑠香だが、周囲を見渡しても自分の近くには誰もいない。


『お、聞こえてるみたいだな』

 もう一度声がするが、やはり声の主は見つからない。


 通い慣れない通学路で疲れてしまったのだろうか、と瑠香は首を振った。


『おい待て、お前だよお前、そこの『なんだ気のせいか』みたいな顔してどっか行こうとしてるお前!』


 やはり、聞こえる。

 瑠香は立ち止まると再度周囲を見渡す。


 誰もいない。

 と言うか、かなりの大声なのに誰も反応していない。


「──誰?」

 しばらく逡巡した後、恐る恐る小声で話しかける瑠香。


『よし、聞こえてるな。じゃあここまで来てくれ』

 瑠香に聞こえていることを確認すると、声の主は勝手に話を進めてしまう。


「ちょ、ちょっと待って、どこに行けばいいの?」

『いや、そのままテキトーに歩いてくれれば大丈夫だ』

「て、適当って……」

 瑠香は更に問い掛けようとするが、その前に何かが切れる感覚があった。

 これは、あれだ。

 電話が切れる、あの感覚に似ている。

 そして瑠香は、これ以上話しかけても返答がないことを悟る。


「適当に歩くって言われても……」

 吐息する瑠香。

 とりあえず、何も考えずに帰路を辿る。


 さっきのあれは一体何だったのだろうか。

 姿は見えないのに声だけが明瞭に聞こえた。

 だが、周囲の人に聞こえている様子はなかった。


 テレパシー、という奴だろうか。

 頭に直接話しかけるというあれだ。

 そんなものが、本当に存在するのだろうか。


「あれ?」

 そこまで考えて、瑠香はふと顔を上げる。

 考えながら歩いていたからだろうか。

 そこは見知らぬ路地だった。



 来た道を戻ろうと踵を返す瑠香。

 だが瑠香は足を止めた。


 背後に、何かの気配を感じる。

 瑠香の直感が叫んでいた。

 今振り返れば、戻れなくなる。


 だが、瑠香は好奇心に負けた。

 恐る恐る振り返る瑠香。

 そこにあったのは──


「……杖?」  


 見ようによっては、木の棒と間違えてしまうような杖がそこにあった。


「なんでこんなところに……」

 歩み寄って拾い上げる瑠香。

 持ってみると、杖は意外と大きかった。

 立てると瑠香の胸のあたりまである。


 よく見ると、杖の頭の部分に宝石のような物が嵌まっていた。


「……きれい」

 それは暗い路地の中でも不思議な輝きを放っていた。


『おい』

 宝石に見とれている瑠香はその声にハッと驚く。

 慌てて周囲を見回すが誰の姿もない。


『それ、何回やるつもりだよ? いい加減慣れろって』

 再び声が聞こえて瑠香はさっきの声だと気が付く。


「あ、あの……」

『まあいいか、ここまで辿り着けてるし』

「え、?」

 再び周囲を見回す瑠香だが、やはり誰もいない。


『どこ見てるんだ? 下だよ下』

 言われた通り下を見る瑠香。

 だが下には何もない。

 そう、さっき拾った杖以外には──


「ま、まさか……」

『そ。俺はお前が今持っている杖だ』

「ええ!?」

 驚愕する瑠香。


「つ、杖が喋った!?」

『そこかよ? もっと他に驚くことあるだろうが』

 確かにテレパシーとか、もっと驚くべきところがあったかもしれない。

 深呼吸をして落ち着こうとする瑠香。

「えっと、あなたは一体……」

『ん、俺か? 俺は、そうだな──』

 声は暫し考え込むように黙り込む。


『俺のことは話すと長くなりそうだから、割愛で』

「え、でも──」

『ほら、お喋りしてる暇はないぞ。奴らが来てる』

「え、や、奴らって……?」

 誰のことを指しているのか問おうとした瑠香の言葉はそこで止まる。

 瑠香も感じたのだ。何者かがこちらに近づいてきているのを。


『さ、派手に行こうぜ。俺たちの記念すべき初陣だ』

「う、初陣?」


 その時、瑠香たちに接近してきた者が姿を現した。

 全身を黒ずくめの服に包んだその者は、手に抜身のナイフを持っていた。

 そのギラリとした怪しい光に、体が竦んでしまう瑠香。

 瑠香を発見した黒服は、ゆっくりと近づいてきた。

 後退りしようにも体がうまく動かない。


『──おい、お前、大丈夫かよ』

 杖から聞こえる声が少し慌てたように言う。

 黒服はナイフを腰だめに構えると瑠香に突きかかる姿勢を取る。


「ひっ」


 瑠香の喉から掠れた声が漏れる。


『おい、刺されるぞ、避けろ!』

 瑠香は恐怖のあまり思わず目を瞑った。


 その時、狭い路地に乾いた破裂音が響き渡る。

 続けてドサリと重いものが落ちる音。


 恐る恐る目を開ける瑠香。

 目の前には頭部が弾け飛んだ黒服が倒れてた。

 更にその向こう側には一人の少年が立っていた。


 少年は、腕を真っ直ぐこちらに向けていた。

 そしてその手に握られていたのは──


「じゅ、銃!?」

 瑠香のその悲鳴に少年がこちらに目を向ける。

 その鋭い視線に瑠香は身を縮めた。


「おい、怪我はないか?」

 少年は瑠香に向けて言った。


「え、は、はい……」

「そうか、巻き込まれるなんて災難だったな」

 少年は銃をしまうと手を振った。


「行っていいぞ。ここで見たことは誰にも話さないことだ」

「え?」

 予想外の言葉に瑠香は戸惑う。


『おい、さっさとここを離れるぞ』

「う、うん」

 杖の声に立ち上がる瑠香。

 そのまま、少年に背を向けて立ち去ろうとするが、瑠香はそこで足を止めた。


「あ、あの……!」

「──なんだ」

 立ち止まった瑠香に胡乱な顔をする少年。 



「助けてくれて、ありがとう」


 その言葉に少年は顔を背けて言った。


「別に、結果的にそうなっただけだ。さっさと行け」

 瑠香はぺこりと頭を下げると足早に路地を抜けた。




「こ、ここまで来ればもういいかな」

 だいぶ自分の家に近付いたところで瑠香は立ち止まり、ほっと息を吐く。


『ああ、もう大丈夫だろう』

 瑠香の言葉に杖の声はそう返す。

『しっかし、お前、あそこで固まっちまうとは思わなかったぞ。あいつが来なければ正直危なかった』


「さっきのあれは、一体何だったの?」

『そうか、そういえばお前、何にも知らないんだもんな』

「そ、そうだよ、いきなり色々起こって、びっくりしてるんだから」

『あー、じゃあ面倒くさいけど、一から説明するか。』

 声は気だるげに言った。


『まず、この世界とは別の世界がある』

「へ?」

『で、お前を襲ったさっきのあれは、そこから来た奴だ』

「ちょ、ちょっと待──」

『そんで、あいつらはある目的のためにお前を攫おうとしてる』

「ちょっと──」

『で、おまえは逃げるにしろ戦うにしろ力をつけなきゃいけない訳だ』

「た、戦う──」

『だから、俺がお前のためにこうやって登場してやったって訳だ』

「──」

『わかったか?』


 瑠香に喋る隙を与えず一方的に話した声は、そこで言葉を切った。

『なんだ、呆けた顔して。ちゃんと聞いてたか?』

「いや、ちょっと情報過多で頭がパンクしそうというか──」

『ん? わかりやすくまとめたつもりなんだが……』 

 その言葉に瑠香は溜め息を吐いた。


「ねえ、杖さん?」

『なんだ?』

「──説明下手って、よく言われない?」




 その後、聞き取れた部分を一つ一つ瑠香が確認して、ようやく話の全貌が見えてきた。

「つまり、異世界の〈黒の使徒〉って人達が悪いことを企んでいて、その計画のために私が必要ってことなんだね?」

『そうそう』

「それで、その人たちから逃げなきゃいけないんだね?」

『そうだ』

 瑠香の言葉を肯定する声。


「今は大丈夫なの?」

『心配ない。俺がうまく見つからないように隠している』

 その時、瑠香はとある疑問を感じた。

「じゃあ、どうしてさっきは見つかっちゃったの?」

 その疑問を口にする瑠香。


『ああ、それは俺に触ったせいだな。力が覚醒して一瞬補足されちまった』

「──え?」

 あっさりという声。

 ならば、最初から杖に触らなければ見つからずに済んだのではないだろうか。


『ん? どうした』

「──いや、なんでもない、です」

 しかし、瑠香は言わなかった。

 言ったら面倒臭いことになりそうだからだ。


「それで、さっきから話に出てきてる力、『魂魄』だっけ? それは、何なの?」

『簡単に言えば『異能力』だ。生身の人間じゃ出来ないようなことでも成し得る業さ』


「その力の源は、人の持つ『エネルギー』そのもの、で合ってる?」

『その通り。だが、正確に言えば『身体エネルギー』と『精神エネルギー』の二つがある。『魄』が身体エネルギー、『魂』が精神エネルギーだ』

「『魂』と『魄』──」

『魂は『アニマ』、魄は『マハト』って呼ぶぜ』

「アニマと、マハト……」

 腕を組んで顔を顰める瑠香。

 だんだんと複雑な話になってきた。


『今お前に必要なのは『マハト』のほうだ。異能の基礎はそこだからな』

「つまり、『身体エネルギー』のこと?」

『そうだ。それの完全覚醒が必要だ』

「でも、それって無理しすぎると死んじゃうんでしょ?」

『そうだぞ。特にこの世界では注意が必要だ』


 そこまで聞いて、瑠香は深くため息を吐いた。

 なぜ自分は、こんな突拍子もない話を真剣に聞いているのだろうか。

 戯言と笑って一蹴することも出来るはずだ。


 だが、現に瑠香自身が襲われて被害にあった。

 とても、現実とは思えないが、これが現実なのだ。


「そういえば、さっき襲ってきた〈黒の使徒〉の『ドール』だっけ? それから助けてくれたあの人は?」

『知らね』

「え」


 何らかの答えを期待した瑠香は拍子抜けする。


『恐らく能力者であるのは間違いないぜ。だけど誰かは知らん』

「じゃ、じゃああの時助けてもらえなかったら──」

『マズかったな。俺だけじゃほとんど何も出来ないし』

「そ、そんな……」


 それがわかってたらもっとちゃんとお礼を言ったのに、と瑠香は思う。


「というか、思えば私、杖さんのことを何も聞いてないんだけど……」

 瑠香は一番大切なことを思い出す。


 喋る杖のことを聞き忘れるなんてよっぽどだ。

 まあ、それ以外が衝撃的過ぎて頭からすっぽ抜けていたのだが。


『俺か? 俺のことを簡単に説明すると『凄い杖』だ』

「簡単すぎて何もわからないし、というか喋る時点でもうすごいけど……」

『お、そうか、すごいか。もっと褒めてもいいぞ』

 瑠香の言葉の前半をさっぱり無視して嬉しそうに言う杖。


「それで結局杖さんは何なの? 名前とかは、あるの?」

『名前なら一応ある。俺の名は『世界軸』、だ』

「せかい、じく?」

『世界の軸って意味だ』

「それはそのまんまだよ……」


 瑠香は嘆息する。

「じゃあ、これからは世界軸って呼ぶね?」

『ああ、好きにしろ』


「それで、世界軸は何者なの?」

『そうだな。世界の軸、この世界の中央、すべての始祖ってところか。神の如き力を宿した代物だ』


「──すごい力を持っているって解釈で合ってる?」


『まあ、間違っちゃいないな』

「ほんとかなぁ……」

 そう言い瑠香は足を止めた。


『お、どうした?』

「家、ついたよ」

 なんやかんやあったが取り敢えず家に帰ることができた。




 

「外に出るのは随分と久しぶりだな」

 男は軽く伸びをして、辺りを見回す。

 周囲には、閑静な住宅街が広がっている。


「確か、この辺りなんだが──と」

 男は一つの家の前で足を止める。


「ここか」

 男は家のインターホンを鳴らす。

 パタパタとスリッパを鳴らす音が玄関ドアに近付いてくる。


「はい、どちら様ですか」

 ドアを開けながらそう言ったのはまだ年若い女だった。


「久しぶりだな『エマ』。元気にしていたか」

 男は女に向かって言う。


 その言葉に女はハッと息を呑む。

「ま、まさか──」

「随分と大きくなったな」


「『団長』! お久しぶりです!」

 女は勢いよく男に抱き着いた。


「ああ、元気そうで何よりだ」

「私、ずっと信じて待っていました。いつか戻ってきてくれるって」

 女は涙を拭って言う。


「ああ、待たせて悪かった。あの子は?」

「元気にしています。もうすぐ帰ってくるはずですが……。会いますか?」

「いや、それはできない。一刻を争う緊急事態なんだ」

 その言葉に女は表情を硬くした。


「わかりました。取り敢えず、中へ」

 そう言い女は男を家に招き入れる。


「ああ、助かる」

「それで、一体何が?」

「お前には辛い話になる。覚悟はいいか?」

「──はい」

 男の言葉に女は頷く。


「──ダンが、死んだ」

 男は一拍間を置き言った。


 その言葉に女は息を呑む。

 そして俯いた。


「そうですか……兄上が……」

「すまない、手は尽くしたのだが、私たちが見つけ出した時には、もう……」

 男は悔しそうに言う。 


「犯人は恐らく、エドランド帝国の者だろう。あの国は〈黒の使徒〉とも繋がっている」

「やはり、エドランド帝国が……」


「ダンの息子は無事だったが、まだ国を任せることはできないだろう」

「私に頼みたいことはそれですか?」


「ああ」

 男は目を閉じた。


「私はお前に責められてもおかしくないことを言っている。この安全な地を離れ、再び戦乱の世に戻れと言っているのだから」

「いいえ、団長。元々、この命はあなたに拾われなければ失くしていた命です。あなたのために使えるなら本望というものです」

 女は胸に手を当てて言う。


「そうか、ありがとう。私は本当に、いい仲間を持った」

「そうと決まれば今すぐ準備しなければ──団長、あの子はどうすればいいですか?」

「一緒にはいけない。あの子を危険にさらすわけにいかないんだ。だから、アレンに頼んでおいた」


「そうですか、アレンくんが……それなら安心です」

「辛いことを頼んで悪いな」

「いいえ、子はいつか親の元を巣立っていくものです。団長、アレンくんに伝えておいてください」

「なんだ」


「『私の娘』をよろしくお願いします、と」


 その言葉に男は微かに笑う。

「立派な母親になったな」


「親のお手本のような方々を見て育ちましたから」

「そう、だな」


 その言葉に男は瞑目する。


「──すみません。辛いことを、思い出させてしまって……」

「辛いのはみな同じだ。私たちは『家族』、だからな」

 重い沈黙がしばらくその場を支配する。


「──私、準備をしてきますね」

 女がその場を静かに去る。

 男は無言のまま、そこに立っていた。


(止めなければ。悲しみしか生まない、この戦いを)


 男はぐっと拳を握り締めた。

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