第14話 朝の会合
「ふあぁ──」
朝、無人の教室で実辰は欠伸を漏らす。
更に伸びをした後、溜め息を吐く。
こんな早朝から実辰が登校しているのは、用事などがあったからではなく、勿論勉強しようと早起きした訳でもない。
昨日の放課後のことを考えていたら結局一睡も出来ず、特にやることもなかったので学校に来たのだ。
この数日間で色々な事が起きた。
不思議な力に目覚めた。
悪の組織に襲われた。
不思議な声に異世界の存在を教えられた。
数日前の自分に、今の状況を話したら信じるだろうか。
いや、恐らく信じないだろう。
どれ一つとして現実味がない。
全部なかったことにならないだろうか。
夢だった、ということはないだろうか。
全て実辰の空想で、現実ではいつも通りの日常が存在しているのではないか。
実辰は掌を見る。
少し念じれば、薄く霜が張り出す。
その冷たさは、氷が現実のものであることを突き付けてくる。
「はぁ……」
実辰は再び溜め息を吐く。
そして、机に突っ伏すとそのまま顔を横に向け、窓の外の青く澄んだ空を見上げる。
今、自分は日常の真っ只中にいる。
いや、正確に言えば平穏な日常に見える『何か』の中だ。
外の町を行きかう人々と自分は、何が違うのだろうか。
今の実辰も、端から見たら何の変哲もない一人の少女なのだろう。
だが実辰は今、異能力に目覚め、謎の組織に狙われている。
一体誰が想像出来るだろうか。
もしかしたら、実辰が知らないだけで非現実という現実の中で生きている人は沢山いるのかもしれない。
一体、自分はどうすべきなのだろうか。
逃げるべきか。
戦うべきか。
逃げることを選択すれば家族とは離れ離れになる。
戦うことを選択すれば誰かが傷付くだろう。
そうして傷付くのは誰なのだろうか。
自身か。
友達か。
それとも、敵として相対する者か。
もしかしたら、全てを失うかもしれない。
実辰はつい数日前まで普通の少女だったのだ。
覚悟など、当然ない。
だからこそ迷うのだ。
出来れば誰も傷付かないで欲しいし、傷付けたくない。
だが、敵は犠牲を厭わずに目的を遂行しようとしている。
それに対抗するためには手段を選ぶ余裕なんて──
「実辰、おはよ」
「わっ! び、びっくりした、日和かぁ……」
「ん?」
実辰の目の前には、大きな瞳を瞬かせて実辰の顔を覗き込む日和がいた。
どうやら思考に耽り過ぎて目の前が見えなくなっていたらしい。
慌てて身を起こし周囲を見回すが、日和以外のクラスメイトはまだ登校していなかった。
時間もさほど経っておらず、早朝の学校は未だに静かなままだ。
「おはよ、日和。今日は早いね?」
「あ、うん……昨日の事こと考えてたら眠れなくてね……」
どうやら日和も実辰と同じ理由で朝早くから登校して来たようだ。
「そっか、私もおんなじような感じ」
日和は実辰の机の前の椅子に座ると頬杖を付いて溜め息を吐く。
「私さ、どうしたらいいかわからなくてずっと考えてたんだ」
日和がポツリと言った。
「考えて考えて、でも結局何もわからなかった」
「日和……」
「あのバカが『戦う』なんて言ってたけど、本当にそうなるかもしれないなんてね……」
日和の言う『あのバカ』とは心のことだろう。
「実辰は、どうするつもり?」
「私は……」
日和の問いに実辰は言葉を詰まらせた。
「──まだ、決められない」
「そうだよね……」
実辰の答えに共感を示す日和。
そうして無言になる二人。
しばらく続いたその沈黙を破ったのは、小さなカタッという音だった。
少し身構えながら音のした方へ目を向ける実辰と日和。
そこには気まずそうな表情をして茉菜が立っていた。
実辰と日和は肩の力を抜き息を吐いた。
「すみません……驚かせてしまいましたか?」
「いやまあ、ちょっとびっくりしたけど……少し過敏になりすぎたかも」
「いえ、昨日あんなことがありましたから。正しいことだと思います」
茉菜は首を横に振りながら日和に言った。
「おはよ、相水さん」
「え……っと、その、おはよう、ございます」
実辰の挨拶に戸惑ったように応える茉菜。
「ん? どうしたの? 私何か変なこと言った?」
不審に思った実辰は首を傾げて茉菜に問う。
「い、いえ、その、挨拶することにあんまり慣れてなくて……」
「あれ、嫌だった?」
「いえ、なんだか……、新鮮で」
少し気恥ずかしげに答える茉菜。
「ま、だんだん慣れてくると思うよ。でもこれから長い付き合いになりそうだし、よろしくね」
日和は茉菜に言う。
「は、はい、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる茉菜。
「よし、じゃあなんか話さない? まだまだ時間あるし」
「そうだね、昨日のこととかいろいろ話したいかも。相水さんもどう?」
実辰は茉菜を誘う。
「はい、是非お願いします」
茉菜は頷き、実辰の席の近くに座る。
「まずは──やっぱり昨日のことだよね」
日和はため息を吐きながら言う。
「アレンさん? の言ってた異世界に行くって話、相水さんはどう思う?」
「そう、ですね。正直悪くない話だと思います。なにせ私たちはまだ何も知らないですから、助けてもえらえるのは願ってもないお話です」
「それは、一理あるかも」
茉菜の答えを聞き頷く日和。
「家族のことを割り切るのは難しいですが──離れることで被害が及ばないならむしろそうするべきだと思いました」
「そっか──私はまだ、決められないかも」
日和は先ほど実辰に言ったのと同じように茉菜に言う。
日和は顔を伏せた。
「ほんとはわかってるんだけどね。早く決めなきゃいけないってことくらい」
はぁ、と再び大きくため息を吐く日和。
日和の言うことは正しい。
アレンは猶予を与えてくれたが、〈黒の使徒〉はそうではないだろう。
もしかしたら今この瞬間襲われる可能性だって──
その時、大きな音を立てて教室の扉が勢いよく開かれる。
全員が驚き、扉の方を見る。
そこに立っていたのは心だった。
胸をなでおろす実辰たち。
「よ。早いな、お前ら」
軽く手を上げ心は言う。
「あんたこそ。いつもより早いじゃない。来ないと思ってたわ」
「いや、普通の時間に行くつもりだったけどよ。イチヤが早く行ったらお前らがいるかも、って言うから」
日和の言葉に答える心。
実辰も心がこの時間に来るとは思っていなかったが、イチヤの提案なら話は別だ。
「で、来てみたらお前らがいた、って訳だ」
実辰たちの近くに椅子を引っ張ってきて座り、そう言う心。
さすがイチヤだ。
この短期間で実辰たちのことを理解し、行動を予測している。
「へえ、さすがだね」
『それほどでもないよ。みんな不安だろうし、考えることは一緒かなって思っただけさ』
日和の称賛に照れたように答えるイチヤ。
そこで茉菜が小さく手を挙げた。
「あの、いいですか? イチヤさんに質問なんですが……」
『うん、なんだい?』
「昨日のアレンさんの話の時、イチヤさんは一言も喋りませんでしたよね? どうしてですか?」
確かに思い返してみれば、昨日アレンが話しかけてきた時からイチヤはずっと黙ったままだった。
「あの時は気づかなかったけど、確かにな。なにしてたんだ?」
イチヤに問う心。
『そうだね。ちゃんと説明するよ』
イチヤはそう言い、実辰たちに説明を始めた。
『まず、僕の声は普通の人には聞こえないだろ? だから、口を挟んで混乱させちゃいけないと思ったのさ』
なるほど、と頷く実辰たち。
だが、心は考えるような仕草をする。
「おい、イチヤ、それだけか?」
『いや、まさか。今のはただの建前さ』
「え、どういうこと?」
怪訝そうな顔をする日和。
『姿の見えない僕なら相手の行動一つ一つを注意深く観察しても悟られることはないだろう?』
「……確かに」
『だから、いざという時まで僕の存在を知られるわけにはいかないんだ。相手の知らない手札はどんなものでも切り札になるからね』
「でも喋るくらいなら大丈夫じゃね? どうせ聞こえないだろうしさ」
心は首を傾げて言った。
「でも、誰にも聞こえないとは言い切れません。現に私たちには聞こえていますから。それに、会話が噛み合ってなかったら誰でも違和感を抱きます」
『その通りさ。違和感が警戒を呼び、そしてそれが確信に変わったとき、一つのアドバンテージを失うことになる』
「アドバンテージ、か。それであの時は黙ってたんだな」
『うん。だけど、結局成果は得られなかったよ。なにせ、相手の姿も見えなかったからね』
「それだ。昨日のアイツ、声は聞こえたが存在が全く感じられなかった。あれは何だ?」
心はアレンについての話に移る。
「透明になっていた、とかじゃない? こんな『力』があれば出来ないことじゃないでしょ?」
「いや、それはないな」
日和の考えを首を横に振り否定する心。
「俺はエネルギーの流れを多少感じることができる。あの時は結構念入りに調べたけど、あの場所には俺たち四人の他に誰もいなかったぜ」
『それに関しては僕も同意見だ。僕も心の能力を一部使える。心の言っていることは正しいよ』
心に続きイチヤも言った。
『ただ、見過ごせないのは、前にこの探知を潜り抜けられた前例があることかな』
「ああ、あのデカい気配のやつだな」
苦い顔をする心。
確かに心と実辰が感じたあの巨大な気配からは直前まで何の気配も感じられなかった。
それは自身の気配を隠していたからだろう。
『だけど、それに関してはあの時、僕も心も気を抜いていたからね。今回のこととは少し状況が違う』
「つまり『透明人間』じゃないってこと?」
日和は確認するように言う。
『そうだね。絶対に、とは言い切れないけど、かなり可能性は薄いだろう』
「『透明人間』じゃないとすると、いったい何なんだ?」
心は腕を組み顔をしかめる。
「あの……おぼろげですが、あの人が『自分はそこにはいない』みたいなことを言っていた気がします」
茉菜が小さい声でそう言った。
「確かに言ってた気もするな」
『そこにはいない、か……』
イチヤは思案するように呟く。
「それってテレパシーみたいなものかな?」
「テレパシーか。有り得なくないな。どうだ、イチヤ?」
実辰の言葉を聞き、イチヤに問いかける心。
『うん、それなら姿が見えないことにも説明がつく。だけど、少しおかしな点もある』
「こっちの状況をすべて把握していたこと、ですね?」
イチヤの言った『おかしな点』について答えを出す茉菜。
『そう、すべて把握されていた。まるで見ていたかのようにね』
「単純にテレパシーと遠くを見る力の二つを持ってるんじゃねーか?」
『そうかもしれない。だけどそこまではわからないな。今わかることは、遠くにいるのに見たり聞いたり話したりすることが出来るってことくらいさ』
「なるほど、これ以上は考えても仕方ないってことだな」
イチヤの言葉に天を仰ぎ嘆息する心。
『そうなるね。次に、僕からも質問していいかい? 気になることがあるんだ』
「まあ、私たちに答えられることなら……」
イチヤの言葉に日和が答えた。
『君たちは異世界に行く話、どうするつもりだい?』
イチヤは実辰たちに言った。
『僕は昨日心と話してね。行くべきだ、って話になったんだ』
「結局、今の俺たちじゃ何にも出来やしねーからな。行くか、捕まるか、どっちかしかないんだろ」
『そう結論が出たんだ。君たちはどう考えてる?』
「私は──」
実辰は言い掛け言葉を止める。
まだ、決心は定まらなかった。
だが、心の言葉を聞いて一つ理解した。
逃げるか、捕まるか。
何を選んでも、もう日常なんて戻ってこないのだ。
「私は、迷っています。行くべきだとは考えましたが、──正直、まだ怖いです」
茉菜は俯いて言った。
「私も、怖いかも。だって、異世界なんて言われても、どんなところか全くわからないし、それに、戻ってこれるかだって──」
日和はそこまで言うと言葉を切った。
そして、悔しそうにぎゅっと手を握りしめる。
それを見て実辰は口を開く。
「私も、まだ決められない。知らない場所に行くのは怖いけど──でも」
実辰はそこで顔を上げ全員の顔を見て言う。
「誰かが傷つくのは、もっと怖い。──そう思うの」
「実辰──」
実辰と目を合わせた日和は大きく目を見開く。
「今は決められないけど、いつかは決める。誰も傷つかない内に」
『そうか……。ごめんよ、みんな。言い辛いことを聞いてしまって』
実辰たちの答えを聞き、静かに言うイチヤ。
その言葉を聞き首を振る実辰。
「ううん。少し、何かが掴めた気がする。でも、なんでこんな急に?」
『うん。アレンに付いていくとすると、一番に考えなきゃいけないことがあるんだ』
「それは、何?」
日和が問う。
『アレンがどこまで信用できるか、だよ』
イチヤは言う。
『敵だとは言い切れないけど、それは味方だとも言い切れないってことだろ? それに強さがわからないんじゃ、守ってくれるっていう言葉をどこまで信頼していいかもわからない』
「あのCドールを吹っ飛ばしたのがアレンじゃないのか?」
「いえ、アレンさんもあの攻撃に驚いた様子でした。おそらく違うと思います」
心の言葉を否定する茉菜。
「ってことは、他に誰かいたのか?」
『そうだろうね。あの攻撃とあの結界。少なくとも一人以上誰かいた。そしてその人物はアレンの仲間だろうね』
「それは、なんで?」
『攻撃についてアレンは何も触れなかったけど、仲間じゃなかったら警戒なりなんなりするはずだろ? それに結界についてはアレン本人から友人のものだと聞いた』
日和の疑問に丁寧に答えるイチヤ。
「つまり、アレンさんには仲間がいて、その人は私たちが苦戦したCドールを一撃で倒してしまうほど強いってことですね」
『そういうことになるね』
茉菜の結論を肯定するイチヤ。
『だから、強さに関しては心配いらない気がするな。あとは敵か味方か、だけど──』
「それに関しちゃなにもわかんねーな。〈黒の使徒〉のほうがヤバいってのはわかるけどよ」
『そうだね。今はアレンを頼るほかないだろう』
心が言い、それに同意するイチヤ。
『みんなもそれでいいかい?』
「はい」
「まあ、ね」
「うん」
実辰たちはイチヤの言葉に頷く。
「よし。じゃあ、次は──」
『待った、心。──誰か来る』
続けようとする心の言葉を遮り、イチヤが言った。
その言葉に全員が息を潜める。
確かに廊下を歩く足音が聞こえる。
その音はだんだんと近づいてきた。
そして実辰たちのいる教室の前で止まる。
少し身構えながら、扉に注目する実辰たち。
扉が開かれ、その向こうにいたのは──
「──なんだ、剣人かよ」
「やあ、おはよう心。それにみんなも」
奏鳴剣人が爽やかに挨拶をしながら教室に入ってくる。
実辰は安堵する。
ほかの面々も同じようだ。
そんなことはまるで気にせずに剣人は自分の席に向かう。
その後、人が来てしまったこともあり、その集まりは自然と解散になった。
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