紙が、無い
朝倉亜空
第1話
1-A
ここはとある駅前の地下ショッピングセンター街。平日、休日を問わず、いつも人でごった返している。そのセンター通りの中ほどに公衆トイレがあり、その男子用トイレには個室が二つあった。そのうちの一つがもう、随分と使用中のままだった。なかなか人が出てこない。出てこられないのだ。ひどい便秘症なのか。否、モノは出た。だからこそ出てこられなくなったともいえる。その個室には、紙が無かったのである。
1-B
その一時間ほど前。とある悪党どものアジトにて。この連中は主にスリ、窃盗を得意としていた。メンバー構成はボスが一人に数名の子分、そして、悪の組織には付きものであるマッドサイエンティストの発明博士がいた。
「おい、おめえら、ついに念願の瞬間移動装置が完成したぞ」ボスが子分たちに言った。「これでスッた財布をこのアジトまで跳ばせば、デカに呼び止められたっておめえらの身体からは何も出てこねえ。それでまた身軽になって、仕事がしやすいってもんだろ」
「ヘ、ヘエ、ボス」
「じゃ、仕事の段取りを教えて下せえ」子分らは口々に言った。
2-A
個室の中にいるのはごく普通のサラリーマンの男。どうしたものか途方に暮れ、いよいよ靴下でも使おうかと諦めかけた時、キィ、バタンと、隣の個室の扉が閉まる音がした。暫くすると、カラカラ……とロールペーパーの回る音、そして、ジャーという水の流れる音がした。今だ! 男は意を決して、大きな声を出した。
「あのー、お隣さん、すみませんッ」
「エッ、はい、なんでしょうか」
隣から声が返ってきた。無視されずに良かった。男は安どした。
「あのですね、そちらのロールペーパーをこちらに投げて欲しいんですよ。こちら、紙が切れてまして」男は言った。
「ああ、そういうことですか。分かりました」
ガタゴトと、ロールを外す音がしたのち、ではいきますよとの隣人の声とともにロールペーパーが緩い放物線を描き、隣室との壁を越えて飛んできた。男はそれをうまくキャッチした。
「あー助かりました。ありがとうございます」
「お役に立てて、何よりです」
隣人は個室を出て行き、男もほどなくして個室から出た。
2-B
「博士、ちょっと説明してやってくれ」
ボスに言われて、小さな筒状の形の機械を手にした博士が話し始めた。
「わしの作ったこの装置じゃが、物体を瞬間移動させるのにひとつキッカケが必要でのう、強い圧力と素早い移動スピードで物体がこの装置の中を通過しなければならないんじゃ。そこでわしは水圧を利用することにした。大量の水が一気にジャー、と流れるところと言えば、水洗トイレじゃ。こいつを駅前の地下ショッピングセンターの個室便所にセットして、もう一方の受け取り装置をこのアジトの風呂場にでも置いておけばいいじゃろう」
「いいか、おめえたちはぶんどりものをこの移動装置を仕掛けてあるトイレで水に流すんだ。それだけでこのアジトの風呂場は財布だの懐中時計だのでいっぱいになるって寸法よ」
「なあーるほど」
「でもボス、俺たちは、どうやって装置を仕掛けた個室と普通の個室とを見分けたらいいんですかい」
「それはこうするのよ」ボスは一枚の張り紙を持ってきて、子分たちに見せた。張り紙には「使用禁止、ただいま、紙を切らしています」と書いてある。
「これを、装置を取り付けた個室のドアに貼っておくんだ。一般人が使わないようにな。お前たちはこの張り紙の貼ってある方の個室で、分捕りものを水に流せばいいってことよ。さあ、分かったら、早速、仕事に取り掛かれ。博士は装置の取り付けと張り紙のほうを頼む」
「へい」
「がってん」
3-A
「ん?」
個室を出たところで、ふと足元を見ると、張り紙が一枚落ちていた。男は拾い、書いてある文字を読んでみた。「使用禁止、ただいま、紙を切らしていますって、なんだ、はがれ落ちてたのか」
博士の貼った張り紙はものの数分で外れていた。装置を便器前部の溜め水の中に取り付けた際の、濡れた手のまま貼り付けたものだから、テープの接着力が不十分になっていたのだ。
男はその張り紙を、今度は隣の個室のドアに貼り直した。「今、紙がないのはこっちだから、これでよしっと」ガムテープの部分を念入りに強く押した。
3-B
数時間後。
「どーれ、ぼちぼち結構な数のお宝が瞬間移動してきてるんじゃねえか。ちょっくら覗いてくるか」そう言って、ボスはうきうきとアジトの風呂場へ向かっていった。
が、当然そこには、お宝とは別の意味での黄金が大量に……!
紙が、無い 朝倉亜空 @detteiu_com
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