戦場のダンデライオン

多部栄次(エージ)

Log.00_死者の弾丸

 死に恐怖しなくなったのは、いつ頃だろうか。

 銃身を持つ手が震えなくなったのはいつ頃だろうか。


 ザザッ、と耳障りな雑音が無機質な音声に混じる。

『――第一九戦線より中枢指揮所! 前方より近接機甲兵の増援、並びに一〇m級高機動陸用機体アポステルを確認! 数は十二機、すべて多脚型の害虫ビークルだ! 応援を要請する!』


 全てを吹き飛ばす砲撃の轟音に混じり、喉が裂けるような声が拡張感知子を通じて遠方へと同接される。日の光を恐れるように、頼りない土壁の溝の奥から助けを求めているのだろう。


『中枢指揮所より戦闘指揮官トップハット、”弾丸兵ポーンバレット”九発を方位二七四へ』

 返ってきた男の声は、年齢の重さをそこまで感じさせなくともひどく冷めており、ロボットが代わりに話しているのかと思うほど。共有化シェアされた音声こえはすべて、こちらにも直接”頭”に入ってくる。


 数える程度のやり取りが終わり、私は暗闇を目にいれる。

 いまはこの息苦しさも、心地がいい。唯一の安息だ。そう思えるほど、ここは外界との接点を完全に封じている。


『戦闘指揮官から第一九対戦車特攻兵ポールバレット! 話は聞いてたな、機甲兵および害虫の殲滅を命令する! 一四四〇に射出しゅつげき! 筆頭は”八弾目バレット・エイト”に任せる。ヴィスペルドの名を持って、この戦況を覆せ!!』

「――了解」


 さぞかし、静かな返答だったろう。まるでこのあと眠りにつくかのような。最も、もうすぐで一瞬の痛みを代償に、本当の眠りにつけるといっても過言ではないが。

 再び、闇の中で口を開く。

「バレット・エイトより弾丸兵各位。トップハットは指揮権を委譲。これよりバレット・エイトが指揮を執る」

『……来たか』

 くぐもった重い声をはじめに、次々と合成された振動が頭を反響させる。


『了解。あの”銀閃の灼弾ルクシア”が一緒なほど頼もしいことはない』

『そうも言ってられないぞバレット・ファイブ。今回は蟲が多い、こっちの全滅が先ということも十分にあり得る』

『なんでもいい、ようやくこのフザけた薬莢の胎コフィンから出られる。息苦しくて死にそうだ』

『もう死んでいるようなもんだぜ、俺たちは。あと1分もすればただの弾丸よ』

 彼――バレット・シックス――の自虐的な笑い声を最後に、皆が沈黙を選ぶ。ひとり、嗚咽を漏らす。すぐに咎められたのを、聞き流した。


『”蛹甲弾ポッド”の内圧、および”機動甲殻リーパー”の異常なし。射出三〇秒前。カウント開始オン

 カウントダウンが頭蓋の中で響く。耳をふさいでも無駄だろう。塞ぐための腕すらもいまは動かないが。


 皆、ただの兵士ではない。

 我々は死者だ。この”蛹甲弾ピューパ”という棺桶に入った瞬間から、葬られているのだ。そしてこれから、殺戮を繰り返すだけの死神マシンへと生まれ変わる。

 望むことのない、生きた組織から為る不死の機械にされるのだ。

発射しゅつげきまで五秒……三、二、一――』


 我々は、死を望んでいる。


「全弾、出撃て!」

 弾丸が空に放たれた。


 鼓膜に叩き付ける爆撃音は何度耳を狂わせたか。重力が消え、しかし激しい振動と衝撃、そして刺すような痛みが全身に一気に襲い掛かる。瞬間、臓腑の浮遊感。これから落下態勢に入る。足方向に徐々にかかる体重。そろそろだ。


 バシュ、と勢いよく人間大の弾丸から自動で分離される。残った爆薬入りの弾頭は軌道を落とすも計算上はそのまま敵の前線を消し飛ばしてくれるだろう。

 空へ放り出された自身を覆う黒い塊。それはすぐに人型へと形状を機械的に組み換え、私の体を護る――否、支配する外骨格として自身の一部と化す。それを代償に、風を浴びることを許し、光を見せた。まるで蛹を破いて顔を出した蝶のように。


 しかしこの目に見せる光は決して希望を導いてはいない。太陽でさえも慄き、希望の手さえも差し伸べないまま逃げる先は、火薬くさい粉塵と死の煙、そして命を奪う炎によって生み出された曇天だ。


 災厄は常に、それの彼方から訪れた。

 だから、今度は我々から迎え撃とう。


 生じた爆炎の壁を天より突き破り、眼前に入った害虫の一匹をこの黒い腕で叩き潰す。爆発にも劣らない衝撃は、蜘蛛を模した害虫の鋼鉄の背中を窪ませ、その腹に泥を塗らせる。だが、これだけでは仕留めたとは言えない。腕に装着された火砲を、窪んだ背中へと穿ち、砲撃。

 激痛に悶えるように、機械仕掛けの害虫は暴れ出す。

 砲撃。砲撃。砲撃。


 主砲から煙を吐き出し、脚部の節々が火花を散らしては崩れ落ちる。害虫の操縦者パラサイトの声も途絶えた。鋭く、重い風。腕を引き抜き、迫る鉄塊を避ける。

 前方に動目標を多数確認。死神マシンの皮を被った百の亡霊と、鋼鉄の甲皮に覆われた巨大な蜘蛛の群れ。

 通信こえは今、通じない。弾丸に意志疎通は不要だといわんばかりに。饒舌だった彼らも、いまはその使命を強いられ、自我を失いかけている。

 要は、捨て駒だ。そこらに転がる薬莢と変わらない扱い。


 薬物によって得られた再生能力と身体能力は、駆動する殺戮によって補強され、我々を死神マシンにする。そこに高度な知恵も、躊躇いも恐怖も、痛みも要らない。

 動くものすべて、獣のように食らい、尽くす……――。




「一旦撤退する! 全軍、退却――」

 ――逃がしはしない。一人たりとも。一匹たりとも。


 声を途絶えさせ、赤く汚した腕は火を吹く砲口へと換える。害虫の体内を、そしてそこに巣食う4匹の寄生虫諸共、焼き尽くしたが最後、鋼鉄の背外皮は内側から破け、脚を折った。破裂した風圧で上部、そして伏した害虫の後方へと着地する。死神の腕の代わりに焼けた赤い腕。気にしない。敵の銃口さついが視界に映ったからだ。

 薬効も薄まってきた。生傷の戻りも緩やかで、痛みも感じ始めている。


 あの弾に当たれば、楽になれるだろう。

 だが、それを生存本能しにがみは許してくれなかった。風を切る音を耳元に、前傾する。弾切れの銃も捨てたこの腕が為すことは、殺意を向けた亡霊の頭を撃ち抜くこと。駆動する死神の足音はすぐに亡霊の断末魔によって遮られ、左手に硬くも脆い感触を覚えた。


 殺意は消えた。我に返るように周囲を見渡しても、戦塵と戦火に覆われているが、動くものはひとつもない。

「こちらバレット・エイト。敵の殲滅、およびつうしんの断絶を確認。生存兵の応答を願う」


 返答はない。

 わかっている。

 使い捨てに期待する必要はない。私のような奇跡のろいは、あるはずがないと理解している。

 ただ、それでも……。


「バレット・スリー、応答願う。……ッ、バレット・ファイブ、応答せよ!」

 声がむなしく響く。返ってくる声はひとつもなかった。

 もうひとつの感知子へと拡張する。同接したことで聞こえる合成的な声に、応える。


「バレット・エイトよりトップハット。状況を報告します。脅威対象の殲滅を確認しました」

『了解。これにて作戦を終了する。今回もおまえだけ残ったようだが、まぁいい。直ちに帰投しろ』

「……了解」

 通信こえは乱雑に途切れ、外に目を戻す。


 少し前までは緑が燃える、風があたたかい平野だった。想起した香りは、燻る火と共に塗り潰される。機械仕掛けの腸を覗かせてうずくまる鋼の蟲の残骸と赤い油を流す、かつて言語を発していた臓腑が、ひっそりと影を落としている。

 生きているものなど、どこにもいない。敵軍も、友軍も、すべて。どこまでも、遥か遠くまであるのは動かなくなった亡霊と死神ばかり。


 ひどく、静かだ。

 冷たい死者の地へとひざを折る。頭部の装甲を外し、白銀の髪が流れる。望まぬ不死から免れられた代償に刻まれた”残弾”の証だ。若いからか、それとも女だからか。理由は知らずとも、彼らと同じ世界にいけないことは確かだ。

 体はまだ動く。なのに、ひどく重い。戦いの終わりが、生涯の終わりだというように。虚空を見つめていた視線をゆっくりと落とす。


 傍には一輪のダンデライオン。誰にみられるわけでもないのに、こんな戦場でも必死に生きようとしている。そこに意志も何もないのに。利己的な細胞の深奥に従われているだけなのに。まるで自分自身のようで、愛おしく、憎らしい。手を伸ばしたとき、その黄色の小さな花が揺れる。やわらかな風。


 ひとつ、詰まっていた息を吐く。鈍色の雲に覆われた先に、ようやく顔を出した腰抜けの太陽を仰いだ。

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