物騒な世の中です

 この国には多くの人々が集い、様々な思惑が飛び交い、長い年月と共に紡いできた歴史がある。

 誇るべき輝かしい歴史、目を背けたくなる程に恥ずべき歴史。我々はそのどちらも語り継がなければならない。

 語り部がいなくなった歴史は、闇に埋もれて無と帰してしまう。振り返って手本とし、あるいは戒めとしてこそ、歴史はその役目を果たしたと言えるのである。


 その一助としてこの書が用いられる事になれば幸甚の至りだ。さて、語るとしようか。





 ある時、一人の旅人が王都を訪れた。彼は冒険者の端くれ。腕にそこまで自信はないながらも、風光明媚と名高い王都を一目見たいという思いから立ち寄ったのだ。


 長い旅路を終え、辿り着いた時にはもう夜の帳が下りようとしていた。いつも以上の疲労に全身を苛まれ、もう遅いし観光は明日にしよう、と旅人は宿を探して歩き出した。


「……?」


 だが、旅人はすぐに気づいた。都の空気がどこかおかしい事に。


 初めて訪れたのだから、おかしいかどうかなど分かるはずがない。そう言われても仕方のない話だが、それでも旅人には確信があった。


 この国でもっとも安全だとされている場所なのに、物々しい気配がそこかしこに充満していたのだ。


「…………」


 おかしい、とは思いながらも、かと言って体を休めないわけにもいかない。旅人は全身の少しの緊張感を漲らせつつも、都の豪奢な街並みを歩く。


「ちょっとお兄さん。旅の方かい?」


 と、程なくして声を掛けられた。煽情的なドレスを身に纏う、若い女だ。


 頷く旅人に、女は露骨に喜色を浮かべた。


「長旅で疲れたんじゃないかい? ウチの宿屋に案内してあげるよ」


 これはありがたい。故郷と比較にならないほど大きな街、宿を手探りで探すのは難儀するに違いない。


 が、ふと足が止まる。冒険者としてはお世辞にも裕福と言えない身ゆえ、路銀にいささかの不安があったのだ。


 ここを拠点に金を稼ぐつもりもない。帰りの旅費を考えると、あまり散財はしたくなかった。


 結局、女から宿代、宿の場所などについて聞き、その場はいったん誘いを断った。


 考慮すべきは金額、それ一点のみ。待遇、食事などのえり好みはするべきでない。よりよい条件の宿があればそちらを選ぶべきだ。


「よぉ兄ちゃん。旅のモンか?」


 と、またも声を掛けられる。ガタイの良い、目つきの鋭い男だ。


 頷く旅人に、男は豪快に笑いながら近寄る。


「そうかそうか! よし、俺らの宿に案内してやるぜ!」


 有無を言わさぬ口ぶりに少し驚いたが、これがぼったくりの宿であれば敵わない。宿泊代について恐る恐る尋ねてみると、予想に反してすぐに答えが返ってきた。


 先程の女の宿よりも、かなり安かった。反面、食事はワイルドな男飯、荒くれが多く泊まっていてうるさい、という情報も得られたが、まぁそれくらいなら我慢できるだろう。旅人は男の案内についていく。


「おうよおやっさん! 一人ご案内だぜ!」


 宿は予想していたよりも小綺麗な内装をしていた。今まで泊まった宿と比較してもなんら遜色ない。


 加えて、かなり広い。部屋も多く、軽く百人は泊まれそうだ。


「やぁ、いらっしゃい。よく来たね」


 おやっさん、と呼ばれた男は、メガネをした優男だった。おやっさんという言葉のイメージからかけ離れているが、確かに客を包み込むような包容力のようなものが感じられる。


「よっしゃ、おやっさん! これで目標の百人目だ、やっちまおうぜ!」

「まぁ待ちなさい。彼に説明はしたのかい?」

「あ……いや、忘れてたぜ」

「ふぅ、そんな事だろうと思った」


 何が何やら分からず、宿の入口で立ち尽くす旅人。おやっさんは、いきなりすまないね、と頭を下げながら旅人を近くのソファーに座らせる。


「まず確認なんだけど、ここに来るまでに他の宿からの誘いはあったかい?」


 あった。嘘偽りなく返すと、


「くそっ! あんの女狐共め!」


 何故か怒声を吐く男。その気迫に半ば恐怖を感じ始めた旅人に、おやっさんは、たびたび申し訳ない、と頭を下げながら男をなだめる。


「まぁ、単刀直入に申し上げると、我々はその宿と敵対関係にあるんだよ」


 敵対? 憩いの場である宿には似つかわしくない言葉だ。


「かの宿は、女の従業員ばかりで構成されていてね。その色香で男の旅人をたぶらかしては、相場よりも高い値段で寝床と食事を提供している」


 なんと、あちらがぼったくりだったのか。危ない危ない。

 だがまぁ、少しの上乗せ金で目の保養が出来るのなら、金に余裕があるのであれば別に良いのではないか。


「いいや、ダメだよ。実際、そういった大義名分を掲げ、彼女達は自分達の商売は正しいと主張しているし、国もそれを咎めようとはしていない。だが、それはただの宿が担うべき責務じゃない」

「そうさ。宿は温かい寝床と美味いメシを出来る限り安く提供するのが一番の仕事だ。必要なのは力のある男で、女の色香なんざ商品にしちゃいけねぇ」


 まぁ、確かにそういう考え方もあるか。見たところ、この宿には男の従業員しかいないようだし。

 が、そこで自分がどう関係してくるのだろうか。


「今、あちらが宿に泊めている冒険者が不穏な動きを見せている。どうやらあちらも、安い値段で最低限のサービスを、という私達の宿のやり方を良く思っていないらしく、戦いの準備をしているらしい」


 なるほど……いや待て、戦い? これまた物騒な。


「だから、私達も宿に泊まった冒険者に協力を要請した。百人の戦力が集まれば、こちらから打って出る。そう決めているんだ」


 それで、自分がその百人目だった、というわけか。おやっさんは力強く頷く。


「あのような悪質宿が蔓延っていては、疲れ切った旅人が財布まですっからかんにされてしまう。王都の評判にも傷が付いてしまいかねない。これは言わば、王都を護る為の聖戦。良ければ、君も協力してくれないだろうか?」


 ふむ、他の宿との争いごと、か。まぁ不得手だとはいえ、戦いそのものが全く出来ないというわけではないのだが……。


「…………」


 観光に来ただけだというのに、面倒事はごめんだ。彼らの志そのものには共感できない事もないが、まずは自分の財布の中身を第一に考えなければ。


 旅人は少しだけ悩んだ素振りを見せた後、その誘いを断


「私達が勝った暁には、宿代は全てタダにする事を約束するよ」


 断る理由など塵一つすら無いではないか。旅人は一つ、力強く頷くのだった。




 これがのちの世に惨憺たる有様と共に語られていく、かの悪名高き『宿屋戦役』の初夜の一幕である。


                   『王都の表と裏』 著者 ラブ・ゴシップ

                          裏の章 その12より抜粋






「それが、王都に宿が一つしかない理由、ですか……」


 妹が感心したように呟くと、宿の女店主はからからと笑った。


「ま、今から二十年前の出来事さね。それより昔から客の取り合いが絶えなかったらしいし、積年の恨みが宿泊者を巻き込んで爆発した、って感じかねぇ」

「宿屋戦役、ねぇ。なんかもぉ、字面からして頭おかしいと思うんだが」

「けど、事実さ。誰にも否定できやしない過去だよ」


 女店主は少し湿っぽい声でそう言い、テーブルを布巾で力強く拭いていく。


 王都にようやく到着し、唯一の宿だというそこを探し当てた姉妹が、なんでこんなに広い王都に宿が一つだけなんだ、という愚痴をこぼしたら、女店主が話して聞かせてくれたのだ。


 疲れていたのでとっとと休みたい、と思っていた姉妹だったが、女店主の軽快な語り口に引き込まれ、あれやこれやと質問をしながら聞いていたらかなり時間が経ってしまった。


「んであんたら、泊まるのかい?」

「そりゃあ、ここしか宿が無いんだからそうなるだろ」

「ははっ、違いないね。んじゃそこの名簿に記帳しておくれ」


 言われるままに記帳する二人。と、名簿をぱらぱらとめくった妹が目を丸くする。


「当たり前ですけど、大盛況ですね。今も数百人が泊まってるみたいですし」

「お陰様でねぇ。今はまだ静かなもんだけど、夜になったらバカ共が酒盛りしてうるさくなるよ。覚悟しときな」

「へっ、望むところだ。王都の酒、ってヤツを味わわせてもらおうじゃねぇか!」

「うん、そうだね!」


 人間、一度の二日酔い程度では酒の恐ろしさに気付けないらしい。


「つーか、一つ疑問なんだが」

「あ、お姉ちゃんも? 私もなんだよ」

「あいよ、何でも聞きな?」


 まるで飛んでくる疑問が分かっているかのように。相好を崩して姉妹の言葉を待つ女店主に、二人は宿の中を見回しながら言った。


「この宿、その宿屋戦役で勝った方の宿なんだろ?」

「なのにここの従業員さん、男の人も女の人もいませんか?」








 




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