終わる時はこんなもんです
この国には多くの人々が集い、様々な思惑が飛び交い、長い年月と共に紡いできた歴史がある。
誇るべき輝かしい歴史、目を背けたくなる程に恥ずべき歴史。我々はそのどちらも語り継がなければならない。
語り部がいなくなった歴史は、闇に埋もれて無と帰してしまう。振り返って手本とし、あるいは戒めとしてこそ、歴史はその役目を果たしたと言えるのである。
その一助としてこの書が用いられる事になれば幸甚の至りだ。さて、語るとしようか。
旅人は、闘った。
全ては、宿代をタダにしてもらう為。なにしろ、この闘いに負けた瞬間、闘いに費やされた日数分の宿代を請求されかねないのだ。
あらかじめ交わされた『血は流さない』という約定の下、ホウキを右手に、ちり取りを左手に携えて、暴利を貪る女達をどついてはどつかれながら。
王都に住まう人々の冷たい視線などなんのその。闘って闘って闘い抜いた。そして、
「ふん、よくもまぁ暴れてくれたもんだね」
旅人は捕まった。縄でぐるぐる巻きにされ、敵の本拠地たる宿に放り込まれた。
「さて、久しぶりだね旅のお兄さん。ここまで腕が立つようなら、あの時無理やりにでも引き入れておくべきだったよ」
旅人に語り掛けたのは、あの時客引きをしていた女だった。煽情的なドレスもあの時と変わらないが、直前まで闘いに身を投じていたからだろう。艶めく汗を流すその様はより一層美しく見える。
「この戦争、一晩や二晩で終わるなんざ考えちゃいなかったが、まさかここまで長引くなんてねぇ。こうなった方が負け、みたいなはっきりとしたルールを決めておくべきだったよ」
そう言う女は小さく笑ったが、言葉の端々に疲労の色が滲み出ていた。
心の奥底では、闘いたくないんだろう。旅人はそう直感し、
「なら、やめてしまえばいい」
率直に告げる。女は目を丸くした。
「……はは、何を言うと思ったら。ウチらとあんたらは互いに譲れないモノがあったから闘ってんだ。そう簡単にやめれるわけが」
「聞く限りじゃ、二つの宿はずっといがみ合ってきたんだろう? まともな議論なんかした事が無いんじゃないか?」
言葉に熱がこもっていく。何が何でもこの女を説き伏せてやる、という強い意志が、そこにはこもっていた。
「話し合おう。そして、お互いが納得のいく落としどころを見つけるんだ」
「……あんたさ。元は旅人だろう? どうしてそこまで」
「正直、宿代がタダにさえなれば後はどうでも良かった。でも、事情が変わった」
事情? と首を傾げる女。旅人はかっと目を見開き、
「君に惚れたんだよ! 悪いか!」
完全に想定外だったのか、女は唖然としていた。旅人はなおも続ける。
「惚れた女とこれ以上いがみ合うのは御免だ。だから、一緒に考えてくれ。このバカな戦争を終わらせる方法を!」
「……ははっ、あんたこそバカなやつだねぇ。一目見た時から顔は悪くないと思ってたけど、中身もウチ好みのバカとはさ」
女は旅人に歩み寄り、ナイフで縄を解いた。と同時、その頬に優しく口づけを一つ。
「さぁてさて、こっちも楽しくなってきちまったじゃないか。がっかりさせないでおくれよ?」
旅人、カカ・アデンカ。女、イロジ・カケ。
二人が結ばれたこの日から、戦争は一気に終結へと向かう。
闘いの最中、恋心が芽生えたのは二人だけでなかったのだ。カカとイロジを見て、ならば自分達もと次々と結ばれていく男と女。
そして、彼らが合同で経営する形となった新たな宿『ラブ&ピース』が誕生。今もこうして王都で唯一の、そして最高の宿として、今日も人々に憩いのひと時を提供しているのだ。
……余談だが。
彼らは皆めでたく結婚する事となるが、頭でっかちな男達が勝気で豪放な女達の尻に敷かれ続ける、というおぞましい結末を迎える事になる。
闘いとは、たとえ幸せの最中であろうと絶える事は無いのだ。世の男達よ、ゆめゆめ忘れるなかれ。
『王都の表と裏』 著者 ラブ・ゴシップ
裏の章 その16より抜粋
「……んで、あんたがそのカップル第一号ってわけか」
「そういう事さね。はは、懐かしい話をしちまった」
この宿『ラブ&ピース』に男と女がどちらもいる事。その経緯も話して聞かされていたら、もう夜になろうとしていた。
宿泊客達がぞろぞろと、酒場も兼ねているエントランスまで集まってくる中、女店主はからからと笑う。
「発端になったんだから、なんて理由でこの宿の主にさせられちまったが、まぁ満足してるよ。毎日退屈しないからね」
「なるほどぉ……好きな人と一緒に、ですもんね。ちょっと羨ましいかも」
「お嬢ちゃん。恋愛ってのは確かに良いもんだが、幻想ばっか見ててもダメさ。男の首根っこをふん摑まえるくらいじゃ……っていいとこに来た。あんた!」
と、女将が一人の男従業員を呼ぶ。壮齢の男はがしがしと頭を掻きながらこちらに歩み寄る。
「どしたよかーちゃん……って見ねぇ顔だな。新規のお客さんかい?」
「そうさ。嬢ちゃん達、これがウチの旦那さぁ」
「あぁ、旅人だったって言う」
姉が頷くと、男は困ったように笑った。
「お客さん相手にこれ呼ばわりで紹介すんのは止めてくれよかーちゃん」
「これで十分さね。若い女の客を見ればすーぐ鼻伸ばすんだから」
「おいおい、俺はかーちゃん一筋だっての。それ言ったらかーちゃんもこの間、男に色目使ってたじゃねぇか」
徐々に険悪になっていく二人。姉妹が顔を見合わせる中、どっぷりと二人の世界に入り込んでいく。
「あぁん? 何か文句あんのかい?」
「文句なんか言ってねぇよ。ただ、節操がねぇなぁって話をしてるだけさ」
「……よぉし分かった。若い子の前だからか、ちょっと調子に乗ってるようだね。灸を据えてやろうか」
「はっ、やれるもんならやってみな!」
一触即発。その場からのエスケープを検討し始めた姉妹をよそに、
「聞きな、客共! これより神聖なる決闘を始める!」
一瞬静まり返った後、爆発する歓声。突然の狂乱に、姉妹は離脱のタイミングを見失った。
「お、おいおい。ラブ&ピースのくせに結局喧嘩してんじゃねぇかよ……」
「喧嘩? バカ言っちゃいけないよ」
夫婦はにやりと口の端を吊り上げ、
『飲み比べだ!』
そう言って酒場の中心に。いつの間にやら、そこにはテーブルを寄せ集めた簡易的な決闘場が出来上がっていた。
「女将さんに銀貨5枚!」
「俺は旦那の方に銀貨8枚だ!」
口々に言い放ち、銀貨を投げ捨てていく男達。妹がその光景を見やりながら呟く。
「なるほど、確かにこれなら血も流れないし平和的だけど……賭け事は大丈夫なのかな?」
「……ま、いいんじゃね? これくらいのバカ騒ぎがあった方が活気があっていいし、あたしはこういうのが好きだ。折角だからあたし達も賭けるか?」
「別にいいけど……私、女将さんがいい。旦那さん、頼りなさそうだもん」
「そうか? あの旦那、やる時はやる男だぜ。あたしには分かるんだ」
「……お姉ちゃんに男の人を見る目があるのかな」
「あぁん? どうした妹よ、この姉に喧嘩を売るとは珍しい」
ぽきぽきと指を鳴らす姉に、妹はため息交じりに首を振る。
「ホント、血の気が多いよねお姉ちゃんは。血を流しちゃダメ、分かってる?」
「勿論分かってるぜ。あたし達も、決闘だ!」
「おぉっと、こっちで客の嬢ちゃん達が決闘を始めやがった! てめぇら、こっちにも賭けろ賭けろ!」
「大人しそうな嬢ちゃんに銀貨3枚!」
「口の悪い姉ちゃんに銀貨6枚!」
「さぁさぁ、どんどん酒持って来い! 今日は宴だぁぁぁぁ――――」
――――そして、姉妹はまたも出会ってしまうのである。
二日酔いと言う、形容しがたい気持ち悪さと途轍もない後悔の念で形作られた、あの強大な魔物と。
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