等価交換?

 少年は今、極度の緊張と高揚の板挟みになっていた。


 走り通しだったせいで、ついさっきまでぜぇはぁと息を切らしていた。ようやく落ち着いてきたが、今度は緊張からくる動悸で心臓が無意味に高鳴り続けている。加えて指は震え、唇は乾き、視界も少しだけ霞んでいた。


「着いた……着いたん、だ……!」


 そこはとある迷宮の最深部。等間隔に壁に設置された松明が振りまく暖かな光が少年を照らし出す。

 『ダンジョン』と呼称される、魔物と財宝の巣窟。遺跡、螺旋塔、大洞窟など、ダンジョンにはさまざまな種類が存在し、迷宮はその一つである。

 

 その深部に足を踏み入れた人間には似つかわしくない、質素な服装。土色に汚れ、ところどころほつれ、とてもじゃないが魔物との戦いに耐えられるとは思えない。農民の仕事着だと言われた方が大いに納得がいくだろう。


 それもそのはず。彼は、職業的には農民なのだった。


「ふ、ふふふふ、意外と何とかなるもんだね…………まさかこんなに上手くいくなんて……っ!」


 少年は嚙み締める。

 冒険者ですらない自分が、魔物ひしめくダンジョンの奥地へとたどり着いたその優越感を。

 そして、目の前にデカデカと鎮座する、故郷で飼っていた牛ほどに大きな宝箱を前にした言い知れない幸福感を。


「これで、僕もやっと冒険者に、なれる……っ!」


 住み慣れた村を飛び出して早半月。短いようでやけに長かった、と思う。


 持ち出したクワは早々に壊れ、おめおめと故郷に逃げ帰るわけにもいかず、さりとて持参した僅かな路銀などすぐに尽きる。そこで少年は手近なダンジョンに潜り込み、魔物から逃げて逃げて逃げまくって宝だけを持ち帰ろうとして今ここに至る。


「迷宮の一番奥にある宝が空っぽなわけ、ないよね?」


 他の冒険者もそれなりに探索してる迷宮らしいので、空の宝箱ばかりなのでは、と危惧していたが、少なくともここまでの道中にあった宝箱で空のモノは一つも無かった。まぁ、入っていたモノはこの為に持参した巨大リュックの中に片っ端から詰め込んできたので、今は空っぽだが。

 

「よし……開けるよ」


 自分を叱咤しつつ、震える手で宝箱に手を掛ける。大きさ相応の蓋の重みをどうにか堪えつつ、いっきに宝箱を開く。


「おお~!?」


 豊作、だった。武具や薬草、用途すら分からないような何かまで、様々なモノが詰め込まれている。少年の興奮は最高潮だ。


 早速、中のモノ全てを取り出す。……さすがに全て詰め込むとなるとかなりの重さだったが、せっかくこんなとこまで来たのだ。もったいないの精神で、少年は気合と根性でリュックに詰め込んだ。


 さて、大仕事を終えた少年は考える。この大荷物を抱えて魔物から逃げるのは難しそうだが……逃げ方に関してはちょっとコツを掴んだので、まぁ何とかなるだろう。そう思い、リュックを背負って歩き出したその時。


『宝を置いていきなさい』


 無機質な声が、響き渡った。驚いた少年は、辺りを見回しながら気丈に返す。


「だ、誰だよ! この宝は僕のだ!」

『置いていかないのであれば、罰を与えます』

「イヤだ、って言ってるんだ!」


 きっぱりと言い切る。と、ずざざざざ! と耳障りな音が迫ってくる。

 何事かとそちらを見やれば、あの巨大な宝箱がこちらに突進してきているではないか。


「あ、あれって……ミミック!?」


 宝箱に擬態して冒険者に襲い掛かる魔物。この計画を実行するにあたって、最も警戒していた魔物。


 さっき持ち上げた蓋にはギラリと牙が生え揃い、脆弱な人間を噛み砕かんとばかりにガチガチと軋っている。どうなってるんだ……! 心中で毒づきながらも、少年は走り出す。


 幸い、ミミックの足は遅い。この分なら何とか逃げ切れるだろう、そう思った矢先。


「うわっ! こ、こいつらも!?」


 道中の宝箱達までもが、ミミックとなって少年に襲い掛かる。訳も分からず、無我夢中で少年は走る。

 他の魔物たちもそれに加わり、もう頭の中はパニックだ。とうとう追いつかれそうになった少年は、集めた宝をリュックごと投げ出して逃げ帰るしかなかった。


「ぼ、僕のお宝が~~~~!!!」


 泣き叫ぶ声を迷宮の中に木霊させながら――――




「――――それがダンジョンの〝ルール〟ってヤツなのか? 爺さん」


 姉が問うと、白いひげを撫でながら老人は頷く。


「その通り。世界各地に散らばるダンジョンとは生き物であり、とある存在によってそれぞれ管理されておる。その管理者が定めた〝ルール〟に従わなかった事で、今話したゴウ・ツクバリは罰を受けたのじゃ」

「えと、罰ってミミックに襲われる事、ですよね?」


 おずおずと口を開く妹。老人は破顔する。


「そうじゃ。ミミックとは管理者の持つ駒の一つ。宝箱の姿を借りて人間、魔物の両者を誘き寄せる役目を帯び、いざという時には管理者によって命を吹き込まれ、ルールを破った無法者を徹底的に追い回すわけじゃな」

「その管理者ってなんなんだよ……」

「さぁのぉ。それに関しては誰にも分かっておらんよ。人間でも魔物でもない〝何か〟という事ぐらいじゃ。敵でも味方でもない」


 考えても時間の無駄じゃよ、と笑う老人。姉妹は顔を見合わせる。


「……それで、ルールの事なんですけど。宝箱はなんでミミックになっちゃったんですか?」

「おぉ、それを話しとらんかったか。まぁ簡単じゃ。宝を取った後、別の宝を置いていかなかったのが悪かったのじゃ」

「は? 何だよそれ。宝箱から宝取ってそのまま帰ったらダメなのか」

「そうなるのぉ。より正確に言えば、取る前の宝箱と入れ直した後の宝箱がほぼ同等の価値を保っておればそれでいいのじゃ」


 老人の説明に、姉妹達はまだ納得のいかない様子だ。ふむ、と老人は頭を捻る。


「例えば、自分には扱えない武器だとか、持ちきれない回復アイテムとかを入れてもよい。人一人が持ち運べる量には限界がある故、持ち物整理をする機会とでも考えればそう悪い話ではないぞ?」

「そうかもしれないけどよぉ……そもそも、何でそんなルールがあんだよ」

「こればかりは管理者しか知る由もないが……まぁ想像はつく。ダンジョンを探索する理由の大半は宝じゃ。その宝が半永久的に失われんルールにしとかんと、だーれも訪れんかもしれん。そんなダンジョンなど管理してもしょうがないじゃろ」

「ふわぁ……管理者さん、寂しがり屋なんですね」


 ちょっと嬉しそうな妹を横目に、姉は少し考えこむ。


「……ちょっと前、でかい宝箱に薬草一つだけだった、みたいな話を聞いたんだけどよ。それって、薬草しか使えるモンがなかったって話なんかな」

「恐らくは。まぁ人間の心理上、物凄いお宝を置いていきたがる奴はおらんからの。じゃが、ガラクタに見えて実は掘り出し物だった、という話もよく聞く。それこそお宝探しじゃとは思わんかの?」

「……分かり易いお宝が欲しいなら、前人未到の秘境やら隠し部屋やらを見つけた方が手っ取り早いって事か」

「そんなの、そう簡単に見つけられたら苦労しないよ、お姉ちゃん」

「だよなぁ」


 なんだかんだで勉強熱心な二人を見やり、老人は満足げに言葉を続ける。


「まぁ確実に言えることは、じゃ。ミミックは魔物という枠からも超えた管理者の眷属。短時間動きを止める事は出来ても、決して人間の手では壊せぬ。じゃから、そのルールを守らねばミミックが半永久的ににダンジョン内を彷徨い続ける事になる」

「うげ……」

「本来そこに入っているお宝を手に入れられるはずだった他の冒険者は、私物を献上せねば倒せない魔物に追い回される羽目になる。一言で言って大迷惑じゃな」

「あ~……」


 だからルールは守らねばならないんじゃな、と老人は肩をそびやかす。


「先の話の件も、後でギルドの人間が事の経緯を知り、迷宮内のミミック全てに宝を返しに行く羽目になったそうじゃの。ゴウは今は正式に冒険者になったらしく、宝箱を漁る専門になったそうじゃが、一切魔物と闘わないのも変わってないとか」

「そ、それはそれで凄いかも……ずっと逃げ回ってるって事だし」

「冒険者って言うより、盗人じゃねぇかそれ……」


 姉妹は顔を見合わせ、微妙な笑みを浮かべる。と、老人は外を見やって言った。


「さて、今日はもう遅い。宿に戻れ二人とも、続きは明日にするとしよう。まだまだ教えるべき事が山ほどありそうじゃしな」

「あ、はい! タメになるお話をありがとうございます、オセッカ・イジジイさん」

「ああ、明日も頼むぜ? 爺さん」

「ほっほ、任せておけ。今や後進の育成だけが楽しみでのぉ……さてさて、お前さんが明日までワシの名前を憶えておるのか、これも楽しみじゃな?」

「うぐっ……そ、それは悪かったって言ってんだろ。さすがにもう忘れねぇよ!」

「……お姉ちゃん、結局一文字も合ってなかったもんね、オセッカさんの名前」

「うっせぇ妹! ほら、帰るぞ!」

「う、うん! それじゃあ、また明日!」


 姉妹はオセッカの住まうボロ小屋を後にする。空はすっかり黒の帳が落ち、ひんやりとした風が二人の頬を撫でた。


「……なぁ妹よ」

「……ねぇお姉ちゃん」


 二人の声が重なる。立ち止まってお互いの眼を見た二人は、すぐに悟った。


「……やっぱ、あの時の話か?」

「うん、あの時の……」


 二人が頭の中に思い描くは、約一カ月前の事。


 冒険者になる、と決めた次の日、腕試しも兼ねて故郷の近くにあるダンジョンに行ったのだ。魔物も弱く、新人冒険者もよく訪れる場所だった。

 そこでそこそこに魔物を倒した後、宝箱を見つけた。舞い上がった二人は嬉々として中身を取り出したのだが、その時妹が不気味な声を聴いた。

 驚いた妹は、「オバケ怖い~~!」と叫びながら逃走。姉もそれを追いかける形でそのままダンジョンを出て、さらに次の日には冒険者登録をする為(実際は一刻も早くオバケから離れたい妹の意に沿う形で)旅に出た。


 そんな二人が、先程のタメになる話を聞いて思い当たらないわけもなく。


「……あのダンジョン、今もミミックが動き回ってんのかな」

「うん、多分……でも、どうしよっか? 宝を返しに行くにしても、その宝が手元にないし……」


 夜空を見上げて、溜息を吐く。と、妹がぎゅっと拳を握りしめて姉に顔を寄せる。


「だ、大丈夫だよお姉ちゃん!」

「そ、そうか……?」

「うん! 終わった事をうじうじ悩んだってしょうがないもん! 大事なのは、これから先をどうやって過ごすかだから!」


 それを人は現実逃避と呼ぶ。


「そ、そうだな! 第一、そんなルールがあるならもっと周知徹底してくれねぇと分かるわけねぇし!」


 それを人は責任転嫁と呼ぶ。


 清々しいほどの開き直りで問題を解決した姉妹は、清々しい笑顔と共に歩き出す。


「よっしゃ、明日からも頑張るぜ!」

「頑張ろ~!」



 姉妹のとばっちりを受ける冒険者に幸あれ。


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