バカの一つ覚え

「分かったかの、勇者殿」


 古ぼけた匂いの漂う家の座敷に座る老婆は、囲炉裏を挟んだ向こう側に座る青年の眼を見た。


「この一帯を支配する魔族、『たけ炎竜王えんりゅうおうブラスティアアグネス』の住まうヘルレイシア火山に人の身で立ち入るには、氷の泉に向かい『大精霊ミゼルセス』より『氷彗星ひょうすいせいメルゼライナ』を賜り、火山を覆う炎の護りを打ち砕かなくてはならん」

「はい……では、氷の泉とやらはどこに?」


 青年も身を乗り出して尋ねる。それは王から賜った勇者としての使命を一刻も早く果たしたい……からではなく、老婆の昔話を交えた数十分に亘る説明によって犠牲になった両足の痺れを少しでも緩和したかったからだ。


「氷の泉はここより南西、『迷いの深緑林しんりょくりんリグナ』を抜けた先にある。魔物も多く棲む地じゃ。十分に準備をして向かうが良かろう」

「情報、ありがとうございます。必ずや大精霊から氷彗星を受け取り、かの炎竜王の脅威からこの地を救ってみせます!」

「おお、何と頼もしい。『猛き炎竜王ブラスティアアグネス』は鉄をも溶かす炎を無尽蔵に吐く化け物。『氷彗星メルゼライナ』が無ければ、いかに勇者と言えどもひとたまりもなかろう。そなたに光神リブラの加護があらん事を」


 恭しく頭を下げた老婆。青年もまた頭を下げ、家を後にする。そして。


「…………はぁ、やぁっと必要な情報が聞けたよ。さりげに孫娘と結婚しろって言ってくるし、困った村長さんだ」


 周りに誰もいない事を確かめ、青年は息を吐く。

 勇者として相応しい態度を取ろうと努めてはいるが、やはり肩が凝る。元々は自由きままに旅をする冒険者だったこともあり、未だに慣れない。


「ていうか、炎竜王とか氷彗星の名前、連呼しすぎだよ。特に炎竜王の名前なんか、この地域に来てからは耳にタコができるほど聞いたのに」


 あまりにも聞き過ぎたせいで、ここ最近はその類の言葉は聞き流す癖までついてしまった……けど、まぁいっか。青年は首を振り、前を向く。


「深緑林を抜けて大精霊から氷彗星を受け取り、火山の近くにあるこの国の都で首長に謁見、討伐の正式な許可を貰って火山を上って炎竜王を倒す、と。はは、まだまだスタート地点にすら立ててないや」


 薄い笑みを浮かべた青年は、大雑把に南西の方向を割り出しつつ歩き出す。


「けど、のんびり座って長ったらしい話を聞くより、体を動かし続ける方が私に合ってるね。よし、行くぞ!」


 自らを奮い立たせるその声には、気迫と自信がみなぎっていた――――



「――――大精霊様、どうか私に氷彗星をお与えください」

「うん、別にいいよ~。いいけど~、お願いするならちゃんとしよ~よ。ボクに何を与えて欲しいって~?」

「え? それは氷彗星……ミゼルライナ、ですが」

「は? ミゼルってそれ、ボクの名前と混ざってない~? ミゼルセスとメルゼライナ」

「す、すみません! その、ド忘れしてしまいまして……」

「はぁ~、もういいよ~君。その程度の気持ちしかない人にボクの力を分けてあげるの、なんかイヤになってきたから~」

「そ、そんな! お願いします、ミゼ……メルゼライナがないと炎竜王を倒せないのです、大精霊ミルゼ……ミゼルセス様――――」



「――――こ、これは一体どういうことですか首長殿!?」

「どうもこうもない。そなた、王の命を受けてこの地に出向き、我らを苦しめるあの憎き魔族を討伐に来た、と申したな」

「その通りです! その証拠に、大精霊ミゼルセスをどうにか宥めすかして、氷彗星メルゼライナを受け取って」

「そなたが討伐したいという『炎竜王ブラスティアリグナス』などという魔族はこの地におらぬわ! 大方、勇者を騙ってこの宮殿に入り、宝を盗もうと画策している盗人の類であろう!」

「なっ、ち、違います! 炎竜王の名前については、その、ちょっと勘違いを」

「もう良い! このモノオ・ボエ・ワルーイとかいう盗人を牢に放り込んでおけ!」

「え? ちょっ!? ホントに私は勇者で…………うわぁぁぁぁ――――」





「――――みたいな事があったんだってさ」

『えぇ……』


 姉妹はドン引きしていた。そんな二人を見やり、白衣を身に纏った回復術師は苦笑いを浮かべた。


「冗談みたいな話だけど、冗談じゃないのよねぇ」

「……えと、その勇者さんはその後どうなったのですか?」

「一応牢から出してもらったけど……私は勇者をやるには記憶力が無さすぎるから、って事で引退したらしいわ」

「マジか。でも勇者に選ばれたくらいだし、強いんだろそいつ。それがこんな理由で引退ってどうなんだ」

「勇者たるもの、腕っぷしだけじゃ務まらないもの。どこかで聞いたような話でも聞き流さずにちゃんと聞け、冒険や闘いとは違うところで苦労するぞ、ってね。そんな教訓話になっただけまだマシじゃないかしら?」


 あっけらかんと言う回復術師。姉妹が顔を見合わせる中、二人の肩をポンと叩いた。


「よし、これで二人とも完治したわよ」

「ありがとうございます!」

「うっし、入院生活ともこれでおさらばだぜ!」

「まったくもう、驚いたわよ? 二人してアクセサリーを着け過ぎて、体が魔力で飽和した状態で運び込まれてくるんだもの。発見が遅れてたら爆発してたわよ?」

『すみません……』


 さすがは姉妹、深々と腰を折る様子がシンクロし、回復術師は吹き出すように笑った。


「あははっ、やっぱり君達はちゃんと冒険者の基本から習った方がいいみたい。さっき私が紹介した元冒険者のところでちゃんと話を聞いてから旅立つのよ?」

「おう! 基本なんざすぐにマスターしてやるよ!」

「うん! 早く旅立ってお金を稼げるようにならないとね!」


 姉妹は和気藹々と言葉を交わしつつ、回復術師にもう一度頭を下げてから診療所を後にした。


「……ところで、妹よ」


 と、姉が会話を断ち切る。妹は首を傾げた。


「さっき紹介された人の名前、なんて言ったっけ……?」

「……え!? わ、私、お姉ちゃんが覚えてくれてると思って……」

「あたしもお前が覚えてくれてると……やべぇ、さっそくやっちまった」


 さすがは姉妹、人任せなところもシンクロするのである。


「ど、どうしよう……もう一度教えてもらう?」

「あ、あんな話聞かされた後に忘れたなんて言えねぇよ……」

「で、でも、どうするの……? 教えてもらいに行くのに、名前が分からないなんて怒られちゃうよぅ」

「だよな……いや、大丈夫、大丈夫だ! 今、頭の中にふわっとそれっぽい名前を思い出したから、きっとそれだ!」

「ほ、ホント?」

「姉を信じろ、妹よ!」

「う、うん! 信じるよ!」


 姉妹の行く末はいずこに。

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