第6話 婚約破棄さん逃げないで 12,000文字ほど
- 婚約破棄さん逃げないで -
- 1話 この世界は -
あ、ここゲームの世界だ。そう気がついたのはベッドに転がって目を閉じた時だった。
私の名前はオリビア。それともう一つ、私には思い出した名前があった。その名前は華織。どうやら私、オリビアの前世の名前のようだ。
それを思い出したのは本当についさっきのことだ。夜遅くなって、読んでいた本を閉じて灯を消して。そして眠ろうと目を瞑った瞬間のことだった。急に理解した、思い出したというよりかは、頭の中に何か映像のようなものが流れ込んできてそれを見て理解した、という感じ。
「私は……華織でもあるのね」
不思議と驚きはしなかったし、動揺も少なかったように感じられた。それがどうしてなのかはよくわからない。まるでそうなることを知っていたかのようだった。この瞬間に思い出すことを、私は華織でもあることを。知っていたかのようだ。よく考えればこの世界に違和感を感じることは多かった。この世界には何かが足りない、と思うことも多かったし、この景色を見たことがある、そう思うこともあった。それがなぜなのかやっとわかった。知っていたからだ。地球という科学の発達した世界のことを。そこでプレイした、このゲームの世界のことを。
だからだろうか。私は驚くというよりも、納得していたのだ。ああそっか、今までの違和感はこういうことだったのか、と。
けれど私は落ち着いている場合ではないことを知っていた。私が転生したのは華織の時にプレイしていた乙女ゲームの中のようなのだが、一つ納得いかない点がある。それはゲームのヒロインではなく悪役令嬢だということだ。しかも私の記憶が正しければ私、オリビアが婚約破棄されるのは明日のことだ。
私の婚約者、この国の第一王子アーロン様と婚約したのはアーロン様が5歳になられた日、私の誕生日の幾らか前の日だった。国の状況をよく考えられた婚約で、反乱が起きないように考えられて決められた婚約だということは誰から見ても一目瞭然だった。アーロン様との婚約は別に嫌ではなかったし、むしろ両親は大喜びしていた。けれど私がアーロン様に友人以上の感情を抱くことはなかった。それはきっと両親の教育の賜物だろう。両親が願ったのは私の幸せではなく自分たちの幸せだった。私に素晴らしい王妃教育を施すためなら私に暴力だって振るった。ご飯を抜かれたことだってある。それでも私は逆らわなかった。それが当たり前になっていたから。きっとそのせいだろう。私は恋なんかしている場合ではなくなってしまったのだ。
- 2話 逃がさないわよ -
それがあったからだろうか。私にとって王子の婚約者、未来の王妃の座は私とって馬鹿みたいに大切な椅子になっていた。それがないと私に価値はない。きっとそう言われて育ったせいだろう。
だから私は自分の婚約者に近づいた彼女に攻撃した。暴言を吐くくらいしかしなかったのは偉かったけれど何度も泣かせてしまった。そのせいで私は明日、婚約破棄される。
彼女というのは、このゲームのヒロインの男爵令嬢、ミア様。彼女はいいな。ゲームのヒロインというだけでなんでも手に入るのだから。
「……ミア様、あなたは私から最後の椅子さえも奪うのね」
私と仲良くしてくれた友人でさえも、明日には私を責め立てることを私は知っている。それなのに、あなたは友人だけでなく、婚約者だけでなく私の居場所を奪うのね。
今からでは婚約破棄はどう頑張っても避けられないだろう。明日のアーロン様の17歳の誕生日に私との婚約が破棄され、お2人が婚約なされることは決まった未来なのだから。今からでは、どうにもならない。わかってはいるのに。心だけは、抵抗をやめない。
これは華織の記憶ではなく、オリビアの心が怒っているのだろう。許せない、攻撃しないとって。
「やめなさいよ、オリビア。どうにもならないわ」
婚約を破棄されてしまったら私に期待していた両親は私に興味を持たなくなるだろう。それどころか、以前以上に酷い扱いをするかもしれない。いっそのこと逃げようか。世界の裏にでも逃げてしまおうか。……それも、いいかもな。よし、逃げよう。明日婚約破棄をされたら、すぐに逃げよう。両親にとって価値のない存在になればきっと誰も私のことを探さない。そうなってから、逃げてしまおう。平民として生きていくのもいい。華織はお姫様でもお嬢様でもなんでもなかったのだから、きっとやっていける。
私は笑顔を作ってみた。明日は婚約破棄をされるためのパーティーに行こう。アーロン様の誕生日を祝いにパーティーに行くのではなく、婚約破棄されに行こう。私は平民になるのだから。逃げられないなら、いっそのことこっちから言ってやろう。
「逃がさないわよ、婚約破棄さん」
私はニヤッと笑った。令嬢には相応しくない、悪役令嬢にこそふさわしい笑顔だ。けれどもうそんなことどうでもいい。大丈夫。明日もきっと泣かないわ。泣くのは全て終わってからでも遅くないじゃない。私は静かに目を閉じた。
- 3話 さようなら -
メイドの声で目を覚ます。このメイドはなんという名前だったかしら。私のことを助けてくれないメイドに私は興味がなく、誰一人として私は使用人の名前を覚えていなかった。お父様とお母様の性格に耐えられないのか使用人はすぐにやめていくし、いちいち覚えていられないというのもある。
頭が覚醒してくる頃には私はドレスに着替えさせられていた。さあ、ついに今日が来た。アーロン様に婚約破棄されるこの日が。婚約破棄をされても確かオリビアは罪人にされたりはしないはずだし、国外追放や死刑にはなったりしないはずだ。なぜなら私は暴言を吐くくらいのことしかしていないのだから。だからこそ、あのゲームはあまり売れていなかったな。悪役令嬢が甘すぎるらしい。私としてはちょうど良くて面白かったんだけど。
馬車に乗り込むと馬車は走り出した。お父様とお母様は先に向かってしまったらしく、いってらっしゃいを言ってくれたのは何人かの使用人たちだけだった。それでなくともお父様とお母様はいってらっしゃいなど言ってくれたことはほとんどないのだけれど。
見送ってくれた使用人達に心の中で頭を下げる。ごめんね、いってらっしゃいと言われても、きっと私はもうここには戻ってこない。
この世界には魔法というものが存在する。人間はその魔法を扱えず扱えるのは魔族のみ。人間が使えるのは魔族がものに魔法を込めたマジックアイテムのみ。私はその中のいくらでも入る魔法のバッグを持ってきた。値段ははるが昔両親が学校で見せびらかすようにと買ってきたものだ。今回はそれが役に立って、その中に平民として生きていくのに必要そうなものを詰めてきたのだ。少しばかりのお金。平民でも着れる地味で安く見える服を何着か。それとパンなどの食べ物や飲み物。これでしばらくはなんとかなるだろう。私はその小さなカバンを抱きしめて祈った。どうかうまくいきますように。どうか、幸せになれますように。この世界には神も仏もいないことを私は知っているのに。
会場について友人に挨拶をしにいく暇もなくそれは始まった。
「お前との婚約を破棄する」
心の準備はしてきていたつもりだったが、やはりオリビアは心の中で叫び、傷ついていた。けれどもうどうしようもないのだ。自分で自分にそう言い聞かせ前を向く。
アーロン様のあんな目は初めてみたような気がする。あれが恋の目なのか。私はそんなくだらないことを考えながらパーティー会場を後にした。
- 4話 噴水のある公園に -
初めて歩く町は楽しいことばかりだった。これも最初のうちだけだとわかってはいるけれど楽しくて仕方がなかったのだ。バックは布で包んであるから私が貴族だったとバレる心配も少ないだろう。そう思ったら余計に楽しくて。勉強のおかげで知識があるとはいえ見るもの全てが初めての世界で。私はウキウキして町を歩いていた。あの美味しそうな匂いを漂わせているパン屋さんも、あそこの新鮮な野菜を置いてある八百屋さんも、あの隅にある雑貨屋さんもここではみんなが必死になって生きている。誰もが必死に生きているのは知っている。けれどこの必死さとはやっぱり違うんだ。勉強だけさせられていた私の世界とは全然違う。なんて素晴らしいんだろう。
私は今夜の宿を見つけることさえも忘れて町を散策していた。足が疲れてしまってもそんなこと気が付かないくらいに私は浮かれていた。
歩いた末にたどり着いたのは公園だった。
「噴水だわ」
貴族の庭にあるような噴水とは全然違う。もっと庶民的で、綺麗というよりはみんなで集まる遊び場のような。
「あたたかい……」
まるで心の氷が溶かされていくような暖かさを感じる。私は上がり切ったテンションで公園を見渡した。若々しい木々、咲き誇る草花、と、あれは……男の人ね。私の同じくらいかしら。なんだか、落ち込んでいるよう。ベンチに腰掛けるその少年は何かに悩んでいるように俯いていた。
私は声をかけようと近寄った。本来なら危ないのだろうが華織はこういう困った人を放っておけないたちなのだ。私がまだ華織だった頃もよく困っていそうな人に声をかけていた。道端で転けてしまったおじいさん、道に迷った女の子。みんな元気にしているかな。
「すみません、どうかしましたか」
私が声をかけるとその少年は顔を上げた。その目には涙がうるうると浮かんでいた。いや、なんというか、それ以上に……。
「い、イケメン……」
こんなに顔がいい人、アーロン様達攻略キャラくらいだと思っていたわ。世の中にはどうしてこんなに顔に格差があるのかしら。いや、なくても同じような顔ばかりになるのか。それもそれで嫌だな。
「あ、あの……」
「あっ、すみません」
いけないいけない。考え込んじゃうところだったわ。私は慌てて彼に向き直った。
- 5話 はぐれた少年 -
威圧的にならないように少し屈んでもう一度問いかけた。
「何かお困りですか」
さっき町の人から地図を買ったから道案内ならなんとかなるかもしれない。あとは私のこの世界で勉強して得た知識をフル活用して……それでもどうにもならなかったらどうしようか。そんなことを考えても仕方がないのはわかっているのだが。いつもそうだ。声をかけてから心配になる。声をかけてしまってからでは遅いのに。
「じ、実は友達とはぐれちゃって……」
その少年は太陽のように笑って首を傾げた。確かにここは王城に近い発達している町だから人が多い。はぐれたとしてもおかしくない。
「はぐれたって……市場のあたりかしら」
相手が敬語を使ってこなかったのでそれに合わせて少し軽い口調で話す。市場のあたりは確か人が多かったからはぐれたとするならばあそこだろう。
「そう、だと思う。人に流されて、迷って……そのうちに気がついたらここにいたんだ」
迷った、ということは私と同じくこの町に来るのは初めてか、あまりこないのだろう。知らない町ではぐれるなんて私なら怖いだろうし、焦るだろうな。そう考えると、私はスイッチが入ったように強気になって今までの不安なんてどこかに飛んでいってしまったように笑った。
「お連れさん、どんなを格好してるの」
ニコッと笑顔で問いかけると少年は金色の髪をした男性で、青色のシャツを着ていると答えた。それならかなり目立つだろうから、すぐに見つかるだろう。
「わかったわ。じゃあ、探しにいきましょう」
私はベンチに座ったままの彼に手を差し出した。2人で探せばそんな目立ちそうな人なんてすぐに見つかるだろう。
彼は少し驚いたような顔をしたけれどすぐに笑って私の手を両手で包み込んだ。
「俺、ライアン。君は」
……。
「……どうかしたの」
……はっ。なんだろう。あたたかいものにに触れたからだろうか。なんだか顔が熱くなった、というか、どこかに飛んでいきそうだったというか……。
「ごめんなさい。なんでもないわ」
私はもう片方の手を彼に添えると少し赤くなったほおを少し気にしながらもまた笑った。
「初めまして。オリビアよ」
私が笑うと彼も楽しそうに嬉しそうに笑った。彼をぐいっと引き上げると私たちは市場に向かって歩き出した。
- 5話 はぐれた少年 -
威圧的にならないように少し屈んでもう一度問いかけた。
「何かお困りですか」
さっき町の人から地図を買ったから道案内ならなんとかなるかもしれない。あとは私のこの世界で勉強して得た知識をフル活用して……それでもどうにもならなかったらどうしようか。そんなことを考えても仕方がないのはわかっているのだが。いつもそうだ。声をかけてから心配になる。声をかけてしまってからでは遅いのに。
「じ、実は友達とはぐれちゃって……」
その少年は太陽のように笑って首を傾げた。確かにここは王城に近い発達している町だから人が多い。はぐれたとしてもおかしくない。
「はぐれたって……市場のあたりかしら」
相手が敬語を使ってこなかったのでそれに合わせて少し軽い口調で話す。市場のあたりは確か人が多かったからはぐれたとするならばあそこだろう。
「そう、だと思う。人に流されて、迷って……そのうちに気がついたらここにいたんだ」
迷った、ということは私と同じくこの町に来るのは初めてか、あまりこないのだろう。知らない町ではぐれるなんて私なら怖いだろうし、焦るだろうな。そう考えると、私はスイッチが入ったように強気になって今までの不安なんてどこかに飛んでいってしまったように笑った。
「お連れさん、どんなを格好してるの」
ニコッと笑顔で問いかけると少年は金色の髪をした男性で、青色のシャツを着ていると答えた。それならかなり目立つだろうから、すぐに見つかるだろう。
「わかったわ。じゃあ、探しにいきましょう」
私はベンチに座ったままの彼に手を差し出した。2人で探せばそんな目立ちそうな人なんてすぐに見つかるだろう。
彼は少し驚いたような顔をしたけれどすぐに笑って私の手を両手で包み込んだ。
「俺、ライアン。君は」
……。
「……どうかしたの」
……はっ。なんだろう。あたたかいものにに触れたからだろうか。なんだか顔が熱くなった、というか、どこかに飛んでいきそうだったというか……。
「ごめんなさい。なんでもないわ」
私はもう片方の手を彼に添えると少し赤くなったほおを少し気にしながらもまた笑った。
「初めまして。オリビアよ」
私が笑うと彼も楽しそうに嬉しそうに笑った。彼をぐいっと引き上げると私たちは市場に向かって歩き出した。
- 7話 ようこそ -
私はうまく笑ったつもりだったのだけれど無意識のうちに少し眉が歪む。どう頑張っても綺麗に笑えない。案外私は自分が思っていたよりも困っていたらしい。
「そっか。じゃあちょっときて」
ライアンは私とお兄さんの手を掴んで引っ張って歩いた。向かう先は路地裏のようだが。
「まさかライアンさ……ライアン、連れて帰るつもりですか」
連れて帰……え、いや、は。連れて帰られちゃうの、私。泊めてくれるとでも。流石に一緒に人探しをしただけでそこまでしてもらうわけには行かないし何よりさっき会ったばかりの人の家に泊まるのは怖すぎる。
「ら、ライアン。私は宿を紹介して欲しくて……」
抵抗も虚しくグイグイと引っ張られる。というかなぜ路地裏に向かうの。いくらなんでも流石に怖い。
「いいからいいから」
路地裏の奥へと連れ込まれる。だめだめだめだめ。隣のお兄さんをチラッと見て助けを求めるもお兄さんはすでに諦めているようで素直に引きずられて歩いている。
角を曲がり人が見えなくなる。どこに連れて行かれるの。怖い、怖いって。怖すぎる。
「じゃあ、俺がせーのって言ったら目を瞑ってね」
目を閉じているうちに何をされるというの。
「じゃあいくよ。せーのっ」
閉じてはいけないとわかっていたのに、私は思わず目を閉じた。
地面がふわふわしているような感覚がする。そんなわけがないここは外なのだから、あのカーペットの上にいるようなこんな感覚するわけがない。
「もう目を開けていいよ」
私はそう言われて目を開けた。……あれ、おかしいな。ここ、どこだろう。暗めの色で統一された部屋の中。ん、待てよ。部屋の中。
「え、あの、ちょっ、まっ」
意味不明な言葉が漏れ出すばかりで私の頭はちっとも冷静にならない。転移のマジックアイテムを使ったの。けれどこんな部屋、見たことがない。ほら、窓の外も真っ暗……。え、真っ暗。
慌てて窓に駆け寄り窓の外を覗く。それは確かに夜だった。それに見下ろす町並みにも見覚えがない。ここはどうやらお城のようなのだが私の知っている国のお城ではないようだ。その城は暗い色で埋め尽くされていて……。まるで、噂に聞いた魔王城のような。
「いらっしゃい、オリビア。ようこそ、魔の国へ」
ま、魔の国ですって。
- 8話 ライアン様 -
魔の国。それは魔族で構成された魔法の国。全ての民が魔法を使え、人間の何倍もの戦力を持つ。その力を恐れ、人間達は彼らに近づくことはない。魔族の作ったマジックアイテムはいつのまにか市場に紛れ込んでいるのだという。だから私たち人間は知らない。魔の国がどんな国なのか。誰一人、行ったことがないのだから。
窓の外に見える景色はやっぱり見たことのない景色で。家の色も形も全然知らなくて。
「じゃ、じゃあ、ライアンは……」
こんな城の中心みたいな部屋に入れて、あの町からこんなところまで飛んでくることができるなんて……。
「ああ、俺。魔王」
ま、おう。……なんで私ってこういう時に強いんだろう。もういっそのこと泡吹いて倒れたいわ……。
私はしばらくの間窓の外をじっと見つめていた。どうしても信じられなかったのだ。ここは魔王城でさっきまで私がいた人間の国ではないのだ。それがどうしても信じられなくて。けれど場所も時間も変わっているのだから信じる他にないだろう。
「ライアンは……いえ、ライアン様は本当に魔王様なのですね」
そう言って振り返るといきなり目の前にライアンの顔があってビクッと後ろに飛び退く。
「ああ、そんな敬語とか様付けとかいいから。さっきみたいに楽にしててよ」
そう言われても……。魔王様相手に気を抜いて話せなど無理がある。
「それとも、オリビアは俺のことが怖い」
怖いかどうか。そう言われると自然とそれは違うと思った。いくら魔王様といえどライアンはライアンだ。ライアンならきっとその大きな力を悪用したりなんかしないだろう。そう考えると安堵が勝り、ライアンがそういうなら、と気が変わってしまっていた。
「そう、ね。怖くないわ。……わかったわ。普通にするわね」
私が笑顔を作ってそう返すとライアンも安心したように笑い返してくれた。
ライアンにすすめられてソファーに腰掛ける。ライアンは私の向かいに腰掛けると私の手を握って笑った。
「何があったのか、話してくれる」
何が、というのはどうして宿を探しているのかということだろうか。……どこまで話せばいいのだろう。どこまで信用していいのだろう。
「俺のこと信用できないかな」
悲しそうに笑うライアン。信用していいのかはわからない。でも話さないなんて……。それなら、少しだけ話してみよう。何を話そうかな。とりあえず、私が婚約破棄された話でもいかがかしら。
- 9話 封印されたその魔法 -
私が口を閉じても、ライアンは私の手を握ったままだった。離しはしないとずっと私の手に、私に寄り添ってくれている。
「なるほど。オリビアが大変な目に遭っているのは、すべてあの魅了魔法をかけられている王子様のせいだったんだね」
そうなの、あの魅力魔法をかけられている王子……。え、ちょっと待って。魅力魔法ですって。
「魅力魔法って……どういうこと」
魅了魔法。私達人間の国では使用が禁じられている魔法の一つだ。魅了魔法は人の気持ちを簡単に変えてしまう。そんなことが許されれば国は大混乱だ。
故に、昔、いくつか仕入れられてきた魅了魔法を付与できる魔道具も王城の地下に封印されていると聞く。だから人間なら使おうと思っても使えないはずなのに、そんなものがどうして。
「そっちの国でも禁忌の魔法なんだったっけ。うん。かけられてるよ。王子様に、その魔法」
ゲームでも魔法がかけられてる設定だったのだろうか……。
「魔法をかけてるのは王子様の恋人になったあの子だと思うんだよね。人間の国に封印されていた魔道具、持ってたから」
持ってたって……私、全然気がつかなかった。いつの間に、というよりもどうやって魔道具を盗むことに成功したのだろうか。禁忌の魔道具が封印されている王城の地下室には沢山の警備兵が配置されているはずだ。それなのにどうやって……。
「多分、気がついちゃったんだろうね、あの子。光を操る魔道具。あれを使えば他の人から自分の姿を見せなくすることができるって」
そういえばミア様のお父様は光を操る魔道具を持っていらしたはずだわ。光を出したり消したりすることはできずに、もともとある光を操るだけだから値段も安かった。だからこそ盲点だったわ。こっちの世界の科学ではまだ判明していないけれど、前世の記憶を持っている私なら気がつけたはずなのに。地下室には間違って魔道具が作動してもいいように誰も入れないから、誰も気がつかなかったんだわ。
「オリビア」
手をギュッと握られて考え込んで下を向いていた頭を上げる。ライアンの顔からはさっきのようなどこか気楽な雰囲気は消えていて、どこか空気が重く感じられた。
「オリビアはどうしたい」
そう真剣な眼差しで聞いてくるライアンは私の手を力強く包んでいた。
- 10話 オリビアの意思 -
私、私は。魅了魔法をかけられていたとしても、正直アーロン様のことを許せるとは思えない。私がミア様に暴言を吐いたのは事実だし、アーロン様のことも愛してはいなかった。こちらにも非があり、あのままアーロン様と結婚していても得することは特になかったかもしれない。王妃の座はきついものだとよく知っているつもりだから。
何が言いたいのかというと、要するに……。国のためを思うならなんとかしてあげたい。でも誰がどうやって。ライアンにさせるの。それにそうしたらきっと私はあの場所に引き戻されて、許せないあの人と結婚することになって……。嫌だ。今まで結婚が嫌だなんて思ったことはなかった。それも貴族の務めだと思っていたから。でも、嫌だ。なんで、どうして嫌なの。許せないから。ううん、違う。そうじゃない。それじゃあ、どうして。
「ねえ、オリビア」
ライアンは優しく笑っていた。2人で話している間も、私が考え込んでいん間も、ライアンは私の手をずっと握ったままで。その手はどこか安心する力強さで。ライアンの目はしっかり私を見ていた。私は心の底から安堵して。
「どうやってそうするか、とか、その後のこととかは考えなくていいよ。今、オリビアがどうしたいのかだけ教えて」
勇気なんてこれっぽっちも必要なかった。口から言葉がすらすらと溢れ出る。
「魅了魔法を解いてアーロン様を助けたい」
ライアンは黙ったまま静かに頷いた。
明日の朝、王子様にかけられた魅了魔法を時に行こう。その時間なら向こうは夕方だ。そのために今日は早くお休み。そう言ってくれたライアンと私は別れ、メイドさんに部屋へ案内してもらった。そこはとても豪華な部屋で、それなのに全体的にどこか落ち着きのある部屋だった。
ベッドに音を立てないように静かに座りひとりため息をつく。どこか寂しいような気がしてしまって。眠れないまま時間が過ぎていく。窓から外を覗くと大きな月が出ていた。たとえ国が違っても月はいつも変わらない。涙がぽろりとこぼれ出る。気が付けば私は泣いていた。不安なのだろう。怖いのだろう。……怖かったのだろう。
コンコンコン。扉からノックの音がして振り返る。先程のメイドさんだろうか。
「オリビア。俺、ライアン。開けていい」
え、ら、ライアン。もう寝てしまったものだと思っていた私は驚いて立ち上がった。涙を拭い、扉の方に急足で歩み寄り扉を開ける。
「どうぞ、入って」
よーく考えれば女性の部屋の中に男性を招き入れるなどどうかと思うのだが入れてしまったものは仕方がない。私は涙に濡れた袖を密かに背中の後ろに隠した。
- 11話 死んでもいいわ -
一緒に月をみよう。そう言われて私達はバルコニーに出た。風が吹いていて少し肌寒い。
「これ使って」
どこから出したのか、ライアンが私に手渡したのは大きめのショールだった。これも魔法で出したのだろうか。そんなことを思いながら肩にそのショールをかける。肌寒さがおさまると私はやっと月を見上げた。この月の黄色さは前世で見たあの光と全く一緒だ。前世のことは家族や友達の顔まで鮮明に思い出せるわけではないけれどやっぱり懐かしい。
ぽん。頭の上に何かの感触を感じて咄嗟に目を瞑る。目をそーっと開けるとライアンがにししと笑っていた。急に何かが降ってきたと思ったら、ライアンの手だったらしい。
ライアンは私の頭から手を離すことなくそのまま私を引き寄せ、そして。
「ら、ライアン、どうしたの」
抱きしめた。抱きしめられた。どうしてこんなことになっているのかわからないまま、ライアンの返事をただただ待つ。気まずいような、恥ずかしいような。けれどどこか懐かしさを感じさせる心地よさがあって。
「……月が綺麗ですね」
……え。その言い回し、前世の記憶にある。けれどこの世界の人が知っているわけがないのに。でも敬語なんか使わなかったライアンが敬語を使っているということは……え、え、あれ。
「俺さ、転生者なんだよね。もしかしたらオリビアもそうじゃないかと思ったんだけど」
涙が抑えられない。だって、ひとりぼっちだと思ってた。この世界で私が前世にいた世界のことを知っているのは私だけで、ずっと孤独で。それなのに、それなのにどうして今更……。
「どう、して」
口からこぼれ落ちた言葉は涙の海に飲まれてうまく届けられない。それでもライアンは私の言葉を救いとってくれたらしい。
「俺が気がついたのは光の魔道具の話をしていた時だよ。こっちの世界は魔法が発達してるから目に入る光を調節すればいい、とか分からないはずなのにどうしてなのか聞かなかっただろ。だからそうかなって」
そんな、そんな小さなことで分かるなんて。私はライアンも転生者だったなんて思いもしなかったのに。ライアンと同じように、私も気がつけたはずなのに。
「大丈夫、大丈夫だよ」
ライアンは包み込むように私を優しく抱きしめてくれて。それがなんだか嬉しくて。暖かくて。私はその暖かさに安心してライアンの背に手を添えた。
「ねえ、ライアン」
私の頭をゆっくりさすってくれるライアン。
「ん、何」
あなたなら。
「私、死んでもいいわ」
- 12話 飛び込もう -
クローゼットから白色を多く取り入れているドレスを取り出す。私が家に戻った途端、両親は怒りも泣きもせずにすぐに王城へ向かう支度をするように言った。あんなに私に期待していたのに婚約破棄されてしまった私にどうして何も言ってこないのかしら。全くおかしな人たちだわ。
ドレスに着替えて馬車に乗り噛む。私達家族の中は元からいいとは言えない。だからいつも同じ馬車に乗っていても今日のように誰1人言葉を発することはない。聞こえてくるのは車輪の回る音だけだ。その時間は長いようで、短かった。これが最後の時間となるのだ。しっかり噛み締めなくては。
馬車を降りると私達はすぐに王様と王子様の元へ通された。そこには何かに怯える王様と王子様がいた。ああ、ミア様もいらっしゃったのね。王子様の後ろに隠れている彼女は口をカタカタと震わせながら上を見上げていた。それにつられて両親と共に上を見上げる。そこにいたのは。
「また人の子が増えたか」
全身を黒で埋め尽くした魔王様……ライアンがいた。いやね、ライアンったら。その格好わざとなの。それじゃあ怖がられて話もできないわよ。
くすくすと笑ってしまいそうになる自分を無理矢理抑え込みながら驚いて動けないふりをする。これも作戦のうちだものね。
「いつまで惚けているのだ人の子よ。魔法を解いてやったと言うのに動きすらもしないのか」
どうやらもう王子様の魅了魔法は解いた後のようだ。王子様ははっと後ろを振り向くと自分の腕に縋り付く少女を振り払った。
「あ、ちょ、ちょっと」
なんとか漏れ出たらしいその声は恐怖に溺れていた。あの魔王様の御前なのだ、仕方がない。
「して……わざわざここまで出向いてやったのだ、対価があってもいいだろう」
展開が早いわね、ライアン。さっさと済ませて帰りたいのかしら。
「生贄が1人欲しい」
それにしても、何その話し方。笑っちゃいそうだからやめてほしいわ。
「そうだな、そこの娘などどうだ」
あらかじめ約束された言葉を王に囁く。これは王様にとっていい提案なはずだ。自分の命が惜しいのなら、さあ、早く頷きなさい。時間が長く感じる。王様の首がゆっくり動いて……うなずいて。
空を舞っていたライアンが私の目の前に飛び降りる。お母様が小さくひっと声を漏らしたことなんてもうどうでも良くて。お父様が眉一つ動かさないことなんてどうでも良くて。私はただライアンの胸目掛けて走った。ライアンは嬉しそうに抑えきれない感情を見せながら両腕を広げている。そして私は、私達は。自分のための人生へ、飛び込んだ。
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