第5話 悪役令嬢という宝石を攫って 5,000文字ほど

- 悪役令嬢という宝石を攫って -

- 1話 婚約を破棄させていただく -

 ゆっくりと振り下ろされた指が私を指す。その指の持ち主であるこの国の王子様は私のことを釣り上がった目で睨んでいた。

「私、オーウェンはエマ嬢との婚約を破棄させていただく」

大きな声で叫んだそれは会場中に響き渡った。


 私はつい先ほどこのパーティー会場に入ってきたばかりの伯爵令嬢だ。本来エスコートをしてくれるはずである私の婚約者の腕にはしっかりと私の双子の妹、ミラがしがみついていた。その婚約者はもう片方の手で私のことを指差している。そう、この私を睨みつけている男こそがこの国の第一王子、私の婚約者様のオーウェン様だ。

 第一王子である彼の17歳の誕生日を祝うために催されたこのパーティー。その場に呼ばれている全員の視線がこちらに注がれた。何事かと言わんばかりに見つめて、ひそひそと話して。鬱陶しくて仕方がない。

 私は驚いたふりもせずにただ目の前にいる彼らを見つめていた。演技をして見せる価値すら、彼らにはないと思ったから。

「どうした、驚かないのか」

驚くわけがない。だって私は。


 知っているのだから。今日この日、オーウェン様が17歳になる日、エラは断罪され婚約破棄されるということを。私は別にその計画を盗み聞きしていたわけではない。誰かから聞いたわけでもない。なら、どうして知っているのかというと私はこの世界を知っていたからだ。ゲームとして。

 私はエマとしての記憶以外に前世の普通の女の子としての記憶がある。エマは大人しい性格だが私は結構お転婆さんだ。私はそこら辺にいる普通の高校生だった。けれどちょうど今と同じくらいの年齢の時、どうやら私は死んだらしい。どうして死んだのかはわからないけれど死んだ、ということだけはなぜかわかった。と言っても前世の記憶が戻ったのはついこの間だ。一週間ほど前だろうか。目が覚めた途端に私は全てを思い出した。エマより前の私の記憶。この世界はゲームの世界であること。エマは婚約破棄され肩身の狭い思いをして暮らすことになること。

 全てを思い出した時、私は少し安心した。だってゲームにあったように私はミラをいじめていなかったから。それなら婚約破棄される理由もないだろう。そう思って安心していた。

 けれど次の瞬間には気がついた。ミラならやりかねない。嘘をついて私を陥れかねない。

 ミラは昔から欲しいものは何でも手に入れてきた。両親を味方につけ、よく私から物を奪った。うさぎのぬいぐるみ、夕食のデザート、お花のネックレス、そして、両親の愛。

 今度は私から婚約者を奪おうとするかもしれない。そう思っていたからこそ、私は大して驚きはしなかった。


- 2話 怪盗 -

 王子は腕を下ろし、ミラを庇うように立ちはだかった。大切な物を守るように、大事に抱えるように。

「エラ、お前ミラをいじめていたそうじゃないか」

周囲にいる人たちがざわっと一斉に話し始めた。え、エマ様がそんなことを。いや、前からそんな噂はあったぞ。そんな声がちらほら聞こえてくる。

 私が何も言わないのをいいことにミラが口を開いた。

「そうなんです。毎日毎日、暴言を言われて、物を壊されたり隠されたり……もう耐えられなくって」

そんな事実はないのに、どうやって王子様を騙したのか。その技術は気になるわね。物を壊されたり、隠されたりと言うくらいだからなんとか物証を作ったのでしょうけれど、調べればおそらくボロなんていくらでも出てくるでしょうね。騙された王子様があわれだわ。

「黙っていられなくてごめんなさい、お姉様。でも、どうしても耐えられなくって……」

ミラが悲しむように顔を手で隠す。それを慰めるように王子様はミラの頭を撫で、ギュッと抱きしめた。まるで私が悪いような言い草だ。私からいつも何もかも奪っておいてよく言う。

 そんなことを考えながら私は内心少し焦っていた。王子様に責められたらどうしたらいいのかわからない。相手は天下の王族よ。私に、ただの伯爵令嬢に反論の余地なんてない。もういっそのこと身分も名前も家族も何もかも捨てて逃げ出してしまおうかしら。一生1人寂しく過ごすよりは、いっそのこと、ここから逃げ出して、平民として過ごすのも悪くないかもしれない。普通に働いて、友人を作って、いつかは恋人もできて。そんな未来も悪くないかもしれない。

 そんなことが頭によぎった時、天井にある天窓が空いて。何かがふわりと私の前に降り立つ。闇夜に紛れて落ちてくるその姿にはどこか見覚えがあった。

 女性たちが悲鳴をあげる。王子様とミラはぽかんと口を開けてそれを見つめていた。

「失礼」

降り立ったそれは目の前にいる2人にそう一言だけ言って私の方を向いた。猫の仮面をつけたそれは周りには何もいないとでも言うように私だけを見ていた。私だけをその画面の奥に隠された瞳に映していた。

 全身黒の衣装をその身に纏うそれ、彼は暗闇の中にいれば誰も気が付かないだろう。

「怪盗、ブラックキャッツ」

誰かがぽそりと呟いた。


- 3話 差し上げますわ -

 王子様がハッとしたようにびくりと体を動かし、慌てたようにキッと目の前にいる闇を睨んだ。

「ブラック、何しにきた。私の誕生日パーティーに乱入とは、いい度胸だな」

彼、怪盗ブラックキャッツは猫の仮面をつけた謎の男で沢山の貴族の家に宝石やら金やら盗みに入っている怪盗だ。闇に紛れるようにして気がつけばその場から姿を消している彼のことを人々はブラックキャッツと名づけ、彼はブラックと呼ばれるようになった。

「貴方に用事はありません」

目線だけを王子様に移してそう答えた彼は再び私の方に向き直った。

「今夜は宝石を盗みにきたんです。この世に一つしかないとても美しい宝石です。その宝石を私にいただけますか」

私の目をしっかりと見て手を差し出した彼に私は一瞬見惚れていた。慌てて我に帰り自分の手を、ドレスをキョロキョロと見回した。けれども宝石なんてどこにもない。それもそうだ。私の宝石類は全てミラに奪われてしまったのだから。だから私はいつも、今日のようにお花をアクセサリーとしてパーティーに出ていた。

 なら、彼の言う宝石とは。その答えは昨日の夜に隠されていた。頭の中で彼の言葉をたどる。ふと思い出して、ああ、このことかと心の中で笑った。

「ええ、差し上げますわ」

差し出された手に、私は迷うことなく自分の手を重ねた。

「では、今夜はこれで」

彼が私を抱え上げると辺りの光は全て消え失せた。再び光が灯る頃にはブラックも狙われた宝石もどこにもなかった。残っていたのは呆然と立ち尽くす人々のみだったと言う。


 目を閉じていて、とそう言われたから。私はしばらくの間、目を閉じていたのだが、ゆらゆらと揺れるその感覚がゆりかごのようで私はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 目を開けると、そこは平民が暮らすような質素な家だった。今さっきまでいたような会場のように煌びやかな料理も白すぎる壁もない、私の服装だけが目立つような。そんな部屋のベッドに私は寝かされていた。

「目が覚めたか」

優しい声に誘われて体を起こす。

「その話し方が本当の性格なの。面白いわね」

やれやれとでも言うように私は蝋燭に照らされる彼を見た。そこには素顔を晒した彼がいた。

「お前もな」

ふっ、と彼が笑う。私はベッドから降り彼の正面に置かれた椅子に腰掛けた。


- 4話 猫の気まぐれ -

 私はゆっくりと昨日の夜のことを思い出していた。昨日の夜、彼、ブラックは私の家に盗みに入っていたのだ。彼の目当てはこの間私の父がミラのために買ってきた大きな宝石のついたネックレス。それを盗みに行こうとしていた彼を私が見つけてしまったのだ。

「失礼、お嬢様。ここは見逃してはいただけませんか」

優しく微笑む彼に私は抵抗できずに道を明け渡した。そして彼はすれ違い様私にこう言ったのだ。

「貴方ほど美しい宝石に会ったのは初めてですよ」

その言葉がなぜかとても嬉しくて。お世辞だとわかっているのに、どうしようもなく嬉しくて心から、耳から離れなかった。


 だからあの時宝石とは私のことだとわかったのだが。

「どう言うつもりかしら。こんなことして」

ちょっと強気に出てそう問いかける。けれど私の手は震えていた。先ほどの焦りが、どうすればいいのかわからずに怯えていた恐怖が、消えない。

「……猫は気まぐれなのさ」

そう言って彼は立ち上がった。そして。

「え、ちょ、ちょっと、なによ」

彼は私をその優しい腕でふわりと包み込み、抱きしめた。

「盗んできた宝石を愛でているだけさ。何か問題でも」

問題大ありよ、そう答えようとして開けた口を、私はそのまま閉じた。ここはそのまま好意に甘えておこう。そう思ったら安心したのか、私の目から一筋の涙が溢れた。


 俺さ、転生者なんだよね。そう言いながら彼は私の伸ばした髪をクルクルと指に巻いていた。聞き覚えのある言葉に思わず彼の方を振り返る。

「この世界、妹がやってたゲームの世界に似ててさ。恋愛ゲームだったと思うんだけど」

あ、あと、俺第二王子のウィリアム。よろしくね。そう言って彼は笑った。どうして彼はこんな重要な話を私にしてくれるのだろうか。そう考えたらなんだか嬉しくって。同じ転生者であるからこそ、この話の重要さはよくわかっているつもりだ。

「どうしても気になったんだ、俺。この国が腐りきっているのが。だから正してみようかな、なんてこんなことやっててさ」

そんな簡単に話せる話ではないのに、彼は私を不安にさせたくないのかニコニコ笑って話している。一緒にこの人の恐怖を背負いたい。そう思うのは罪だろうか。あーあ、ダメだな、私。さっきまで違う人の婚約者だったのに。

「協力するわ。私、このゲームは詳しいの」

もう新しい恋してる。


- 番外編 全ては終わって -

 彼の部屋のベランダから2人で外を覗く。隣で彼がいつものように笑っている。けれどその笑顔はいつかのようなヘラヘラとした笑顔ではなく、どこか愛おしげな目で、表情で私を見ていた。

「まさか、エラが俺と同じ転生者だったなんて思わなかったなあ」

私だって思わなかったわ。あの怪盗ブラックキャッツが、この国の第二王子が前世は日本人だったなんて。人生には予想外の出来事がつきもの。だからこそ面白い。

「……あの日、俺が君を攫ってからかなり経っちゃったね。もう一年だ」

結局、私たちがこの国の政治をひっくり返し、王を廃位させるまで一年かかった。あの腐りきった政治のほとんどは前王のせいだった。前世の記憶が戻らなくてもわかるくらい、それはあからさまだったのだけれど。

 それに関わりこそなかったものの、私の元婚約者の第一王子も別件で色々あったみたいで王位は継げないことになったらしい。らしいというのは、私はその件に関してはほとんど関わっていないからだ。どうもトラウマを思い出させないためらしいのだが……。本当に優しい人よね。

「俺さ、王位継ぐことになっただろう。だから、王妃を決めようと思うんだ」

胸のあたりがズキッと痛む。ありきたりな表現だが、そうとしか言い表せない。いつかは結婚してしまうのだとわかってはいたけれどやはり辛いものがある。

「最愛の人がいるんだ。まだプロポーズもしてないんだけどね」

最愛の人、か。そんな人を相棒である私に隠していたなんていい度胸じゃない。

「さっさとプロポーズしてきたら。待ってるんじゃない。大丈夫よ、貴方いい人だもの」

ああ、私何言ってるんだろう。でも、きっとわかってるんだ。何を言っても無駄だって。だってさっきから彼、すごく幸せそうなんだもの。少し前からずっとそうだったわ。だから……。

「いってらっしゃい」

せめて笑って見送らせてね。

 ああ、どうしてそんな顔をするの。キョトンとした目で私を見て、嬉しそうな口で私に話しかけて。

「分かった。待ってて」

嫌ね、プロポーズした女性を放ってこっちに戻ってくるつもりなのかしら。だめよ、そんなことしちゃ。一緒にいてあげないと。

 ウィリアムは一度部屋の中に戻るとこちらにすぐ帰ってきた。その手には小さな箱が握られている。これからその人に私に行く指輪ね。

「……結婚してください、エラ」

……時が止まる。心臓の音も聞こえなくなった。と、思ったらすぐに大きな音を立てて鳴り始める。

「え、わ、わたし……」

まさか。私な訳がない。けれどウィリアムが開けた箱から漏れ出す宝石の輝きが現実を照らしていた。

 なぜかわからない。けれど涙がポロポロと溢れ出てくる。これは嬉しさなのか。安心なのか。そんなことわからない。そんなことどうだっていい。

「喜んで」


 ウィリアムと2人並んでソファーに座りながら自分の薬指にはめられた指輪を見つめる。

「……エラは俺のこと好きなの。ちゃんと幸せか」

幸せじゃないわけがない。そう言ったらこの男は信じるだろうか。私はふと、一ついたずらを思いついた。彼の頬に口をよせ、音を立てずに触れる。ウィリアムは一瞬固まって、顔を真っ赤にしながら頬を押さえた。

「な、ななな」

この人はやっぱりどこか可愛い。私が彼を愛しているからこその感情だろうか。

「貴方こそ、また猫の気まぐれとか言わないわよね」

私がニヤリと笑ってからかうと、彼は焦ったような声でこう言った。

「そんなわけないだろっ」

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