第4話 魔王様愛してます〜魔王様の目の前で婚約破棄されました〜 6,000文字ほど

- 魔王様愛してます〜魔王様の目の前で婚約破棄されました〜 -

- 1話 パーティー -

 時々わからなくなることがある。私は誰なの。そんなの分かりきったことだ。この国の王女、エマ。明日、隣の国の王子に嫁ぐ王女、エマ。わかっているのに思うのだ。鏡を見るたびに、貴方は誰、と。


 今日は私を見送るためのパーティーがある日だ。私は明日、隣の国の王子、私の婚約者であるルーク様に嫁ぐ。最後の別れの場として今日のパーティーは催された。大切な家族に別れを告げなければいけないのは辛いが、これは王家に生まれたものの定めだ。ほとんどここには帰ってこれないだろうから、今のうちにちゃんと記憶しておかないと。

 コンコンコン、というノックの音がしたかと思うとドアの隙間から誰かがひょっこり顔を出した。

「エマ、支度は済んだか。……よし、ドレスもお前にあっている。お前の美しさが引き立つなあ」

「もう、お父様ったら」

いつものように、にこにこと笑いながら部屋に入ってきたのは私のお父様、この国の王様だ。私たちの前ではいつもにこにこしているが、政治の場面では真剣な顔をして取り組むお父様が私は大好きだ。私がこの国からいなくなってもそれは変わらない。

「すまないな。愛のない結婚なんて本当はしたくないだろう」

お父様は少し申し訳なさそうな顔で下を向いてしまった。確かに、私達は政略結婚だ。国と国の結束をより強固なものにするために私は嫁ぐ。でもきっと、辛いのは私だけじゃない。ルーク様だって嬉しくはないだろう。

「大丈夫ですよ、お父様。愛は育むものです。恋愛感情は無理でも、きっと家族愛くらいは生まれるはずです」

それは私の決意にも等しかった。一生彼と寄り添って生きていくことになるのだから、居心地が悪いなんてお互いに嫌だろう。友情のようなものでもいいから、せめて隣にいても不快に思わないようにしたいのだ。

「そうか、そうか。頑張りなさい。いつでも帰ってきてくれて構わないのだからね」

お父様の愛を感じたこの言葉。この言葉は私の胸の中で一生大切にしよう。今まで愛してくれてありがとうございました、お父様。愛しています、たとえ私がこの国からいなくなっても、私のことを覚えていてくれれば、私はもうそれだけで幸せです。

「……そろそろ行こうか。お前の婚約者殿がお待ちだよ」

「はい、お父様」

私はお父様の後について部屋を出た。もう二度とこの部屋には帰ってこない。そう思うと、扉は開いているのに大きな壁が見えた気がした。けれど今更戻れない。私はほんの少しの勇気を握りしめて壁を足で蹴り倒した。


- 2話 どこに行っても -

 いつもの廊下なのになんだか短く感じられる。緊張しているのだろうか。時間は短く感じるのに、足は重い。そんな私の不安を感じ取ってくださったのだろうか。お父様がふと振り返って私を暖かく包み込んで。

「お前はどこに行っても、私の娘だからね」

会場に出て仕舞えばもうお父様と触れ合う機会はないだろう。だから、これが最後の。

「……はい、お父様。どこにいても私はお父様の娘でございます」

温もりが離れると、私はつきものが落ちたように少しだけ足が軽くなった。

「今回のパーティーには魔王も来てくださった。失礼のないようにな」

魔王様。人々は彼を恐れるが私はなんだか彼が好きだ。一度、隣の国の建国祝いのパーティーでしかお姿を拝見したことはないが彼の姿を見た瞬間、なんだか私は安心したように心が温かくなったのだ。

「はい、お父様」

いっそのこと、彼が私をもらってくれたらよかったのに。なーんて、彼は不老不死らしいけれど、お嫁さんをもらったなんて一度も聞いたことがないわ。きっと1人がお好きなのね。それにしても、珍しい。彼は私達人間の催すパーティーに出ることはほとんどないのに。どうして私のお別れパーティーなんかに。

 気がつけば私達は会場の扉の目の前まで来ていた。煌びやかな衣装を身にまとった貴族達が私たちを出迎える。

「おや、婚約者殿はここで待っていると言っていたのだが……」

ひょっこり顔を出して中を見渡すと、私の兄と妹のそばにルーク様を見つけた。おそらく挨拶をしてくれていたのだろう。ふと彼を目が合う。笑顔を作って手を振るが、彼はまた2人の方に視線を戻してしまった。え、なに、今の。無視されたの、私。

「挨拶中のようだな。仕方がない。私と入ろう」

会場に入る際にはてっきりルーク様がエスコートしてくれるものだとばかり思っていた私は少し驚いたが、すぐに平静を取り戻しお父様の横に並んだ。

 大きなラッパの音とともに名前ば呼ばれる。視線が一斉にこっちに集まった。ルーク様もそれでやっと私の方を見た。が、こちらに来てくれるものかと思えばまた2人の方に顔を向けてしまった。というよりも、私の妹、オリビアに話しかけているのだ。お父様の顔をチラッと横目で見てみると流石にお父様も顔を顰めていた。自分の婚約者が入場したのに、話しかけに気もしないとは何事か。

「お父様、私、ルーク様のもとに行って参りますわ」

私は整った笑顔を作ると頭の上にクエスチョンマークを浮かべながらルーク様の元に歩き出した。


- 3話 ルーク様 -

 ルーク様の元へ足速に向かうとルーク様は楽しそうにオリビアに話しかけていた。けれどオリビアは少し眉をひそめていた。姉の婚約者が妹である自分にばかり話しかけるので困ってしまっているのだろう。

「こんにちは、ルーク様」

横に回りお辞儀をしながら挨拶をする。今度こそは笑顔で私を迎えてくれるだろう。けれどそんな期待はすぐに壊された。顔を上げてルーク様の顔を見ると鬼の形相で私のことを見ていた。

「ル、ルークさ」

「黙れ」

会場中にルーク様の怒声が響き渡る。私の脳は一切この展開についていけておらずただわけがわからずに突っ立っていた。

「お前、オリビア様のことをいじめているだろう」

……は。そんなわけがはない。私達姉妹の中は至って良好だ。確かに、オリビアを叱ることはある。けれどそれはオリビアを思うが故だ。今日だって、オリビアを叱ったのはお兄様のお気に入りの服をオリビアが汚してしまったからで。……まさか。

「俺は見たんだ。今日、お前がオリビア様を叱りつけているのを」

あー、そのまさかだったわ。オリビアが先ほどから困ったように笑っていたのはその話でもされていたのかしら。

「すまないな、エマ」

「申し訳ありません、お姉様。先ほどから何度も違うと申し上げているですが……」

あらいやだ、ここまで予想が的中すると嫌な予感しかしないわ。

「実の妹にその仕打ち。俺はそんな女と結婚することなんてできない」

いや、そりゃ私も嬉しくはないですよ。でもですね、私達はあくまで政略結婚であって……。

「俺はお前との婚約を破棄し、ここにいるオリビア様と婚約する」

いやいや、そんなドヤ顔で言われてもですね……。

 ……はあ、本当に困ったことになりました。そもそも、オリビアもこの国の侯爵家の御子息と婚約しているというのに。いくら王子の要望とはいえ、そんな暴挙が叶うとは思えない。それにちゃんとわかっているのかしら。ルーク様の国は数年前にできたばかり。人口と国土こそ、そこそこあるかもしれないけれど政治的な面ではまだまだ弱いのに。

 落ち着かなくてはいけないとわかってはいるのになかなか考えは止まらない。ルーク様は気づいていらっしゃらないのだろうか。今、自分1人が孤立しているというこの状況に。

「彼女が必要ないのなら、私がもらっても構わないか」

ふと、後ろから少年のような声が聞こえた。


- 4話 魔王様と頭痛 -

 驚いて後ろを振り返ると、そこには見覚えのある少年の姿があった。……魔王様だ。

「は。お前は誰に向かって口を聞いて」

「そもそもお前は自分の置かれている状況を理解しているのか」

ルーク様の声を遮って魔王様がどこか怒っているような目をしながらルーク様を見ていた。ルーク様は魔王様相手に恐れることなく立ち向かっている。きっとこの少年が何者なのか知らないのだろう。

「お前の国は建国してまだ10年もたっていない。それなのに何百年もの歴史を持つこの国を敵に回している自覚はあるのか」

威圧的な態度に少し恐怖を感じたのだろうか。ルーク様は1歩後ろに下がった。前に見た時、魔王様は笑うことさえなかったが、今のように怒って感情をあらわにすることなどなかった。何か気に触るようなことをしてしまったのだろうか。

「わかっているのかと聞いているんだ」

ぎろりときつく睨みつける。

「……っまえ、お前、何者なんだ。王子である俺に口答えするなんて」

ルーク様は王子という立場を神様か何かと勘違いしているのかしら。

「私か。私は……魔王だ」

魔王様がそう言った途端、ルーク様の顔色がみるみる悪くなっていく。本当に知らなかったのか。彼が魔王だと。

「お、お許しください、まさか、魔王様だとは……」

確かに魔王様は強大な力を持っていらっしゃるが、ここまで恐れられていると何だか不憫だ。

「お、おい、謝れよ。エマ」

「えっ」

急なルーク様からのふりに素でえ、と返してしまう。いけない、いけないと笑顔を取り繕おうとし……た……。

 初めて見る美しさだった。魔王様の手に光が灯っていて、それがだんだん大きくなっていく。理由はわからない。けれど私にはわかった。あれは攻撃魔法だ。いけないものだ。それを放ってはいけない。

「やめて、リアム」

大きな声でそう叫び、はっと口を押さえる。リアム、リアムって誰。誰のものかわからないその名前。けれどその名前に反応して振り返ったのは魔王様だった。手に集まっていた光は消えている。

「すまない、エマ。威嚇するだけのつもりだったんだ」

え、謝ってるの。あの魔王様が、私に。ものすごく申し訳なさそうな顔をして、謝ってる。なんだろう、何か、何か大切なことを忘れているような……。

「うっ」

なにこれ、頭が、いた、い……。立っているのがやっとのその頭痛。なにが怒っているのかわからず、頭を抱えて蹲る。

「エマ」

誰かが私に駆け寄ってきて、私の体を支えてくれる。ああ、だめ。意識を保っていられな……い……。


- 5話 私は -

 ゆっくりと目を開ける。窓から入ってくる光が眩しい。キラキラと光るその優しい何かが私を暖かく包み込んだ。

 目を覚ますと私は自分の部屋のベッドで横になっていた。周りには誰もいない。メイド達は下がっているようだ。なにがあったのかは……しっかり覚えている。頭痛がしたと思ったら気絶してしまったのだ。……そう、そうよ。思い出したわ。私、この世界の……。

 ガチャリと音がしてノックもされることなく扉が開けられた。ノックをしない時点で入ってきた人が誰なのかはわかっている。彼はいつも私の部屋に入るときにはノックをしない。昔の私は着替えなどしなかったし、困ることも特になかったから。だから許可していたのだ。

「……リアム」

名前を呼びながらドアの方を振り向くとそこにいたのはやっぱりリアム、魔王様だった。

「……すまない、俺のせいだ。思い出してしまったんだな」

彼の言う通り、私は激しい頭痛とともにたくさんの事を思い出した。この世界は私が創った世界であること。リアムは友人の世界で拾ってきた魔法使いであること。リアムを不老不死にし、この世界に下ろしたのは私であること。私は神様であること。彼は、私の恋人であること。あの激しい頭痛は、神としての膨大な記憶を受け入れるのを脳が抵抗していたのだろう。人間の脳では神を受け入れることなど到底できない。

「すまないが、エマの脳は少し作り替えさせてもらった。……脳が壊れてしまわないように」

そう言うリアムは本当に申し訳なさそうな顔をしている。下を向いてしまっていて、私とは目が合わない。

「気にすることないわ。むしろ、私を助けてくれてありがとう、リアム」

「……エマ」

ふわりと優しい笑顔になる。むしろ勝手なのは私だ。昔のことで同意を得ていたとはいえ私は彼から死を奪った。彼をずっとそばに置いておきたいがために。死ぬことができないことがどれほど辛いことか、私は知っていたはずなのに。置いていかれるのは、もう嫌だったんだ。

「ルーク王子はエマの妹、オリビアに一目惚れしてしまったそうだ」

私が何か考え込んでしまっていると気が付いたのか、話題を変えるようにリアムは言った。ああ、そうだったの。だからあんな訳のわからないことを。1人で勝手に納得していると、リアムが急に顔を上げて私を見た。

「……エマ、少しだけ俺の話を聞いてはくれないか」

リアムの切羽詰まったようなその表情に私は焦って頷いた。


- 6話 どの世界の誰よりも -

 私の手をしっかり握って彼は話し出した。

「俺はこの世界に降りてから、この世界を楽しもうと頑張った」

神様、私はきっとそれを望んでいるのだろうと思ったから。1人の人として私の作ったこの世界を楽しんでほしいのだろうと思ったから。彼はそう言って悔しそうに笑った。

「でも、俺はこの世界どころか誰一人好きになることはできなかった。神様、エマ以外誰も好きになれなかったんだ」

けれど、せっかくこの世界に神様が降ろしてくれたのだから天界に戻ったときにどうしてもいい報告がしたかった。だから頑張ったんだ。たくさんの人と、魔族と、魔物と交流して。いつの間にか仲間と呼べる者ができて、それはいつしか国になっていた。それでも俺の中の何かが満たされることはなかった。目に涙を溜めながらそれでもなおリアムは笑っている。

「だから、エマとして神様が自分の作った世界を体験しにくると言ったとき、とても嬉しかったんだ。またエマと一緒に過ごせると」

エマが他の男と結婚することになった時はそれはもう悔しかった。先に自分が婚約を申し込んでおけばよかったと思うほどに。けれどエマが幸せならそれで、と思ってパーティーに来たらあの始末だったそうだ。

「それで、お願いがあるんだ。無理に聞いてくれとは言わないけれど」

彼がポケットから何かを取り出す。それは小さくて深い青色の綺麗な箱だった。私の方にそれを向け、パカッと開ける。

「結婚してください、エマ」

この世界には私の友人の世界と同じように夫婦はお揃いの指輪を左手の薬指につける習慣がある。小さなダイヤモンドが嵌め込まれた指輪のその小さな輝きが、私の目を彼に釘付けにさせた。彼は真剣な顔をして私を見て、私に答えを求めている。私の返事なんて分かりきったことだろうに。


 お父様が泣きながら私を見送ってくれた。結婚式は予定通り行われ、私は祖国を立った。けれど横にいる相手は予定通りの相手ではなく。

「リアム。私が死んだら、一緒に天界に来てくれない」

結婚した直後に死ぬ話をするなんて、と笑うリアムはどこか幸せそうだ。

「だって、もう貴方をひとりにしたくないのよ。置いていきたくないの」

そうか、じゃあ国は一番弟子の魔族に任せるか。そう言って彼は笑って私の額に優しく口付けた。

「……エマ。愛してるよ。絶対に後悔はさせない」

あら、あり得ないわ。世界一愛する貴方と結ばれたんですもの。貴方をこの世界に送り出したあの日から、私の心はどこかにぽっかり穴が空いたように寂しかった。だから、貴方と結婚して。

「後悔なんて、する訳ないじゃない」

愛してるわ、リアム。どの世界の、誰よりも。

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