第616話 セピア

 サングリッター・スローンの左側面に起きた衝撃。しかしサングリッター・スローンはそれをものともせずに泰然と浮遊している。


 地下界が魔王たちの住処と判明した段階で、シンヤ経由でオルさんのいる魔法科学研究所に、サングリッター・スローンの強化を頼んでいたからだ。そしてエキストラフィールドを脱出して、アルティニン廟の再攻略となった時点で、サングリッター・スローンは強化改修してある。今の衝撃に耐えられたのも、サングリッター・スローンの外面に仕込まれた、魔力シールドによる防御によるものだ。


「いやあ、一瞬ヒヤッとしましたねえ」


 いきなり攻撃が飛んで来るのを、『瞬間予知』で感知したものだから、俺は座席前面のコンソールで、素早く魔力シールドを展開したのだ。


 左からの攻撃が何だったのか? と全員が左を向くと、左のモニターが真っ黒に塗り潰されていた。


「何だこれ?」


 何をされたのか分からないが、どうやら目潰し的な攻撃であったらしい。強化改修はしてあったが、単純にサングリッター・スローンの外面の強度を上げただけだったので、このような搦め手を想定していなかった。俺は直ぐ様『聖結界』を展開し、サングリッター・スローンの外面に付着した何かを、弾き飛ばした。そして黒い何かが弾かれたところで、サングリッター・スローンが左のモニターの倍率を上げて、遠方の敵を炙り出す。


「イカ?」


 思わず呆けた声が漏れてしまった。モニターに映っていたのは、十を超える空翔けるイカの群だったからだ。どうやら、先程サングリッター・スローンが受けた攻撃は、イカ墨によるものだったらしい。


『振り切れなかったか!』


 耳に取り付けられているイヤーカフ型の通信魔導具から、リットーさんの声が聞こえてきたが、あまりの煩さに、皆が身体をビクッとさせた。


「振り切れていなかったって、リットーさん、ここに来るまでにあれと遭遇していたんですか?」


 そう言えば、リットーさんもゼストルスも、ここに到着した時、ところどころ黒くなっていたな。


「ああ! 急いでいたから戦わずに回避してここまで来たのだが、どうやら追い掛けてきたようだな!」


 耳元で大声を出されると、キーンとするからやめて欲しいのだが、リットーさん本人はあれがデフォルトだから、大声を出しているつもりはないのだろうなあ。


「煩いわよリットー。あなたが見逃したせいだと言うなら、あなたが始末してきなさい」


 バヨネッタさんが直接文句を言った。


「おお!! 任せておけ!!」


 しかしリットーさんから更に大きな声が返ってきて、皆が声を出さずに身悶える。そんな俺たちの状態など分かっている訳もないリットーさんは、ゼストルスに飛び乗ると、空飛ぶイカ目掛けて飛翔した。


「さ、リットーがあの軟体生物を相手にしている間に、地下界へ向かうわよ」


 慈悲の欠片もない言葉を口にしながら、バヨネッタさんがリコピンに指示を出すと、サングリッター・スローンは音もなく竜の口から飛び出す。


 オーロラにフタをされた無窮界と言う名の地下界は、『無窮』の名に恥じない、どこまでも大地と海が続く、無辺の世界で、さてこれ程に渺々びょうびょうたる世界で、俺たちは無事にブーギーラグナの居城まで行けるのだろうか、と漠然とした恐怖にも似た不安が頭を過ぎる。


 左に視線を向ければ、リットーさんがイカたちと大立ち回りを繰り広げていた。群れていると言う事は、この地下界でもそれ程強い部類ではないのだろう。リットーさんの真・螺旋槍や、ゼストルスの竜炎のブレスで、イカたちはどんどんと墜落していっていた。


「美味しいんですかね? あのイカ」


 そんな俺の呟きが、あまりに衝撃的だったのか、外の世界に向いていた皆の視線が、一斉に俺に集中した。


「あれを食べたいだなんて、正気?」


 皆を代表するようにバヨネッタさんが話し掛けてきたが、バヨネッタさんにだけは正気を疑われたくない。


「いや、イカは美味いですよ。バヨネッタさんたちだって、日本でイカ食べているじゃないですか。あの白い刺身です」


「え? イカって、あの刺身の半透明の白いやつかい?」


 ミカリー卿の言葉に俺は首肯する。


「あれがイカだったのか」


 勇者一行はシンヤを除いて引いているし、俺と同行してきた皆も、武田さん以外が絶望するかのような顔をしている。


「何ですか? 宗教的にイカを食べてはならない。みたいなものでもあるんですか?」


 俺の言に、びっみょ〜な顔になる面々。そして意を決するように、デムレイさんが口を開く。


「俺たちの世界では、どの国でもイカやタコは魔王エイリークの使いと呼ばれていて、それを食べると呪われて、スキルが上手く使えなくなると言い伝えられているんだ」


 何だそりゃ? 俺は思わずシンヤと武田さんへ目を向けた。が、二人とも何とも言えない顔をしている。


「武田さん。武田さんは転生者ですし、その辺どうなんですか?」


「俺も転生前はイカとかタコは食べなかったな。言い伝え云々より、その外見的に食べたくなかったからな。転生してからも、二十歳超えるまで食べなかったから、心のどこかでやっぱり言い伝えを信じていたのかも知れない」


 そうなのか。


「でも二十歳超えて食べるようになったんですよねえ?」


「ああ、酒飲むようになって、大学の飲み会で、先輩に騙されて食べさせられてからな。結論から言えば、別にイカを食べたからって、スキルが使えなくなる事はない」


 ですよねえ。


「でも、あの見た目はなあ」


 外でリットーさんが戦っているイカを見ているデムレイさんの言葉に、日本組以外が首肯する。先入観は払拭するのが難しいらしいからなあ。


「私が住んでいた地方の漁師町でも、イカは下魚として捨てますね。わざわざ食べません」


 カッテナさんの言。カッテナさんの地元って、モーハルドの西だったよなあ。確か地元の聖職者の荘園で働いていたとか。多分そこから更に西に漁師町があるのだろう。イカは軟体動物で魚じゃないのだが、『魚』として見たら、イカはあまりに奇怪な姿な訳だから、忌避するのも理解出来るか。


「でも美味しいので、今後も食べると思います」


 素直だなあ、カッテナさん。カッテナさんの言に他の面々は難しい顔だ。美味しいのは認めているのだろう。勇者一行は依然引いているけど。


「だが工藤よ」


「はい?」


 武田さんが神妙な顔で話し掛けてくる。


「大王イカって、酷いアンモニウム臭がして、不味いらしいぞ」


「そうなんですか?」


 それは知らなかった。アンモニウム臭ってつまりおしっこの臭いだよなあ。それも酷い臭いとなると、食べるのはなしだな。


「分かりました。諦めます」


 俺の言葉に、皆があからさまにホッとした顔に変わる。そんなに嫌だったのか。こんなやり取りをしている間に、リットーさんとゼストルスは巨大イカを倒してこちらへ戻ってこようとしていた。

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