第469話 天使の奇跡は悪魔の所業(後編)

「無理です。俺には出来ません」


 ガドガンさんに続いてマチコさんも否定的な発言をする。それはそうだよなあ。他者の人体を作り変えるような行為だ。デーイッシュ派が天使を生み出したのと何が違うんだ。と言われれば反論出来ない。


「俺も猊下の命は助けたいけど、やろうとしても俺では魔力が足りないんです」


 魔力が足りない? 倫理的な問題じゃないのか?


「あれ? でもマチコさん、そんなに魔力量低いの? 人ひとりに対して魔力量が少ないとは思えないけど。ミカリー卿をパンパンにしていたし。次期教皇選抜で、半径一キロに対して『範囲再生』を使っていたし」


「あれとこれとは訳が違います。あれはスキルの補助があって適当に再生させていただけです。普通であればそれで良いんですけど、きっちり機能修復までさせるとなると、俺の器用値では魔力消費量が莫大になってしまうんです」


 成程。確かHPの場合は膂力、耐久、敏捷の合計で、MPの値は器用、精神、幸運の合計だったはず。


「マチコさんって器用値が低いんだ」


「はい。そうなると同じスキル、同じ工程であっても、消費する魔力量が違ってくるんです。人体の構造は人体解剖図絵で理解しているので問題ないのですが」


 ふむ。


「マチコさんとしては、魔力の問題さえ解消出来るなら、ストーノ教皇に対して『範囲再生』を使用する事に躊躇いはないんだね?」


「? ……はい」


 そんな事出来るのか? と言うマチコさんを横目に、俺はガトガンさんの方を見遣る。


「ガトガンさんは? 今にも死にそうな病人に毒を盛るなんて、正気の沙汰じゃない。拒否しても誰も文句は言わないよ。これがストーノ教皇の天命なのだから」


 俺にそう言われたガトガンさんは、眼前で息も絶え絶えなストーノ教皇を見ながら、眉間にシワを寄せて、傍から見ても悩み苦しんでいるのが分かった。


「…………分かりました。やります。たとえ私の毒が猊下を殺す事になるとしても、猊下の最期を看取る覚悟は私にはあります」


 やる気か。マジかー。多分この中で一番乗り気じゃないのって、俺だよなあ。そうして俺はストーノ教皇が横たわるベッドへと近付き、ストーノ教皇の意思確認をする。


「先に言っておきますけど、必ず成功するものではありません。そして成功したとしても、待っているのは……」


 とここで俺はちらりとミカリー卿を見遣り、また視線をストーノ教皇に戻す。


「悠久と言う名の地獄ですよ」


 しかしストーノ教皇はボロボロの身体で俺に微笑んだのだ。


「そうかも知れません……。でも……、ここで私が死んでしまっては……、デウサリウス教もモーハルド国も散り散りとなってしまう……。そうすればこの国も……、世界も……、あっという間に……、魔王に平らにされてしまうでしょう……。一時の勝利の為に……、私は喜んで悠久の牢獄に自ら入りましょう……」


 強い人だな。覚悟は決まっているか。


「それに……、茶飲み友達には困らなそう……、ですし……」


 とストーノ教皇の視線がちらりとミカリー卿に向けられた。そこでストーノ教皇の手をギュッと握る武田さん。おいおい、嫉妬かな? まあ、ここで口出しするのも野暮ってものか。


「じゃあ俺、ゼラン仙者を呼んで来ますね」


「ああ。どうせなら全員呼んでこい。それだけ魔力があれば、ストーノが生き残る確率は上がるだろう」


 と武田さん。ふむ。ならちょっと大掛かりな事でもしますか。とドアの方へ振り返った所で、控えていた日本人医師と目が合った。俺はその医師相手に口元に人差し指を当てる。


「これから起こる事は奇跡です。他言無用でお願いします」


 どうやら俺は圧を掛けていたらしく、日本人医師は冷や汗をかきながら何度も頷くのだった。



 その日の聖伏殿は、マルガンダ中の人間が集まっているのではないか。と言うくらい人でごった返していた。そして彼ら彼女らが列を為してストーノ教皇の私室へと入っていくのだ。理由はマチコさんに魔力を提供する為である。


 ゼラン仙者は『集配』と言うスキルを持っている。これは他者から魔力を集め、それを違う誰かに分け与える事が出来るスキルだ。いやあ、呼んでおいて良かった。


「で? 報酬はなんだ?」


 こう言う人だったよ、ゼラン仙者は。


「そうだねえ。私のコレクションに興味はないかい?」


 そうやって申し出てくれたのはミカリー卿だ。流石にゼラン仙者もミカリー卿の事は知っていたらしく、目を輝かせて喜んで協力してくれる事となった。


 そんな訳でゼラン仙者を通して、デウサリウス教徒たちからマチコさんにひたすら魔力が供給されている。それでも人ひとりの身体を正常な細胞から癌細胞に完全に置換させるには相当な労力、精神力が必要なようで、僅かな休憩を挟みつつ、少しずつ少しずつストーノ教皇の身体は新生物へと生まれ変わっていったのだ。


 ストーノ教皇への『範囲再生』使用による治癒は長時間に渡った。誰も眠る事なく続けられたのは、ガトガンさんが事前に用意していた薬のお陰だ。ゼラン仙者も種類の豊富さに感心していたくらいである。


 トータルの治癒時間は四十八時間、二日間に渡り、その間マチコさんへ魔力を提供してくれた一般デウサリウス教徒の数は一万五千人を超えた。その中にはコニン派だけでなくデーイッシュ派の人間の姿もあり、ストーノ教皇が派閥を超えて教徒から愛されていた証左であった。


 そして治癒は成功した。


 歓喜に包まれるマルガンダ。皆が歌い踊り、その騒ぎは連日続く事となった。


 ちなみに教徒の魔力を借りずとも、『有頂天』が使えるようになった皆のLPがあればストーノ教皇を治癒させる事は可能だったであろうが、それをせずに教徒の力を借りたのは、そうさせる事でコニン派やデーイッシュ派の垣根を越えて、今後デウサリウス教徒が手を取り合ってやっていけるように。との俺の配慮であり、こう言う一つのビッグイベントを乗り越えると、一体感が出て仲間意識が芽生えるよなあ。との俺の策略だ。つまり俺が一番悪党なのだ。

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