第391話 記録・記憶(前編)

「しかし、タカシの『魅了』はもう元に戻っているのに、何でこんなに人気者のままかねえ?」


「知らねえよ」


 カーテンの閉められた窓からは、病院を取り囲む人々のざわめきが聞こえてくる。先程ちらりと見たが、下手したら千人くらい来ているんじゃなかろうか。


「それはそうですよ」


 そう口にしたのは、この病室にいるもう一人、タカシの彼女で看護師のユヅキさんだ。ちなみにタカシはどこか怪我をして入院している訳ではない。そう言うていでこの病院に逃げ込んでいるのだ。そうしなければタカシの家に突撃訪問してくる輩が後を断たないだろうとの、俺と辻原議員による先手だった。良かった。この規模がタカシの家に突撃してこなくて。ちなみに現在タカシの家は警察によって警護されている。


「そうなんですか?」


 俺の問い掛けに、ユヅキさんは自信満々に首肯した。


「まず、『魅了』と言うスキルが、所持する本人に魅力がなければ、全くの役立たずな訳です」


 まあ、『魅了』は一の魅力を十や百にするものだからなあ。魅力ゼロなら意味をなさない役立たずなのは分かる。


「だから、たとえ極大化した魅力が元に戻ったところで、元々タカシくんは魅力的なのですから、あの魅力的な男性は誰? と世間は騒然となり、彼がそう言ったのなら、一考の価値あり。と世間が動くのは当然です」


 そ、そうなんだ。なんだか強引な理論だけど、タカシの魅力が『魅了』で引き上げられたものだと判明しても、まるで当たり前のように側にいるユヅキさんの言葉だ。それこそ一考の価値がある。


 そう言えばジャガラガの君主オームロウも、遺体となって戻ってきたティカを、丁重に弔っていたっけ。死んで既に『完全魅了』は解けていただろうに。あれもティカ本人の魅力によるものだったのだろうか。


「まあ、何であれ、今回の忍者の乱は完全に魔王側の悪手だったな」


「…………」


「…………」


 あれ? 俺の発言の後、二人ともキョトンとしてこちらを見てきた。


「ぷっ、あっはっはっはっ!! 何だよハルアキ! こんな時にボケかますなよ! しかも忍者って!」


 はあ!?


「いやいや、今回の一件、小太郎くんたち忍者軍団が起こした事件じゃないか!」


 俺が思わず声を荒らげて反論するも、またもやタカシに不思議そうな顔をされてしまった。


「ハルアキ、お前が連戦続きで疲れているのは分かった。お前こそ休んだ方が良いよ。忍者とかさあ、あれフィクションだから。現実にはいないから」


 同情の声を上げるタカシの言葉に、ユヅキさんが同意するように頷いている。


「いや、そっちこそ何言っているんだよ? 小太郎くんや百香が忍者なのは、タカシも知っているだろう?」


「いやいや、誰だよ? コタロウくんって? モモカ? 珍しいな、ハルアキの口からバヨネッタさん以外の女性の名前が出てくるなんて」


 ゾッと一気に背筋が凍った。流石のタカシもこんなボケをする人間じゃない。正に全て忘れてしまったかのような反応なのだ。何かタカシが小太郎くんと百香の事を思い出せるように、この場で言葉を紡ごうと考えるも、徒労に終わる事が恐ろしくて口に出せなかった。


「あー、えーとー、そう言えばバヨネッタさんに、ジュース買ってくる。って言って出てきたんだった。じゃあ俺、戻るわ」


 そんなバレバレの嘘を吐いて、俺はタカシの病室を後にした。



 バヨネッタさんの病室の前で立ち尽くしていると、


「何しているのよ? 入るなら早くしなさい」


 とバヨネッタさんに声を掛けられた。俺は自分でも恐怖しているのが分かる程震えた手で、バヨネッタさんの病室のドアを開けた。


「まるでハルアキが病人のようね」


 俺の顔を見たバヨネッタさんの第一声がそれで、バヨネッタさんもアネカネもサルサルさんも、心配そうに俺を見上げていた。


「あ、あの……、あの…………、小太郎くんの事なんですけど……」


 勇気を振り絞って、バヨネッタさんに尋ねた。この人なら憶えているはずだと。


「コタロウ? 誰? ハルアキの友達?」


 俺の淡い期待は、首を傾げるバヨネッタさんによって、ものの見事に打ち砕かれた。アネカネを見ても、サルサルさんを見ても、不思議そうにこちらを見上げているばかりだ。


「あの…………、今日は……、俺……、もう……、帰ります……、ね」


「大丈夫なの? 顔が真っ青よ? ハルアキの方こそ入院した方が良いんじゃない?」


 俺を心配してくれるバヨネッタさんたちの気持ちは嬉しいが、ここにいたら俺の気が狂いそうになる。俺は深く一礼してドアを閉めると、病室からダッシュで逃げ出した。



 とにかくダッシュで病院から逃げ出した俺は、駅前にあるコーヒーチェーン店で息を整えていた。恐怖からくる寒さからガクガク震え、温かいカフェラテを注文して空いている席に座る。舌が火傷するのもお構いなしに、俺は一息にカフェラテを半分飲み下した。


「はあ、はあ、はあ、…………はあああああああ」


『落ち着いたか?』


 人心地ついたところで、アニンが声を掛けてきた。


「あ、アニンは……」


『憶えている』


 その言葉に救われた。俺はボロボロ流れる涙を止められなかった。良かった。あの小太郎くんたちとの日々は、偽りじゃなかったんだ。本当にあったんだ。じゃあ何故、皆忘れているんだ? そんなの決まっている。


『魔王側のスキルによるものだろうな』


 アニンの一言に、歯がガチガチ鳴るのが止められない。どんなスキルか知らないが、恐らく相当大規模な記憶操作だ。それを可能にするような奴を、俺はこれから相手にしなくちゃいけないのか。今まで色々怖い目に遭ってきたが、今回のこれが一番怖いかも知れない。俺が死んだら、誰の記憶にも残らず、いなかった事にされてしまうのだろうか? 上を見上げると、梁が剥き出しの洒落た天井をしていた。

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