第392話 記録・記憶(中編)
「相席しても良いですか?」
呆然と天井を見上げていたら、いきなり声を掛けられ、ビクッとしてしまった。直ぐ様声を掛けてきた方に目を向けると、外人さんがタンブラーを片手にこちらを見下ろしている。
(? インド系かな?)
褐色の肌にスーツを着こなした男性で、美丈夫と呼べるその濃い顔立ちから、俺は南アジア系の人種だろうと推測した。
どこか困った顔をしたその男性は、タンブラー片手に所在なさげにしていた。ああ、そう言えば相席がどうとか言っていたっけ。と思い出し、周囲に目をやると、成程、どこも席が埋まっている。
しかしなあ。悪いが今は一人にして欲しい。憔悴していて他人に構ってなんていられないのだ。などと疲れた頭を働かせているうちに、その男性は俺の前に座ってしまった。相手の無粋な行動に、俺は眉をしかめていた。
「フフ。そう睨まないでください。私もこのような店は初めてで、少々心細かったのです」
微笑を
「何ですか? 私の顔に何か付いていますか?」
言われて俺は男性を凝視していた事に気付いて、スススと目を背けた。バツが悪くて口寂しいのでカフェラテを一口すする。
「ふむ。意外と頑丈な精神をしているのですね? あのような出来事の後だと言うのに」
男性に言われた言葉を咀嚼するのに少し時間が掛かり、それを理解して俺はテーブルを叩いて席を立ち上がっていた。
「マナーが悪いですよ。皆さん驚いているじゃないですか」
俺は身体から気炎を上げながら眼前の男を睨み付けているはずだ。そのはずなのに、男はまるで草原でピクニックでもしているかのように、爽やかさを湛えた微笑でコーヒーをすすっている。
「お前が、お前がやったのか」
気勢を削がれた俺は、周囲の視線を気にしながらゆっくり座り直し、それでも視線は男から外す事はなかった。
「そうですよ」
男の返事に悪気はなく、そうしたのは当然だと言うのが、返答の裏からにじみ出ていた。それが俺には許せなかった。
瞬間的に右手を黒剣に変化させて男の喉に突き刺すも、俺の剣はその喉を貫く事が出来ず、血の一滴も流さない男に、俺は驚愕して椅子から転げ落ちる。
またもや周囲から注目を集めてしまったが、アニンがすぐに右手を元に戻してくれたので、店内が騒ぎになる事はなかった。
「気は済んだかな?」
男の落ち着いた声に、今度はゾッとした。男と自分との強さの格があまりに違い過ぎる事実に、ここに来て気付いたからだ。きっとこの男がその気になれば、この店、いや、この街は一瞬で地図から消える。それが理解出来て俺は生唾を飲み込んだ。
「落ち着いたなら、掛けたまえよ」
男に誘導される形で、俺は再び椅子に座り直す。心臓は煩い程鳴り響いているが、今この男に戦う気がなくて良かった。と前向きに考えよう。
「…………魔王が何を考えて俺の前に現れた?」
「ほう? 流石に私の正体に気付いたか」
くっ、本当に魔王だったのか。当たらないで欲しい推測だった。しかし何なんだ魔王って。こんな気軽に人前に出てくるものなのか? トモノリやノブナガではないよな。女や老爺、子供とも違う。そうなると消去法で青年となる。
「なに、興味が湧いてね。私のスキルに抵抗した人間なんて、初めてなものでね」
男の目の奥に、蛇のように獲物を見定める鋭さを感じた。
「何者だ? 何をした? 何が目的だ?」
「質問が多いね。目的は今答えただろう? 君に興味が湧いたから会いに来たのさ」
俺は余程男を胡散臭そうに見ていたのだろう。男が肩をすくませる。
「そんな目で私を見る者も初めてだ。君は面白いね」
俺は面白くないのだが。何だこの男? 本当に何者だ?
「うん? そう言えばまだ名乗っていなかったな」
俺は口に出していないはずだ。男の言葉に俺が息を呑むと、男はそれが面白かったのか、腹を抱えて笑い出した。
「君は何でも顔に出るね。君の顔を見ているだけで、退屈な一日を潰せそうだ」
顔に出過ぎなのは、バヨネッタさんを始め皆に言われている事だ。まさか魔王にまで言われるとは思っていなかったが。
「フフ。少しからかい過ぎたかな。では私の名乗りで帳消しとさせて貰おう。私の名はブラフマーと言う」
……………………は? 眼前でニヤニヤしている男の言葉に、俺の思考は固まった。
「いや、いやいや、いやいやいや、は? え? は? ブラフマー?」
俺の呼び掛けに首肯で返す男。
「インドの
あまりにも大声だったのだろう。またしても周囲の注目が俺に集まってしまった。思わずペコペコと周囲の客に頭を下げる俺を見て、ブラフマーを名乗る男は腹を抱えて笑っている。
「何で多くの信仰を集める最高神の一柱が、異世界で魔王なんてやっているんだよ?」
「私は過去を司る神だからね、現世は暇なんだよ」
何だその答えは!? 本当にブラフマーなのか?
「まあ、これをブラフと捉えるかはそちらに任せるよ。ブラフマーだけに。フフ。君のお友達のように、ノブナガの名を名乗っているのと同じかも知れないからね」
つまらんシャレを挟みやがって、余計に信用ならなくなってきたな。
「フフ。君の百面相は見ていて飽きないな」
余計なお世話だ。
「さて。残る質問は一つか」
言ってタンブラーを呷るブラフマーの姿に、俺の喉が鳴る。こいつは一体何をやらかしたのだ?
「先程も言ったが、私、ブラフマーは三柱の中でも過去を司る神だ。だから私のスキルは過去に干渉する。そのスキル名は『抹消』」
「『抹消』」
思わずオウム返しをする俺に、ブラフマーは鷹揚に頷き返してきた。
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