第389話 悔恨の痕

「………………ごめんなさい」


 振り絞った声はかすれていた。下げた頭が上げられない。消毒の臭いが微かに香る病院の個室。そのベッドに身体を預ける女性を、俺は見る事が出来なかった。


「何回謝れば気が済むのかしら?」


 女性からの呆れ声に、ビクリと身体を震わせて、思わず顔を上げてしまった。俺の目に飛び込んでくるのは、彼女の首に残る痛々しい傷跡だ。


「長く旅をしていれば、傷の一つや二つ、残って当たり前よ」


 バヨネッタさんはそう言うが、俺は自分が許せない。あの時、パニックにならずに毒の処置を施していれば、バヨネッタさんの首に傷跡を残す事なく済んだのではないか? 忍者軍団たちとの戦闘から丸一日。場所を俺の地元の病院に移してからも、俺はその事ばかり考えていて、現実の状況にあまり付いていけずにいた。


「ハルアキだって似たようなものでしょう?」


 バヨネッタさんの口の動きにハッとして、己の顔をなでる。そこには小太郎くんに付けられた刀傷が、斜めに薄く残っていた。


「男前になった。と言ってあげた方が良いのかしら?」


 小首を傾げるバヨネッタさん。だが俺が注視しているのは喉元で、顔は見れていない。「ははは」と乾いた笑いで返すのでやっとだ。


「はあ〜あ。今のハルアキをからかっても、気分が晴れないわ」


「すみません」


 俺の返答にまたバヨネッタさんが溜息を吐く。


「…………」


「…………」


 気不味い空気に堪えられない。何か飲み物でも買ってこようか? テレビでも点けようか? いや、どちらにせよ逃げているようで嫌だな。ここは許して貰えるまで何度でも頭を下げて………、馬鹿か。もうバヨネッタさんは俺を許している。俺を許していないのは俺だ。俺が俺を許すのに、バヨネッタさんを巻き込んでいるだけじゃないか。バヨネッタさんから罵倒を浴びる事で、己の罪の意識を少しでも軽くしたいだけだ。それで俺の罪が軽くなる訳でもないのに。


「…………ごめんなさい」


「本当に何回目よ」


 嘆息するバヨネッタさんに、反射的に謝りそうになって、俺は唇を噛んでそれを飲み込む。


「はあ……」


 バヨネッタさんの嘆息を聞くのも何度目か。と思ってその喉を注視していると、視界が金色に染まった。何事か!? と思わずバヨネッタさんの目を見る。


「やっと目が合ったわね」


 バヨネッタさんは柔和な笑みで、俺を真っ直ぐに見詰めていた。ああ、何で俺はこの人から目を逸らしていたのだろう。何故か目から涙がこぼれるのを止められなかった。



 ひとしきり泣き終わると、やっと事態の把握に思考を割く事が出来て、いきなり飛び込んできた金色の正体が判明した。バヨネッタさんの首を覆うように、金のチョーカーが巻き付いていたのだ。まるでエジプトの女王のようだが、それが不思議とバヨネッタさんに似合っていた。


「どう?」


「良いですね!」


 思わずサムズアップする自分。


「でしょう?」


 嬉しそうに口角を上げるバヨネッタさんを見ていると、自然とこっちの口角も上がる。


「それって天賦の塔で新しく入手した、『黄金化』と『金剛』で作り出したんですか?」


「そうよ」


 何故金のチョーカーなのか、別に首の傷を隠すなら普通のタオルで良くない? なんて事は口にしない。バヨネッタさんが嬉しそうならそれで良いのだ。


「あら、二人とも楽しそうね?」


「何なに? 何事?」


 そこに入ってきたのはサルサルさんとアネカネだ。


「何? お姉ちゃん、その金のチョーカー。服と合ってないよ?」


 お前は馬鹿か? 今のバヨネッタさんは病衣なのだから、そこはスルーしろよ。思わずアネカネを睨む俺と、同時にアネカネのお尻をつねるサルサルさん。


「痛っ!?」


 何でつねられたのか理解出来ず、アネカネはサルサルさんを振り返って睨むが、サルサルさんの笑顔の圧力に屈して、閉口するのだった。


「じゃあ、ご家族も来られた事ですし、俺はもう一人の方を見舞いに行ってきますね」


 椅子から立ち上がり、サルサルさんとアネカネに場所を譲る。


「そうね。この煩いのをどうにかしなさい。と私の代わりにあの馬鹿に言っておいて」


「ははは。まあ、今は仕様がないですよ。今やあいつは世界の人気者ですから」


「人気者、ねえ」


 三人が、納得出来ない。そんな顔をしている。俺も出来ないので反駁はんばくはしない。いや、青写真を描いたのは俺だけど、これ程上手くハマるとは思っていなかった。なので若干現状の世界情勢への対応に乗り遅れているきらいがある。


「じゃあ、行ってきます」


 俺は笑顔を作ってバヨネッタさんの病室を後にした。



 コンコンコン。


 歩いて一分。同階にある個室の前でノックする。


「どうぞ」


 病室から返ってきた男の声には疲れが窺えた。


「ちーす」


 努めて元気にドアを開けると、しょんぼりした声を発していた少年、タカシが看護師さんの胸に顔を埋めて慰められていた。確かあの看護師さんはタカシの彼女の一人の、ユヅキさんだっけ? あ、俺に気付いて礼をしてくれた。


「タカシ、何やっているんだ?」


 ここに来て俺だと気付いたのか、タカシがこちらを向いて、その顔が一気に明るくなった。


「ハ〜ル〜ア〜キ〜」


「何だよ、甘えた声出すなよ、気色悪いな」


「気色悪いってなんだよ!? お前のせいで俺、とんでもない事になっているんですけど!?」


「頑張りは認める。って言うか全世界の人が褒めているだろ?」


 俺のこの発言がかんに障ったらしく、ムッとした顔をしたと思ったら、プイとそっぽを向かれてしまった。


「悪かったよ。謝るよ。俺としても一時しのぎのつもりだったんだ。こんな世界中の人間が踊るとは思ってなかったんだよ」


 言いながら俺はカーテンが閉められた窓に近付き、ちらりとそれを開けた。途端に窓の外がざわめき、カメラのライトがビカビカしだす。眩しいなんてもんじゃない。


「やめろ! 馬鹿!」


「はいはい」


 冷静を装いながらカーテンを閉めるが、俺はちょっとビビっていた。ええ!? こんなに!? どうしたものかなあ。


「どうするんだよ、ハルアキ?」


「どうしようか、タカシ?」


 俺たち二人とも困った顔を見合わせ、今後やるべき大仕事を思って嘆息するのだった。

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