第386話 対宗主(三)

「ふむ」


 長い黒髪の青年は、歳に似合わず顎に手を当て黙考している。それからおもむろにその場で跳ね出した。


「ほほう! 軽い軽い! 己の身体のなんと軽い事か! 四百年ぶりのレベルアップは爽快だな!」


 そうか、コレサレの首飾りを使うと、生き返るだけでなく、レベルアップもするんだった。それを思い出して奥歯を噛み締めると、何か苦いものが滲みてくる。若返ったジゲン仙者の一挙手一投足を見逃さないように凝視する。


 したはずだった。が、ジゲン仙者は音を置き去りにする速さで、俺たちの前から姿を消し、次に現れた時、やつはバヨネッタさんのナイトアマリリスによる結界を蹴りで破壊していた。


「ほう? 人工坩堝を使っていたのか、頑丈な結界だな。これで俺を殺した阿呆に意趣返しが出来ると思ったのだが、やはり世の中そう上手くいかないな」


 言いながらジゲン仙者の手がバヨネッタさんの喉に伸びる。それがスローモーションになるのと、俺の白塩がジゲン仙者を襲うのは同時だった。


 しかしちらりとこちらに視線を向けたジゲン仙者は、身体から毒霧を噴出させてこれを相殺し、俺に構う事なくバヨネッタさんの喉を掴む。


「かっはっはっ! なんだ小僧、随分と必死の形相に変わったな。この小娘がそんなに大事か? なんだ? 懸想でもしているのか?」


 そうしてジゲン仙者は、その掴んだ手から毒液を滴らせたのだ。


「ぐ、ぁぁぁぁああああッ!?」


 ジゲン仙者の手の中で暴れるバヨネッタさんの姿に、全身の血が沸騰する。


 バキッ!!


 次の瞬間には、俺の拳がジゲン仙者の顔面にめり込んでいた。吹っ飛ぶジゲン仙者。


「バヨネッタさん!」


 そんな事よりもまずはバヨネッタさんの容態だ。その喉は皮膚がただれ、今にも首がもげて転げ落ちそうだった。俺は直ぐ様『空間庫』からハイポーションを取り出すと、バヨネッタさんの喉に振り掛けた。


「がはっ、ああああ……」


 だが首はくっついたが、バヨネッタさんは俺の腕の中で喉を掻きむしって暴れるばかりで、毒が抜ける気配はない。毒はまた喉をただれさせ始めていた。くっ、喉じゃなければ部位ごと切り落とすのに!


 頭が回らずにただ気だけが焦る。そうやってあわあわしていると、その頭に強い衝撃を受けた。ジゲン仙者の攻撃かと思って上を見たら、武田さんが拳を握っていた。


「こんな時に何するんですか!?」


 殴られた意味が分からず抗議の声を上げると、そんな俺を見て武田さんは深い溜息を漏らす。


「こんな時だから冷静にならなきゃいけないんだろう? 全く、何の為のお前の塩なんだよ?」


 ハッとして顔から火が出そうになるが、今は恥じ入っている場合じゃない。俺は直ぐ様バヨネッタさんの喉に『清塩』と『ドブさらい』で構成された塩を塗り込んだ。


 塩が吸収されるとともに、呼吸が穏やかになっていくバヨネッタさん。更に毒素をしっかり撃退する為に塩飴をバヨネッタさんに飲ませると、容態が段々と落ち着いていった。


「ふむ。やはり脅威だな。その毒は治癒系スキルだろうと治せない特別製なのだが、それをこう容易く無毒化してしまうとは、あの御方が障害と捉えて、真っ先に始末するようお命じなられる訳だ」


 あの御方、ねえ。ジゲン仙者クラスがわざわざ持ち上げた言い方をするって事は、あの御方とは魔王を指しているのだろうが、だがノブナガの名を出さないと言う事は、六人いる人格のうちの別人格の命令って事か。まあ、尋ねたところで答えは返ってこないだろう。今はジゲン仙者を詰問する時間でもないしな。


 俺はバヨネッタさんをアネカネに託して立ち上がると、拳を握りしめてジゲン仙者の方へ歩き出す。


 そんな俺を警戒してか、毒霧で牽制してくるジケン仙者。それを俺は白塩で圧倒する。毒霧を霧散させた白塩がジゲン仙者に襲い掛かるが、これには素早い動きで距離を取るジゲン仙者。その口角は上向いていた。


「何がおかしい」


 俺の声は、俺が想像した『冷静を装う俺』よりも、怒気をはらんでいた。


「いやいや、確認しただけさ。何故レベルアップもし、肉体も『毒血』で全盛期まで若返らせた俺が殴られたのか、とな。まあ、予想通りだったがな」


 ニヤニヤ笑うジケン仙者の姿に、俺は思わず歯ぎしりしてしまう。


「小僧、俺を殴る。それだけの為に『代償』を使ったな?」


「それがどうした」


「いやいや、愚かよのう。確かに『代償』を使えば彼我の差は一見埋まったように思えよう。が、それは幻よ。レベルを下げればそれだけ個の能力は下がる。いくらバフで上げようと、レベル差が広がれば、それは埋めようのない実力差となる。いくら『逆転(呪)』を持っていようと、レベル差は少ない方が良いのだ。我が子飼いどもも、そうやってお前とのレベル差は少なくしておいた。だと言うのに、それを自らレベル差を広げるとは、悪手を打ったな、小僧」


 若返ったと思ったら、ぺちゃくちゃと良くしゃべるジジイだ。孤独な老後生活は嫌だから、若者に話し相手になって欲しいのかな? お前の人生老後の方が千倍長いだろうに。


「あんただって、『毒血』で無理矢理身体能力を上げているんだ。その状態も長くは保たないだろう?」


「先程までの俺ならばな」


 成程。死にかけだった身体も、レベルアップで全快したから無理をしなくて大丈夫ってか。はあ。確かに、俺には不利な状況かも知れない。バヨネッタさんを助ける為に、ジゲン仙者との実力差を埋める為に一時の感情に任せて『代償』を使ったのも事実だ。でもねえジゲン仙者、あんたも忘れてないかい? こちらには仲間がいるんだよ?


 俺は、俺の後ろでジゲン仙者を睨み付けているであろうサルサルさんの放つ殺気に、さっきから冷や汗が止まらないよ。

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