第384話 対宗主(一)

 しわがれた老人は、呼吸も荒く今にも死にそうだ。これが向こうの世界に復讐せんと妄執に取り憑かれた一人の仙者の末路なのか? こんな老人を神輿に、小太郎くんたちは今回の計画を実行したのか? 何とも呆気ない幕切れに、フツフツと腹から怒りが込み上げてくる。


 ツカツカとジゲン仙者に近付こうとしたところを、バヨネッタさんに手で遮られた。


「何をするつもり?」


「トドメを刺すんですよ」


「もう忘れたの? ハルアキ、この今にも死にそうな男から『絶結界』を取り出さないと、私たちは一生この中に閉じ込められてしまうのよ?」


 そうだった。怒りが先走って順序を誤っていた。いや、違うな。これだと順序が正しければ人を殺して良い事になってしまう。はあ。思考が常人から乖離していく事に空寒さを感じる。


「ふふ……」


 そこに老人のかすれた笑い声が漏れて聞こえる。全員の注目がジゲン仙者に向いた。


「ふぁっふぁっふぁっふぁっ! 青いのう。まるで新芽の如き青さよ。力は一丁前でも、心はまだまだ未成熟のようだな。あの御方も何故こんな小僧を恐れたのか」


 天井を見詰めたまま、ジゲン仙者は誰に向かってなのか言葉をこぼす。


「その、あの御方って奴に踊らされて、こんな馬鹿な計画を実行した奴が何を言う」


「ふぁっふぁっふぁっふぁっ!」


「何がおかしい?」


「恐れを知らぬと言うのは、まっこと恥を晒すに等しい愚行よの」


「恐れを成して愚行に走った奴に言われたくないね」


 嫌味に嫌味で返しても、ジゲン仙者の笑い声は止まらなかった。


「そうよな。我らは魔王ノブナガを、あの御方がたを恐れ過ぎた。そしてあの御方がたが恐れる貴様を恐れ過ぎた。だからか、斯様な愚行に逃げ込んだのだ。元より尻尾を巻いて巣穴に逃げ込み、息を潜めて事態が過ぎ去るのを待っているだけで良かったのだ。だと言うのに、我らは功を欲してしまった。魔王ノブナガと言う光を恐れながら、その光に手を伸ばそうとしてしまったのだ。ともすればお側にて奉公させては貰えぬかと」


 何を言っているのかさっぱり分からん。とりあえず、


「拘束して、さっさと『絶結界』を抜いちゃいましょう」


 俺の言葉にパジャンさんが首肯し、ジゲン仙者の横に付けて左手を伸ばしたところで、ガシッとジゲン仙者がその左手を掴んだ。


「ぐぅっ!?」


 肉の焼ける臭いが部屋に充満し、ガイツクールのボディスーツを着ていると言うのに、パジャンさんの左手がただれ落ちる。


「パジャンさん!?」


「大丈夫よ!」


 パジャンさんは直ぐ様左手のただれた傷口を、右手を水晶の剣に変えて斬り落とすと、ハイポーションを傷口に振り掛けた。復活するパジャンさんの左手。


「ふぁっふぁっふぁっふぁっ! 命灯尽きるが宿命とて、安売りするのも癪よのう。残りの瞬刻を賭して貴様らを道連れにしてやろう」


 言うや否や、ジゲン仙者がむくりと立ち上がった。その姿に今までの面影はまるでない。いるのは紫色の肌をした筋骨隆々の大男だからだ。


「何あ……」


 最後まで言わせて貰う間もなく、俺は何か強い衝撃によって、床の間から吹っ飛ばされた。


 木々を薙ぎ倒し、地面に何度も叩き付けられ、それでも勢いは止まらず、俺は気を失わないようにするのが精一杯で、ただただ吹っ飛ばされるのに任せる他なかった。


 ドッッバーーーーーンッ!!!!


 派手に砂煙が立ち昇る。その発生源は俺だ。中空に舞い上がった白い砂が、土砂降りの雨のように降ってくる。あ、これ、俺が出した白塩だ。


 と言う事は……と周囲を確認すると、確かにそこは俺たちが最初に足を踏み入れた砂地だった。城からここまでふっ飛ばされたのか。バフが掛かってなかったら確実に死んでいたな。


「痛っつつつつ……」


 立ち上がりつつ辺りを見渡せば、自衛隊員たちが驚きで目を見開いていた。そりゃあそうなるよな。すみません、すぐに立ち去ります。と言うかここで戦うのはヤバい。確実に高橋首相と自衛隊員たちが被害を受ける。


 が、相手がそんな事を考慮してくれる訳もなく、俺の『瞬間予知』がジゲン仙者の来訪を告げる。


 城に向かって『聖結界』に『清塩』に『ドブさらい』、更にアニンの黒盾でもって防御陣を構築した瞬間、


 ゴッ!!!!


 とんでもない衝撃が防御陣を襲った。ジゲン仙者の右拳だ。バフのお陰で防御陣が破壊される事態は防げたが、その衝撃と砂地と言う足元もあって、俺は防御陣ごと十メートル程後退させられた。なんて膂力だよ。さっきまでヨボヨボで今にも死にそうだっただろ?


『恐らくは『毒血』の能力を自らに投与したのだろう。『毒血』と言うのは毒にも薬にもなるらしいからな』


 とアニンの説明に納得するが、これだけの身体能力上昇だ。反動もそれ相応にあるだろう。


『だろうな。あやつは残り少ない命を使って、こちらを根絶やしに掛かってきたと見るべきだ』


 そこまでする!? あの瞬間に勝手に死んでいれば、俺たち出られなくなっていたってのに。


『そうすると外界から誰かが助けにくるかも知れんからな。殺しておく方が後顧の憂いを断てるのだろう。あのジゲンとか言う仙者、余程の小心者なのだろう。周り全てが怖くてたまらないのだ。だから殺られる前に殺る精神でこれまで生きてきたのだろう』


 はた迷惑な。勝手に一人で死んでくれれば、一族も俺たちも巻き添えを食らわなくて済んだのに。


『しかし困ったな』


「そうだな」


 とアニンに首肯を返しながら、ジゲン仙者の二撃目に耐える。


 実際に困った事態だ。バフのお陰でジゲン仙者の攻撃には耐えられるが、向こうもバフを使っているので俺の攻撃は通用しないだろう。だからと言って放っておけばジゲン仙者は勝手に死んでしまう。そうさせない為に、何とかしてこの状態のジゲン仙者を拘束し、パジャンさんに『奪取』で『絶結界』を抜いてもらわなければならない。制限時間は刻一刻と迫ってきていた。

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