第366話 影からの招待

「じゃあ、今日はありがとうございました」


 タクシーに乗り込むバヨネッタさんに頭を下げる。


「そうね。ハルアキ、おやすみ」


「はい、おやすみなさい」


 別れのあいさつを済ますと、バヨネッタさんを乗せたタクシーは夜の街へ消えていった。それを見送っているとスマホに電話が掛かってくる。またか。と思いながら画面を見るとオルさんだ。


「もしもし」


『ハルアキくんかい? 悪いねえ、歓談中に』


「いえ、今解散したところです」


『そうなの?』


 悪いですけど、オルさんたちが期待するような展開にはなりませんでしたよ。


「何か?」


 夜もそれなりに更けてきた。この時間にDMでなく電話となると、何かあったのかと勘繰りたくもなる。まさか俺とバヨネッタさんの関係の進み具合を確認する為に電話は掛けてこないだろう。


『すまない。君の塩が盗まれた』


 ビンゴか。


「塩、『清塩』ですか?」


『ああ』


「それって、バヨネッタさんが無理矢理転移扉で研究所に来た時ですか?」


「…………ああ」


 はあ。バヨネッタさ〜ん。


「状況は? どのようにして盗まれたとか分かっているんですか?」


『僕らがバヨネッタ様の対応に追われているあの時に、僕の研究室にあったものが、何者かが現れて、その何者かによって盗まれたんだ』


 ? 俺はスマホを持ち直しながら首を傾げた。


「何者か? ですか? 監視カメラに映っていなかったんですか?」


 透明人間にでも盗まれたのか?


『いや、映ってはいたが影だったんだ』


「はあ?」


 何を言っているのか良く分からない。


「それは、身体が透明で、でも影だけが監視カメラに映っていたとか?」


『いや、人型の影が僕の研究室に侵入して、君の塩を体内に吸収したかと思ったら、その場から消えたんだ』


 成程。影人間に盗まれたのか。そう聞くと、現れた。と言う表現もきな臭いな。


「その影人間は、研究室にいきなり現れたんですか?」


『いや、現れたのは研究室手前の廊下だね。廊下に観葉植物が置かれているんだけど、その影からいきなり現れた』


 となると、タカシが獲得した影移動に似たスキルかも知れないな。


『その影が人型となって、ドアを半開きにしていた僕の研究室に、手ずから開いて入ってきたんだ』


 ドアを閉め忘れていたのか。していたっけ? まあ、緊急事態にドアの開け閉めまで気を使っていられないよな。


「じゃあ、その影人間が研究室のドアを通り抜けて侵入した訳じゃあないんですね?」


『うん。そもそも僕の研究室は特別で、閉めれば自動で鍵が掛かるし、魔法で結界も展開するから、普段であれば影人間は侵入出来なかったはずなんだ』


 塩を盗んだって話だし、半開きのドアを手ずから開いて侵入したのなら、完全に閉まらないと発動しない結界だったんだな。


「他に何か盗まれた物はないんですか?」


『研究員総出で確認しているけれど、ハルアキくんの『清塩』以外は今報告は上がってきていないね』


 って事は、相手の狙いは俺の『清塩』一択だったと? 何で?


「あの研究所は両世界の研究の最先端で、それこそ浅野からもたらされたサンドボックスやデータの数々も有るのに、俺の『清塩』だけが盗まれたんですか?」


『そうなるね』


「…………。オルさん、盗んだ相手はどこだと思いますか?」


『まあ、十中八九魔王軍だろうねえ』


 だよなあ。俺が『清塩』のギフトに目覚めたのはトモノリの目の前で、その時の塩は回収せずにあそこに置いてきた。あの『清塩』をトモノリが回収し調べた結果、今回の行動に至った。と考えるのが自然な流れか。


「他国の可能性はないですかね?」


『確かに、その線は消えないけど、『清塩』だけって言うのがねえ。ハルアキくんがどう思っているかは分からないけど、僕らの中では、君は確実に聖属性だと認識されているよ。『聖結界』に『清塩』、そして今回の『ドブさらい』だ。聖属性がどんどん強化されていくハルアキくんは、魔属性だろう魔族や魔王からしたら、勇者であるシンヤくん以上に厄介な存在だろうからねえ』


 ふ〜む。そんなもんかねえ。


「でも、わざわざ盗んだって言うのが分からないですね。『清塩』を消し去るのではなく、盗んだって事は、そこに有用性を見い出したから、盗んだんですよねえ?」


『ああ、確かに。もしかしたら、中のヒーラー体が気になったのかも。もしもこれでポーションを作れる技術が魔王軍にあるなら、魔王軍からスカウトされるかもよ?』


 成程。その考えはなかったな。トモノリも俺がポーションを大量生産出来るようなら、この戦いから下りると言っていたものな。初めて『清塩』を見た時には気にならなかったけど、改めて調べてみたら、このギフトのやばさに気付いたって感じか。


『とにかく、こちらも日本政府と協力して調査するから、ハルアキくんも、地球だからって周辺には注意してね』


「はい。連絡して頂き、ありがとうございました」


 ここで電話が切れた。


 まあ、何であれ、その影人間ってのがやばいよなあ。タカシと同種のスキルだとしても、あっちは影から影に人間が移動するスキルだしなあ。確か武田さんの話だと、ああ言う移動系は基本的に自分の認知出来る範囲しか移動させられないって話だったなあ。それ以前に研究所自体にオルさんの結界が張られているから、侵入が困難か。


 となると、前々からそのスキル持ちに研究所が監視されていて、今回の騒動を好機と侵入してきた。それか影人間のスキル持ちが、バヨネッタさんが入ってきた当時、研究所内にいた。この二つの可能性が浮かび上がってくる。


 前々から監視はされていただろう。トモノリとの会話から察するに、魔王軍は地球全体に監視網を張り巡らせている。研究所もターゲットの一つだろう。でも、それならもっと前に研究所が襲われていてもおかしくない。あそこは研究データの宝庫なんだから。


 もう一つの可能性。これはこちら側に裏切り者がいると言っているようなものだ。考えたくはないが、何があるか分からないからなあ。オルさんにDM送っておこう。そうなると研究員や所員の中にいるパターンと、俺みたいに外部から入ってきたパターンとがあるよなあ。今日の入館者リストも調べて貰って。


「よう! 何しているんだ? こんな夜の街で」


 オルさんにDMを送ったところで、不意に声を掛けられて振り返ると、そこには祖父江兄妹がいた。


「ああ、二人か」


「二人か、って。何だよその驚きよう。レベル四十オーバーのやつがビビり過ぎじゃね?」


 祖父江兄の小太郎くんが煽ってくる。


「うるさいなあ。色々あったんだよ。そっちこそ何やっているんだよ?」


「俺たちか? 人探ししていたんだけど、もう良いや」


「何だそりゃ?」


「探し人は見付かったからな」


 小太郎くんがそう言う間に、百香が俺の後ろに回り込み、俺を羽交い締めにする。しまった! 知り合いだから油断していた! 小太郎くんのスキルは、


「一名様ご案なーい」


 小太郎くんの影から、巨大な影の狼の顔だけが現れ、俺を百香共々丸呑みにしたのだった。

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