第358話 クラインの壺

 どうやら俺の塩の結晶の中には、ポーションの元となるヒーラー体なるものが含まれているそうだ。なんのこっちゃ?


「じゃあ、俺の塩を舐めれば、ポーションみたいに治癒されるって訳ですか?」


「そうかも知れないねえ」


 言うや否や、オルさんは懐から折りたたみナイフを取り出し、左手の人差し指に傷を走らせた。


「何をやっているのですか!?」


 悲鳴に近い声を上げるアンリさん。その気持ちは分かる。しかしオルさん、何の躊躇いもなくそんな事が出来る人だったんだな。


 俺たちが呆気に取られている間に、塩を舐めるオルさん。しばらくジッと傷付いた指先を見詰めていたオルさんだったが、更に塩を舐めたり、先程の塩が溶けたビーカーを口にしたり、塩を傷口に塗ったりしたが、結果から言えば、アンリさんに絆創膏を貼ってもらう事になった。


「傷、治りませんでしたね」


「ううむ。サンプルが僕だけじゃあねえ。まずはラットで試してみるかなあ」


 良かった。他の研究員で試そうとしないで。そこの分別は残っていたか。


「そもそも、ヒーラー体じゃあないんじゃないですか?」


「いや、形は確かにヒーラー体だよ。ハルアキくんも見るかい?」


 とオルさんは椅子から退いて、魔導顕微鏡の前を空けてくれた。対して俺は、「それじゃあ」と顕微鏡を覗き込む。


 確かに大きさの揃っていない綺麗な塩の結晶がいくつか存在し、それを更に拡大していくと、結晶の中に壺のような物体が見えてきた。どこかで見た事がある壺だ。


「……! あれって、クラインの壺ですか!?」


 俺が振り返ってオルさんを見遣ると、満足そうに頷くオルさん。


「良く知っていたね。そう。ヒーラー体はクラインの壺のような形をしているんだ」


 ━━クラインの壺。簡単に言えばメビウスの輪の立体版だ。輪っかになったテープを切って、半回転させてくっつけ直したものがメビウスの輪なのだが、それを立体でやると、不思議な形をした壺が出来上がる。それがクラインの壺だ。


「成程。ヒーラー体がクラインの壺の形をしているなら、見間違えようはありませんね」


 俺は机に設置されたパソコンのモニターに映し出されている、ベナ草のヒーラー体と見比べながら、己の『清塩』の塩を見るが、確かに同じ形をしている。


「でも、俺の塩のヒーラー体には治癒能力はないんですよね?」


「そうとも言い切れないよ」


 勿体ないな。と思いながら顕微鏡から顔を離した俺に、オルさんはそう口にした。


「ほら、ハルアキくんって『回復』スキル持っているだろう?」


「そうですね」


 ! そうか!


「俺の『回復』がそもそもこの『清塩』由来かも知れないって事ですね!」


「そう言う事だよ!」


 言われてみれば、俺の『回復』は異様に回復力が高い。レベルアップのお陰であれだけの回復力が手に入っていたのかと思っていたが、バヨネッタさんたちに聞いても、俺の回復力は高いそうだ。となると、その結果には何かしらの原因がなければ説明出来ない。それが今回判明した俺の第三のギフト、『清塩』ではないかと言うのが、オルさんの推測なのだ。


「と言う訳で、ハルアキくん!」


「分かりました」


 俺はシャーレを差し出すオルさんに首肯して、指先をアニンの黒刃で切り付ける。そしてシャーレにしたたる俺の血。


「いや、分かりました。じゃないですよ! ハルアキくんまで、何を自分の身体を傷付けているんですか!?」


 驚きとともに当然のツッコミを入れてくるアンリさん。


「ほら、俺の回復力が『清塩』由来なのだとしたら、俺の細胞にもヒーラー体が存在しているかも知れないじゃないですか?」


「はあ……?」


 アンリさん的にはあまりピンときていないようだ。


「むしろハルアキくんの細胞にヒーラー体が存在していたから、『清塩』や『回復』が発現した可能性も大いにある」


 とオルさん。確かに。そっちの可能性もあるか。なら、うちの家族にもヒーラー体が? 確かミトコンドリアって母系遺伝だったはず。となると、同じく細胞小器官のヒーラー体だ、母さんとカナがこれを持っている可能性が高いな。


「何であれ、自傷は好ましくありません。唾液じゃ駄目だったんですか?」


「あ」


「あ」


 アンリさんの冷静な指摘に、俺とオルさんは思わず顔を見合わせたのだった。



「当たりだ」


 気を取り直して魔導顕微鏡で俺の血液を調べていたオルさんだったが、どうやら俺の血液細胞の中から、ヒーラー体を見付ける事に成功したようだ。


「細胞内での数は塩の時よりも更に少ないが、ハルアキくんの細胞一つ一つの中にも、ヒーラー体が存在する」


 顕微鏡から顔を上げたオルさんとバトンタッチするようにして顕微鏡を覗き込むと、確かに、俺の細胞の中にクラインの壺が見て取れた。


「しかし、こんなのが人体の中に存在するんだったら、どうして今まで学会なんかで発表されなかったんだろう?」


「確かにねえ。血液を調べると言うのは、地球では良くある事のようだし、他者と違う血液なら、知られていても不思議じゃあないよねえ」


 そう言えば武田さんの『空識』でも、俺の第三のギフトは『???』になっていたっけ。と言う事は、


「もしかして、ギフトやスキルが発現しないと、ヒーラー体は細胞内に現れない……?」


「どう言う事だい?」


「地球だと魔物がいないので、地球人全員レベル一で一生終わる訳じゃないですか。もし、このヒーラー体が、なんらかの要因でギフトやスキルが発現しないと、ヒーラー体の形を取らず、細胞内液に溶け込んでいるのだとしたら……」


「それなら、今まで地球人が見付けられずにきた事も納得出来るねえ」


 俺の意見にオルさんが頷いてくれた。完全に俺の憶測でしかないけど、良い線いっている気はする。


「しかしこうなってくると、比較する意味でも、出来るだけ多くの人の、スキルを持つ前と持った後の細胞が欲しくなってくるねえ」


「あはは、確かに。ヒーラー体以外の発見も色々ありそうです。他にも特殊な細胞小器官が見付かったり、DNAに変化が見られたり」


「ワクワクしてくるねえ」


 こうしてオルさんと男二人であーだこーだと話し込んでいたら、いつの間にやら夜になっていた。

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