第291話 名前

「お前何やっているの?」


「やめろ。今の俺をツンツンするんじゃない」


 魔物がいなくなったからだろう。シンヤや武田さんたちが俺のところまで来てくれたのだが、四つん這いの俺の姿を見るなり、武田さんが近付いてきてツンツンしてきた。地味に堪えるからマジでやめて欲しい。


「俺の事は良いんです。そんな事より、上階への階段は見つかったんですか?」


 全員が目を逸らす。シンヤや武田さんたちだけでなく、リットーさんやゼラン仙者まで。どうやら誰一人見付けられなかったようだ。


「これからどうしましょう? やっぱりこの塔破壊します?」


「どうかしらね」


 俺が全員に今後の行動をどうするか尋ねると、バヨネッタさんは腕を組んで悩ましげだ。


「まあ、一階に十万人の人間がいますから、躊躇うのも分かります。けどそれは、国連の治安維持軍を動員すれば、脱出させる事も難しくないでしょう」


「それはそうでしょうね」


 懸念しているのはそこじゃないのか。


「一階の人間たちの保護なら、もう治安維持軍に指示出してあるぞ」


 と話に割り込んできたのは武田さんだ。


「え? 本当ですか?」


「当たり前だろ。このカロエルの塔では何が起こるか分からないんだ。そんな場所に非戦闘員を放ったらかしになんてしておけるかよ」


 武田さん、マジ勇者。でもこの気持ちは心に仕舞って、口には出さないけど。


「じゃあ、時間は掛かるでしょうけど、非戦闘員の保護はオーケーって事で。それで、バヨネッタさんは何をそんなに心配しているんですか?」


 俺の質問に、バヨネッタさんは夜空を見上げて嘆息した。


「この塔、多分人間では壊せないわ」


「壊せない、ですか?」


「そうよ。恐らく向こうの世界で言えば、古代文明レベルの建築物ね。吸血神殿であるとか、カヌスの設計した要塞であるとか、いえ、それ以上のレベルかも知れない」


 そうなのか?


「ドミニクがスキルで創造した物じゃあないんですか?」


「ドミニクではないわね。ハルアキの話では、この塔は建国と同時に建っていたのよね?」


「そうです」


「ならその当時ドミニクもレベル一だったはずよ。レベル一でこれだけの規模の建物が造れると思う?」


 確かに。言われて見ればレベル一の人間に、十万人を収容出来る魔法の塔を建築出来るとは思えない。何かしら別の力で出来た塔だと考えた方が合点がいくな。


「じゃあ、壊すって案はなしですね」


「なしと言うより出来ないのよ。周囲を見てみなさい。さっきの爆発で破壊されたのは、木々や建物などの上物うわものだけで、実際の塔には傷一つ付いてないわ」


 バヨネッタさんの説明に驚いた俺は、黒焦げの地面を、熱い熱いと言いながら数回掘り返してみた。黒く灼けた土の下から出てきたのは、確かに傷一つ付いていない、まっさらな塔の床面だった。


 成程、あれだけの大爆発で傷一つ付いてないとなると、中々に厄介な塔のようだ。トゥインクルステッキで傷を付ける事は可能かも知れないが、バヨネッタさんが無理と明言しているのだから、本当に無理なのだろう。


「それだと、この階に来た時に魔物たちが襲ってこなかったのは、何だったんですかね?」


「上物は壊れるみたいだし、聖堂自体は壊れるのかも知れないわね。上ってきた非常階段も壊れそうだったし、壊れる物と壊れない物が混在しているんでしょう」


 成程。多分塔を構築する構造材なんかが、壊せない物で出来ているのだろうな。


「それは分かりました。であれば尚更上階への階段を見付けないと、上に進めないって事ですか?」


「そうなるわね」


 とバヨネッタさんは未だに夜空を見上げて上の空の返事だ。あれは思考停止しているのか、何か考えを巡らせているのか。とりあえず放置しておこう。


「そう言えばこの塔って、カロエルの塔って言うんですね」


 なんかどこかにヒントが隠れていないかと、武田さんに話を振ってみた。


「知らなかったのかよ? 敵の居城だぞ?」


 信じられないものを見るような目で、俺を見ないでください。


「僕でも知っていたよ?」


 シンヤまで!? 裏切り者め! 塔の名前なんて、普通気にするかな? まあでも、東京タワーやスカイツリー、エッフェル塔やブルジュ・ハリファも、知られていなかったら可哀想かも。ブルジュ・ハリファはビルか。


「カロエルって何すか?」


 武田さんにめっちゃ溜息吐かれた。


「このアンゲルスタにたどり着いた十万人を、隕石の衝突から救った天使の名前だよ」


 俺が可哀想になったのかな? シンヤが同情の視線を向けながら説明してくれた。


「へえ、天使って名前あったんだな」


 俺のこの発言は相当な失言だったらしい。全員が目をかっ開いて信じられないって顔でこちらを見てきた。


「いや、そりゃああるだろ? って言うか、工藤だって天使に助けられたんだろう? その時に尋ねなかったのか? 名前」


「聞きませんでしたね」


 そんな、固まる程驚かなくても良くない? うん、そうだね。俺の常識が欠如していたかもね。普通は何者か尋ねるものかも知れない。


「いやあ、なんだろうなあ、そう言う雰囲気じゃあなかったって言うか……。シンヤは? シンヤも俺たちの事故の原因のあの天使の名前知らないよな?」


「ネオトロンって答えてくれたけど?」


 くっ、知っていやがった! これじゃあ俺が馬鹿みたいじゃないか!


『ハルアキが馬鹿なのは、今に始まった事じゃないだろう』


 アニンよ。口に出していないのだから、いちいちツッコミ入れるなよ。


『それは失敬』


 はあああああ。四つん這いで恥の上塗りとか、情けなくて穴があったら入りたい。


『この塔は穴が掘れぬ程に硬いがな』


 ぐぬぬ、アニンめ。


「分かったわ」


 そこにバヨネッタさんの声が降ってきた。俺はアニンに文句を言うのを中止して、バヨネッタさんに四つん這いのまま向き直る。


「何が分かったんですか?」


 俺が尋ねると、無言で天頂の月を指差すバヨネッタさん。全員の視線が自然と月に向かっていた。


「あの月。多分、あれが次の階層に進む鍵なんじゃないかしら?」


「ほう? 何故、そう思う? 確かに室内に夜空があるのはふざけた話だが、だからと言ってあの月だけが別段不自然な訳でもないだろう?」


「いいえ。不自然よ」


 ゼラン仙者に対して、そう断言するバヨネッタさんに釣られて、俺たちはもう一度月を見上げた。


「成程、不自然だな」


 どうやらゼラン仙者はその不自然さに気付いたらしい。俺を含めた他の人たちはまるで分からなかったが。武田さんは分かれよ。とも思ったが、この人、『空識』がなきゃただの人だった。


「あのう、二人だけ分かられても、こっちはさっぱりなんですけど?」


 俺の言に、バヨネッタさんとゼラン仙者が嘆息する。


「もう少し観察眼を磨きなさい」


「すみません。それで……」


「はあ。あの天頂の月だけ動いていないのよ」


「動いていない、ですか? でもこの夜空も擬似的なものですよ?」


「それでも看過出来ないレベルで違和感を覚える代物よ。他の星々は少しずつ動いているのに、あの月だけ、お飾りのように天頂に貼り付いている」


 そうなんだ。きっとカメラのシャッタースピードを遅くして、露光時間を長くとってみたら、周りの星々は動いているのに、あの月だけは動いていないんだろうなあ。


「で、どうする?」


「私は嫌よ」


「はあ、だろうな。私だって嫌だ」


 バヨネッタさんとゼラン仙者が、何やらなすりつけ合っている。なんなの?


「かーっはっはっはっ!! そんなに嫌がるな! ならば私が連れていこう!」


 そこにリットーさんが割り込んで仲裁した。


「そうか、頼むぞリットー」


「お任せするわ」


 何が何だか分からないが、二人がリットーさんに任せる感じで決着したらしい。


「行くぞ! セクシーマン! ゼストルスに乗れ!」


「俺の処遇で言い争っていたのかよ!」


 分からんでもない。

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