第251話 鍋を以て毒を制す

「しかし、改めて見回しても…………カオスだな」


 俺と武田は、ストーノ教皇とは別の卓に移り、鍋屋中を見回す。オルドランド、エルルランド、パジャンにモーハルドと、異世界四国の国家元首が、それぞれの卓で日本、アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスの政府の長と鍋をつついている姿に、武田は惚けた顔で寝惚けた事を口にする。


「誰のせいでこうなったと思っているんですか?」


「俺のせいなのか?」


「まあ、半分はラシンシャ天のせいですけど」


「ハルアキ、一回その舌引き抜こうか」


 俺が軽々に口にした事に、別卓のラシンシャ天がつぶさに反応する。


「天は俺の事なんて気にせずに、外交に勤しんでいてください」


「ハルアキがヒドいのだが?」


 横の毒見役の女官に愚痴るラシンシャ天。それを受けた女官が、ラシンシャ天に一礼してからこちらの卓にやって来た。なんだろう?


「ハルアキくん、こちらはパジャンで作られているひしおです。是非試してみてください」


 そう言って女官さんが『空間庫』から出したのは、陶器の小瓶であった。このタイミングで? でもパジャンの調味料か。興味あるかも。フタを開けると、濃い茶色の液体が中に収められており、少し揺らせばトロリとしている。匂いを嗅ぐと、軽い発酵臭が鼻を通った。


「デムダンと言います。お試しください」


「…………いや、デムダンって毒じゃないですか。俺騙されませんよ?」


 俺がそう返すと、毒見役の女官は横を向いて舌打ちした。アニンのお陰でパジャン語には明るいのだ。騙されたりとかしないから。


「いきなり初手で殺しに掛からないでくださいよ」


「ハルアキくん。私はあなたが嫌いなのです。出会って早々に天から友人認定されたあなたが、私は妬ましくて仕方ありません。なのでこの毒で死んでください」


「嫌ですよ」


 いきなり毒で殺しにくるし、いきなり嫌い発言するし、いきなり死んでくださいとか、何もかもがいきなり過ぎる。


「とりあえず、この国では毒物劇物の類いは、取り締まりの対象なので、こんな公衆の、しかも国のトップが集まっている場所で出さないでください」


 国のトップたちが明らかに引いているし、その周りのSPや武官たちが警戒レベルを引き上げたのが分かる。


「そうですか。天を侮辱したあなたを殺す、絶好の機会だと思ったのですが」


 そう呟いて、毒見役の女官は毒の入った小瓶を『空間庫』に戻す。


「全く何を考えているのやら」


 俺が嘆息していると、武田が余計な事を口にした。


「でも毒物及び劇物取締法って確か、毒物劇物は別表で指定されていたはずだから、そもそも異世界の毒は所持していても対象外なんじゃないか?」


「ほほう」


 それを聞いて、もう一度毒の小瓶を取り出す女官さん。


「だからってこの場で毒殺とかありえないから!」


「ふっはっはっはっはっ!! イールー、ハルアキを揶揄からかうのもそのくらいにしてやれ」


「はい」


 ラシンシャ天にたしなめられた女官は、スッと俺たちの前から引いて、何食わぬ顔でラシンシャ天の後ろへと戻っていった。ヤバいなあの人。流石はあのラシンシャ天に付いているだけある。


「これに懲りたら、もう少し口の聞き方に気を付けろよハルアキ」


 とラシンシャ天からのありがたい忠告。そう言われてもなあ。


「納得出来ないって顔だな?」


 う〜ん。すぐに顔に出る我が身が恨めしい。


「トップ会談の前段階の打ち合わせに、いきなりトップ登場ですからねえ、日程調整やら何やら、滅茶苦茶なんですよ」


「昨日のあれなら、余が出向いた時点で、既に滅茶苦茶だったと思うが?」


 まあ、確かに。モーハルドの使者が無理難題を口走っていたようだし。それはそうなんですけど。


「それによって、オルドランド、エルルランド、モーハルドの三国から、国家元首が出てこざるを得なくなりましたから。他国の国家元首は、ラシンシャ天と違って暇じゃあないんですよ?」


「余だって暇ではない」


 どんな冗談だよ。


「良し。イールー、殺れ」


「ちょっ!? 毒殺とか勘弁してください!!」


『空間庫』から小瓶を取り出そうとする女官の、真面目な顔に冷や汗が止まらない。


「ハルアキよ。余は暇ではない。なので短い時間で最大の効果をもたらすように動いただけなのだ」


 はいはい。そう言う事にしておきます。絶対面白そうだから首を突っ込んだだけだよなあ。


「余も、ハルアキとこのように早くに再会出来て嬉しいぞ」


「ありがとうございます陛下」


 別卓を囲んでいたジョンポチ帝が嬉しい事を言ってくれた。その幼い笑顔に心洗われる。守りたいその笑顔。


「オルドランドの帝からも慕われているのか?」


 俺の対面に座る武田が、驚きで目を見開いて言葉をこぼす。


「はあ、まあ。旅の流れで」


「どんな旅だよ?」


 本当にどんな旅なんでしょうねえ。


「しかし、『あの』西と東の二大国家、オルドランドとパジャンの長と、普通に会話とか、訳分からんな」


 腕を組んで考え込む武田。それにしても、『あの』ねえ。


「まあ、五十年前とは情勢がまるで違うと言う事ですよ」


 俺はちらりとモーハルド勢の卓を見遣る。それで武田も察したようだ。一つ深く頷いた。


「まあ、異世界勢が国家元首を出してきたのは、ラシンシャ天が出張ってきたのが大きいですけど、国連常任理事国が動いたのは、完全に武田さんきっかけなんですから、責任くらいは感じてくださいよね?」


「俺きっかけって、もしかしてあの記事か?」


 俺は深く首肯する。


「マジか……」


 そうこぼして、武田は口を押さえてニヤついた。いや、ニヤニヤしてんじゃねえよ。責任を感じろって言ってんだよ。


「武田さん」


「お、おう」


 低いところから俺が声を発した事で、武田のニヤけ面が多少引き締まった。


「武田さんだって大学の政経サークルに所属していたなら、サミットなんて大掛かりなイベントを成功させる為に、その国の官僚たちが、国の威信を賭けて何年も前から準備している事くらい知っていますよねえ?」


 俺の怒気に触れ、武田は声を発する事なく、コクコクと頷くばかりだ。


「それが今回の案件、あなたにすっぱ抜かれたせいで、俺たちは実質ゼロ日で今回の世界⇔異世界サミットを実現しなくちゃならなくなりました。いったいどれだけの官僚たちが、寝ずの準備を強いられた事か」


「すみません」


 しゅんとしているが、本当に反省しているのだろうか?


「しかし、いくら時間がなかったからと言って、鍋屋でサミット開かなくても良かったんじゃないか?」


 武田は店内をぐるりと見回し、またも惚けた事をこぼした。


「どうやら前線から離れ過ぎたせいで、感覚が鈍っているようですねえ」


 俺の言葉に、武田はどう言う事かと目を細めた。


「何の為に、異世界勢が毒見役を側に置いていると思っているんですか?」


 パジャンのラシンシャ天がイールーと言う女官を側に置いているように、オルドランドのジョンポチ帝がソダル翁を側に置いているように、エルルランドのマリジール公も、モーハルドのストーノ教皇も、その側に毒見役を置いていた。


「成程、それで鍋か」


 俺は首肯した。鍋料理は多数の人間が一つの鍋をつついて、食を共有する料理だ。ここに毒を仕込んだりすれば、自国の長までをも殺す事になる。実は鍋料理は毒対策には有用な料理なのである。


「まるで中世の乾杯だな」


 中世ヨーロッパでは酒席での毒殺が横行した為、乾杯の際に互いの酒杯を打ち鳴らし、その衝撃で中身が互いの酒杯を行き来するようにして、毒殺を防いでいたとかなんとか。まあ、確かに似たようなものかも。


「そう考えると、このサミットも中々ヒリついて見えてくるでしょう?」


 俺の言葉に武田が首肯する。俺たちの周りでは、地球と異世界、その各国のトップが鍋を囲って話し合いをしていた。

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