第237話 味噌汁
項垂れ、涙を流すゼラン仙者を、ホッとした表情のバヨネッタさんが、賭けの賞品を自身の『宝物庫』に入れる。既にドロケイは二十五戦目を終え、戦いは一進一退、ドロケイならぬ泥沼の様相を呈してきた。
(これは夜通しドロケイやっていそうだなあ)
窓からは月光が差し込んでいる。いつの間にやら夜となり、その夜も遅くなってきた。
(まあ、パジャンにやってくる。と言う第一目的は達した訳だし、向こうでは冬休みも終わりだ。ここらで俺は一旦帰られせて貰おうかな)
だがその前に、横の人をどうしようか? バヨネッタさんとゼラン仙者? 誰だいそれは? 俺の眼前で
塩をつまみに酒を飲む人がいるとは聞いた事があるが、調味料をつまみに酒を飲む人がいるとは思わなかった。しかもそれが大国の長ともなると、注意するのもはばかられる。醤油を気に入ってくれたのは嬉しいが、流石に醤油をつまみにペロペロしているのは外聞が悪いし、身体にも良くないだろう。
「ラシンシャ天、『はしたない』って言葉、知っています?」
「ハルアキよ、それをパジャンの天に向かって言う事が、天に唾する行為であると分かっていない訳じゃあないよな?」
半眼で俺がそれとなく口にすると、首を斬るぞ。と脅された。
「後ろの女官さんたちも頷いていましたが?」
ラシンシャ天が振り返ると、女官さんたちは一斉に明後日の方を向いた。コントかな? ここで笑ったら本当に首と胴がさよならしそうだけど。
「酒はここまでで良いですか?」
「ケチだなハルアキは」
「ケチと言うか、手持ちの酒が底を突いたんですよ。元々試供品ですから、数を持ち合わせてこなかったんです」
「準備が足らんなあ」
「申し訳ない」
「許す。から次はもっと大量に持ってこい」
ふむふむ。ここでパジャンも米を作っているのですから、自国で日本酒を作ってみてはどうですか? と聞くのは多分商売的に駄目なんだろう。パジャンにはパジャンのお酒(赤酒、黒酒)がある訳だし、そちらを伸ばす方向で突き進んで貰いたい。そうすればパジャンと日本で交易が生まれる。
「分かりました。数とバリエーションを揃えてお持ちします」
「うむ。醤油も忘れるなよ」
「そうですね。醤油も地方で色々ありますから」
「そうなのか?」
「はい。濃口、
「ふむ。それは面白そうだ」
「大豆は万能ですからねえ、調味料にもなれば、食品にもお菓子にもなりますから」
「ふむ、そうなのか?」
興味津々だな。ここは一つ、もう片方の調味料も薦めてみるか。
「実は大豆は、醤油以外にも味噌と言う調味料にもなるのです」
「何だと!?」
見事なくらいに驚いてくれるなあ。
「なのでラシンシャ天には是非、醤油だけでなく、味噌も試して頂きたい」
「ふむ。それは確かにその通りだな」
深く頷いてくれるラシンシャ天。その向こうで女官たちが溜息を吐いているのは、見なかった事にして、俺はパックの味噌汁の素を取り出すと、封を開ける。
「むむ。何だか臭いな」
「本当に食べ物なんですか?」
鼻を摘むラシンシャ天。毒見役の女官は顔をしかめる。匂いは不評だった。良い匂いだと感じるのは、日本人だからだろうか?
「これはどうやって食すのだ?」
尋ねるラシンシャ天には答えず、俺は椀の中に味噌汁の素とフリーズドライのかやくを入れると、妖精にお湯を持ってきて貰って、そこへ注いだ。
「ふむ。臭いが和らいだな」
味噌汁くらいの匂いだったら、問題ないようだ。こうして出来上がった味噌汁を、毒見役の女官に渡す。
女官はこれをフーフー冷ましながら一口飲んだ。
「どうだ?」
「……美味しいです」
この女官、どれを食べても「美味しいです」って言うな。嫌いな食べ物とかないのかな? そんなのあったら毒見役なんてやれないか。
「そうか」
と女官から椀を渡されたラシンシャ天は、味噌汁をすする。今回は唐揚げのように熱がる事はなかった。ラシンシャ天が学習したのか、毒見役がフーフーしたからなのか、妖精が持ってきたお湯が適温だったのか。まあ、何でも良いか。
「確かに優しい味だな。身体が温まる。いや、心が温まると表現するのが正しい気がするな」
それはそうかも。分かる気がするな。味噌って、ホッとする味なんだよなあ。
「この白くて四角形の食べ物は何だ? 不思議な食感だな」
「豆腐と言う食べ物です。大豆から出来ています」
不思議な食感なのはフリーズドライだからだ。フリーズドライの豆腐って高野豆腐っぽくなるよねえ。
「この黄色くてスカスカで、味噌の味が染みているのは何だ?」
「油揚げです。豆腐を薄く切って揚げたもので、やはり大豆から出来ています」
「大豆ばかりではないか!?」
その通り。だから豆腐と油揚げを具に選んだのだ。これだけ酒を飲んだのならば、しじみ汁でも良かったのだが、ここは大豆を推すと言う事で、豆腐と油揚げにさせて頂いた。
「まさかこの緑でヒラヒラしているものも、大豆だと言うのではなかろうな?」
「それはワカメと言う海藻です」
ワカメは大体どんな味噌汁の素にも入っているからなあ。
「しかし大豆、侮れんな」
ラシンシャ天は豆腐と油揚げが入った味噌汁の椀を覗きながら、う〜む。と唸り声を上げていた。
さて、アピールはこれで十分だろうか。俺は本格的にそろそろお暇したい。俺は毒見役の女官に俺が持っている醤油と味噌汁の素を渡すと、味噌汁の作り方を教える。
「それでは皆様、私はそろそろお暇させて頂きたいのですが……」
「ほう。そう言えばもう夜だな。おい、寝所の用意をしてやれ」
とゼラン仙者が妖精に命令を出す。
「いえ、寝所の用意は必要ありません」
「ん?」
「私はこれで帰らせて頂きますから」
と転移門を出そうとしたところで、それが出せない事に気付いた。
「帰る? どこに帰るのだ?」
首を傾げるゼラン仙者の横で、バヨネッタさんが嘆息している。
「ハルアキ、ここはダンジョンの中にいるのと同じだから、あなたの転移門は出せないわよ。日本に帰りたいのなら、トホウ山を出てから転移門を開くのね」
ああ、そう言う仕様なのか。確かに、結界で守られている聖域なんだから、その中を転移門で自由に行き来出来たら問題だよなあ。
「では改めまして。私はこれにて失礼させて頂きます」
俺が頭を垂れ、その場を辞そうとしたら、袖を引っ張る人がいた。ラシンシャ天だ。
「異世界か! 面白そうだな!」
ええええ!? このパターンなの!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます