第207話 胸の奥に押し込めたんだ
三人から了承を貰ったところで、俺はシンヤに向き直る。
「さてシンヤ。賠償金を立て替えたからって訳じゃないが、一つ、俺のお願いを聞いてはくれないだろうか?」
俺の声のトーンからか、それとも真剣な顔をしていたのか、ホッとしていたシンヤも、俺に向き合い真面目に頷き返す。
「ここらで一度、日本に帰って見ないか?」
「へ?」
シンヤの口から間抜けな声が漏れた。
「いやいやいや、ちょっと待ってくれ。え? ここ本当に地球なの? 日本なの?」
俺は首を横に振るう。
「いいや、ここはエルルランド公国と言う、オルドランドの西にある国の、デレダ迷宮と言うダンジョンの中だ」
「オルドランドの西!? パジャンのある大陸でさえないのか!?」
俺が首肯すると、シンヤは頭を抱えていた。まあ、自分がそれだけ遠いところに来た実感はないだろうからなあ。それより遠い地球から、俺は通っている訳だが。
「いや待ってくれ。ここがオルドランドのある大陸だと言うなら、百歩譲って納得も出来る。でもそれなら、ハルアキはなんでここにいるんだ? ハルアキも異世界転移なり転生なりして、こっちの世界に来たんじゃないのか?」
それに対して俺は首を横に振った。
「俺があの事故を引き起こした天使に叶えて貰った願いは、異世界と地球を、何度でも往復出来る能力だ。これを頼めば、お手軽に異世界を楽しめて、ヤバくなればすぐ戻ってくれば良い。と思っていたんだ」
実際には、そんな都合良くならなかったけど。
「そんな……、そんな抜け道みたいのがあったのか」
シンヤは俺の話を聞いて、ジッと床を見詰めていた。
「俺はちょっと異世界に行きたかっただけだ。シンヤはがっつり異世界に浸かりたかったんじゃないのか? だから勇者として異世界に転移したんだろう? 後悔しているのか?」
「…………ないと言ったら嘘になるよ。この一年、色々あったからね」
まあ、そうだろうなあ。何せ俺との再会は敵に操られていた状態だったからなあ。他にも色々苦労したんだろう。
「でもそれはさ、それは、もう、日本に戻れないと思っていたから飲み込めたものだったんだよ。それが、それが今更、友達がやって来て、日本に帰してあげますよ。って言われても……」
「ご家族も心配しているぞ?」
俺の言葉にバッと顔を上げたシンヤだったが、複雑な感情をその表情に乗せ、また俯いてしまった。
「心配しているって? どうかなあ?」
「はあ。シンヤはさあ、異世界転移だっただろう?」
俺の質問に、俯いたまま首肯するシンヤ。
「だから、遺体が向こうに残らなかったんだ。今でも、シンヤは日本では行方不明扱いなんだよ。だから一条議員もご家族も、今でも駅前で少しでも手掛かりが手に入らないかって、ビラ配りしているよ」
シンヤはそれを聞いて身体を震わせた。
「信じられないな。お母さんやお姉ちゃんたちは分かるけど、お父さんがビラ配りしているだなんて、有権者相手の点数稼ぎじゃないのか」
ポカッ。
とりあえずゲンコツを与えておく。
「点数稼ぎなんかで、一年間毎日のようにビラ配りなんて出来ねえよ」
「……………………ごめん」
それだけ口にしたシンヤが見詰める床に、ぽたりぽたりと雫がこぼれる。
「一旦帰るくらい良いだろ? 戦ったから分かるよ。シンヤがこれまでどんだけ頑張ってきたのか。ちょっと帰ったって、誰も文句言わないさ」
俺は帰るように促すが、シンヤは首を左右に動かした。
「帰れない。帰れないよッ」
「何でだよ? パジャンって国は、そんなに締め付けの厳しい国なのか? 勇者に一日でも休ませないつもりか? 勇者は、シンヤは道具じゃないだろう?」
「そうじゃない。そうじゃないんだよ、ハルアキ」
「何が違うって言うんだ?」
「僕は、人を殺してしまったんだ」
その一言に、俺は絶句してしまった。
「戦いの中、魔王軍に与した人間を、僕は明確に殺そうと意志を持って殺したんだ」
「…………」
「…………」
重たい空気に場が包まれる。何か言ってやりたいのに、何も言葉が出てこない。なぜなら、俺はまだシンヤの域にたどり着いていないからだ。そして、俺ももしかしたらシンヤと同様の答えを出すかも知れない。
仕事の関係上、日本と異世界を往復する事には変わりないだろうが、恐らく俺は人を一人でも殺めたら、学校を辞めて、家からも距離を取り、一人暮らしでもして、あまり日本側の人間とは接触しないような、そんな生き方に変わる気がする。
俺はシンヤに、そんな自分の未来を重ねていた。
「何それ? なんでそんな事で家族に会えないのよ?」
まるで理解出来ない。と言わんばかりに、バヨネッタさんが口を挟んできた。
「ちょっ、バヨネッタさん、今はやめてください」
「人を殺した? 殺したのは敵でしょう? 正当な理由で人を殺したんでしょう? そいつを見逃したりすれば、多くの人命が失われたかも知れないのでしょう? なら胸を張りなさい勇者! あなたは何も間違った事はしていないのよ!」
バヨネッタさんの言葉が俺に響いた。そしてシンヤにも響いたようだ。シンヤは堰を切ったように大粒の涙をボロボロと、止め処なく流すのだった。それは今まで誰にも吐露出来なかった、言葉に出来ない気持ちが、涙と言う形で発現しているかのように俺には見えた。
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