第188話 化ける

「リットー、あなたまだあの吸血鬼を追い掛けていたの?」


 廊下で立ち話もなんだろう、と一旦バヨネッタさんの部屋まで戻ってきて、リットーさんが経緯を話すや否や、バヨネッタさんが呆れながらリットーさんの言葉を遮った。


「ハルアキの話では、坩堝のフタも開けているようだし、弱いとは思えないのだけれど、どうしてそんなに苦戦しているの?」


 膝に乗せたミデンを撫でながら、バヨネッタさんがリットーさんに尋ねる。対するリットーさんは何ともバツが悪そうだ。


「ザイエイルのルークマン遺跡まで奴を追い詰めたのだが、そこで予期せぬものを掘り起こしてしまってな!」


「ザイエイル、ですか?」


 場所の想像がつかない。と俺が首を捻っていると、


「ザイエイルはエルルランドの北西で、ジャガラガの西から北にかけて広がっている国だね」


 とオルさんが教えてくれた。ほう、そうなのか。


「それで? 遺跡で古代の兵器でも発見してしまったの?」


 話の腰を折ってしまった俺の代わりに、バヨネッタさんが続きを聞いてくれた。


「同じようなものだ!」


 リットーさんはそう答えながら、俺やバンジョーさんに視線を向ける。まさか?


「遺跡で見付かったのは化神族だった!」


 リットーさんの言葉に、部屋にいた全員が重い溜息を吐いた。成程、あの狂人が更に狂った力を手に入れてしまった訳か。ウルドゥラの事だ、俺のようにアニンの力に抵抗しようだとか、仲良くしていこうなんて考えず、己の欲望の赴くままにその化神族の力を飲み込み、飲み込まれ、リットーさんでも手を焼くナニカに変貌してしまったのだろう。


「それは、困った事態ね。そんな化け物が、エルルランドにやって来ているなんて。その事、マリジール公には正確に説明したのよね?」


 バヨネッタさんの質問に首肯するリットー。


「オラコラ殿も私の意見に同意してくれてな! 一緒になってマリジール公を説得してくれたのだが、結果は駄目だった!」


「意外ね。オラコラにはデレデレな感じに見えたけど、国を背負う立場もあるし、軽々に判断はくださないタイプなのね」


「なんでも、デレダ迷宮に入れるのは、国が認めた国選探求者だけなのだとか!」


「デレダ迷宮に入り込んだなんて言ったの!? リットー、あなたねえ、嘘を吐くにしてももう少しマシな嘘があったでしょう?」


 驚いて声を荒げるバヨネッタさん。思わず椅子から立ち上がろうとして、ミデンが膝からずり落ちそうになった。


「嘘ではない!」


「あり得ないわ。あそこは神代からこの地に存在する迷宮で、その入口は一つしかなく、この地を治める三公の許可を得た人物のみが三公の立ち会いの下に入れる迷宮なのよ?」


 どうやらデレダ迷宮と言うのは、入るだけでも一苦労する場所らしい。


「何故信じられないのだ!? そもそもベフメの吸血神殿の時だってそうだ! 奴はどうやって入り込んだ!? ベフメの街を抜け出した時だってそうだ! 奴は簡単に街を抜けて行っただろう!?」


 そう言われてみれば確かに。ベフメの吸血神殿も、挑戦者から金を取って経営しているのだから、記名か何かしているだろう。ベフメの街からは、まるで当然のように出立していたし、思い返せば違和感がある。


「あれは奴のスキル『認識阻害』の力によるものだ」


 スキル『認識阻害』。成程、それならベフメの街での事は合点がいく。


「例えそのスキルを持っていたとしても無理ね」


 リットーさんの主張を、バヨネッタさんは簡単に斬り捨てた。


「あそこは別に衛士によって入口が守られているだけの場所じゃないのよ。門に暗号錠が付けられているの。例え『認識阻害』で衛士の守りを突破出来たとしても、十ある門の暗号錠を解かなければならないのよ? ウルドゥラはそんなに頭の良い奴なの?」


 暗号錠か。それは確かに難しそうだなあ。リットーさんも、警告はマリジール公に発しただろうし、マリジール公にしても錠が開けられていないか、衛士たちに確認はさせたはずで、それで何もなかったからリットーさんをデレダ迷宮に入れないのだろう。


「忘れていないか!? 魔女殿、今の奴は化神族と一心同体となっているのだぞ!?」


 リットーさんに言われてハッとするバヨネッタさん。確かに俺も、初めて『闇命の鎧』をまとった時、ボロボロだった身体が、強化された『回復』スキルで治ったりしてたっけ。でもだからって、『認識阻害』が強化されたからってどうなるんだ?


「今のウルドゥラには、世界さえも騙される!」


 どういう事?


「つまり、世界を構成する法則さえも捻じ曲げる。と言う事かい?」


 意味が分からない俺の代わりに、オルさんがリットーさんに尋ねてくれた。それに首肯するリットーさんだが、俺はまだ意味を理解出来ていない。


「壁に向かって歩いていけば、ぶつかるのが世界の法則なら、ウルドゥラの『認識阻害』なら壁を騙して通り抜ける事が可能と言う事だよ」


 訳が分からず首を捻っていた俺に、オルさんが教えてくれた。成程、そう言う事か。それはつまりどんな堅牢な門や暗号錠も、ウルドゥラは無視してすり抜けて行けるって事か。


「本当なら、ヤバいですね」


 今現在デレダ迷宮に何人の国選探求者が入っているのか知らないけれど、その人たちが命の危機にされされている可能性は高そうだ。


「その話、マリジール公にはしたの?」


「ああ! だが、やはり三公で決定しなければ、デレダ迷宮には入らせる事は出来ないと言われてしまったよ!」


 リットーさんの言葉に、部屋は重い空気に包まれた。手を伸ばせば助けられるのに、法のせいでそれが出来ないと言うのはもどかしい。だけどそもそも法も人間を守る為の装置だ。そこを突き崩しては、今後の為に良くないのも分かる。


 まんじりとした時間が部屋に流れるのを断ち切るように、部屋の扉がノックされた。


「誰?」


「私よ、ティティ」


 扉の向こうからオラコラさんの声がした。それに対して、バヨネッタさんと視線を交わしたアンリさんが扉を開ける。


「ティティと呼ばないで。と何度言ったら分かるのかしら?」


「私からしたらティティはティティよ」


 オラコラさんの返答にバヨネッタさんは不服そうに鼻を鳴らす。


「それで? あなたがここに来たと言う事は、マリジール公側で動きがあった。と言う事かしら?」


「ええ。察しが良くて助かるわ。あの二公たちに見習って欲しいものだわ」


 二公が出てくると言う事は、オラコラさん、この寒空の下、他の二公のところまで話をつけに飛んでいったのか。


「結果から言えば、リットーのデレダ迷宮探索、条件付きで許可がおりたわよ」


 オラコラさんの言葉に、一同笑顔になるが、バヨネッタさんだけ、まだ渋い顔だ。


「どうせその条件が無理難題なんでしょう?」


 成程、そのパターンか。


「そうでもないわよ。条件は二つ。一つは今現在国選探求者候補になっている者を全員倒す事」


 それはリットーさんを甘く見過ぎじゃないだろうか? いや、デレダ迷宮はそれを軽くこなさなければいけないくらい、難所なのかも知れない。


「もう一つは?」


 バヨネッタさんが話の先を促す。


「デレダ迷宮の奥に『魔の湧泉』と呼ばれる場所があるらしいの。そこを見てきて欲しいそうよ」


 こっちが条件の本命かな? それにしても、見てきて欲しい?


「デレダ迷宮はとてつもなく広い迷宮で、地図を持たずに入れば、一生出てこられない。と言われているそうよ。その探求探索に必須の地図を作ろうにも、最近その『魔の湧泉』から魔物が際限なく湧き続けるせいで、上手くいかないのですって」


「成程。デレダ迷宮に吸血鬼とやらがいるとうそぶくなら、ついでにその『魔の湧泉』もどうにかしてください。って訳ね」


 バヨネッタさんの意訳に頷くオラコラさん。なんにせよ、これでリットーさんがデレダ迷宮に入れる道筋はつけられた事になるな。

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