第187話 疎外感

坩堝るつぼ、ですか?」


 最近どうなの? と昨日の今日でバヨネッタさんに必要以上に声を掛けられるので、現在、丹田と言うのか、チャクラと言うのか、そんなものでアニンと繋がっている。と答えると、それは坩堝である。と教えてくれた。


 坩堝。化学用語として出てくるそれは、高熱を利用して、物質の溶融、合成、保温を行う耐熱容器の事だ。また多種多様な民族が混在して暮らしている都市などを、人種の坩堝などと比喩したりする。要するに、何かが一ヶ所に放り込まれてかき混ぜられるようにして混融しているのが、俺の坩堝のイメージだ。


「ええ。魔女学や魔法学ではハルアキが言うそれを、坩堝と呼んでいて、人体を魔導回路と考えた時に重要になってくる器官の事よ」


 と教えてくれた。なんでもこの人体の坩堝、普段は小さな穴が開いたフタで閉じられているのだそうだ。そのフタを開ける事が出来れば、それまでの数倍とも数十倍とも言われる魔力を獲得出来ると、魔法学界では言われてきた事なのだとか。


「まさか、本当にある器官だったとは」


 オルさんはこの話を聞いて驚いていた。物質的に見える器官ではないので、オルさん的には、眉唾物だと思っていたらしい。が、バヨネッタさんからしたら、坩堝が人体に備わっているのは当然の話で、魔女界隈では幼い頃からこの坩堝のフタを開く訓練をさせられるのだと言う。バヨネッタさんやオラコラさんがあれだけの魔法を行使出来るのは、この坩堝のフタを開けられるからのようだ。


 しかし坩堝か。名前には納得だな。人体の外から取り込んだ魔力を、坩堝にて自身の生命力とかき混ぜて、混ぜ合わせて、自分の魔力にして全身に巡らせていく。人体に坩堝があるから魔力行使がスムーズに行われ、そのフタが開けば多量の魔力が身体を巡り、より強大な魔法やスキルを行使出来る。逆に坩堝がなければ、魔法やスキルの行使は、例え異世界人だったとしても難しかった事だろう。


「それにしても要領を得ない説明だったわね」


 バヨネッタさんが軽く呆れている。俺は丹田やチャクラを説明するのに難儀したのだ。丹田やチャクラって、一度イメージ出来れば、「ああ、あれか」となるのだが、それを口で説明しろ、と言われると、途端に難しくなる概念な気がする。


「いやあ、俺たちの世界にも、丹田だとか、チャクラだとか、坩堝に相当する概念と言うのか、言葉は存在するんですけど、それを言っても伝わらないじゃないですか」


「それはそうね」


 とバヨネッタさんとオルさんが同意する。


「アニンに「これ何?」って聞いても、『エデンマシューラパンだ』って答えが返ってくるんですよ。多分俺が知っている言葉で意訳出来ないからそのまんまなんでしょうけど」


 俺がそう話すと、二人の口から笑いが漏れた。


「エデンマシューラパン! 懐かしい! 勉強したわあ!」


 勉強するものなのか? エデンマシューラパンって。


「ハルアキくん、エデンマシューラパンが訳されないのも当然だよ。何せ、人名だからね」


 とオルさん。成程。人名だったのか。それなら訳されなかったのも頷ける。要するに、アキレス腱みたいなものか。納得だ。


『エデンマシューラパンの事は、昔からエデンマシューラパンと言っていたからな。それ以外の名前は思い浮かばなかったな』


 アニンからすれば、俺の身体にある坩堝は坩堝ではなくエデンマシューラパンであるらしい。


「エデンマシューラパンって、長い名前ですけど、何者なんですか?」


 笑い合うバヨネッタさんとオルさんに、ちょっと疎外感を感じて尋ねた。


「ああ、それこそ人体の坩堝の発見者よ」


「魔法学の祖と呼ばれる人でね、神話の登場人物でもある」


 医神と呼ばれるアスクレピオスみたいな人だろうか?


「いやあ、勉強したなあ、エデンマシューラパン。学舎では必ず学ばされますからねえ。エデンマシューラパンを通らずに学舎を卒業出来た人間なんていないんじゃないかなあ」


 う〜む。どちらかと言うと、万学の祖であるアリストテレスの方がイメージが近いかも知れない。エデンマシューラパンを学ぶのは、学舎で勉強する基礎なんだろうなあ。


「やったわあ。魔女学でも必ず出てくるのよ。エデンマシューラパンとドゥマーラー」


「ドゥマーラーですか! 魔女学だとそっちになるんですね! 僕はカーサッセンでした!」


「カーサッセン! 魔法学だとそっちに進むのねえ」


 ああ、さっぱり分からん。


『ハルアキよ。我がエデンマシューラパンと答えた時のお主の気持ちが、今我にも良く分かるぞ』


 だろう? どうやらドゥマーラーとカーサッセンはエデンマシューラパンの後継らしいけど、この知識、絶対要らないよなあ。


『いやいや、どこで必要になってくるか分からぬぞ?』


 本音は?


『我も要らぬと思う』


「はあああああ」


 長〜い溜息の後、俺は二人に退出を願い出て、バヨネッタさんの部屋を後にした。



 廊下に出た俺は、庭で全合一の訓練でもしようと、玄関の方へと歩いていた。すると、バンジョーさんがある部屋の前でうろうろしていた。部屋の様子を窺いたいようだが、部屋に近付くと衛士がそれを遮るので、部屋の前でうろうろするしかないようだ。


「何しているんですか? バンジョーさん」


 俺が尋ねると、バンジョーさんはビクッとしてこちらを見遣る。俺の存在に気付いていなかったようだ。


「あ、ああ、ハルアキか。どうしたんだこんなところで?」


「こっちのセリフですよ。そんな部屋の前でうろうろしているから、衛士の人から怪しまれているじゃないですか」


 俺の言葉に、バツが悪そうな顔をするバンジョーさん。


「しかしなあハルアキ。リットー様とマリジール公が部屋に入ってから、もう半日も経っているんだ。いくらなんでも長すぎないか?」


 そんなどうでも良さそうな事で、この人はこの部屋の前で半日うろうろしていたのか。そりゃあ衛士のお二人も、残念な人を見るような目でバンジョーさんを見るはずである。


 バンジョーさんがうろうろしているのは、マリジール公の執務室の前だ。ここにリットーさんが入っていったと言う事は、何かしら公的機関への融通のお願いなのだろうが、ここはオルドランドではなくエルルランドだ。国を治めているのがオルドランド帝室に連なる公爵たちとは言え、異国である。リットーさんの功名で融通を効かせて貰えるものなのだろうか?


 などと俺が首を傾げていたら、リットーさんが執務室の扉を開けて出てきた。


「また明日、来させて貰う!」


 執務室を振り返ってリットーさんが口を開く。凄く渋い顔をしているので、交渉決裂と言ったところか。


「何度来られても、そちらの要望は叶えられませんよ」


 返答するマリジール公の言葉を、リットーさんは最後まで待たずに扉を閉めた。内心苛立っているのかな? リットーさんにしては珍しい。気が逸っているのかも知れない。エルルランドのマリジール領に来てからそれなりの時間が経った。その間進展がないとなると、焦るのも分かる。


 扉を閉めたところで、リットーさんが俺に気付く。


「ああ、ハルアキか。恥ずかしいところを見せてしまったな」


「いえいえ、そんな。…………何かあったんですか?」


 ここに来るまでの道中でリットーさんに出くわしたのは、たまたまだ。リットーさん自身に、エルルランドにまで足を運ぶ用事があったのは推測がついた。


 俺の問いに、リットーさんは渋い顔を更に渋くしてみせる。


「ウルドゥラの奴がな、どうやらエルルランドのダンジョンに潜伏しているようなのだ!」


 あの吸血鬼、ここまでリットーさんの追跡を躱し続けてきていたのか。成程、そりゃあリットーさんにしたら、恥を晒すようで、渋い顔にもなるわな。

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