第178話 不快、不愉快

 鎧の男が俺たちの元から逃げ帰って十日が経った。今日は日曜日だ。一週間前は文化祭があったので、五千人と戦うのが今週末で良かった。と言っても文化祭にまともに参加した訳ではないが。うちのクラスは何故かリアル脱出ゲームをする事になり、意外と仕込みが大変そうだった。当日はずっと受付していた。


 俺は早朝から男と別れた場所に一人で立っている。格好はいつものつなぎに、腰の両側に改造ガバメントを二丁ぶら下げている。草原の中、ポツンと木が立っているので、目印としては分かりやすいだろう。霧が立ち込めていなければだが。今朝はずっと辺り一面霧に覆われていた。五メートル先も見えないくらいである。


『どう? そっちは?』


 イヤリング型の通信機で、バヨネッタさんが連絡してきた。落人貴族たちが油断するように、木の側に立っているのは俺だけだ。他の人たちがどこにいるのかは俺も知らない。危なくなったら助けに来てくれるとの段取りだが、本当だろうか?


「な〜んも見えません。視界に映るのは霧だけですねえ」


『そう。油断だけはしないようにね』


 とのアドバイスとともに通信が切れた。油断なんてする気はない。何故ならさっきから俺の『野生の勘』がビンビン反応しているからだ。恐らく、この霧は向こう側の仕掛けだろう。この霧に隠れて俺を倒すつもりなのかも知れない。


 だがそれだと、霧のせいで数対一となり、あまり数的優位は作れない気もするな。などと考えていたら、バアッと突風が吹き荒び、霧が一気に吹き飛ばされていく。そして現れたのは五千の賊軍だ。徒歩かちの者、馬上の者、竜上の者、それら五千の賊軍が、俺を中心に取り囲んでいた。五千の兵たちはきちんと整列しており、軍としての練度の高さが見受けられた。晴天の下に俺を取り囲む姿は、ある意味圧巻であり絶景だ。


 俺がその絶景に呆けていると、馬と兵たちの間から、一人の男が進み出てきた。黒いローブに身を包んだ男は、騎士と言うよりも魔術師と言った身形みなりだ。


「我が名はジョーエル伯爵である」


 男が拡声魔法で大きくした声で話し掛けてきた。意外な出だしだ。賊軍だから、いきなり攻撃を仕掛けてくるのかと思った。


「貴公はハルアキ殿であるとお見受けする」


 ジョーエルの言に俺は首肯する。


「では貴公に言伝てを頼みたい」


 は? 言伝て?


「ジョンポチ陛下に、我々は無実であり、ムチーノに唆されただけに過ぎないと伝えて欲しいのだ」


 …………は?


「無実、ですか?」


「そうだ。我々はムチーノの洗脳によって無辜の民へ悪事を働いていたのだ。決して我々の本意だった訳ではない。聞けば首都サリィでは、ムチーノに操られた者はお咎めなしだと言う話ではないか。何故我々西部の貴族だけが罰を受けねばならないのだ」


 これについてはオラコラさんや宿場町の人たちから話を聞いている。ムチーノ派閥は昔から圧政が酷かったと。税の取り分は多いし、それを訴え出れば処刑され、それに堪えて生きていても、理不尽な理由で投獄や処刑は良くある話だったと。聞いた中で一番酷いのは、自分の前を通り掛かった。と言う理由で殺された者がいる事だ。


 これらが洗脳で行われていたとは言い切れない。地球でも、催眠術で人殺しをさせられるか? と言う問題がある。させられる。との話も聞くし、させられない。との話も聞く。しかし少なくとも本人の指向は無関係とは思えない。つまり元々人を殺していたならば、洗脳後も人殺しに抵抗はないだろう。


「この近くの町が、あんたらのお仲間に襲撃されたのだが?」


 俺は腹に不快な感情を抱えながら、ジョーエルに尋ねた。


「それは彼ら一部の極端な者たちによる蛮行だ。我々の総意ではない」


 信用出来ないな。この十日間何もしていなかった訳じゃないのだ。情報は収集している。あの宿場町が襲われた後も、各地で落人貴族たちによると思われる、町や村への襲撃事件の話が耳に入ってきているのだ。


「信じてくれ。その証拠だ」


 ジョーエルは後ろに控える部下に命じて、何かを引き摺って来させた。見ればそれは、あの鎧の男の死体だった。私刑でも受けたのかも知れない、死体全体にアザが残っていて、思わず顔を背けてしまった。


「彼奴らはいくら食いつないでいく為とはいえ、やり過ぎた。無辜の民を襲って、金品や食料を強奪するなど、我々貴族のやる事ではない」


 そう語るジョーエルはまるで正しい事をしたかのように、晴れ晴れとした顔をしていた。その顔が俺の中の暗いモノを引き摺りだそうとしてくる。俺は歯ぎしりをしてそれが口から飛び出るのを防いだ。


「どうだろうか? 陛下に我々の無罪を訴えては貰えないだろうか?」


 手を合わせて懇願するジョーエル。その姿に吐き気がする。一人で懇願してきたのならまだ分かるが、奴のバックには五千の兵隊がおり、俺を取り囲んでいるのだ。きっとこの数で押せば、俺が臆病風に吹かれて従うとでも思っているのだろう。


「面白い提案ですね」


 俺の言葉に、ジョーエルの顔が明るくなる。


「連れて行け、と言うのであれば連れて行きますけど、ただ、あなた方の身が潔白であるとは、俺は死んでも言わないでしょうから、自身の潔白は自身で証明してください」


「…………どうやら、我々の誠意が伝わっていないようだね」


 ジョーエルの顔が、暗く、無価値なゴミを見下すようなものに変わる。


「へえ、すみませんけど、あなた方の今の行為に誠意を感じた覚えが、微塵もないのですが?」


「ならば今から、我々の誠意を、イヤと言う程その身に叩き込んで差し上げよう」


 ジョーエルはそう言い残すと、後方の集団の中へと消えていった。


「敵は一匹だ! 踏み潰して瞬殺しろ! 我々西部貴族の力に、あの世で後悔させるのだ! 蹴散らせ!!」


「おおおお!!!!」


 拡声魔法で五千人に下るジョーエルの命令。そして五千の賊軍が動き出した。

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