第146話 宵の密談(おまけ)

「そういや、一条のせがれがあっちの世界にいるって噂、本当か?」


 仕事の話も終わり、イカの一夜干しで日本酒を飲み始める辻原議員。俺はいつまでこの別荘に拘束されるのだろうか?


「一条? シンヤの事ですか?」


 そう言えばシンヤの父は国会議員だった。一条議員、辻原派だったのか。最近はテレビで見ないなあ。シンヤが行方不明になった一年前は、マスコミに追いかけ回されて、テレビに出ずっぱりだったけど。


「噂を耳にしただけだが、一条のやつが何か情報はないか? と煩くてな」


 とイカを齧りながら日本酒をあおる辻原議員。シンヤに関しては、事故後に何一つ生存確認出来るものが見付からなかったからなあ。親としては心配するのは当然だろう。桂木と言う異世界に行った人間が出現した事も、一条家がシンヤの生存に希望を持つ一因かな。一条の家は家族総出で駅前でビラ配りまでして探してるし。


「恐らくその噂の発生源は俺ですね」


「そうなのか?」


「はい。俺も人伝ひとづて、現地の人から教えて貰った情報なんで、シンヤの家には伝えてないんですけど、シンヤに会ったと言う人は、俺のような東洋風の顔立ちの、目元にホクロのある少年だったと言う話です。海を越えた別の大陸にある国での話なので、俺もシンヤがいると言うその国にはたどり着けていませんけど」


「本当か?」


 身を乗り出し尋ねてくる辻原議員。


「ええ。シンヤと会った人は信用出来る人物だと、俺は思っています」


 俺の言葉に腕組みをする辻原議員。


「それで、その信用出来る人物の話では、一条のせがれは無事なんだな?」


「無事と言うか……」


「無事と言うか?」


「勇者をやっているそうです」


「…………」


「…………」


「勇者? ファミコンのあれか!?」


 ファミコンとはまた古い言葉を出してきたな。でも勇者と言う言葉は日本語であり、英語のheroとはまた違う意味合いを持っているからなあ。ファミコンから連綿と続く、日本人が想像する勇者像と言うのは確かにある。


「まあ、その勇者です」


「ぷっ、はっはっはっ。勇者か。あの小便タレが勇者とはな」


 余程面白いのか、美登利さんも笑っている。何が面白いのだ? 一条家は選挙区をうちの地元にする為に、シンヤが中学一年生の時に引っ越してきたから、それ以前は分からないのだ。もちろんその頃のシンヤは小便タレなんかじゃなかった。


「一条くんは主人のところで秘書をやっていた時期があってね、家族ぐるみでお付き合いがあるお家なの」


 と美登利さん。へえ、そうだったのか。


「シンヤちゃんも赤ん坊の頃から知っていてね、あの子、うちの人が抱き上げたら、オシッコ漏らした事があるのよ」


 成程、それで小便タレなのか。きっと辻原議員の事だから、シンヤが大きくなってからもイジってたんだろうなあ。シンヤとしては身に覚えのない事で、毎度からかわれていた訳だ。ちょっと同情。


「はっはっはっ。だがまあ、元気にやっているならそれで良いや。この事、一条にも話すぞ?」


「それは構いませんけど……」


「けど?」


「駅前でのビラ配りは続けさせた方が良いかも知れません。一年程度でいきなりやめたら、一条議員は薄情だと噂が立つかも知れませんから」


 俺の言葉に深く頷く辻原議員。


「ああ。そこら辺も言い含めて伝えておこう。しかしそう言うところまで気が回るとは、春秋、将来国会議員になるつもりはないか?」


「ありません」


「なんだ即答しやがって。連れねえなあ。俺のところに来い。立派な国会議員にしてやる」


 嫌過ぎる。辻原議員が言う「立派な国会議員」と言うやつも、胡散臭さが匂い立つ。絶対それ、国民第一の国会議員じゃないよね?


「あなた、春秋くんはまだ若いのですから、そんな風に国会議員になれと言われても、すぐには決められませんよ」


 と美登利さんが執り成してくれたので、この場は逃れられたが、なんか、今後も事ある毎に「国会議員になれ」って言ってきそうだなあこの人。


 その後も辻原議員が内政やら外交の秘密話を、酒の勢いなのかベラベラお話するのを聞きながら、これ、いつ終わるのかなあ。と俺は既に帰りたい気分でいっぱいだった。



「ごめんなさいね。この人の話、つまらなかったでしょう? はいこれ、お土産」


「おい? つまらなかったってなんだ? 面白かったよなあ? 春秋?」


 時間も遅くなってきたので、そろそろお開きにしましょう。と美登利さんが言ってくれなければ、これは朝までコースだったのではなかろうか? そして玄関先でのこの発言。流石は大物議員を支える奥さんは違うなあ。まあ、俺はこの状況で愛想笑いしか出来ないけど。


「では、また来てくださいね。少なくとも、『私は』春秋くんの味方ですから」


 車に乗り込む俺に、そう声を掛けてくる美登利さん。柔和な笑顔だったが、目は真剣だった。


「分かりました。また、何かの時にお邪魔させて貰います」


 俺がそう言って返事をしたところで、「それでは」と七町さんが車を出して別荘を後にしたのだった。


「ご苦労様でした」


「本当ですよ。これっきりにしたいけど、本番がこれからだと思うと、気分が暗くなりますよ」


「はは。そうですね。ですから相応の謝礼はさせて貰いますから」


 とSUVを運転しながら七町さんは口にする。謝礼ねえ。そりゃあ、こんな大仕事なんだ。それなりの謝礼は欲しいところだが、相手はケチな日本政府だ。期待は出来ないなあ。と思いながら俺は貰ったお土産の包みを開いた。おおう。菓子折りとともに、電子マネーに換金可能なギフトカードが束で入っていた。時代劇では小判、昔は札束、今はギフトカードか。時代は変わるもんだなあ。流石は大物議員を支える奥さんは違うなあ。


「七町さん」


「はい」


「謝礼と言うなら、一つお願いしたい事があるのですが」


「お願い事ですか?」



「ほ、ほ、本日はよろしくお願いします」


 カチカチに緊張しながら、ソファに座るディアンチュー嬢に向かって、直角でお辞儀をする七町さんがいた。


 どうせ俺では女性に対して女性用化粧品の良さを伝えるのは限界があるのだ。だから七町さんにオルドランドに来て貰った。


「めっちゃ緊張してますね」


 ぽそりと声を掛けると、ぎりぎりと顔をこちらに向けた七町さんは、その顔を真っ青にしていた。


「当たり前です。私は前世でこっちの世界にいた頃、平民だったんですから」


「大丈夫。俺だって平民です。それに日本でだって、辻原議員相手に平然としていたじゃないですか」


「日本で失敗して首を切られても、物理的に首は飛ばないじゃないですか」


 確かにそうだ。この世界は日本よりも死が近い。

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