第144話 宵の密談(前編)

「辻原義一!?」


「あん? 俺を呼び捨てとは良い度胸じゃねえか、小僧?」


 国会議員にガンつけられた。めっさ怖。


「あなた、私の恩人ですよ?」


「おっと、そうだったな。悪い悪い。ついいつもの癖が出ちまった」


 辻原議員は夫人である美登利さんにたしなめられると、即座に俺に謝罪してくれ、俺の対面の席にドカッと座った。いや、いつもの癖って、いつもガンつける状況って言うのが想像出来ない。


「いえ、こちらこそ。テレビで良くお見掛けするお顔だったもので、その癖でついポロッと」


「ポロッと、ねえ」


 と首を掻きながらこちらを見据える辻原議員。うっ、確かにこれだと、普段から俺が辻原議員を呼び捨てにしているのが伝わってしまうな。更に謝るべきか?


「ま、いいや」


 そう思っていると、辻原議員はパンッと手を叩いてその場の空気を一新させると、俺に向かって頭を下げる。


「この度は美登利を助けてくださり、本当にありがとうございました」


 その言葉には本当に感謝の念が込められていて、それだけでこの人が奥さんを大事にしている事が伝わってきた。


「いえ、そんな。俺なんてただ単に薬を横流ししたようなものですから」


 と俺は恐縮するが、それでもまだ辻原議員は頭を下げたままだった。


「美登利は、事故で頸椎の神経を傷付けちまってさあ、それ以来寝たきりだったんだ。神経を再生させる最先端治療でも上手くいかなくてよう、絶望していたところにポーションって言うどんな傷でも治しちまう、魔法の薬の噂を耳にしてよう、藁をも掴む思いで、コネと金全部使って、手に入れたんだ。そしたらどうよ? あの寝たきりだった美登利が、首から下が動かせなくて、死にたいって呟いてたやつが、今は元気に動き回っているじゃねえか。本当に、本当にありがとう」


 辻原議員は、頭を下げながら泣いていた。美登利さんも。本当にその状況に絶望していたのだろう。回復出来たのは、本当に巡り合わせだっただろうが、辻原議員の行動が引き寄せたものでもあるのかも知れない。


「分かりました。謝意はしっかり伝わりましたので、頭を上げてください」


「ありがとう。さっ、湿っぽい話はここまでにして、飯にしようぜ」


 頭を上げた辻原議員が、手をパンッと叩くと、廊下で控えていた使用人たちが夕食の載せられた盆を持って登場し、俺や七町さん、辻原議員に美登利さんの四人分、テーブルに置いて去っていく。なんか豪勢な旅館の食事みたいだなあ。と言うのがそれを見た俺の感想だった。


「俺のところの料理人は、料亭から俺が引っこ抜いてきたやつだからよう、うんめえぞう」


「はあ。そうなんですか」


 貧乏舌の俺に、高級料理なんて分からないよ。と思っていたのだが、一口食べてその思いは吹き飛んだ。季節の野菜の天ぷらも、一口大に切られたステーキも、お吸い物も、かやくご飯も、どれもこれも、目が飛び出る程美味かった。これが美味いと言うものか。と俺の短い人生で初めて理解した程だ。


「はっはっはっ。若えなあ」


 周りより早く食べ終わってしまった俺を、辻原議員が目ざとく見付ける。


「どうだ? おかわりするか?」


「いや、そんな、申し訳ないですよ」


 俺は一度は断ろうとしたのだが、


「良いんですよ。お礼ですから」


 と美登利さんに言われてしまい、


「そっすか? あざーす」


 その気持ちを受け取る事にしたのだった。



「で、辻原先生。俺は何故ここに呼ばれたのでしょうか?」


 食後にお茶を飲みながら尋ねると、笑われてしまった。


「子供が、んな言葉使ってんじゃねえよ。ぎいっちゃんで良いぜ。ぎいっちゃんで」


 いや、流石にそれは出来ないだろ。相手はあの辻原義一なのだから。


 辻原義一は政府与党の大物である。本人は大臣にもなった事のない人物だが、辻原派と言えば政府与党の最大派閥であり、現在の総理大臣を始め、大臣の椅子の半分は辻原派の人物で埋められている。マスコミには、現在の国政を裏から操る黒幕。と揶揄されている人物だ。


「で? ぎいっちゃんは何で俺をここに呼んだんだい?」


 と俺が辻原議員のフリに乗っかると、流石に辻原議員も美登利さんも目を丸くして驚いていた。


「はっはっはっ。良いねえ。肝が据わっていやがる。嫌いじゃねえぜそう言うの。男はそんぐらいじゃないといけねえ」


 あははー。内心ドキドキだったけど、喜んで貰えて良かったよ。


「さて、春秋よう、今お前、オルドランドの首都にいて、お偉いさんの家で悠々自適にさせて貰ってるんだって?」


「はあ」


 どうだろうか? あれは軟禁と言った方が良いような気もするが。


「でよう、そのお偉いさんに、話ぃ通してくれねえか?」


 どう言う事? 俺は首を傾げていた。


「日本政府として、オルドランドと国交を結びてえのよ」


 ほう。


「国交を結ぶにしても、現状、俺と桂木さんしか異世界に転移出来る人物はいませんよね? そして桂木さんはモーハルドに囲われていると言っても良い状況。つまりそれは、自分にオルドランドに留まって、日本政府とオルドランドの橋渡しとして一生を費やせって事ですか?」


「はっはっはっ。そう言ったところで、春秋は「はい」とは言わねえだろ?」


 それはそうだ。そんな事になるのは真っ平ごめんである。


「オルドランドに逃げ込むか? だが家族はどうする?」


 ほう?


「ぐっ。凄え殺気だな。それだけで殺されちまいそうだ。冗談だよ。家族を持ち出したのは悪かった」


「なら馬鹿な発言は控えてください。今の俺は、常人の数十倍強いようですから」


「はっはっはっ。そいつはとんでもねえ話だな。が、だからこそ魅力的だ」


 と辻原議員は食い下がる。


「俺らもよう、そのレベルやらスキルやらの恩恵にあやかりたい訳よ。分かるだろう?」


 まあ、その気持ちは分かるが、だからと言って政府に手を貸す義理と言うのが、俺にあるのだろうか?


「手ぇ借りるのも、ちょっとの間で良いんだ。一生こっちの都合に付き合えなんて言わねえよ」


 どう言う事?


「オルドランドじゃあ、大人になってもスキルを授かれる儀式を受けられるんだろう?」


 成程、そう言う事ね。


「つまり政府側から人を送り込んで、祝福の儀を受けさせ、異世界転移のスキルを授からせよう。って話ですか?」


「おうよ」


 ふ〜む。俺は腕を組んで考えてしまう。


「そう上手くいきますかねえ? 儀式を受けた感想として、あれは運と深層心理が結びついたものですから、そう上手くいくか分かりませんよ?」


「五十二分の二だ」


 五十二分の二? なんだそりゃ?


「天使が起こしたあの事故で、天使から何某かの恩恵を授かったのが五十二人。そのうち異世界と地球を行き来出来る能力を授かったのが春秋と桂木の二人だ」


 へえ。あの事故では加害者側にも天使からお詫びを貰った人間がいるから、天使の恩恵を授かったのが何人なのか知らなかったけど、五十二人もいたのか。二十六分の一は、確率としては高いかも知れない。


「まず百人。政府の人間を送らせて貰いたい」


 百人か。目的が定かであれば、それが深層心理に働いて、一人くらい異世界転移のスキルを授かる人間が出てくるかも知れないなあ。でも、


「祝福の儀を日本人に受けさせる事に、オルドランドにどんな利益があるんですかねえ?」


 そいつが定まらないと、マスタック侯爵やジョンポチ陛下に俺が日本人だと打ち明けたところで、祝福の儀は受けさせて貰えない気がするなあ。

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