第143話 感謝の礼

「デニッシュ派ですか?」


 SUVを運転する七町さんは、パンはデニッシュ派らしい。


「違います」


 違った。


 俺は現在、日本に戻ってきている。マスタック家の女性たちへ化粧品を届ける為だ。とは言え俺に女性用化粧品の知識なんてほとんどない。そして大量に購入しなければならない手前、妹や母に頼る訳にもいかなかった。なので七町さんに化粧品の買い出しに付き合って貰ったのだ。


 貴族令嬢に売る商品となる為、下手な物を売る訳にはいかないと、結構なお値段のする化粧品を買う事になった。


「本当なら私も一緒についていって、使い方をレクチャーしたいくらいです」


 と七町さん。俺は七町さんが推奨する動画をダウンロードし、化粧品の使い方のメモを取り、更には一度自分で化粧までさせられて、その使い方を叩き込まれた。そしてその帰り道での事である。


「デーイッシュです。デーイッシュ派。モーハルドの二大派閥の一つです」


 ほう。話はオルドランドの首都であった出来事の話となり、俺の苦労話に耳を傾けていた七町さんが、そう口にした。


「デーイッシュ派、ですか?」


「ええ。恐らくですけど、そのノールッド大司教と言う人物のやり口から、強硬派であるデーイッシュ派である可能性が高いですね」


 そうなのか。


「モーハルドは、強硬派であるデーイッシュ派閥と、穏健派であるコニン派閥に大別されるのですが、穏健派であるコニン派が、そんな人造天使なんて作り出すとは思えません。と言うか、その話本当なんですか?」


 本当です。日本政府として、モーハルドとの橋渡しをしているであろう七町さんでも、手に入れていない情報だったらしい。恐らく桂木も知らないだろう。


「人造天使ですか。恐らく魔王との決戦用に作っているのでしょうけど、常軌を逸した話ですね。今コニン派が立場が弱いからと言って、好き勝手し過ぎなのでは?」


 七町さんもデーイッシュ派には憤っているようだ。


「コニン派、穏健派は立場が弱いんですか?」


「この数年はそうみたいです。教皇様も頭が痛いでしょうね」


「え? 教皇様はデーイッシュ派じゃないんですか?」


 モーハルドのシステムがどうなのか知らないが、教皇と言うのは、複数名いる枢機卿に選ばれてなるもののはずだ。ならば多数派であろうデーイッシュ派から選ばれると思っていたが。


「現在の教皇様が選ばれた時には、コニン派が優勢だったんですよ。それがここ数年でひっくり返ったんです」


 成程。


「恐らく、教皇様としても、これ以上デーイッシュ派を増やしたくないから、そのノールッド大司教を国外に出したのでしょうけど、まさか国の外でそんな事をするとは思わないですよねえ」


 全くだ。そのせいでオルドランドとモーハルドの間に見事な亀裂が生じてしまった。これはちょっとやそっとじゃ修復不可能だろう。


「モーハルドとしては、ハイポーションを盾に強気に出たかったところでしょうけど、オルバーニュ財団がバックについたゴルコス商会が、ハイポーションの販売を始めるとなると、時世が変わる節目かも知れませんね。モーハルドも、今までみたいにハイポーションで強気に出られなくなるでしょうから。下手したらこのまま世を転がり落ちていく可能性も出てきたかも」


 七町さんが運転しながら暗い笑いをしている。相当モーハルド相手に手を焼いていそうだ。


「そうなってくると、日本や桂木さん、異世界調査隊との繋がりが、モーハルドの強みになってくるんですかね?」


 確かモーハルドは魔王討伐に自衛隊に手を貸せと言ってきていたはずだ。つまり自衛隊の力を買っている訳だ。それは自衛隊員個人の能力もそうだろうし、小銃やらなんやらの、地球の現代兵器も魅力なのだろう。異世界調査隊も、テレビやネットで見る感じ、かなり向こうの世界に馴染んできている。頼りにされてきていて、一定の信頼を勝ち得ているのが分かる。


「ふふん。そうはさせません」


 だが、どうやら日本政府の思惑としては、桂木率いる異世界調査隊とモーハルドの勝ち逃げは、許さない方針のようだ。


「それで、今から向かう場所に、今後を左右する人物がいる訳ですね?」


「…………」


 俺の質問に返事はない。だがそれが答えになっていた。



「ようこそ、お越しくださいました」


 向かった先は別荘だった。昔の和建築をリノベーションした建物だ。緑に囲まれ、庭も純和風だ。そこで待っていたのは、和服を着た品の良いおばあさまだった。


 使用人に玄関に通されるなり、玄関で三つ指ついてお迎えされた。この別荘の主人であろう女性にここまでされる覚えがない。呆けている間に畳の客間に通され、緑茶とお菓子が出された。


「今、夕餉の支度をしておりますので、こちらでしばしお待ちください」


 そう言うおばあさまは部屋から出てはいかず、襖の脇で控えていた。完全に俺が主人であるかのような待遇だ。どう言う事?


「えっと、以前どこかでお会いしましたっけ?」


「いいえ、初めてです。ですがお会いしたかったのは事実です。ずっとお礼がしたかったので、その機会をくださった七町さんには感謝しているんですよ。この度は、本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げるおばあさまに、こちらの方が恐縮してしまう。ふむ? どう言う事? と七町さんを見遣ると、


「梅雨頃にポーションを貰ったでしょう? それで回復されたのが、こちらの辻原美登利みどりさんです」


 ああ! 確かバヨネッタさんを食器の卸屋さんに連れて行くとき、卸屋さんを貸し切りにして貰うのと、買った食器代を立て替えて貰うのに、ポーションを二個渡したんだった。


「へえ、あれ、実験や研究に使ったんじゃなくて、人助けに使ったんですね」


 俺の言葉に、七町さんも美登利さんも複雑な顔をしていた。


「一本は研究機関に持っていったわ。残る一本が美登利さんに使われたの。それも美登利さんを救うつもりではあったけど、人体実験であった側面も否めないわ」


 まあ、日本で初めて、それも極秘裏に使用されたんだ。実験的側面があったのはそうなのだろう。


「私も納得済みでしたから、七町さんを責めないでくださいね」


「そんな責めなんてしませんよ」


 人一人救われたのだから、良い事だ。成程、それで美登利さんは俺にお礼したくてここに呼んだのか。…………あれ? じゃあこの人が今後の日本の道行きを左右する人なのか? …………いや待て、辻原? と思考を巡らせていたところに、ドタドタドタと無遠慮な足音を響かせながら、誰かがこちらへやってくるのが分かった。


「あら、夫が着いたようです」


 と美登利さんが口にするのと、客間の襖が勢い良く開け放たれたのはほぼ同時だった。そこにいたのは偉丈夫な老人で、眼光は鋭く背筋はピンッと伸び、周りを威圧する存在感を放っていた。その老人がギロリとこちらを見下ろす。


「お前が工藤春秋か?」


「辻原義一ぎいち!?」


 それはテレビでも見掛ける国会議員だった。

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