第142話 レディ

 マスタック邸に引き籠もっている俺には分からないが、この数日でサリィの街は平穏へと戻りつつあるらしい。それならば街に出掛けてみたいところだが、それは駄目らしい。何故かと使用人に聞いたら、この屋敷の周りを囲う住民の数が倍に増えているからだと。


 何でも俺の御聖殿での演説のせいだと言われたが、あんなのはバンジョーさんの受け売りである。と今更声を発したところで、聞き入れては貰えないだろう。どうやら帝城の方にも人が集まっているそうだから、そちらも大変そうだ。と言ったら、ジョンポチ派とハルアキ派で軽い衝突があったらしく、なんかすみません。って気持ちになった。仲良くして欲しいものだ。



 部屋の扉をノックされる。


「はい」


「よろしいかしら?」


 ディアンチュー嬢の声である。


「ええ。どうぞ」


 俺が返事をすると、部屋の扉が開けられて、小さなディアンチュー嬢が侍女さんを連れて入ってきた。


「今お茶を淹れますね」


 俺がお茶を淹れようと動いたことろで、侍女さんがそれを制してお茶を淹れる為に動いてくれた。俺が毒を入れると思われているのだろうか? いや、きっと形式的なものだろう。と思いたい。


 侍女さんがお茶を淹れている間に、ディアンチュー嬢が部屋をぐるりと見回している。客室なんてどこも代わり映えしないだろうに。と思っていたら、机の上の教科書などを見付けられてしまった。


「これはなんですの?」


「学校の宿題……課題ですよ。俺は学生ですから、学校から課題を出されて、それを解いて提出しないといけないんです」


 もうすぐ夏休みも終わるしね。


「まあ、大変ですのね」


 日本語で書かれた教科書やらノートを見ても、何が何やら分からなかったのだろう。ディアンチュー嬢はちらりと見ただけでノートを机に戻しソファに座った。俺もそれに続いて対面のソファに座る。


「今日は何か御用ですか?」


 ディアンチュー嬢も屋敷から出られなくてストレスを抱えている一人だ。屋敷から出る馬車や自走車は、周りを取り囲む住人たちに逐一チェックされているらしく、侯爵家のご令嬢であれば、下手に外に出て何か問題になっても困るので、屋敷の中に引き籠もらざるを得なかったのだ。


 ディアンチュー嬢はどちらかと言えばバンジョーさん派で、良くバンジョーさんの部屋に行っては歌を歌って貰ったり、デルートを習ったりしていた。俺もバンジョーさんのところにはデルートを習いに行っているので、良く顔を合わせる。だが俺の部屋にやってくるとは珍しい。


「ハルアキさんは学生さんですけど、商人でもあるのですよね?」


 なんだろう? どこかで聞いた事あるような台詞だ。


「そうですね。商人でもあります」


 俺が答えたところで、侍女さんがお茶を持ってきてくれて、テーブルに置いてくれる。そして自らはディアンチュー嬢の後ろに立つ侍女さん。


 ディアンチュー嬢はお茶を一口飲んでから話を続けた。


「この日焼け止め、ハルアキさんが広めた日焼け止めで間違いありませんかしら?」


 ディアンチュー嬢がそう言って、侍女さんが『空間庫』から出してテーブルに置いたのは、確かに俺がラガーの街でシシール商会に複製して貰って売られている日焼け止めだった。


「そうですね。……え!? 使ってるんですか!?」


 俺が素っ頓狂な声を出したからだろう、ディアンチュー嬢も侍女さんも驚いていた。


「え、ええ。いけなかったんですの?」


「これはどちらかと言えば大人用で、子供には……」


「むう。子供じゃありません」


 そんなふくれっ面をされても説得力がない。


「これはディアンチュー嬢くらいの年頃のレディには、少し肌への刺激が強いので、何でしたら低刺激のものをこちらでご用意させて貰いますが?」


「そうでしたのね。でしたらそちらへ換えても構いません」


「はあ、そうですか。では明日にはお届け出来るようにしておきます」


 俺がそう言うと、ディアンチュー嬢は満足そうに頷いた。はあ。シシール商会の方にも、子供用の日焼け止め送っておかないとなあ。子供が使うのは失念していたな。こっちの世界で日焼け止め買うなんて、貴族や富裕層なんだから、子供に日焼け止めを買い与えるのも当然だよなあ。


「うおっほん。それでですね……」


 どうやらディアンチュー嬢の話とはこれで終わりだった訳ではないらしく、もっと言えばここからが本題だった。


「このような化粧品を扱っておいでと言う事は、ハルアキさんは他の化粧品なども取り扱っておいでなのかしら?」


 日焼け止めが化粧品なのかは別として、いつかどこかで話題に上ると思っていた化粧品話を、まさかこんな幼い子供に出されるとは思わなかった。


「はあ。化粧品ですか?」


「ブストー商会を通して、シシール商会から化粧品を取り寄せてみたのですが、どうもしっくりこなくて」


「え? ディアンチュー嬢、既に化粧品使われているんですか?」


 俺が驚いたら、


「ええ、淑女の嗜みですから」


 と胸を張って返されてしまった。


 女性は幼くして女性だと言うが、本当だな。そう言えばカナも保育園時代に母の化粧品を勝手に使って怒られていたっけ。


「うう〜ん、俺がシシール商会と契約しているのは、日焼け止めだけなんですよねえ」


「そうなんですか。でも、化粧品は扱われているのでしょう?」


 そう言われて「はい」と首肯するのはどうなのだろう? 後ろに控える侍女さんをちらりと見ても、澄まし顔で表情が読めない。どう答えるのが良いのか。


「ディアンチュー嬢くらいの年頃のレディとなると、使える化粧品には限りがありますよ?」


「そうなのですか?」


「そもそも化粧品は肌への刺激が強いので、長時間の使用はおすすめしません」


「まあ」


 驚くディアンチュー嬢に向けて話を続ける。


「それに、それ程肌が綺麗なのですから、それを覆う化粧品を塗りたくる必要はないでしょう」


「そうかしら?」


 喜ぶディアンチュー嬢に、俺は首肯する。


「そうですね。俺が融通出来る化粧品があるとすれば、化粧水や乳液などの肌のケアをするものか、口紅くらいでしょうか?」


 口紅と言っても色付きのリップクリームだけど。


「では、それ全部頂くわ」


 …………流石は貴族令嬢。買い物に迷いがない。


「はあ、分かりました。そうなると諸々の準備が必要で、納品は明後日となりますが、大丈夫でしょうか?」


 なんだか圧倒される俺に対して、言う事を言ってスッキリしたディアンチュー嬢は、


「ええ。ではそれで。明後日を楽しみにしていますわ」


 とウキウキで部屋を出ていったのだった。


 その日の午後、俺の部屋にはマスタック侯爵邸で働く侍女さんたちが詰め掛け、各々欲しい化粧品を注文してくるのだった。うへえ。買い付けするのもシシール商会に送るのも大変だあ。

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