第133話 神明決闘裁判(前編)

 暗い廊下を抜けて闘技場に降り立つと、そこは熱狂の坩堝るつぼだった。楕円形の闘技場に階段状の観客席は最上段まで観客で埋め尽くされ、サリィにいる全ての人間がここに集まっているのではないかと思える程に、今まで感じた事のない人間の圧だった。


 興奮で騒ぎ立てる人々の声は、意外な事に罵声と声援半々のように俺には思えた。もっと罵声ばかりが耳に入ると思っていたんだけどなあ。これだけ声援が聞こえてくるって事は、罵声を飛ばす人間より、応援してくれている人間の方が多いのかも知れない。ありがたい。


 そうやってキョロキョロ観客席を見ていると、貴賓席で一際豪奢で立派な椅子に座るジョンポチ陛下の姿が見えた。その横にはソダル翁が立っている。そして一段下にはマスタック侯爵の姿やディアンチュー嬢、オルさんやバンジョーさんの姿があった。あそこら辺は貴族やその縁者の席らしく、貴族服に身を包んだ人間が何人も見受けられた。


 そしてその中で、マスタック侯爵と同列の席でこちらをニタニタと見下す男がいた。あれが恐らくムチーノ侯爵なのだろう。ぶくぶくと肥え太った灰緑色の髪の男でちょび髭が生えている。横に女を座らせており、それは伴侶や愛人と言った感じではなく、法衣を身にまとった女性であった。恐らくあれがノールッド大司教なのだろう。名前から男だと思っていたが、女性だったのか。しかしノールッド大司教も、聖職者とは思えない下卑た笑顔でこちらを見下していた。


 貴賓席にバヨネッタさんの姿はなかった。俺が頼み事をしたからだろうが、この観客席のどこかからこちらを見ているのは間違いないだろう。


 俺はとりあえず、衆人環視の中で不安そうな顔を見せないように必死に威厳ある態度を取り続けているジョンポチ陛下に、大丈夫だと安心させる意味も含めて、笑顔で一礼してみせた。


 俺が一礼してみせると、これが黄色い声援と言うのだろう。観客席から女性の声援が上がる。それは俺に向けられたものではなく、見れば俺と反対側の門から、ドームが闘技場に入場してくるところだった。


 騎士の鎧を身に着けたドームは、声援を送る女性たちに応えながら、こちらにゆっくりとやってくる。腰には二本の剣を差している事から、ドームは二刀流なのだろう。ドームは俺の前に立ち止まると、まずは陛下に一礼してからこちらへ向き直る。


「神への懺悔は済ませてきたか?」


 にやりと笑うドーム。


「そちらこそ、瀕死だったと聞いていたのに、元気そうでなによりですよ」


 俺が笑って返すと、ドームの笑顔は崩れ、歯ぎしりをして睨み返してきた。どんだけ煽り耐性低いんだよ。が、すぐにドームは笑顔に戻る。


「まあ良い。貴様がそんな言葉を吐き捨てていられるのもそれで最後だ。決闘が始まれば、その減らず口も、助命の懇願も言えなくなるのだからな」


 つまり死ぬって事ね。それは嫌だなあ。死ぬ前にバヨネッタさんと練った仕掛けを、良きタイミングで発動させないとなあ。


 などと考えていると、あれ程熱狂的だった闘技場がシーンと静まり返る。見ればジョンポチ陛下が椅子から立ち上がっていた。


「これより神明決闘裁判を執り行う」


 拡声の魔法で大きくなったジョンポチ陛下の声が闘技場中に響き渡る。


「これは、神の下に行われる聖なる裁判である。この決闘の勝者が無罪となる事は、例え一国の王であれ、名高き教皇であれ、そして余であっても覆す事叶わぬ聖なるものであると知れ。では決闘を行う二人よ、己の信ずる神に誓え」


 ジョンポチ陛下の発言の後、まずドームが口を開いた。


「我らが神、デウサリウス様にこの決闘を捧げます。私の言葉こそ正しかったと、決闘後にこの場に来た皆が思う事でしょう。そして神に背き、神を語った愚か者に天罰が下ったのだと」


 良くも抜け抜けと言えるものである。ある意味大物だな。続いて俺が口を開く。


「森羅万象万物に宿る八百万の神々にこの決闘を捧げる。俺が無罪である事は、既に神々がお認めになられている事だ。あとはそれをこの場に集まった人々に示すのみ」


 俺がそう語ると、観客席が罵声と声援で盛り上がる。が、ジョンポチ陛下が片手を上げると、スッと静かになる観客席。ちょっと面白い。不謹慎だけど機会があったらやってみたい。


「では、これより神明決闘裁判を始める!」


 ジョンポチ陛下の開始の言葉で、俺とドームの神明決闘裁判が始まった。



 まずは先手必勝! 俺は右手に嵌めた腕輪状態のアニンを素早く黒剣に变化させると、その場からドームに向かって斬り上げるように振り抜いた。黒剣からは黒い刃の波動が迸り、斬撃としてドームに襲い掛かる。


 が、それを両手の剣で弾き返すドーム。流石に一気に決める事は出来ないか。ならば追撃だと、上から、横から、斜めからと、刃の波動を振るうが、全てドームに受けきられてしまった。流石にレベル差が十は大きいな。


「はっ。そんなものか」


 と余裕をみせるドームは、攻撃に転じてきた。右手の剣には炎を、左手の剣には雷をまとわせ、これを上下左右斜めから、変幻自在に振るってくる。


 が、それを受け流し、躱し、いなし、避ける俺。攻撃に転じる隙はないが、避けるだけならば俺にも出来る。


「ちっ」


 ドームは顔を醜悪に歪ませながら、更に斬撃の速度を上げていった。右の剣で袈裟斬りに斬り掛かってきたかと思えば、左の剣は胴薙ぎだ。俺はそれをアニンの黒剣で受け止めながら回転するようにして躱す。


 俺が良く躱す度にドームの斬撃の速度が上がっていく。それだけではない。宙を炎の矢が降り注ぎ、地を雷が駆け抜ける。剣撃に魔法を加えての恐ろしい攻撃に、闘技場を見守る観客たちのボルテージが上がっていく。


 それでも俺は避ける、躱す、いなす、受け流す。今俺に出来るのはこれだけだからだ。しかしじわじわ追い詰められていく。壁際に追い込まれ、右に避ければ雷が走り、左に転じれば炎の矢が飛んでくる。そしてどちらにも行けなくなったところへ、ドーム自身が突貫してきて、俺に斬撃をお見舞いしようと両剣を大上段から振り下ろす。俺はそれを受け止めた。


 がそれはドームに誘い出されたのだ。ドームの重い斬撃を受け止め、身動きが取れなくなったところに、上空に俺たちを無間迷宮へ追い落とした巨大火炎球が浮かび上がる。


「焼け死ね!」


 その火炎球が俺に向かって落とされた。

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