第122話 侯爵邸

 船渠区画の突き当たりに、当然のようにエレベータがあった。百人は乗れるような大型のもので、俺たち一行の他、管で出来た船体エレベータで逆さ亀までやって来た他の船の乗組員、乗客がエレベータに乗る。乗客の中には俺たちのように馬や馬車を連れている者もいた。


 エレベータはある程度の人数が乗ると上階へと上がっていった。誰かが操作した風ではなかったので、恐らく制御室のような場所があるのだろう。


「おおおお!!」


 上階は完全に街だった。吸血神殿と同じ白亜のタワービルがいくつも建ち並び、その間を埋めるように、赤やクリーム色のレンガ造りの建物で溢れている。そして遠くに城らしきものが見えた。この世界にも城ってあったんだな。


 白亜の建物とレンガ造り、恐らく両者が造られた年代はまるで違うのだろう。白亜の建物の方が何千年と古く、レンガ造りの建物は最近のはずだが、白亜の建物の方が最新に見えるのが不思議だった。


 そんな街を馬車が走っているのは、なんともちぐはぐに思えた。だが車道のメインは馬車であり、首都サリィであっても自走車はほぼ見掛けない。


 俺たちはテヤンとジールを『空間庫』に収納していた馬車に繋ぐと、馬車に乗り込みサリィの街を進む。アルーヴたちとはここで一旦別れる。ラガーの街では小船で同席していたので、こちらに気を使ってくれていたようだ。バンジョーさんたちはこっちに付いてくるそうだ。



 馬車でサリィの街をパカパカ進む。流石は五十万人都市である。街の活気が、それまで見てきた街とは段違いだ。クーヨンやベフメルよりも賑わっている。


 俺たちの通った道は飲食店が多く、テラス席などが設けられて、外で食べている人が多かった。歩きながら食べている人も少なくなく、食べているのはクレープっぽいものだったが、使わている食材は甘味系ではなく、肉や野菜など食事系だった。


「俺たち、首都のどこに向かっているのでしょう?」


 馬車の操縦はアンリさんなので、俺は行き先を知らない。多分アンリさんも知らず、交差点に差し掛かる度にどっちに向かうかバヨネッタさんが指示を出していた。


「マスタック侯爵邸よ」


「侯爵邸!?」


 狭い御者台で俺の横に座るバンジョーさんが、小窓越しのバヨネッタさんの言葉に驚いていた。まあ、普通そうなるよね。


 マスタック侯爵には、カージッド子爵領ブークサレで、サーミア嬢(現ベフメ伯爵)の時にお世話になった。ジェイリスくんのお祖父さんである。


「首都に来た事を報告する為ですか?」


「は? 何でよ? 私はマスタック侯爵の部下じゃないわよ」


 普通に尋ねただけなのに、ちょっと怒られてしまった。


「じゃあ何で訪ねて行くんですか?」


「そんなの、宿として活用する為に決まっているじゃない」


 …………この人は、貴族や貴族の屋敷を何だと思っているのだろう? 横にいるオルさんも諌めないし、これでいいんだろうか?



 マスタック侯爵邸はサリィでも城に近い、恐らく一等地にあり、相当な広さがあった。どこまで行っても壁、と言うやつだ。囲う外壁が高いので、中の様子は窺い知れないが、土地が有限である逆さ亀の上で、これだけ広く土地を保有出来ているのがそもそも凄い。


 やっと見付けた門扉の横に立つ門衛に、銃砲の魔女バヨネッタ一行である旨を伝えると、通信用の魔道具で中とやり取りして、十分程でその大きな門扉は開けられた。


 奥に見える白亜の豪邸の高さは四階建てくらいだが、横に長い。前庭も広く、庭木はシンメトリーに刈り揃えられ、花々が咲き誇っていた。使用人の誘導で庭を進み、十分以上掛かってやっと玄関に到着した。


「ふう」


 馬車を降りた頃には太陽は中天で、暑さも一層盛んになっている気がする。


 玄関では使用人一同が俺たちをお出迎えしてくれたが、そこにマスタック侯爵の姿はなく、何でも帝城で公務中との事。そりゃあそうだろう。こちらは突然押し掛けたのだ。向こうが仕事中である可能性の方が高い。そこに不満はないので、俺たちは使用人の誘導に従い、涼しい客室へと通された。


「おお……!」


 絵画や壷などの調度品に、ソファにテーブル、絨毯など、どれを取ってもそれが一級品であろう事が見ただけで伝わってきて、触るのもおこがましい気持ちになる。


 バヨネッタさんとオルさんはそんな中でも当然のようにソファに座っていたが、俺は恐る恐るオルさんの横に座る。バンジョーさんとアンリさんは立ったままだった。ミデンはバヨネッタさんの横に行儀良く座る。アンリさんはいつもの事だが、バンジョーさんは座るように促しても、頑なに拒否されてしまった。ガタガタ震えていてちょっと可哀想である。


 俺たちが席に着いてしばらくすると、部屋の扉がノックされ、扉が開けられる。そこにはワゴン車だけがちょこんと置かれていた。何だあれ? 上にティーセットとお菓子が乗っているから、俺たちをもてなす為に持ってこられたのだろうが、これが侯爵家の作法なのだろうか?


 そう思っていると、ワゴン車が誰が触るでもなくひとりでにスーッと動き出し、部屋に入ってくる。一瞬、そう言うロボットなのかと思ったが違った。小さな子供が二人、ワゴン車を押していたのだ。それを見て、周りの大人たちが心配そうにしているのが分かる。それはそうだろうな。


 小さな子供は男の子と女の子の二人だった。白銀の短髪の男の子に金茶色の長髪の女の子。二人は身体には大きいワゴン車をテーブルの横まで運ぶと、危なっかしい手付きでティーセットやお菓子をテーブルに置いていく。そしてポットからカップに、チョロチョロとお茶を注いでいくのだ。見ているだけで、何か失敗をするんじゃないかとハラハラしたが、お茶は並々とカップに注がれ、何とか溢れる事もなかった。


 まずそれにバヨネッタさんから口を付ける。それを心配そうに見詰める女の子。男の子も真剣な目付きだ。


「うん。美味しい。腕を上げましたね」


 バヨネッタさんが笑顔でそう言うと、二人は手を絡ませて喜び合うが、すぐに人前であったことを思い出し、慎ましく振る舞い直す。


 バヨネッタさんが手を付けた事で、飲んで良い雰囲気になったので、俺とオルさんもお茶に口を付ける。オルさんも「美味しい」と言っているが、俺には味は分からない。香りの良い、あまり渋くないお茶だな。と言うくらいだ。


 俺がリアクションを取らなかったからだろう。幼い二人が俺の顔を覗き込んできた。男の子は金眼で女の子は碧眼だ。そしてその顔は心配そうである。ここで不味いと言える程、俺の性根は腐っていない。


「お茶には詳しくないのですが、美味しいお茶だと思います」


 俺の答えに二人は満足したのか、互いに笑顔を見せ合う。まあ、可愛らしいおもてなしである。そう思いながらお茶をすすり、茶菓子に手を伸ばす。茶菓子は砂糖でコーティングされたグミのようなものだった。グミ部分には果汁が使われているのか、甘酸っぱくて美味しい。


 俺がお茶よりも美味しそうにパクパク茶菓子を食べているのが気になるのか、幼い二人がじいっとこちらを見詰めている。ちょっと食べ辛い。


「二人とも」


 俺が声を掛けるとびっくりして俺に向き直る二人。何か間違っていたのかと、ちょっとオドオドしているのが可愛い。


「二人とも、見事な給仕でした」


 俺の言葉に笑顔になる二人。


「そうだ。このお菓子、一緒に食べませんか? 我々では食べ切れそうにありません。二人が手伝ってくれるとこちらとしても嬉しいのですが?」


 と俺が話を振ると、二人は驚き、周りの大人たちの顔色を窺い、大人たちが首肯すると、お菓子に手を伸ばし始めたのだった。


「そう言えば、私は二人の名前も知りませんでしたね。私はハルアキと申します。お二人のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 俺がそう尋ねると、二人はお菓子を食べるのをやめて居住まいを正し、こちらに目で一礼して名前を教えてくれた。


「マスタックの子、メイエールの子、ディアンチューと申します」


 と女の子が教えてくれた。…………え? ちょっと待って。マスタックの子のメイエールの子って、マスタック侯爵のお孫さん? え? どう言う事? と思っていたら、


「オルドランド帝ジョンポチである」


 男の子がとんでもない事を口にした。


「あら? そうだったの」


 と軽く応えるバヨネッタさん。


「うむ。礼儀作法を学ぶ為にこのような事をしておる」


 とオルドランド帝ジョンポチ陛下はおっしゃるのであった。

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