第121話 首都

 俺たちの目的地、首都のあるビール川の始点は、水麦の一大穀倉地帯であった。もっと山の方にあるのかと思っていたが、意外と真っ平らな平原で水麦が辺り一面を覆っている。


 山は北の方にホップ山脈と言うのがそびえていて、そこから四本の川が流れ込み、東のガイトー山脈から一本の川がこちらへ、計五本の川がここで一本のビール川となり、下っていくのだ。


 ガイトー山脈が南北に連なる長い山脈なら、ホップ山脈は東西に長い山脈だ。ただしその東端はガイトー山脈にぶつかる事はなく、その間を川が一本こちらまで流れてきている。恐らくガイトー山脈を北回りでやって来た場合、あそこら辺を通ってこの首都にやって来る事になっていたのだろう。


 さて、肝心の首都はどこにあるのか? そんなもの五つの川が合流する中洲にあるに決まっているだろう。と思うかも知れないが、残念。中洲にあるのはバカデカい吸血神殿である。ジェイリスくんの話では、この中洲の吸血神殿は、他の神殿の倍の深さがあるそうだ。入口も三方あるらしいし、吸水力は高そうだ。


 では首都はどこにあるのか? 川の周り? そこは水麦畑である。正解は、


「…………」


「何を上を見上げながら、口を開けて呆けているのよ」


 とバヨネッタさんにたしなめられてしまった。そう。オルドランドの首都は、上にあるのだ。


「バヨネッタさん」


「何よ」


「でっっかい亀が空中に浮いてます」


 首が痛くなる程の上空。恐らく東京スカイツリーよりも高い位置に、亀の甲羅が視界を塞いでいた。


「あれがオルドランドの首都、カヌスの不沈要塞『無窮の逆さ亀サリィ』よ」


「うええ!? あの亀、カヌスの要塞なんですか!?」


 ヤバそうな匂いしかしないじゃないか。


「安心して良いわよ。あれも今や五十万人が住むただの空中都市よ」


 五十万人。東京だと江東区くらいか。確か江戸時代のパリがそのくらいの人口だった気がする。何であれ、逆さ亀がデカい事が分かる数字だ。


「それで、あの逆さ亀まで行くんですよね?」


「そうね。下には吸血神殿と穀倉地帯しかないからね。宿屋の一つもないなんて不便よねえ」


 はあ、そうですね。どうやら農民以外の人が住んでいるのは基本的にあの逆さ亀の上だけらしい。成程、ジェイリスくんが水害の酷さがわからなかった。と言っていたのも頷ける。首都の人間には、水害は無縁だったのだ。


「じゃなくて、どうやってあの空に浮いている亀まで上っていくんですか? あれですか? 竜にでも運んで貰うんですか?」


「あら? ハルアキは飛竜便がお望みだったの? ならそうすればよかったかしら?」


 バヨネッタさんが頬に手を当て、困ったわあ。とジェスチャーをしている向こうで、一隻の船が竜にガッチリ掴まれて、上空へと飛んでいっていた。あるんだ、飛竜便。


「え? じゃああれですか? 転移扉ですか?」


「その手もあるわねえ」


 ちらりと横目に見えたのは、巨大な転移扉であり、そこにこの船よりも大きな船が列をなして並んでいた。入り込む隙間はなさそうだ。


「じゃあ、どうするんですか?」


 と俺が尋ねると、バヨネッタさんは周囲にある、逆さ亀から下りる八つの管を指差した。


「まあ、今は半分は営業停止しているんだけど」


 何を言っているのかさっぱり分からない。まあ、いつもの事だから付いていくだけか。



「これまたデカい」


 俺は何度驚けば気が済むのか。『麗しのジョコーナ号』がやって来た八つある内の一本の管は、俺たちの船なんて飲み込めてしまう程にブッ太く大きな管だった。え? つまり?


「あの管を通って、上の逆さ亀まで行くんですか?」


「そうよ」


 と平然と答えるバヨネッタさん。いやいや、管を通って? だってあの管、ほぼ垂直じゃん。無理でしょ? などと思っていると、


 ズゴゴゴゴゴゴゴ……


 と言うとんでもない音が聞こえてくる。排水溝に水を一気に流した音を、何倍にも大きくしたような煩い音だ。そしてそれは、管に近付く程に大きくなっていった。


 何かが起ころうとしている。それを感じ取った俺は、甲板から船室に戻ろうとしてバヨネッタさんに腕を掴まれた。


「逃げる事ないじゃない」


 バヨネッタさんはテヤンとジールを結界で覆い、準備万端と言う顔をしている。思えば甲板に出ているのは、俺とバヨネッタさん、それにバンジョーさんだけだ。あとは全員船室に控えていた。


「デウサリウス様デウサリウス様デウサリウス様……」


 甲板の手すりにしがみついているバンジョーさんは、さっきから目を瞑って、神様の名前を念仏のように唱えていた。良くは分からないが、これから相当怖い事が起こるのだけは分かった。


 とバヨネッタさんに肩をトントンと叩かれ、先を指差されると、船が次々と管に吸い込まれていっている。その時点で俺は悟った。そして思った。マジか。


「ぬわああああああああああ……!!」


 俺たちの番が回ってきて、大きな管に吸い込まれると、そのまま俺たちの船は川の水とともに管の中を登っていく。しかも超スピードである。まるで暑い日にストローでジュースでも飲む勢いで、どんどんと吸い上げられていく『麗しのジョコーナ号』。船はほぼ垂直となって一直線に管を登る。俺は手すりにしがみつき、振り落とされないように必死である。こう言うところが嫌なんだカヌスの要塞は。



 五分だろうか? 三分だろうか? 二分だろうか? とにかくあっという間の船体エレベータは、なんとか一人の欠員もなく逆さ亀の体内へとたどり着けたのだった。


 たどり着いたのは物流倉庫のようなかなり大きな室内で、当然下は水。恐らく船渠せんきょ区画だろう。その中を『麗しのジョコーナ号』は先へと進んでいく。


「デウサリウス様デウサリウス様デウサリウス様……」


「バンジョーさん、もう逆さ亀に着きましたよ」


 と俺がバンジョーさんの肩をポンと叩くと、「うひゃあ!?」と声を上げられてしまった。


「え? 何? 着いたの?」


「ええ。怖かったなら、船内にいれば良かったのに?」


「それは、君たちが船外にいたからだろう! 取材だよ、取材!」


 取材ねえ。あんた目ぇ瞑ってたじゃん。俺にしても甲板にいたのは半分バヨネッタさんに騙されたようなものだからなあ。


「あっはっは。良い経験になったでしょう?」


 当のバヨネッタさんはあっけらかんと笑っている。何が楽しいのやら。



「ここでお別れですか」


 船渠区画にある桟橋に『麗しのジョコーナ号』を停泊させ、船を下りる俺たち。


「そんな寂しそうな顔するなよ」


 とマークン船長がまたもや肩をバンバン叩いてくるが、この痛さもこれまでなんだなあ。と思うと少しだけしんみりする。


「ここまでありがとうございました」


「なあに、仕事だ。気にするな。そっちこそ、これからの旅が良い旅になる事を祈っているよ」


 と別れのあいさつを済ませる。最後に女性船員から日焼け止めは残ってないか? とせがまれ、『空間庫』から出して売ってあげた。なんか締まらないなあ。と思ったが、これも俺らしいと思い直し、桟橋を離れていく『麗しのジョコーナ号』に手を振って別れを告げたのだった。


「あれ? ここで船と別れたら、帰りはどうやって地上に降りるんですか?」


「飛竜便よ」


 そっすかあ。帰りは空の旅かあ。

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