第114話 夕暮れの公園にて

 喫茶店のマスターから頼まれたティーセットを購入し、七町さんへのお土産(代金向こう持ち)を買った俺は、夕暮れのラガーの街を、小船にも乗らずに歩いていた。


 膝下まであった水も、今はくるぶしまで下がってきており、場所によっては水に浸らずに歩けるようになっていた。街を行く小船の数も減少し、歩く人間の数が増えた。俺はそんな街を、つなぎの裾をめくり、トレッキングシューズをビーチサンダルに履き替えて、プラプラ歩いていた。


「シシール商会とのライセンス契約も商人ギルドで行ったから、これで俺は働かずにお金を手に入れられるのか。不労所得バンザイ!」


『何を独り言を叫んでいるのだ?』


 ふふ。永遠とも言える時を、じっとしたまま生きられる化神族には、労働の苦労は分からないかなあ。


『ハルアキは苦労と言う程働いてなどいないだろう』


 うぐっ。それはそれ、これはこれだよ。


「おっ、デンデン虫だ。こっちの世界にもいるんだなあ」


 とあからさまに話題を反らしてみる。気付けば俺は、見知らぬ公園に迷い込んでいた。公園では石垣の上に生け垣が植えられ、その生け垣の葉の上を、デンデン虫、かたつむりが這っていた。


「カイカイ虫ね。素手で触らない方が良いわ」


 デンデン虫を観察していると、上から声を掛けられた。見上げればバヨネッタさんが膝にミデンを抱えてバヨネットに乗っている。


「カイカイ虫、ですか?」


「ええ、そうよ。素手で触るとかゆくなるからカイカイ虫。捕まえるなら手袋が必要ね」


「捕まえませんよ。観察していただけです」


 地球でもデンデン虫は素手で触るなと注意される生き物だ。


「そうなの? 夕食にでもするのかと思ったわ」


「夕食に、ですか?」


「ええ。私も幼い頃に母に命じられて、カイカイ虫を捕りにいかされたものだわ」


 珍しいな。バヨネッタさんが自分の過去を語るなんて。


「何よ?」


 と、会話が途切れたせいで、バヨネッタさんに不審がられてしまった。


「いえ、バヨネッタさんのお母上とは、どう言う人物なのか、想像がつかなくて」


「はあ? 私が木の股から生まれたとでも思っていたの?」


 また古い表現だな。


「いえいえ、何と言いますか、バヨネッタさんって、実は捨て子で、森に住む魔女のお婆さんに育てられた。って勝手なイメージがあったもので」


「何それ? うちは代々魔女の家系なのよ。両親も祖父母も健在よ」


 そっち系の魔女だったのか。


「まあ、何にせよ、デンデン虫、カイカイ虫ですっけ? は食べません」


「そう? まあ、貧乏臭いしね」


「貧乏臭いんですか?」


「何よ?」


 俺は怪訝な顔をしていたのかも知れない。バヨネッタさんにまた不審がられてしまった。


「いえね、俺の地元ちきゅうのある国では、高級料理として出される事もあるので、こっちでは庶民の食べ物なんだなあと」


「カイカイ虫が高級料理? 想像がつかないわね。そっちのカイカイ虫はそんなに美味しいの?」


「食べた事ありません。何せ高級ですから」


「そうね。馬鹿な事を聞いたわ」


 そこで普通に反省されるのも何かもやっとする。


「それで、バヨネッタさんはこんなところで何してたんですか?」


「見て分かるでしょう? ミデンの散歩よ」


 とミデンを両手で抱えて見せてくれるが、それは散歩になっているのか? そりゃあ足元は水だらけだから、ミデンを水に浸けたくないのは分かるが、ミデンの散歩をしていると言うより、ミデンと空中散歩を楽しんでいる。の間違いじゃあなかろうか。


「何よ?」


「何でもありません」


 睨まれたら引っ込める。それが俺である。


 ボロン……ボロロロン……。


 とそこに楽器の音色が響いてきた。何だろう? とバヨネッタさんと顔を見合わせ、音色に誘われるまま、そちらへ向かっていった。



 行った先は公園の中央で、噴水の縁に腰掛け、帽子を被った銀オレンジ髪の男が、弦楽器を弾いて歌っていた。内容は竜に乗った騎士が戦争で活躍するような英雄譚だ。あれ? これってリットーさん?


 男の持つ弦楽器は、ギターと言うにはその真っ黒のボディは丸く、バンジョーと言うにはボディに音を共鳴させる丸い穴が開いている。マンドリンかな? とも言える楽器だった。


 ボロン……ボロロロン……。


 その音色はどちらかと言えば低音で、身体に響く音をしていた。


『うむ。懐かしい。デルートと言う昔からある楽器だ』


 へえ。そうなんだ。そんな昔からある楽器の音色と、男の良く通る歌声にしばし聞き惚れる。


 ボロン……ボロン……ボロロロン……。


 男が演奏を終えると、いつの間にか集まっていた観客たちが拍手をしていた。そして男が被っていた帽子を裏にしてお辞儀をすると、観客たちがその帽子の中に思い思いに小銭を入れていく。おお。こう言う光景初めて見るなあ。などと感心して見入っていると、いつの間にか残ったのは、俺とバヨネッタさんとその男だけになっていた。


 俺は男に近付き、百エラン銀貨を帽子に投入する。


「ありがとうございます」


 男が良く通る声で返事をしてくれた。


『久しぶりだな』


 とこのタイミングでアニンが男に声を掛けた。その男は何事か? と驚いていたが、


『ああ。アニンも生き残っていたのか』


 と声を頭に響かせたのは、男が持つ、デルートと言う弦楽器だった。


「はっ? えっ? 何っ? ど、どう言う事?」


 俺は驚いて、腕輪のアニンとデルートとの間を、視線が行ったり来たりしていた。それはデルートを持つ男も同様で、アワアワしている。


『うむ。こやつは我と同じ化神族で、オルガンと言う』


「弦楽器なのに?」


『そこなのか? ツッコミどころ』


『弦楽器ではおかしい名前なのか? 昔からこの名前なのだが』


 とアニンとオルガンにチクリと言われてしまった。


「えっと〜、オルガン?」


 置いてきぼりのオルガンと一緒の男。


『ああ、すまないな、バンジョー。彼が持つ腕輪は、我と同じ化神族のアニンと言うやつでな』


「ええ!? オルガンと同じ種族!? それって凄い事なんじゃないのかい!?」


 とバンジョーと呼ばれた男は、俺の両手をギュッと握って喜びを露わにした。その笑顔は人懐っこそうであった。って言うか、そっちがバンジョーなのね。

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