第76話 辛い真実

「まあ……、まあ……、お会いしとうございました」


 サーミア嬢がそう言って一歩前に出たところで、黒衣の君と呼ばれた男の手元がキラリと光った。ナイフだ! 黒ローブの男が手に握るナイフがサーミア嬢に襲い掛かる。


 ドスッ


「きゃあああああッ!!」


 いきなりの出来事に悲鳴を上げたメイドさんは、そのまま気絶してしまった。そして同時に倒れたのは、


「え? 黒衣の君が二人?」


 サーミア嬢を襲おうとした黒ローブの男だった。


 俺はとっさにサーミア嬢を助ける為に、男をアニンが変化した黒棒でぶっ叩いていた。


「あなたは一体誰?」


 後からいきなり現れた俺に、サーミア嬢は困惑していた。


「俺こそが、あんたが黒衣の君と呼ぶ人間だよ」


「あなたが? ではこちらの方は?」 


「あんたを殺す為に送り込まれた刺客さ」


 サーミア嬢はここにきてようやく事態が飲み込めてきたのか、眼前で倒れ伏す黒ローブの男が、その手にナイフを握っている事に気が付き、「ひいッ!?」と軽い悲鳴とともに尻もちをつく。


「大丈夫か?」


 俺はその場にへたりこんでしまったサーミア嬢に手を貸し、引き起こすと、次に黒ローブの男をロープでぐるぐる巻きにしていく。


「では、あなたが本物の黒衣の君なのですね?」


「こんな怪しい仮面を付けた男じゃ信じられないか?」


 俺の言葉に、しかしサーミア嬢は顔を左右に振る。


「そんな事ありません。あなたは二度も私を助けてくれたではありませんか」


 はあ。サーミア嬢、良い子なんだけど、人を信用し過ぎるきらいがあるな。普通立て続けに黒ローブ着た奴が現れれば、警戒するだろうに。だが今はその素直さがありがたい。俺はぐるぐる巻きにした男を肩に担ぐと、サーミア嬢に尋ねる。


「さて、サーミア嬢」


「はい」


「俺と一緒に来ては貰えないだろうか?」


「はい」


「え? いいの?」


 俺の方が思わず聞き返していた。事情が飲み込めず、いきなり現れた不審者に、「俺と一緒に来い」と言われても、俺なら拒否するよ。


「何か、私の窺い知らぬ深い事情があるのでしょう?」


 とじいっとこちらを見詰めるサーミア嬢。そこは流石貴族令嬢と言うべきか、案外肝が据わっている。


 ここで廊下の向こうからガヤガヤと誰かがやってくる気配が。これ以上はこの場に留まっていられそうにないな。


「では、俺の後に付いてきてくれ」


 俺たちはその場に気絶したメイドさんだけを残し、ベフメ伯爵別邸を後にしたのだった。



「改めましてサーミア嬢。もう一度自己紹介した方が良いかしら?」


「その必要はありませんわ、魔女様」


 途中でアンリさんに馬車で拾って貰い、宿に戻ってきた俺たちを、バヨネッタさんはにっこり笑顔で迎えてくれた。うう、目の奥が笑っていない。


「ちょっと、黒衣の君? こっちへ」


 呼ばれたので素直に近付くと、肘打ちからの耳打ちだ。


「カメラ仕掛ける為に忍び込んだのに、何でサーミア嬢まで連れ帰ってきているのよ?」


「仕方ないじゃないですか。偶然襲われるところに居合わせちゃったんですから」


 バヨネッタさんは俺の説明を聞いて、サーミア嬢と、気絶してぐるぐる巻きで床に転がされている男を交互に見遣ると、「はあ」と溜息を吐いて気持ちを切り替える。


「仕方がないわね。サーミア嬢、これから見聞きする事は、あなたにとってとても辛い真実となるでしょう。それとも別室にて、事が終わるまで待機していますか?」


 バヨネッタさんの言葉に耳を傾けていたサーミア嬢は、首肯し口を開く。


「私は、出来るのでしたら今起こっている事を知りたいと思っています。当事者であろうに、蚊帳の外だなんて、もう嫌なのです」


 バヨネッタさんはそれを聞いて一度頷くと、パチンと指を鳴らした。と気絶していた黒ローブの男がビクビクッと反応する。あの感じ、電気かな?


「ぶはっ!? 何だ!? あん? どこだよここ!?」


 男は周囲を確認する為に起き上がろうとするが、それが出来ず、自分がロープでぐるぐる巻きにされている事を知った。


「何だこれ!? おい! 女! てめえがやったのか!? 解けよ!」


 と命知らずの男は眼前にいたバヨネッタさんにそんな口調で命令する。


 バチバチバチッ


 バヨネッタさんの指パッチンで、こちらまで音が届く程の電撃が男を襲った。


「今の言葉、私に対して言ったのかしら?」


「いえ、何でもありません」


 どうやら男も、状況を理解したようだ。


「さて、単刀直入に聞くわよ? あなたにサーミア嬢を殺すように依頼したのは誰かしら?」


 バヨネッタさんの質問に、男は周囲に目を向ける。部屋には俺、バヨネッタさん、オルさん、アンリさん、ミデン、そしてサーミア嬢だ。五体満足のサーミア嬢の姿を見掛け、男は自分が暗殺に失敗したのだと悟ったようだ。


「俺にそこの貴族の娘を殺すように依頼したのは、オレンジ髪の男だ」


 男の発言に息を飲んだのはサーミア嬢一人だけで、俺たちは、やっぱりな。と言った感じだった。


 そこから、伯爵別邸に侵入経路が確保されていた事、黒衣の君に変装して殺すように頼まれた事も男は白状していった。そうして一通り男が話し終えると、


「もう言い残した事はないわね?」


 と言うバヨネッタさんの言葉に、男はゆっくり頷き、パチンと鳴らされたバヨネッタさんの指音で男は眠ってしまった。


「そんな、あの人は私が生まれる前から我がベフメ家に仕えてきた人です。それが何で私を殺そうなんて……」


 男の話を聞いても、信じられないと言った顔のサーミア嬢に対して、「だからでしょうね」とバヨネッタさんはぽつり呟く。


「この男の証言だけじゃ、家令を訴える材料としては乏しいですかね?」


 と俺はバヨネッタさんに尋ねる。


「そうね。相手は曲がりなりにも貴族と通じているから、握り潰されるでしょうね」


 だよなあ。これで家令を首切り出来るなら、チンピラたちの時に動いていてもおかしくない。


 何も考えられずボーッとしているサーミア嬢にオルさんが話し掛けた。


「真実はそれで終わりじゃないよ。この先を知る勇気はあるかい?」


 オルさんは既にタブレットを起動させていた。まだ何かあるのか? と青ざめるサーミア嬢だったが、意を決したのか震える手をギュッと握り締めて首肯する。


 そしてサーミア嬢を交えて皆でタブレットを覗き込んだ。そこに映し出されていたのは、ベフメ伯爵の執務室だった。


「伯爵様、サーミア様お付きの侍女の話では、確かに黒衣の男がサーミア様を刺し殺したのを見たとの事です」


 家令がベフメ伯爵に事件の報告をしているところだった。


「フッフッフッ、そうか。しかしその黒衣の男も面倒な事をしてくれる。死体なんぞ放って逃げ出せば良かったものを、痕跡も残さず持ち帰るとは」


「全くです。お陰で余計な手間が増えましたよ」


「だが、これでサーミアがここカージッド領で何者かに暗殺されたと言う事実が完成した。このカージッド領に攻め込む口実としては十分過ぎる。おい、私はすぐに自領に戻る。軍には戦の準備をさせておけ」


「はっ」


 そう言って二人は執務室を出て行った。



「そんな、嘘よ。お父様が私を殺そうとするはずないわ……!」


 あまりに受け入れ難い真実を突き付けられ、サーミア嬢はその場で崩折れてしまった。ミデンが心配そうに近付くと、その手を舐めてやっている。


「確かに、あなたにとって辛い真実だわ。でも、ここまで関わったのだから、サーミア嬢にはもうひと働きして貰うわよ」


 バヨネッタさんにそう言われて、顔を上げるサーミア嬢。こんな真実を知らされて、更に何をさせると言うのか?


「サーミア嬢、あなた、マスタック侯爵とお話した事はある?」


「え? ええ。首都の夜会でお父様に紹介されて何度か。マスタック侯爵が我が領に来られた時に、案内役を務めた事もありました」


「では、向こうはサーミア嬢を認識しているのね?」


 首肯するサーミア嬢。


「恐らく。マスタック侯爵が虚覚えであっても、お付きの方は覚えていらっしゃるかと」


「では行くわよ」


「え? どこに?」


 バヨネッタさんはサーミア嬢を立たせながらこう口にした。


「マスタック侯爵のところよ。領間の戦争を回避するためにね」


「え? でも侯爵は今、侯爵領ではなく、首都の別邸におられるはずで……、いえ、たとえ侯爵領におられたとしても、今から訴えに向かったとして、戦争は始まってしまうのでは?」


「問題ないわ」


 そう言ってバヨネッタさんは『宝物庫』から転移扉を出したのだった。

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