第77話 兵は神速を尊ぶ

 兵は神速を尊ぶ。軍隊は迅速果敢に動かすのが肝要とのことわざであるが、この時のベフメ伯爵がまさにそれであった。


 サーミア嬢が死んだと知るやいなや、直ぐ様自走車で自領へと舞い戻り、待機させていた領軍を率いてカージッド子爵領へと進軍を開始したのだ。


 対するカージッド子爵は、こちらがダプニカ夫人を通して報告した事で、素早く騎士や集められるだけの兵を集めて、領境へと向かったものの、ブークサレから西、カージッド領内の草原にて相対した両軍は、その軍の規模において五倍近い差があった。


 更に言うならば、ベフメ伯爵軍は領境にて軍事演習を行い鍛え上げられた軍隊であり、対するカージッド子爵軍は慌てて掻き集めた寄せ集めのようなものである。俺にはカージッド子爵軍に、万に一つも勝機を見い出せなかった。



「お疲れ様です」


 両軍が顔を突き合わす草原が見える丘の上の藪の中で、アルーヴたちが待機していた。アルーヴのレイシャさんは逐一俺の持つ通信魔道具に連絡をくれ、どこで開戦するか教えてくれたので、迷わずここまで来れた。アンリさんが全力で馬車を飛ばしてくれたお陰で、余裕を持って開戦前に合流も出来たのだった。


「こんな事させられたんだ、割り増し料金が欲しいところだな」


 バヨネッタさんがいないからだろうか、ムムドが強気である。それを女魔法使いのミューンがなだめる。


 そう、今ここにバヨネッタさんとサーミア嬢はいない。いるのは俺とオルさん、アンリさん、そしてアルーヴ五人である。バヨネッタさんとサーミア嬢は、転移扉でマスタック侯爵との談判に向かったからだ。なので残り者の八人……、


「ゥワンッ」


 ミデンを加えて八人と一匹がいた。まあ何にせよ、たった八人と一匹では、戦争を止める事なんて出来ない。カージッド子爵には出来るだけ開戦を引き伸ばすように伝えてあるが、どれだけ持ちこたえられるかは疑問である。



「カージッドよ! 貴様に殺された我が最愛の娘サーミアの仇、今ここで取らせてもらう!」


 軍の先頭で馬に乗り、全身鎧を身にまとったベフメ伯爵が、拡声の魔法でもって大声で宣言した。


「おかしな事を言うな! サーミア嬢が殺されたのは貴君の屋敷であろう! 我が領の騎士たちも入れぬ場所での事、その罪をこちらになすり付けるなど、看過出来ん!」


 カージッド子爵も、同じく馬上にて全身鎧を着込み、拡声の魔法で反論する。


「ふざけるな! どんな詭弁を述べたところで、貴様の領内で我が娘が死んだ事実は変わらん! その首で持って贖うが良い!」


 カージッド子爵の言い訳に対して、ベフメ伯爵は強引に押し切ろうとする。「こちらは悪くない」「いや、そっちが悪い」を何度となく繰り返し、ついにベフメ伯爵のイライラが爆発した。


「もう良い! 貴様の声は聞き飽きたわ! あの世で好きなだけ詭弁を弄するが良い! 全軍突撃だァ!!」


 ベフメ伯爵の号令により、戦闘が開始される。騎士や歩兵が突撃していく中、魔法使いや弓兵が遠距離攻撃を仕掛ける。ああ、戦争が始まってしまった。バヨネッタさんは間に合わなかったか。まさか戦争をこの目で見る事になろうとは。人がいっぱい死ぬのか。嫌だなあ。と自分の眉間にシワが寄るのを感じながら、事態を静観していると、


 ズドーンッ!!!!


 轟音とともに両軍の間の草原が爆発。その衝撃は大地を大きく揺らし、突風が俺たちがいる丘の上まで届いた。


「何だ一体!?」


 狼狽するムムドらアルーヴたちを横目に、俺は未だ煙が立ち昇る爆心地を凝視していた。この大爆発、やるならあの人しかいない。


「全員武器を捨て、戦闘を中止せよ!」


 爆心地近くから拡声の魔法で聞こえてきたのは、しかして男性の野太い声であった。


「もう一度言う! 全員武器を捨て、戦闘を中止せよ!」


 草原を吹き抜ける風が煙を吹き流し、そして両軍の間、爆心地付近に人影が現れる。


 それは遠目で分かるバヨネッタさんとサーミア嬢だけでなく、壮健な老年男性を中心に、それを囲う騎士たちの姿だった。


 老年男性を見た瞬間、カージッド子爵が「マスタック侯爵!?」と声を上げたので、その声によって両軍にマスタック侯爵が現れた事がじわじわと伝わっていき、段々と武器が捨てられ、皆がマスタック侯爵に向かってひざまずいていく中、ベフメ伯爵だけが呆然とサーミア嬢を見詰めていた。


 そんな呆然とするベフメ伯爵に向かって、バヨネッタさん、サーミア嬢を有するマスタック侯爵一行がゆっくりと近付いていく。そこにきてハッと我に返ったベフメ伯爵は、慌てて武器を捨ててその場に跪いたのだった。


「ベフメよ、これはどう言う事だ。説明せよ」


 侯爵の言葉に、ベフメ伯爵は返す言葉が見付からない。当然だろう。カージッド領への進軍の大義名分であるサーミア嬢の死は、眼前の生きているサーミア嬢によって覆されたのだから。


「…………これは、し、仕組まれたのです! そう! カージッドの罠です! カージッドの奴めが、私を陥れようと、こんな芝居を打ったのでしょう!」


 う〜ん、カージッド子爵以上に無理のある言い訳だなあ。


「ほう? ではこれはどう言い逃れるつもりだ?」


 そう言ってマスタック侯爵がベフメ伯爵に突き付けたのは、オルさんの録画の魔道具だ。恐らく今、伯爵の執務室での様子が映されているはずだ。


「こんな…………、嘘だ! 私はハメられたんだ! こんなものは偽物だ!」


 あくまで自分に非はないと突っぱねるベフメ伯爵だったが、


「ほう? ではお前は、私が偽物の証拠に踊らされる愚か者だと言いたいのだな?」


 詰問するマスタック侯爵に、これ以上は言い逃れ出来ないと判断したベフメ伯爵は、大地を叩いて声を振り絞った。


「私が、やりました。私が、この侵攻を計画しました」


 父ベフメ伯爵の言葉に、サーミア嬢が泣き崩れるのだった。

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