第75話 別邸潜入
金曜の夜、俺はブークサレのベフメ伯爵別邸に忍び込んでいた。日本の自宅で夕食を済ませてから、転移門でこっちに戻り、オルさんが作成した指輪型の『隠形』の魔道具を身に着けて、事前に調べてあった侵入経路からだ。
はあ。何で俺がこんな事をしないといけないんだ。
『そんな事言って、結構ノリノリじゃないか。私をローブに変化させて。『隠形』の魔道具があるんだ、黒い格好なんてしなくてもいいんだぞ?』
俺に念話で話し掛けてきたのは、アニンである。いやあ、アニンさん、久しぶりの登場ではございませんか。
『ほっとけ。武器や道具としては登場していたわ。ハルアキこそ、怪しい仮面まで付けおって、まるで劇の悪役だな』
うう、それに対しては返す言葉もない。俺は確かに仮面を付けている。これもオルさんが造った魔道具で、認識阻害の魔法が掛けられているので、もしも俺の存在がバレても、顔が分からないようになっているのだ。
『似合っとらんぞ』
分かっているよ!
などとアニンと会話を楽しみながら、俺は抜き足差し足忍び足、と音を立てないように伯爵の執務室に向かう。情報提供はダプニカ夫人だ。伯爵別邸に暗殺者が入り込んだ際に、カージッド子爵領の騎士たちによってどこに何があるのか、侵入経路、脱出経路など、事細かに調べられたのだ。その上で侵入するのを見逃して貰った。
今回カメラを取り付けるのは、伯爵の執務室、伯爵の私室、そして家令の私室の三ケ所だ。
「うう、開かない」
伯爵は既に執務を終えていたのか、執務室には鍵が掛けられていた。それはそうか。重要書類などがあるであろう執務室に鍵が掛けられているのは当たり前だ。だがそんな事さえ忘れていた俺たちだった。俺たちって、こう言う行き当たりばったりなところあるよなあ。執務室の鍵ってどこにあるんだろう?
『普通に考えれば、伯爵自身か家令が持っているだろうな』
とアニン。伯爵か家令か。先にどちらへ向かうかな。と頭の中で別邸の間取り図を展開する。伯爵の私室が近いか。
伯爵の私室から声が聞こえる。伯爵と家令の声だ。扉前には騎士が二人、不寝番として警備していた。だよねえ。騎士たちに気付かれないように扉越しに話を聞こうとするが、聞こえてくるのは笑い声くらいのものだ。話の内容までは分からない。
そして騎士がいるせいで、妙な事は出来そうにない。扉がひとりでに開こうものなら、不審がられて当然だ。
どうしたものかな。先に家令の部屋に行ってみるか? でも家令の私室も鍵が掛けられていそうだなあ。ここは家令が部屋から引き上げる時を狙って侵入するのがベターか? あ、でもそれだと下手したら俺、伯爵の部屋で一晩明かす事になりかねないな。
色々考えを巡らせながら伯爵の私室を監視していると、メイドさんがワゴンを押しながらこちらへやって来た。ワゴンに載っているのは、どうやら伯爵の夜食のようだった。グッドタイミングだよメイドさん。
俺はメイドさんが伯爵の私室に夜食を運び入れるタイミングで、こっそりと部屋に忍び込む。
伯爵の私室には天蓋付きキングサイズベッドに、ソファやテーブルが配置されていた。プライベートな時間だったのだろう。伯爵と家令はソファに向かい合わせに座り、酒を嗜んでいたらしい。今来たメイドさんが、既にあった酒や夜食を片し、持ってきた夜食をテーブルに並べていく。
俺はこの隙に天井に張り付くと、天井にカメラを取り付ける。と、
「きゃあ!」
とメイドさんの悲鳴。何事か? とそちらを見遣ると、ベフメ伯爵がスケベ丸出しの顔をして、スカート越しにメイドさんのお尻を撫でている。うわあ凄えな。あんな事を本当にするおっさんって存在したんだ。
などと見ている場合ではないか。助けるべきなんだろうけど、今の俺は『隠形』の魔道具で姿を隠している身だ。気付かれる訳にはいかない。なんて躊躇しているうちに、伯爵の手はスカートの中にまで伸ばされようとしていた。
気持ち悪さにぞわりと全身の毛が逆立つ。これ以上は見ていられない。当て身でもして伯爵と家令を気絶させるべきか? 出来ないけど。なら頭でもぶん殴るか? それで気絶するかなあ? と考えていると、
「伯爵様、今宵はそこまでになさってくださいませ」
伯爵を制止したのは家令だった。
「あん? 貴様私に指図するのか!?」
酔っているのか、伯爵は声を荒げる。
「伯爵様。今宵はまだ予定がございますれば」
と頭を下げる家令。予定? こんな夜更けに? と家令の言葉に伯爵も予定を思い出したようだ。
「おお! そうであったな! 今宵はまだやるべき事があったのだった!」
そう言ってメイドさんを離すと、夜食はもういい。とこれを下げさせる。
「では、私も一度部屋に戻らせて頂きます」
と家令も退室を申し出て伯爵の私室から出で行こうとするので、俺は慌ててその後を付いて行った。
「くっ、あの色ボケ伯爵が!」
私室に戻った家令は、鍵束を机に放り投げると、クローゼットを何度も蹴飛ばし、苛立ちを露わにしていた。
「はあ、はあ、はあ、まあ良い。今回の策が上手くいけば、あれがあるこの地も伯爵のもの。そうすれば俺の元には更なる富が流れ込んでくる。あれも一緒に」
と一人ほくそ笑む家令。あれ? 家令は何か欲しいものがあるのか? などと思っていると、家令はコレクションなのか、調度品であろう花瓶や食器などを並べて悦に入り、一人酒を飲んでいるうちに眠ってしまった。
俺はこの隙にカメラを取り付け、机から鍵束を拝借すると、家令の私室を後にする。
その後鍵束の鍵を使って執務室に入ると、カメラを取り付け、鍵束は家令の部屋に戻しておく。良し。これでやるべき事は全て終えたぞ。後は脱出経路から逃げるだけだ。
と廊下をこちらへ向かってやってくる人影に、俺は直ぐ様壁に張り付きやり過ごそうとした。人影はサーミア嬢だった。
「全く、お嬢様、あまり夜更かしをされてはいけませんよ」
お付きのメイドさんが注意している。どうやらサーミア嬢はメイドさんたちの部屋まで遊びに行き、そこで黒衣の君の素晴らしさを延々と語る、と言う周りからしたら地獄みたいな遊びをここ数日続けていたらしい。何やってるんだろうこの人?
「誰です!?」
え!? バレた!? 壁に張り付いていた俺は、メイドさんに誰何されてドキッとした。このメイドさん、『索敵』か何かのスキル持ちか!? そう思っていたら、廊下の曲がり角から新たに人影が現れる。真っ黒なローブを着た正体不明の人物だ。
「あなたはもしかして!?」
その姿に声を上げたのはサーミア嬢だった。
「フフ、お嬢さん、あなたの私を呼ぶ声を聞きつけて、今宵、あなたの前に姿を現した愚かな私をお許しください」
声からすると男らしいが、なんだかキザな物言いだ。
「やっぱり。あなたは黒衣の君なのですね?」
サーミア嬢の言葉に、黒ローブの男は静かに頷いた。…………はあ!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます