第64話 お犬様の去就(前編)

 ロッコ市の北の関所が騒がしくなっていた。それはそうかも知れない。見慣れない人影が二つ、空を飛んでそちらへ向かっているのだ。


 お? 騒ぐ人々を押しのけて、警備隊が前に出てきた。関所のある壁の上にも警備隊が集まっている。う〜ん。


「バヨネッタさん。これ以上飛行して近付くのは、無用の戦いを呼ぶのでは?」


「知った事じゃないわね。こちらに依頼を出しておいて、戦おうって言うなら、掛かってくればいいのよ」


 それはちょっと違うんじゃ。ポンコ砦からさっさと戻ってくる為に、俺もバヨネッタさんも空を飛んでロッコ市まで舞い戻ってきた訳で、戦う為じゃない。


「ワン!」


「ほら、ミデンも戦いたくないって言っていますよ」


 自身の膝の上に乗る、小型犬サイズのミデンの、「戦っちゃ駄目だよ」と訴えるようなキラキラの目に、バヨネッタさんは、仕方ないなあ。と言った感じでその頭を撫でると、ロッコ市前に降下していくのだった。


「何してるの? ハルアキも降りなさい!」


 バヨネッタさんにそう言われ、俺は心の中で「それ俺が先に言ったやつ!」と思いながらも素直に従い、ロッコ市のすぐ手前で、俺とバヨネッタさん、ミデンは地上に足を降ろした。


 すぐに俺たちのところに駆け付けてくる警備隊たちだったが、その姿が俺とバヨネッタさんだと判明すると、離れたところで包囲するに留まった。がっつり近付いてこないのは、俺たちが犬を連れているからだろう。


「まさか、ミデン! ミデンなのか!?」


 そんな中で、隊員たちを掻き分けて俺たちの前に姿を現したのは隊長さんだ。


 バヨネッタさんの横にちょこんと座るミデンを見て、視線を合わせるように座り込んだ隊長さんが、ミデンへ恐る恐る手を伸ばす。


 ミデンは初め怖がって俺の後ろに隠れて様子見していたが、相手の隊長さんが誰だかだんだんと思い出してきたらしく、ミデンも恐る恐る隊長さんに近付き、その差し出された手の先をぺろりと舐めるのだった。


「ミデン!」


 それが嬉しかった隊長さんは、思わずミデンを固く抱き締め、大粒の涙を流して喜びを露わにする。


 感動の再会に俺も泣きそうになりながら、良かったですね。とバヨネッタさんの方を見遣ると、なんかハラハラした顔をしていた。


「どうしたんです?」


「ミ、ミデンは隊長さんの方が好きなのかしら?」


「そりゃあ期間は空いていたとはいえ、今日会ったばかりのバヨネッタさんよりは、隊長さんの方が思い入れがあるんじゃ?」


 と口にしたところで、しまった! と俺は閉口した。バヨネッタさんが酷く落ち込んでいるからだ。もしかしたら、このままミデンとお別れする事になるかも知れない。と思っているのだろう。


「ああ、ええと、隊長さん」


「なんだい?」


 ミデンに顔をベロベロ舐められながら、隊長さんがこちらを振り向く。良かった。俺の声は聞こえていたか。


「ここにずうっと立ちっぱなしもあれなので、詰め所に行って顛末を話したいんですが」


「ああ、そうだな」


 と隊長さんは先頭に立って詰め所に向かって行く。ミデンを抱えたまま。


「ミデン……」


 そのミデンを見ながらバヨネッタさんは悲しそうに呟くのだった。



「つまり、千匹の魔犬はミデンが出した分身だったと?」


 そう言って事情聴取をする隊長さんが俺を睨んでくる。怖い。何故なら俺の膝の上にミデンが座っているからだ。


 初日に入った会議室のような部屋へ通されたところで、隊長さんがミデンを下に降ろすと、ミデンは直ぐ様俺の足元にすり寄ってきたのだ。それにショックを受ける隊長さんに、ニヤリとするバヨネッタさん。なんだかなあ。


「ミデンはこっちなあ」


 と俺が膝の上のミデンを、俺とバヨネッタさんの間の床に座らせると、バヨネッタさんがすぐにミデンを持ち上げて、自身の膝の上に座らせる。はあ。


「それで、ミデンに関してなのですが……」


「もちろん飼うわ!」


 隊長さんの言葉を遮るようにして、バヨネッタさんが口を開く。


「いやあ、流石に旅を続けるのに犬連れは大変なのでは?」


「そんな事はないわ。古来より人と犬は寄り添い暮らしてきたもの。旅をともにしてきたと言う文献や旅行記だって、山程残っている。連れて行くのは普通よ」


「いやあ、しかし安全な場所で安全な暮らしの方がミデンにとっても幸せなのでは?」


「ミデンは強いから大丈夫よ。それにこの街が安全だって本当に言えるの? ミデンがポンコ砦の番犬だと知れれば、恨みを持っている人間に襲われたりするんじゃないの」


 お互いにそこまで言って両者睨み合う。


「まあ、どちらの言い分も分かります。それにミデンは強いですから、旅であれ街中であれ生きていけるでしょう」


 俺の言葉に首肯する二人。


「ならば尊重すべきはミデンの意思だと思います」


「ミデンの意思」


「確かに」


 俺の意見に二人は強く頷いてくれた。


「隊長さん。確か他にも何人かミデンを引き受けたいって人、いましたよね?」


「ああ」


「では明日、その人たちを黒犬の寝床亭に集めてください。その人たちとバヨネッタさんの中から、ミデンが一緒に暮らしたいと思った人に、ミデンを託しましょう」


 俺のこの意見はすんなり通り、と言うか二人とも自信満々でこの意見を通したので、この場は解散となり俺たちは黒犬の寝床亭へと帰っていた。



「ほう、これがポンコ砦の番犬ですか。犬、良いんじゃないですか? 従順なのがまた良い」


 オルさんはミデンと一緒に旅をするのに否定的ではないらしい。アンリさんに至っては、


「キャー、かわいい!」


 と「かわいいかわいい」を連呼していて、バヨネッタさんと手を握り合っている。はっきり言ってうるさい。


 どうやらこのメンツには犬嫌いはいなかったらしい。これなら旅に連れて行っても問題なさそうだ。



 翌日。黒犬の寝床亭の中庭に十人以上の人間が集まった。


 バヨネッタさんに隊長さん、この宿の主人に知らない人がずらり。老若男女問わずと言った感じだ。領主様のところの使用人まで来ていた。まあ、領主様としたらワンチャン良い番犬が手に入る可能性があるのか。


 そんな職業も年齢も性別も様々な人々が、中庭で横一列に並んでいる。そして十メートル程離れて俺がミデンを抱えていた。


「じゃあ、これからミデンの飼い主選抜試験を始めます」


 首肯する人々を見回した後、俺はミデンを地面に置いた。


「ミデン!」


「ミデンちゃん!」


「ミデン、こっちだ!」


「ミデン!!」


 皆が一斉にミデンの名を呼び、膝を折り、頭を下げ、目線をミデンに合わせて、手を叩いて、ミデンを呼び込む。


 そうやって呼ばれたミデンは、ちょこちょこちょこと、俺と飼い主候補たちの中間まで進むのだが、そこで止まってしまった。


 ミデンは右へ左へうろちょろして、必死にミデンに呼び掛ける飼い主候補たちの、誰の元へ行けば良いのか迷っているようだった。


 迷って迷って迷った挙げ句、ミデンは俺の元に戻ってきてしまった。


「ああああ〜〜」


 飼い主候補たちから落胆の声が漏れる。


「ハルアキ! もう一回よ!」


 それでも諦めないバヨネッタさん。それに倣うように他の飼い主候補たちからも声が上がる。


 仕方ないので俺は、俺の足にすり寄っているミデンを、くるっと半回転させると、


「ほら、ミデン。ミデンの新しい飼い主だぞ」


 と飼い主候補たちを指差すが、ミデンはやはり半分程進むとこちらへ戻ってきてしまった。それは何度やっても同じだった。



「これはもう、認めるしかないな」


 隊長さんらはどうやらミデンを飼うのを諦めたようだ。そんな中一人バヨネッタさんだけ歯噛みして俺を睨んでいる。何で?


「分かったわ。ミデンの飼い主はハルアキって事にしてあげなくもなくもないわ!」


 どっちだよ! そんなにミデンが俺を選んだのが悔しいのか?


 その後は飼い主候補たちでミデンを囲む会を開き、ミデンの思い出などを話しながら過ごしたのだった。

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