第61話 砦の情報

 ポンコ砦はロッコ市から西、朝早くから登れば、昼には着く場所にある。そこはガイトー山脈の稜線でも一番低い場所で、昔から山脈の西と東を隔てる山々の、抜け道のような場所であった。ポンコ砦はその抜け道を塞ぐように建てられているのだ。


「幽霊?」


 金曜の夕方、黒犬の寝床亭のバヨネッタさんの部屋で、ボロボロのアルーヴたちが説明してくれた事に、俺は思わず聞き返していた。いや、まずアルーヴたちが何故ボロボロなのかから説明させて貰おう。


 冒険者たちにこちらの情報を漏らした制裁として、ポンコ砦に行って、件の魔犬の情報収集をしてくるように命令されたアルーヴたちが、現地で必死に駆けずり回って手に入れてきたのが、この情報だった。


「いや、実体があるんで幽霊って言うのともちょっと違うんですけど」


 そう返したのは今回の原因を作った、酒場で俺たちの情報を漏らした張本人、黄緑の髪をした双短剣使いのムムドである。俺と初めてあった時に、言い返してきたのが彼だ。しかしなんとも煮えきらない答えだ。


「確かに実体があって噛みつかれれば痛いし、体温も感じるんですけど、殺すと死体も残らず霧状になって消えるんです」


「何よそれ?」


 魔犬の要領を得ない生態に、バヨネッタさんの眉間にしわが寄る。まあ確かに、今までこの異世界で出会ってきたどの生物とも違った生態である。


「つまり、相手の魔犬は千匹以上いる上に、殺しても死体と言う情報も残さず霧になって消える。って事ですか?」


 首肯するムムドたちアルーヴ。千匹以上と言う大袈裟な情報も、ムムドたちからもたらされたものだ。


 十一人の冒険者たちは、自分たちだけでは対処しきれない、と領主様からの報奨金を頼みに、ロッコ市の冒険者ギルドに依頼を出した。


 そこで新たに二十人を雇った冒険者集団は、ポンコ砦を攻略しに掛かったのだが、その千匹以上の魔犬の群れによって、またしても返り討ちにあい、再三逃げ帰ってくる事になったようだ。現在雇った二十人への報酬の支払いで四苦八苦しているらしい。


「他に情報はないの?」


 ムムドを睨むようにバヨネッタさんが尋ねる。


「へい。奴らは電撃を飛ばしてきます」


 その情報にバヨネッタさんが顔をしかめる。俺もしているかも知れない。それだけ嫌な情報だった。電撃を飛ばしてくる。と言う事は、ムムドのように短剣に電撃をまとわせて攻撃してくるのとは違うのだろう。遠距離攻撃はそれだけで脅威だ。


「もうそれ以上情報はないわね?」


 尋ねるバヨネッタさんに、アルーヴたちは頷き返す。それに対して「分かったわ」と言うと、バヨネッタさんは五人に一本ずつポーションを渡して帰らせた。



「なんか得体の知れない相手ですね」


「そうね」


 実体があるくせに倒すと霧のように消え、電撃を飛ばしてくる千匹以上の魔犬か。中々に骨が折れそうだ。いや、骨が折れるだけで済めば良い方か。


 明日の魔犬退治を考え、ナーバスになっているところに、部屋の扉がノックされた。アンリさんが誰何すると、扉の向こうにいるのは、初日に会った警備隊の隊長さんだと言う。


「何の御用かしら?」


 警備隊隊長の横には、この黒犬の寝床亭の主人が並び立っていた。


「明日、魔犬退治に出るとお伺いしてやってきました」


 このタイミングを狙って、って事は何か情報を持ってきてくれたのだろうか?


「ミデンを、……ポンコ砦の番犬を、助けては貰えないだろうか?」


 違った。良く分からないお願いだった。


「隊長さんは、ポンコ砦の番犬とはどういった関係なのかしら?」


 バヨネッタさんの質問に頷き返す隊長さん。


「俺は十年近く前まで、あの砦で働いていました」


 へえ。そうなのか。


 何でもポンコ砦と言うのは、ガイトー山脈を越えて西にある大国、オルドランド帝国に対抗する為に築かれた砦で、今から十年近く前にオルドランドとカッツェルとの間に、和平が結ばれるまで長年現役で活躍していた砦なんだとか。


 その砦にいつの頃からか一匹の魔犬が住み着いたそうだ。いつあるか分からないオルドランドのからの侵攻に備え、疲弊していたポンコ砦の兵士たちにとって、その魔犬はいつからか心の癒やしになっていった。


 魔犬のわりに大人しいその犬は、ミデンと言う名を付けられ、兵士たちからはポンコ砦の番犬の二つ名で呼ばれるようになっていく。


 十年近く前にオルドランドとカッツェルとの間に和平協定が締結された事で、ポンコ砦はその役目を終え、一人、また一人と兵士たちが砦を後にしていく中、一匹取り残されるミデン。


 徐々に寂しくなっていくポンコ砦で、それでも残り続けていたミデンを可哀想に思った有志が何人かいた。警備隊の隊長やこの宿の主人などである。


 彼らはポンコ砦まで赴くと、魔犬を説得し連れ帰ろうとしたが、全員説得に失敗。魔犬はその後も一匹でポンコ砦に残り、そこを通る旅人や商人などを見守り続けて今に至るのだと言う。


「魔犬と言っても優しいやつなんだよ」


 と俺たちに訴える隊長と宿の主人。


「そう言われても、実際そこを通る旅人や車に被害が出ているし、その被害によって西ルートは封鎖されているのでしょう?」


 バヨネッタさんの言に苦々しげに首肯する隊長と宿の主人。


「分かっている。でも千匹もいるんだろう? そのうちの一匹だけでも、見逃して貰えないだろうか?」


「無理ね」


 バヨネッタさん一刀両断だな。


「私たちではその一匹の魔犬を見分けられないもの。第一、生死の懸かった戦場で、そんな甘い感情が持ち込めない事くらい、隊長さんだって分かっているでしょう?」


 隊長さんと宿の主人は、バヨネッタさんの言葉にがっくりと肩を落とし、これ以上の問答は無用と悟ったのか、部屋を後にしていった。


「バヨネッタさん」


「ハルアキ。まさか情にほだされて、その魔犬を助けたい。なんて言うんじゃないでしょうね?」


 確かにその魔犬に侘しさは感じるが、流石に俺も千匹の中から一匹を見付け出すのは無理だと思う。


「いえ、元々ポンコ砦の番犬と呼ばれる魔犬は、そのミデン? と言う魔犬一匹だったんですよね?」


「そうね」


「じゃあ、他の千匹の魔犬は、どこから来たのかな? と思いまして」


「興味ないわね」


 そうですか。


「第一それを言い始めたら、最初の一匹であるその魔犬自体どこから来たのか? と言う話になってしまうわ」


 言われてみればその通りだ。


「私たちは魔犬を退治する事だけを考えていれば良いのよ」


 確かに。明日の魔犬退治に専念しよう。


「これも、魔王の『狂乱』の影響なんですかね?」


「恐らくそうでしょうね。一年近く前からと言う話だし、千匹の魔犬なんて異常事態だもの」


 おのれ魔王。面倒臭い事態を作り出しやがって。出会うような事があれば覚えていろよ。いやまあ、出会いたくはないけど。

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