人のかたち 心のかたち

山三羊

第1話

「汚されちまったよ……。オレの大切な人が……」


 いつも、そうだ。

 大切なことに、目を向けていない。気がつくのは、いつも後になってからだ……。


 どうしてこんなことになったのだろう。


 思えば、それは、昨日の朝からずっと考えていたことだった。


    ◇


 暖かくなってきた。

 朝から、うららかな日差しが背中に降りそそぐ。見上げればお日様が照らしているのだろうが、いちいちそれをたしかめる気にはならない。コンビニで買った缶コーヒーをすすり、会社への道すがら考えた。


 どうしてこんなことになったのだろう。


 思えば、突拍子もないだった。

 やることなすこと、すべてがだ。こいつフザケているのかと思えば、本人はいたって大真面目。真剣につくった料理が大惨事でSNSでバズってたこともあった。ヤツの周りには不思議といつも人が集まって、少し眩しかった。


 そんなヤツが突然、会社をやめたのが半年前だった。

 いや、本人にしてみれば突然でもなかったのかもしれない。思えば、ことあるごとに「会社辞めるわ」みたいなことは言っていた。まあ、そんなの誰しもよく言うことだが、ホントにすっぱり辞めてしまうところは、らしいといえばヤツらしい。

 退職してヒマを持て余したヤツは、周りに勧められるがままにゲーム配信をはじめた。それが好評になり、おもしろ半分に2次元美少女のキャラクターがつくられSNSで流行ったりしても、まあいつものことかぐらいにしか思っていなかった。やっぱり、ヤツの周りには人が集まる。それが自然なんだろうなって。


「なんなら、売れに売れてくれ」くらいの軽口を叩いて斜に構えていたオレが、予想もしていなかったことが起きたのは、その後だ。


 ヤツが、ホントに美少女になった。


 いや、正確にいえば、ようになってしまった。

 サイバネティック・アバター技術――そう呼ばれているが、もともとはAIやロボットと人を結びつけて、人の能力を拡張するための技術体系だ。政府の旗振りで進められているこの技術開発は、人の分身となるロボットから、能力を拡張するAIの技術開発まで、多岐に渡る。

 その一環で開発されたバーチャルリアリティの技術が製品化された。短焦点プロジェクターとカメラ、ヘッドセットが組み合わされたこのメガネ型デバイスは、かけると自分の姿と声を変えることができる。いわばアバターになれる技術だ。投影を使った光学迷彩という既存の技術の応用だが、日常環境下でここまで小型化されての実用化は、やはり国の後押しがあったからだろうか。

 視覚情報をイジられると、人の脳はカンタンにバグる。

 有名な例はラバーハンド錯覚だろう。テーブルの上に両手を置き、片方の手をついたてで隠して、かわりにゴム製のダミーハンドを見えるところに置く。すると不思議なことに、人はこの目の前に置かれたゴムハンドを自分の手と錯覚してしまうのだ。ゴムの手を叩かれて痛そうなリアクションする外人の動画を、学生のころ教養の授業で見たことがある。*

 同じように、おっさんでも自分の姿を隠されて少女の姿になって、少女の声で振る舞えるようになると、自分を少女と錯覚するようになる。少女の容貌に、精神の方が引っ張られ、普段どおりの振る舞いができなくなってしまう。身体は何一つ変わっていないにもかかわらず、かたちがかわると、心が変わってしまうのだ。

 この錯覚が、ことがわかってきた。「引き込み現象」と呼ばれているが、見ている側にしてみれば、見た目も声も少女で、振る舞いまで少女になれば、中身は違うとわかっていても、つい少女と思い込んでしまっても無理はない。**

「かつて人類が月を目指したように、新しい未来を切り開く『日の丸』イノベーションの創出」とかうたってるプロジェクトで出来上がったのが「おっさんを美少女にする技術」とか、そんなの予想外にも程があるだろ。説明しろ、ドラッガー!***


 ……と、朝からエキサイトしてムダに汗をかいてしまった。陽気のせいもあるが、やはりコーヒーのカフェインは脳を呼び覚ましてくれる。


「こはるびよりか……」


 いや、小春日和は秋から冬にかけての陽気だったっけ。暦の上では春とはいえ、明日は寒いかもな。この季節は寒暖を繰り返すものだから。

 気がつくと、もうすぐ職場だ。


 どうしてこんなことになったのだろう。


 結局、結論は出ていなかった。

 仕事中も悶々と考えてしまうのだろうか。

 考えても明日ヤツに会うまでに結論はでないだろう。

 それでもだ。

 考えなくてはいけない。


 だって――

 少女の姿で配信するヤツが、カワイくて、カワイくて、しかたなくなってしまったのだから。


    ◇◇


 当然のように少女の姿で、ヤツはいた。

 ヤツが転職して1ヶ月。会うのは一ヶ月半振りだろうか。この姿になってから会うのは、はじめてだ。

 仕事も落ち着き初給料も出たということで、久々に会って飲もうことになった。ヤツとしても、少女の姿を人に見せるのがおもしろいらしい。先月も転職早々、この姿で飲みに行ったと話していた。

 それにしても、大丈夫なのか。この愛らしい姿で酒席に行って。中身はかねてより知るおっさんとはいえ、人の理性とはそれほど強固なものなの――

 アレ? オレ、今、何を考えていた?

 いかん、いかん。コイツはおっさん。オレとおなじおっさん。

 よし。

 結果的には、ヤツの家で鍋というのはベストな選択だろう。この姿を他の男に見せなくて済む――

 って、だから。

 まずい。完全にまずい思考の流れだ。


「はえ~。ワンタンって生もあるんだぁ~」

 ヤツはいつもどおりバカなことを言っている。

 こちらもいつもどおりの軽口を返しているつもりだが、正直、いつもどおりかどうか怪しい。別に、今は女性に耐性がない訳ではないが、十代の少女の姿を意識してまうと、こちらまであの頃のうぶな気持ちになってしまう気がする。

 ダメだ。

 飲もう。

 こういうときは、とりあえず飲もう。アルコールを入れてから考えるに限る。オレのあふれる知性が告げている。アルコールをバーストさせろと。


 ――やはり、アルコールはいつもオレをクリアにしてくれる。

 結論は出た。

 オレは悪くない。

 悪いのはヤツ。だって、カワイすぎるんだもん。

 そもそも、アレだ。この姿がオレの好みにストライク過ぎるのが悪い。アレだ。アレ。何年か前にやってた駄菓子屋のマンガ。アレに出てくる三白眼気味の、ムネが薄い妹キャラ。たま~に、ツインテールにしてたあの子。アレよ。アレ。アレを思い出すよね。はぁ~、ぐうかわ。語彙力がなくなってしまう。

 ってか、ホントかわいいな。鍋をつついてるだけで、かわいい。男と二人きりで飲んじゃいかんでしょ、コレ。いっそ、押し倒してやろ――いやいや、知性、知性。

 っというか、ヤツめ、いつのまにオレの真横に座ってやがる。距離感近くないか? 前からこんなだったっけ? やめろ、つつくな。バカッ、知性があふれてしまうだろう。

「なんだぁ~。バ美肉した私のこと意識しちゃってるのかぁ~」

 バカっ。ちっ、ちげぇーよっ!! クソッ! こいつわざとやってやがった。完全にからかってやがる。

「どうだ~。カワイかろ~? どうよどうよ~」

 バカッ、ムネを押し付けてくるなっ!! ふにっと。ふにっとした感触がぁ! ダメェ。知性がッ。それ以上は、知性が、あふれちゃ――。


 ガタン


 と、思ったときには押し倒してしまっていた。


 オレに覆いかぶさられて両手を抑えられてるか弱い美少女の姿を目の当たりにして、さすがに少し冷静になった。

 ってか、こいつの腕ゴツくないか?

 つかんだこの手首の感触。見た目のとおりの少女のそれとはまったく異なっている。そう、こいつはおっさんだ。最新技術で美少女に見えるとはいえ、それは見かけだけだ。

 この距離で凝視しても、やはり美少女。見た目は完壁……じゃなかった、完璧だ。室内環境では死角なしか。聞いたところによると、舞台上のスポットライトとか明暗の差が激しいところでは投影がうまくいかないこともあるらしい。

 とはいえ、今は室内で、この見た目。この姿がこちらを惑わせてくる。今は少し冷静になったものの、さっきムネを押し付けられたときは、本当にヤバかった。固い胸のはずなのに、ありえないふにっとした感触が腕に……。アレが世間でいってる「脳がバグる」ってヤツなのか? 酒が入っているとはいえ、あんなの本物と区別つかないじゃないか。

 突然押し倒してされたせいか、さっきまで「正直、変な気になってるんじゃぁ~」って軽口を叩いていたヤツも、さすがに少々目が泳いでいる。とはいえ、このままこのまま放すのも気まずいし、何より負けた気がする。どうするか――。この沈黙の中、先手を打ってきたのはヤツの方だった。


「おまえもか~。しかし、そうはならんのよ!」


 その瞬間、ドロリとした濁ったものが背筋を走る。

「……『おまえも』?」

 ヤツにしてみれば、いつもの軽口のつもりだったのだろう。

 だけど、何だ?

 おまえ『も』って何だ?

 オレ以外ともこんなことがあったというのか。

「アイツだな……」

 即座にピンときた。

 心当たりがあった。アイツだ。

 オレたちの共通の友人。先月、飲みに行ったという話は聞いていた。好奇心旺盛なアイツは、「誰よりも早くこの目で見ないとなぁ――」と、言ってたっけ。思えば、この姿を見てアイツが何もしないわけがなかった。見て、触って、何ならイケるところまで――。

「で、ヤッたのか……」

 ヤツは言葉なく、ただ、うなづく。

 想像したくないが、カンタンに想像できてしまう。「こんなレアな経験そうそうないでしょ」とばかりに興味の赴くまま突っ走るアイツと、「まあ、えっかなぁ」でそれに流されてしまうヤツの姿が。想像できしまう。が、わからない。そんな、


「ひどいよ……」


 思わず、口から出た言葉だった。自分でもわからない。酒のせいか思考は加速しているが、何を考えればいいのかがわからない。なんで「ひどい」なんだ? なんなら「ありえねー」ってゲラゲラ笑いとばす、その方がよっぽど自分らしいのではないか。


「オレは、ホントはずっと前からお前のことを……」


 まて、オレは何を言おうとしている。たしかに今のヤツはかわいくてしかたがない。脳がバグる。アイツ許せねぇ。オレは前からずっとヤツのことが。鍋が煮えてる。何なんだ。

 加速した思考が発散してまとまらない。何かあると、いつもこうだ。思考が並列に走り出す。頭の中で、7人のオレが、ヨーイドンで一斉に好き勝手に走り出しているようだ。どの思考を追えばいいのか見当もつかない。


「汚されちまったよ……。オレの大切な人が……」


 喉の奥から絞り出されたのは、この言葉だった。いや、実際は絞り出せてすらなかったかもしれない。その方が、よかった。もしはっきりと声に出していたら、そのまま涙も一緒にあふれだしてしまっていただろう。

 って、悲しいのか、オレは!? オレは今、どんな表情をしているのだろう。わからない。わからないけど、とにかく、この場から逃げ出したかった。


「……れよ……。もういいよっ、帰れよ!!」


 とっさに、そう言ってしまったが、帰るならオレの方だろう。ここはヤツの部屋だ。でも、もう引っ込みがつかない。流れ出した言葉も、感情も。


「そっか。わかった。少し、頭冷やしてくる。ついでにコンビニにいってくるわ」


 そう言って鍋の火を止めると、ヤツはこの自分の部屋を出ていった。

 いつも、そうだ。ヤツはそういうところがある。表ではゲラゲラ笑って「おもしろければアリでしょ」というスタンスのくせに、その裏で常に「どうしたら相手が傷つかないか」を考えてる。

 今だってそうだ。頭を冷やさなきゃいけないのはオレの方なのに、あえてあんなことを言って自分の方が出ていった。結局、やさしいんだ。ヤツの周りに人が集まるのだって、ヤツが突拍子がなくて、ひょうきんだからだけじゃない。それでいて、いつも周りが傷つかないように気遣うヤツだからだ。暖かい。そう、まるで春の日差しのように。

 だた、それを認めたくなかった。認めるのが怖くて見ないようにしていた。ヤツとは、いっしょにバカをやる、ただの腐れ縁。そういう関係でいたかった。

 だって、

 認めてしまったら、

 ヤツのやさしさを認めてしまったら――、


 ――オレが、ずっと前からヤツを思っていることに、気がついてしまうから――。


 そうか、そうだったのか。

 オレはずっと前からヤツのことを思っていたのか。

「とっさの一言が、案外、本音なんだな」

 オレは、いつも考えすぎていたのかもしれない。

「とりあえず、ダッシュで追いかけますか」

 ひとり、そうつぶやくと、いそいでブーツを履きだした。何を言うかは、追いかけてから考えればいい。


 部屋を出てダッシュで追いかけたはいいけど、すぐに息が切れて走るのをやめた。十代の頃とは違う。そもそも運動不足のアラサーには、無理があった。青春の勢いに身体がついてこない。それに、コンビニまで意外と距離があった。こんなに遠かったか? 今までそう感じたことはなかった。いつも、すぐ着いてたような……。

「そっか、ヤツといっしょだったから」

 さっきから、ひとり言が多くなってる気がする。危ないな。でも、そうだ。いつもは、ヤツといっしょにだべりながら歩いていたから、あっという間に感じていたのかもしれない。そうそう、夏なんか、そこの公園に寄ったりして――。


 いた――。


 ヤツだ。公園の街灯の近くで缶コーヒーを両手で持ち、彼方を向いてひとり佇んでいる。コンビニに行ったんじゃなかったのか……。というか、少女じゃない。いつもの後ろ姿じゃないか。そうか、周りが暗くて街灯の光が明るいから。明暗の差があると投影がうまくいかないって、こういうことか。まだまだ改良の余地がある技術なんだな。

 まあ、こんな夜道に少女の姿だったら危ないし。それに、こっちの姿の方が話しやすいか。そのまま声をかけようと後ろから近づくと、


「汚れつちまった悲しみに……かぁ……」


 不意に、姿に似合わない少女の声でつぶやきが聞こえた。

 中原中也――山羊の歌の一節だ。いや、別の方のだろうか。どちらにせよ、なぜ今、それを。相変わらず突拍子もない。つい、声を掛けそびれる。

 ヤツはそのまま、上を見上げはじめた。どうしたのだろう。つられて、その視線の先に目を向ける。


 はらり――


 雪――春先の淡雪がはらはらと、真っ黒な夜空からこぼれている。今まで、気がつかなかった。これを見ていたのか。

 こんなふうに空を見上げたのなんか、いつぶりだろう。思い出せない。見上げれば、いつだってそこにあったはずなのに。ああ、オレは今まで、何をしてきたんだろう。吹き抜ける風にさえ、そう問われている気がする。


「欲しいものは、欲しいと言えっ」


 ヤツがまた、少女の声で、つぶやく。

 思わず、踏み出して、手をのばす。


「欲しい!!」


 袈裟に振りかぶるかのように、後ろから抱きしめていた。

 ああ、こいつが、今、こちらの姿で良かった。少女姿のままだったら明らかに事案だ。それにしても、これがオレの本音なのか。何を伝えようか、考えてはいなかった。追いかけてから考えようと走り始めたものの、息が切れてからは結局何も考えられなかった。でも、一番伝えたいことが、この言葉だったのかも知れない。ダメだ。声に出したら、あふれてきた。


「オレ、ずっと欲しかったんだ……。でもっ……。でもっ、この関係が壊れるのが怖くって……。なら、このままでもいいかなって……。なのに……」

「わかった、わかったよ」

 そう言いながら、オレの頭に触れてきた手を、すぐにオレの手に添える。冷たい――。

「わかってない! オレ、おまえのことが……」

「わかった、よくわかったから。とりあえず部屋に戻ろう。な、凍えちゃうから」

 たしかに。部屋を出てからずっと、ここでひとりで佇んでいたのだろう。このままでは風邪を引きかねない。オレもさっき走ったときの汗が冷えてきている。

「その前に、ついでだからコンビニ寄って酒を買い足していくかぁ。」

 冷え切った手で、ヤツはそう続ける。

 そうだな。帰った方がいい。暖かいあの部屋へ。


 気がつけば、オレはべそべそに泣きじゃくっていた。いったい、なぜ。こんな子どもみたいに。いつからだ!?

 街灯の下を出ると、ヤツはすぐに少女の姿に戻った。少女に手を引かれ、いい歳して泣きじゃくりながら歩くオレを見て、人は何を思うだろうか。それでも、構わず歩く。

 

『汚されちまったよ……。オレの大切な人が……』

 さっき、オレは自分でそう言っていた。オレが、オレ自身の気持に目を向けなかったばかりに、だ。

 ただ、今回の件は、そこまでオレは悪くない。ホントに悪いのはヤツ自身とアイツ。二人が加害者で、オレはいわば被害者だろう。そう。ヤツも加害者側だ。さて、これから、どう償ってもらおう。少し、楽しみになってきた。そんなことを、ぼんやり考えていた。

 いつのまにか、つないだ手が、暖かくなっている。


 手の先を見ると、また、ヤツは空を見てる。


 オレも、これからは、まっすぐ見てみようと思う。


だって――

 どんな姿でも、ヤツが、カワイくて、カワイくて、しかたなくなってしまったのだから。





(注)

*ラバーハンド錯覚の有名な動画:

The Rubber Hand Illusion - Horizon: Is Seeing Believing? - BBC Two

https://youtu.be/sxwn1w7MJvk


** 引き込み現象:

引き込み現象の研究は、17世紀にクリスチャン・ホイヘンスが、自身の発明した振り子時計を見て発見したことがはじまりとされる。現在では、引き込み現象の数理モデルは、物理現象だけでなく、化学、生命、コミュニケーション、社会現象など、様々な周期的な活動に当てはまることがわかっている。


*** ピーター・ドラッカーは著書「マネジメント」の中で、企業におけるイノベーションの重要性を説き、イノベーションにつながる最も重要な要素として「予想外のもの」を挙げている。

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