第12話 ドラゴン昔話①

「…。××××!」


 はっ、と目が開く。途端に飛び込んでくるあまたの景色。

 光、太陽、梢、空、雲、風に揺れる葉の数々。


 そして、自分を覗き込む空と同じ色の瞳。


「やぁっと起きた!お前ここで昼寝するの好きだなあ」


 自分の顔を見下ろす人間を前にして、××××は目を瞬いた。


 そしてすぐに思い出した。こいつの名前はアレックス。

 麓の村に住んでいる青年で、そして村では一番自分に近しい存在だった。


 うららかな昼の日差しを背に、アレックスは××××を見下ろしてにやりと口の端を釣り上げた。


「世界最強のドラゴン様が、こんな簡単に頭上取られて。そもそも呑気にお昼寝とかしてていーのかあ?」


「うるさいなー。いいだろ、別に。最近魔物もとんと大人しいし。大体世界最強とか僕は知らん。毎回思うけどよくそんなこっぱずかしいこと言えるな」


「なーにをおっしゃいますドラゴン様!御身はこの世界に名高き最強の生物、災禍の化身災厄の権化…世にも恐ろしき魔物の王であらせられる!まあお前はそうやって災厄振りまくどころかこの村から出たことすらないけど」


「それ見ろ。他のドラゴンなんか会ったこともないし、一般的なドラゴン像なんかわからないってば」


「確かになあ。俺も話に聞くだけで実際のドラゴンがどうとか全く知らん」


「知らんくせに煽るな」


「てへ」


「可愛くない」


 ××××はゆっくりと鎌首をもたげると、空に向かって頭を突き上げる。

 うずくまり、まるでとぐろを巻くように首を折りたたんで座っていた××××の頭は、一気にアレックスの頭上はるか上まで移動した。


 今度は首を後ろに折って見上げながら、アレックスはニコニコ笑っていた。


「なんだよそんなにやにやして。気持ち悪い」


「ひどい!アレックス傷ついちゃう…!」


「はいはい。小芝居はいいから」


「別にぃ?ただ随分大きくなったもんだなあって。昔はこーんなに小さかったのに」


 アレックスが胸の前で小さな丸を抱える仕草をする。

 かつての××××はこんなに可愛かったのにね~などとどこか奇妙な口調で語り掛けている。


 ××××は呆れて溜息を吐いた。口の端から黒炎がわずかに漏れた。


「僕がそのサイズだったころってお前も記憶ないだろ。知ってるのはアランさんとダイアナさんだけだ」


「ものの例えだろー!…でも本当に大きくなったよ。そりゃさ、俺は父さんや母さんみたいにお前が本当にちっちゃかったころの記憶はないけど、でもずーっと一緒に育ってきたんだぜ?昔は俺と目線が合うぐらいだったのに、今じゃもう見上げないといけないぐらいだからなぁ」


 アレックスはそう言って手でひさしをつくり、目を細めた。

 太陽を背にこちらを見下ろす××××は確かにとんでもなく大きい。


 首を伸ばすだけでもアレックスの身長なんか余裕で超えているし、頭の先から尻尾の先までの長さはアレックス何人分だかわかりもしないぐらいなのだ。


「まあ、昔からぐーたらで気の抜けてるところは変わりないけど。ドラゴンの威厳とか欠片もないし」


「しつこいなー。いいじゃん。昔より魔物がでなくなったから仕事がないんだよ」


「その仕事にしたってちょっと顔出すだけで終わるもんな。大抵の魔物はお前の顔見ただけで逃げるし」


「なんだよ、楽してるって言いたいのかあ?」


「違う違う。というより俺はむしろ不思議だよ。顔を見ただけで逃げるって、ドラゴンってそんなに恐ろしいのか?俺の知ってる唯一のドラゴンはこんなにぐだぐだナマモノなのにさあ」


「おいこら」


 ぺしん、とドラゴンの尻尾がアレックスの目の前の地面を叩く。

 アレックスはそれでも全く意に介さずに笑っていた。


「ほーんと、どこ行っちゃったんだろうなあ、お前の仲間たちって。ここ十数年とんと見たことがないとか。お前だけ残していっちゃうなんてひどい奴らだよ」


 ざあ、と風が吹いて梢を鳴らす。

 木漏れ日がアレックスの顔にさしかかり、複雑な陰影を映し出していた。


「別に僕は会わなくてももいいけどな」


「えっ。そうなの」


「そりゃそーだろ。物心ついた時から今に至るまで、一度も会ったことない相手に親近感も親しみも沸かないよ。赤の他人…他ドラじゃん」


「ど、ドライ~」


 ××××は空に向かって口を開けた。ぼふん、と小さな黒炎の塊が空に昇ってすぐに消えた。


「…そりゃさ。ずっと自分だけだったら寂しかったかもしれないけど。村の皆と一緒だったから。だから平気だよ」


 ××××は少し照れくさくて、ぱっと視線を逸らした。

 相変わらず空は明るく澄み切っていて、ちょうどアレックスの瞳のようだった。


 アレックスの瞳。綺麗な瞳。空と同じように澄み渡る涼やかな青色で、日の光を浴びるとより一層美しくきらめく。


 ××××を見上げてその空色の瞳をこれでもかと見開いていたアレックスは…途中で感極まったように目に涙をためると、勢いよくドラゴンに抱き着いてきた。


 と言っても当然ドラゴンの体に腕を回せるほど長くはない。そのためただただ目の前のドラゴンの喉元に向けて突進した、が一番近い表現だった。


「お前~!お前お前お前~!可愛い奴だな~!!!」


「あ~も~鬱陶しい!離れろ~!」


「はいはい照れ隠し照れ隠し!わかってるよ!お前は俺が好き、俺が大好き!大丈夫、これも愛!」


「こないだ食べたパンを潰して焼く奴美味しかったな。肉でもやっぱり美味しいのかな」


「待ってナチュラルに俺を食べる算段つけてない?」


「冗談冗談。ところで人間の骨ってどこから抜くのが良いと思う?」


「お前が言うと笑えないんだよーっ!あと人間の骨は腕やら足やら複雑に枝分かれしててずるっと一本で抜けないから!」


「律儀に答えるなよ」


 ドラゴンは呆れた調子で息を吐く。


「んで?」


「ん?」


「なんで僕を呼びに来たんだ。用事があるんだろ」


「なによ!用事がなきゃ会いに来ちゃいけないっての!?」


「だからそういう寸劇いいから。で、なに?またドロシーのとこに一緒に行ってほしいって?」


 ぎくんとアレックスの体がこわばった。


 ドラゴンは嘲るように口の端を釣り上げた。

 ドラゴンのにやけづらを見て、アレックスが目を剥いて迫る。


「ち、違うぞ!いや違わないけど!お前の大好物のアップルパイが焼けたって言うから慈悲の心で呼びに来て上げただけであってな!ドロシーのとこに行くのはあくまでおまけ…」


「はいはい照れ隠し照れ隠し。わかってるよ!お前はドロシーが好き、ドロシーが大好き。僕を口実にしないと会いに行けないぐらいマジ恋。大丈夫、これも愛~」


「うぐごご、このドラゴン野郎―っ!そ、そんなに言うなら来なくていいともっ!ドロシーのとこに行くぐらい俺一人でだって十分」


「は?何言ってんだ行くが?」


「お前アップルパイに関してだけは本気だよな…」


 ××××はのっそりと体を起こす。

 アレックスは最早慣れっこのようにその体に飛びつくと、巧みにその背に乗りあがった。


 アレックスを背に乗せたままドラゴンはのそのそと巨体を森の中で進ませていく。


 普段から森の中を通り抜けているので、かなり幅の広い道ができている。


 それでも途中何度も木に身体がつっかえたり枝が突き刺さっている。

 ドラゴンの巨体で森を通り抜けるのは随分と難儀そうに見えた。


 ドラゴンの背にゆさゆさと揺すられながら、アレックスがドラゴンの顔を覗き込んだ。

 と言って首を伸ばしてもドラゴンの顔より前に行けるわけでも正面に行けるでもなく、それはかすかに顔を傾ける程度の仕草でしかなかった。


「なあ、やっぱり空を飛んだ方がよくないか?お前も窮屈だろ」


「…」


 ドラゴンはすぐには答えなかった。

 ほんの僅かだけ沈黙して、だけどすぐに元通りの口調に戻って答えた。


「飛ぶのだるーい」


「お、お前…ドラゴンの誇りはどうしたあ~!」


「だからわかんないんだって、通常のドラゴンとやら」


「いや俺もわかんないけど!でも翼ある生物として飛ばなきゃいけないだろ!お前がこのまま飛ぶのを面倒がってずるずると堕落すると思うと…!」


「お前僕のなんなの?ていうか別に飛ばなかったぐらいじゃ何も変わらないじゃん」


「変わるだろ!このまま飛べなくなり筋肉が衰えて基礎代謝が落ちドラゴンからバケガエル(※カエルが巨大化して凶暴化した魔物)へと降格してしまったらどうしようかと…!」


「ぶっとばすぞ」


 彼らは終始その調子でダラダラと会話を続けながら、森の中を抜けて麓の村へと歩いて行った。



 言い争う声が聞こえる。


 ××××はうっすらと目を開けた。

 ここ最近随分と聞きなれてしまった響きである。


 ××××の身体能力は常人…いや、一般的な生物とは比べ物にならない。


 だから向こうが聞こえていないと思っている声だって、見られていないと思っている仕草だって、実は見えているのだ。


 向こうに言ったことは一度もないけれど、大抵のひそひそ声や秘密話は聞こえている。


 今のこれも向こうは聞こえてないと思って言っているんだろうなあ。

 ××××は人知れずそんなことを思った。


「アレックス、いつまであの恐ろしい魔物をかばうつもりだよ…!あいつがほんの少し気まぐれを起こしただけで俺らの村は全滅なんだぞ!」


「お前にだって嫁さんと子供がいるだろ!だったらわかるよな、あいつがどれだけ恐ろしい脅威かなんて!」


「ようやく戦争が終結して平和になったのよ!いつまでもあんな恐ろしい怪物をのさばらせておけないわ!」


「そうよ!大体あいつのせいで最近他の村から白い目で見られるのよ!今はその程度で済んでるけど、そのうち交易を打ち切られるかも…!そんなことになったら魔物の襲撃なんかなくてもうちの村は飢え死にするわ!わかってるの!?」


 洞窟の外。複数の人間たちの騒ぐ声。くぐもっているけどよく聞こえる。


 多分村に入って三軒目の家のおじさんと、黄色の屋根の家に住んでいる兄ちゃんと、その奥さんと、青いスカーフのよく似合う娘さん…。


 今いる人たちはこんなところだろうか。脳裏に顔を思い浮かべながら、××××は予想を立てる。


 見えないけど多分当たっている。声を聴けば村人が誰なのかぐらいすぐに判別がつく。だってずっと一緒だったから。生まれた時からずっと。


「何なんだ、お前らは!」


 そしてこの声の主ももちろんすぐに誰なのか分かった。

 きっとこの村で一番多く聞いた声で、一番多く自分の隣にいた人間だ。


 アレックス。


「あれだけあいつに頼って村を守ってもらってたくせに、戦争が終わった瞬間に厄介者扱いして!恩知らずにもほどがあるだろ!どうしてそんな酷いことが言えるんだ!」


 アレックスの声はいつにない悲壮さに満ちていた。

 いつも自分の前ではニコニコして、笑いながら自分をからかうばかりなのに。


 青年と壮年の間で争うような不安定な面影。アレックスはいい歳の取り方をしている。××××はひそかにそう思っている。


 アレックスは訴えかけた。誰よりも必死に、目の前の人々に怒りをぶつけて居る。


「大体、あいつが一度だって俺たちを傷つけたことがあるか!?あいつはそんなことしない!優しくて穏やかで、気立てがよくてのんびりしてて…あんなにいい奴を俺は他に知らない!人間も、どころか魔物だって、直接手を下したことはないし、傷つけようなんて思ったこともないはずだ!あいつが考えてるのはせいぜいがアップルパイのことぐらいだよ!」


 おいこら、と思わず口が出そうになった。

 と言っても聞こえていることがバレるのはまずいので××××はそのまま黙っていた。


 アレックスの言葉を聞いて周囲の人間は皆一様に黙ったようだった。

 なんとなく後ろめたい沈黙の気配が伝わってくる。


「あいつはただ生きてるだけだよ。誰かを傷つけようとも、害しようとも思っちゃいない。…それでも怖いって言うならせめて触れないでやってくれ」


 アレックスの足音がこちらに近づいてくる。

 ドラゴンはゆっくりと瞼を下げて寝ているふりをした。


「俺たちだって悪いと思ってるよ。でも、じゃあ、どうしろって言うんだよ」


 不意に響いた誰かの声。黄色い屋根のお兄さん。

 ドラゴンは一度目を開けた、結局何もしないで閉じた。


 アレックスはその声には答えなかった。

 この時の沈黙もどこか気まずそうな雰囲気を保っていた。


「××××!元気かー!うちのカミさんがまたアップルパイ焼いてくれたぞー!」


 洞窟の中に入ってきたアレックスは、先ほどの様子など微塵もうかがわせなかった。

 一見すると底抜けに明るく能天気なようにしか見えなかった。


 ××××は、それが無理をしていることはわかっていたけど、黙っていた。

 アレックスの気遣いをわざわざ無下にする趣味はなかった。


 だからさも今起きましたという顔をして、いつもの通りアレックスに接した。

 尻尾をばしばしと洞窟の床に打ち鳴らして早く早くと催促する。


 アレックスがやはりやかましくからかいながらも、アップルパイを手馴れた手つきで切り分けた。


 アレックスの差し出したそれを××××が魔法でひょいと持ち上げて、ぽいと口の中に入れる。


「ッあ~!やっぱりドロシーのアップルパイは何年経っても最高だ~」


「そうだろうそうだろう、うちのカミさんは世界一」


「ほんとにな~。今回ばかりはお前に賛成だ。いやあ、ドロシーのアップルパイなら毎日でも食べたい。…といってもしばらくは持ってこなくていいからな」


「えっ!?」


 アレックスが焦った様子で振り返る。なんだよ、とドラゴンは不満そうにつぶやいた。


「お、お前がアップルパイを諦めるとか…!どうした世界の終わりか!?明日は槍どころか金でも振るのか!?それとも太陽が落ちるのか!?」


「お前僕を何だと思ってんだよ」


「アップルパイに頭を支配された被寄生生物」


「よーし、人間のパイ包み作っちゃうぞー」


「だからその笑えないジョークやめろって!目がマジなんだよ、目が!」


 と言ってもアレックスは全く本気にしている様子はなく、××××の発言を心底から冗談だと思っている様子だった。

 ××××はやれやれと溜息を吐いた。


「ドロシー、今大変な時期だろ。ちゃんと労わってやれ」


「…それはもちろん俺も言ってるよ。でもあいつ、休んでばっかりは落ち着かないって自分で台所に立っちまうんだよなぁ。今日のこれもそうなんだ。俺が作るって言ってるのに」


「それでもちゃんと休んでもらわなきゃ駄目だろー。いくら三人目で慣れてるとは言え、身重の体には変わりないんだから。んで、だからこそ僕へのこれもしばらくはいい。お前もわざわざこっちに来るの大変だろ」


「…」


 アレックスは不自然に押し黙った。

 ××××は気づかないふりをして、二切れ目のアップルパイを口の中に入れた。


 うまーい、と至極嬉しそうな顔をして咀嚼している。その横顔を見て、アレックスの口が開いた。


「ドロシーが言ってたよ。久しぶりにお前に会いたいって。俺だけじゃない、父さんも母さんも…」


「馬鹿言え。そんな大変な体で山道を登ったりしちゃ駄目だろ。アランさんもダイアナさんだってもう随分なお年じゃないか。お前から伝言が聞けるだけ十分だって」


「でもお前、最近ずっとこの洞窟から出てこないだろう。村にも顔を出さないし…」


「引きこもりの快感ってやつかなあ。この洞窟意外と住み心地がいいんだ。出てく気力がそがれちまうー」


 途端、首を地面に転がしてダラダラし始めた××××を、しかしアレックスは複雑そうな視線で見ていた。

 ぐうたらドラゴン、とか普段ならからかってきそうなものなのに。


「また来るよ。今度は俺のお手製アップルパイを手土産にな!」


 アレックスはそう高らかに宣言して洞窟を出ていった。

 いやお前料理あんまりうまくないじゃんと××××は声をかけようとしたが、その頃にはすでにアレックスは洞窟の外に消えて行ってしまっていた。


「…ほんとに気にしなくていいのに。悪いのはお前じゃないだろ」


 ××××は溜息を吐いた。

 明らかにこちらに気を遣ったアレックスの態度。ほのかに見える罪悪感。


 敏い男だ。普段は軽い言動ばかりだけど、その実誰よりも繊細で鋭い男だと知っている。

 生まれた時から隣にいるのだ。そのぐらいのことは××××でもわかっている。


 だけど敢えてそれに気づかないふりをした。気づいてしまったら、アレックスがまた気に病むのは目に見えていたから。


 別にこいつは悪くないのに。だから気に病んだりしなくていい。そうだ、悪いのは。


 …誰なんだろう?


 ××××はすぐに答えを出すことができなかった。先ほどの村の皆の言葉が、わんわん頭を回っている。



 誰かが近づいてくる音。


 この洞窟に訪れる人間は元より少数しかいない。それも最近は一人だけに絞られていた。


 だから足音から誰かを推測するまでもなく、××××はその人物の名前を呼んでいた。

 いや、呼ぼうとした。その言葉は途中で不自然に途切れてしまった。代わりに別の、全く違う切迫した声音がまろびでた。


「お前、それ…っ!」


 ××××の声を聴いて、アレックスはきょとんと眼を瞬いた。そしてすぐに納得した顔をした。ああ、と呟いて額に手を当てる。


「聞いてくれよ!盛大に転んで頭を打ち付けた先に尖った石!額がぱっくり割れて血がダラダラもー大変!傷のわりに出血量が多くてさー、側にいたチャックのやつなんか気絶しちまって」


 アレックスは笑っていた。語る声音にも深刻そうな響きはなく、あくまで笑い話、日常何気ないアクシデントの一つとして語っているようだった。


 アレックスの話に不自然な点はない。語られる内容がまま、そうかと納得してもいいぐらいには現実的で具体的な怪我の経緯。


 だけど、××××はどうしてか胸がざわつくのを抑えられなかった。


「…見せろよ。ケガ、治してやる」


「いいよ、このぐらい。すぐ治る」


「いいから!見せろって!」


「だ、大丈夫だって!ていうか治すとお前のお陰だってバレ…あっ」


 ぱっとアレックスが口元を抑えた。

 ××××はアレックスを凝視した。

 しかしやがてそっと眼を逸らして、ぺたんとその場にもう一度首を下した。


「…ごめん」


 アレックスの突然の謝罪に、××××はあくまで明るく笑った。


「なんで謝るんだよ。お前悪くないだろ」


「わ、るいだろ…。ひどいこと言った…」


「別に。何度も言うけど、お前がどうこうできる問題じゃないよ」


 それでもアレックスは気にしているようだった。

 ××××はもう何だか逆に笑えて来た。

 本当に気にしていないのに、それでもこいつは気に病んでしまうのだ。


 ここ最近、格段に増えた例の論争。洞窟の前でたびたび繰り広げられる××××の処遇に関しての言い争い。アレックスの今の態度。


 怪我の原因。本当のところは何だろう。

 わからないけれど、少なくとも自分の影響が欠片もないとはとても思えなかった。


 だからここに来なくてもいいと言っているのに。


 それでもこいつは引かなかった。


 律儀に手土産をもってここに来て、そして××××と話をする。

 今日もまた、暖かい包みをいくつか抱えてここに来た。


 ドロシーのアップルパイ、ナッツのはちみつ漬け、ドライフルーツ。

 最近あんまり来れなかったからと、今回は随分と豪勢だ。


「…僕は魔素さえあれば生活できるってば。村の生活だって楽じゃないだろ。ハンナちゃんも生まれたばっかりだし、自分たちで食べろって」


「これは俺じゃなくてカミさんからの厳命なんだよ。きちんと××××くんにご飯分けてあげなさいって。というわけで俺に決定権はないしお前に拒否権もない。諦めて食えぃ」


「ドロシー、相変わらず強引だなあ」


 ××××は観念してアップルパイを一切れ口に運んだ。

 まだほのかに熱の残るアップルパイはいつまで経ってもおいしく、××××は笑顔になった。


 この味をいつまでも食べたいと思うし、自分だってドロシーと話したい。

 アレックスとドロシーの子供にも、自分を育ててくれたアレックスの両親にも久しぶりに会いたい。でも。


 アレックスの額。そこに貼られたシップ。


 ××××は小さく口を開けた。

 ××××の下に座り込んでいるアレックスが不思議そうにこちらを見上げている。

 そして、××××の体が淡い緑色に発光し始めた。


「わぁ!?お、おい!なんでいきなり魔法!?」


 きゅるきゅると何かをひっかくような音が辺りに響き渡る。


 緑色の光はやがて収束し始め、××××の口の前で小さな光球を形作った。

 糸球を作るように渦巻きながら魔素は一つに収束していき、最後に一度、強い光を放った。


 アレックスは目の前を腕で覆っていた。

 やがてゆっくりとそれを下すと、辺りを静かに伺う。

 からん、という音に引き寄せられてアレックスの視線が真下を向き…不思議そうに目を瞬いた。


 自分の目の前に転がっている不思議な物体。

 それに手を伸ばし、光にすかすように上に掲げる。


「これ…」


「やる」


「へ?」


「その玉、僕の魔力を凝集して作ってある。表面に簡単な術式を施してあるからお前でも使えるよ」


「使える?え、何に使うんだ?」


「うーん、神頼み?」


「神頼みぃ?祭具ってことか?そんなの俺が持ってても」


「違う違う。もう神に頼むしかない状況になったらそれに願えば大抵は叶うってこと」


「ははー…はあ!?」


 アレックスが目を剥いて××××に迫った。

 と言ってアレックスの背丈は××××のうん十分の一という大きさだったので、迫ったところで凄みも恐怖も感じなかったが。

 アレックスは××××の喉元に縋りついてぺしぺし体を叩いている。かゆい。


「ね、願いが叶う!?それ伝説の龍の宝珠ってやつだろ!一発で国宝指定されるような超絶レアアイテムじゃねえか!」


「あ、そうなの?なんか作れるなーって思ってたけど名前あったんだ。龍の宝珠、なるほど」


「そうそう。お前の仲間とやらがどんな奴らか俺もちゃんと調べ…じゃない!そんな貴重なものほいほい渡すな!お前がちゃんと持ってろ!」


「僕が持っててどうすんだよ。大抵のことは自分の魔力で叶えられるわ」


「そっ…れはそうだけど、俺に渡しちゃ駄目だろ!こんなトンデモアイテム、何に使うかわからんぞ!」


「使わないよ。お前はそういうことしない」


 アレックスは押し黙った。ドラゴンは何でもない調子でさらりと答えた。


「大丈夫だって。一応本当に強く願わないと発動しないようにしてあるし。これまでもさんざんご飯持ってきてくれただろ。せめてこれぐらいのお礼はさせてくれ」


「いらないよ、そんなもの!俺は見返りが欲しくてお前のところに来てたんじゃない!」


「わかってる。でも僕はお前に感謝してる。だから持っていけ。それとも僕の気持ちは受け取れないか?」


 ××××の言葉に、アレックスはぐっと口を閉じた。

 しばらくそのまま逡巡していたが、ややあって、そっと宝珠を懐にしまった。


 ××××はそれを見て得意げに笑った。

 アレックスは未だどこか複雑そうな表情だったが、それでも宝珠を突き返してくることはなかった。


「何だよオマエ、こんな時だけ素直になっちゃてさあ…そういうこと言われたら返せないだろ、ずるいだろ…」


「いつもは素直になれとか言うくせに」


「だって普段の扱いが普段じゃん!お前がそこまで俺に感謝してるとはおもいませんでしたあー」


「何言ってるのさ。今も昔も、お前は命の恩人だよ」


「…お、お前、本当に今日はどうしたんだ!?なんかあったか!?」


 ―だっていつまで会えるかわからないから。伝えられるうちに伝えなきゃだろ。


 そんな言葉が口から出そうになって、××××はそっと口を閉じた。

 今言うべきことじゃない。だから素直に、心の思うままに従って、思っていることを口に出した。


「僕はお前に感謝してるよ。お前に、ドロシーに、アレンさんにダイアナさんに、村の皆に。村の一員として僕を置いてくれたこと、本当に嬉しかった。…だって」


 ひとりは寂しい。


「だからありがとう。僕と一緒に居てくれて。本当にありがとう」


 アレックスは変な顔をしていた。眉根を寄せ、困惑と衝撃に塗れ、口を半開きにして…なんて言ったらいいのかと、あからさまに戸惑っていた。


 その顔には確かに戸惑いの色が強く出ていたけれど、それでも喜びの感情も確認することができたから、××××はそれだけで十分だった。


 アレックスとはその後、二三の他愛ない話をして解散した。

 また来る、としつこいぐらい約束するアレックスに根負けして、××××は大人しくその背を見送った。


 何度もこちらを確認するために振り返るアレックスに半ば呆れながら、××××はその背を見送っていた。


 アレックス。


 村ではもう中心的な存在になっているのだろう。明るく人望もあり性格もいい。人の仲を取り持つことに長けている。ちょうど働き盛りで貫録も出てきた。確実に村の今後を担う人材になるはずだ。


 そのうち自警団長にでもなるかもしれない。もっと出世して村長にだって。

 この洞窟にすっかりと引っ込み、外界の情勢に疎い自分でも、その程度はわかる。


 だからこそ村の人々が、アレックスがここに来ることを快く思っていないことも、××××はよく理解していた。


 アレックスの額の傷。治してもらったらバレてしまうと言う発言。ここ最近、とにかく多くなった自分の処遇に関しての言い争い。


 聞こうとしていないのに聞こえてくるそれの頻度が随分と多くなった。

 つまり自分が聞こえていないところではもっとたくさん起きているのだろう。


 そしてアレックスがそれにどんな返答をしているのかも、今の態度を見ればすぐにわかってしまった。


 宝珠を渡したのはそのためだった。

 あれを使わなければいけないほどの危機的状況にアレックスが巻き込まれてしまうかもしれない。


 本当なら自分がその場に駆け付けられればいいけれど…その行為が更なる状況の悪化を招くだろうことも××××は簡単に予想できた。


 洞窟の中、首を伸ばす。

 暗くてしめった岩の壁。


 居心地は良い。本当だ。自分は存外こういう場所が好きらしい。

 音も声もそんなに―あくまでそんなに、のレベルではあるが聞こえにくいし。なかなか快適な住処だと思う。


 気に入っているというのは嘘じゃない。

 アレックスを気遣っただけの誤魔化しでもなんでもなく、××××はこの洞窟を気に入っている。


 でも。


 それでもやっぱり本当は、外に出たいし…何より村の皆に会いたかった。


 ××××は目を閉じた。脳裏によみがえるいつかの記憶。言い争う村の人々とアレックス。最後にぽつりと黄色い屋根に住む男性がこぼした言葉。


 じゃあどうしろって言うんだよ。


 別に見返りを求めていてもなんだってよかった。相手を思う純粋な気持ちだけだなんて、潔癖が過ぎて嘘くさい。××××だって何の下心も見返りも期待せずに接せる相手は少ない。


 ××××は、それが悪いこととは思えない。


 だからこそ、××××は村の皆を恨んでいなかった。仕方ないと感じている節があった。


 実際のところ自分は脅威で、恐怖で、そして何より…他の村から疎外されて路頭に迷う可能性があるとすれば、確かに見過ごせないだろう。

 恩と好意だけでは乗り越えられないことだってある。


 悲しいけれど、本当に悲しくて腹が立つのも事実だけど。××××は村人たちを責められなかった。


 でもアレックスはそれに本気で怒ってくれるのだ。自分よりももっとずっと。

 ××××はそれだけで十分だった。

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