第11話 ドラゴン、出番なし


 竹子は村へと移送された。そして、そこで王立軍の取り調べを受けた。

 だが、それらはごくごく簡単に、すぐに終わってしまった。


 ドラゴンがすでにこの女を見限っているのが明らかだったからだ。


 ドラゴンの行動は、竹子の処遇を決めるには余りにも説得力がありすぎた。


 そして何より、竹子のその顔が。

 虚脱していた。生きるための意思のようなものが、身体から根こそぎ抜け落ちていた。


 竹子は最早抵抗の意思など欠片もなかった。

 逃げ出す気などありはしない。こんな女を拘束しておく意味も無ければ余裕もない。無駄としか思えない…王立軍の下した結論はおおよそこんなものだった。


 竹子はすぐに解放された。ドラゴンの元を立ち去ってから、既に一日を過ぎていた。


 竹子はアレクの元へと預けられた。

 監視と保護の両方の名目で、村長であるアレクの元へと身柄が引き渡されたのだ。


 現在の村は王立軍の駐屯地となっている。王命によるそれに逆らえる道理もなく、アレク達は住処や食料を供出し、そして彼らからの指示があれば作業に駆り出されることになっていた。


 当然、村人たちは不満の色を隠しもしなかった。しかし、いつも反抗的な目をしていたアレクはこの時ばかりは大人しく、どころか歓迎する様子で竹子の身柄を引き受け、大慌てで家まで連れ帰った。


「嬢ちゃん、おい、嬢ちゃん!一体何があった」


 家に着くなり竹子を椅子に座らせ、アレクが詰め寄る。

 ドロテアが先走る夫を手で制止ながら竹子の前に茶を出してくれた。


 一服したことで流石の竹子も一旦落ち着きを取り戻したらしい。


 揺れる水面を眺めながら、竹子はゆっくりと語った。


 帰り道で何があったのか、ドラゴンが何をしたのか、何を言ったのか、そしてどうしたのかを…。


 結果。


「あんの陰険ドラゴン!!!」


 アレクが大激怒してしまった。


「なんっっだあいつ!!!言うに事欠いて嬢ちゃんになんてこと言いやがる!どういう神経してやがんだ!!!」


「あ、アレクさん、落ち着いて」


「腰抜け臆病腑抜けへっぴり腰及び腰最低ナメクジうねうね日陰トカゲ!陰気、陰湿、陰険野郎!じめじめじとじと嫌みったらしいことばっかりいいやがって!湿度高すぎて頭にキノコでも生えたのか?だから頭がおかしくなったのか!?」


「私より口が悪い…」


「はあ?嬢ちゃんがこんなに罵倒する相手なんかいるんか?」


 瞬間、竹子の口からとても筆記できないような量の上司への呪詛があふれ出した。


「俺が悪かった」


 竹子の呪詛を聞いてアレクは何故か頭を下げた。


 そんなことのせいで一度気分が落ち着いたらしい。アレクは竹子と机を挟んで反対側に腰掛けると、ゆっくりと息を吐きだした。


 が、すぐに怒りが再燃したようで、苛立たしげにその場で机を打ち付けた。


「なんだよあいつ!言うに事欠いて嬢ちゃんに利用だの都合がいいだの!自分だってあんだけ楽しく俺たちとくっちゃべってやがったくせに!」


「アレクさん」


「自分はしっかりその恩恵にあずかっておいて、実は嬉しくなかったんですーお前たちの自己満足ですよー傲慢ですねーって。傲慢なのはどっちだよ!人の善意に胡坐をかくのもいい加減にしやがれ!」


「アレクさん!」


 アレクの動きが止まる。傍らのドロテアも驚いたらしい。扉の近くでこっそり様子を伺っていたらしいネットくんが驚きのあまり泣き始めた。それを見た竹子は何故か誰より一番慌てていた。


 アレクは竹子の様子を見ながらため息をついた。先ほどの怒りはひとまず収まった様子だった。


「わりぃな。見苦しいところを見せちまった」


「い、え…。私のために怒ってくれた、んですよね。すみません…」


「嬢ちゃんが謝る必要なんかねえよ。悪いのはあのドラゴン小僧だろうが!」


 竹子はさっと顔を俯かせた。膝の上の手を握りこむと、竹子の着ている衣服にぎゅうと皺が寄った。


「ドラゴンさんの言ってること、正しいのかも…」


「…うん?」


「言われた時確かにって思ったんです。ドラゴンさんが自分たちにとって有用じゃなかったら、そういう能力を持っていなかったら、協力していなかったら。そしたら私は今と同じようにドラゴンさんを受け入れていたのかって…自分にとって便利だから受け入れたんだろうって言われたら、確かに何も言い返せなかったんです」


 嬢ちゃん、とアレクの声。竹子は止まらなかった。


「どんな形であれ私がドラゴンさんの能力を利用したのは事実で、それを理由にドラゴンさんを売り込んで、利用して…なのに私、そんなこと考えもしなかった。いいことしてるんだって思ってた。村の皆さんに認められたからドラゴンさんは幸せなんだって、確かに人間側の…私のことしか考えてない傲慢な考えで」


「嬢ちゃん」


 今度の竹子は止まった。顔をあげれば、いつになく険しい顔をしたアレクがそこにいた。


「自分の善意を自分が否定しちゃいけねぇよ。実態がどうあれ、嬢ちゃんがドラ坊のことを思っていたのは事実だろ」


「でも…」


「…確かに、ドラ坊の言うことは正しいさ。俺たちはドラ坊が俺たちの役に立つから…危険がないから、有用だから、嬢ちゃんと一緒にいたからこそ、そういう生き物だとわかって手を取ったんだ。そうじゃなければ端から突き放して拒絶してたかもしれない。ドラ坊を丸ごと受け入れるなんてのはできねぇよ」


 竹子は俯いた。

 アレクはそんな竹子をじっと見つめて、そして大きくため息を吐いた。

 苛立たし気に頭を掻く指が、強く頭皮に食い込んでいる。


「なあ、でもそれって悪いことなのか?だって本当に怖いんだ。あいつの爪も牙も尾も、どころか吐息の一つだって、俺たちを殺すには十分すぎる。事実そうできる力があって、あいつの気まぐれだけで命が奪えて…そんな相手をなんの後ろ暗いところもなく受け入れなければ許されないのか?わかるよ。ドラ坊にしてみればひどい話だってことは。でも俺たちにも命があるんだ。生活があるんだ。家族の、友人の、隣人の安全があるんだ…」


「アレクさん…」


 しん、と部屋の中に沈黙が落ちる。

 閉じられた部屋の中には物音一つなく、いつの間にかドロテアも消えていた。


 家の外にしたって、王立軍が不用意な外出を禁止しているため物音ひとつ聞こえない。

 いつもの活気あふれる村の様子はどこにもなく、ただただ静かな夜の気配だけが忍び寄っていた。


 アレクは横に首を振った。

 椅子からそっと立ち上がって、竹子の真正面で膝をつく。

 顔をあげた竹子の目を真正面から見据える。


「考えてみたら、だからこそドラ坊は嬢ちゃんに懐いたのかもしれないな」


「え?」


「だって嬢ちゃん、ドラ坊のこと怖くなかったんだろう?」


 ぱちぱちと竹子が目を瞬く。アレクがぽんとその肩に手を置いた。


「あ、れは…なんというか、その頃の私頭がおかしかったと言うか…ブラック企業で心身共に摩耗しきっていて恐怖心もバグっていたというか…」


「安心しろ。嬢ちゃんはいつでも頭がおかしい」


「えっ」


「ドラ坊にとっては嬢ちゃんのそのイカレ具合が救いだったんだよ。まともな人間だったらドラ坊を見てベッドにしようなんてアホのたたき売りみたいな発想できないもんな」


「待ってくださいこれ結構しんみりした空気でしたよね?なんでダイナミックに罵倒されてるんですか?」


「いやいや、ふざけてるんじゃあない。俺は真剣に嬢ちゃんの頭の出来を評価してる」


「どっちの方向に!?ねえどっちの方向ですか!?」


 わあわあと食いつく竹子に、アレクはガハハと笑い飛ばした。

 肩に置いた手がばしんばしんと跳ねていく。


 珍しく笑うでもなくぷりぷりと怒っている様子の竹子を見て、アレクはより一層晴れやかな笑顔を見せた。


「よっしゃ、その意気なら大丈夫だな!いつもの嬢ちゃんだ!」


「なんかいい話風に収めようとしてますけどぉー!今アレクさん私を盛大に馬鹿にしてただけですからねー!」


「ははは、バレたか!まあいいじゃねえか!実際元気出ただろ!」


「それは…まあ…」


 釈然としない表情をしつつ、竹子はこっくりと頷いた。

 アレクはにんまりとして立ち上がった。

 どっこいせ、ともう一度自分の椅子に腰かけた。


「大丈夫だよ。嬢ちゃんがどんだけ自分を疑っても俺は知ってる。事実として嬢ちゃんはドラ坊が大好きで、そのためにって動いていたんだ。そしてあいつもそれを喜んでた。それだけは本当だ。何も恥じることはない」


「…」


「嬢ちゃんは良い奴になりたくてドラ坊と一緒にいたのか?違うだろ。ただドラ坊と一緒にいたくて一緒にいた。もしかしてそのやり方はドラ坊の言う通り少しの間違いがあったのかもしれないけど…でもドラ坊は喜んでただろ。そこだけは俺が保証するよ」


「アレクさん…」


「そんでもって、ドラ坊も多分同じこと思ってるだろ。そのうち言い過ぎたごめんなさいって戻ってくるさ。そんときには一発殴ってチャラにしてやればいい。なに、心配すんな。あいつは強いから途中でやられたりしねえよ!」


 だからそれまで大人しくここで待ってな、と。アレクは安心させるように竹子に言おうとした。


 だが。突如として窓の外で鳴り響いた爆発音がそれら全てを吹き飛ばした。


 部屋の中がわずかに鳴動する。

 音の衝撃で家までもが揺れているのだ。

 腰掛けた椅子を通して伝わる衝撃に、竹子もアレクも目を剥いた。


「な、なんだなんだぁ!?」


 アレクが窓に駆け寄って開け放つ。竹子も脇から一緒に窓を覗き込んだ。


 窓から見えるのはいつも通りの村の光景、村を取り囲む森林に山…竹子とドラゴンの暮らした場所。


 それらからは更に遠く、山を越えた先にある場所。


 煙だった。細くたなびいて昇る一筋の煙が空に向かって伸びている。

 それだけならば山火事かと片付けられそうだったが、先ほどの爆発音からいってただ事ではない。何より。


 もう一度響き渡る爆発音。

 それと同時に巻き起こるのは見慣れた緑色の光と、あの摩訶不思議な光を放つ黒炎。


「ドラゴンさん…」


 茫然と竹子の口からその名が出た。

 アレクが焦ったように窓に噛り付く。

 とは言え距離がありすぎて状況は確認できない。アレクは歯噛みするしかなかった。


「くそ、どうなってやがる!王立軍とあいつが衝突してるのか…!?」


 窓から身を乗り出すアレクに向かって、外から怒号が飛んでくる。

 村に居残っている王立軍の一人だった。


「何をしている!今は非常事態だ、無用な外出は避けるようにとの命令を忘れたか!」


「ああ、もう、うるせえな!わかってるよ!」


 舌打ち一つ、アレクは体を室内に収めた。

 これでは外に確かめに行くこともできないではないか。


 自分はもとより、竹子はどれほどあちらの様子が気がかりだろう。

 アレクはそんなことを思いながら振り返り…。


「…嬢ちゃん?」


 アレクが見たのは、見慣れた緑色の光に包まれる竹子の姿だった。


 呆気にとられるアレクの前で一段と強く光がきらめく。

 思わず目を瞑り、そして次に瞼をあげた時には…竹子の姿はどこにもなかった。


 それがアレクの見た竹子の最後の姿だった。

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