第9話 ドラゴン、テンプレな目に遭う

「最近王立軍が各地に派遣されてるって聞いたぞ。近々こっちに来るんじゃ?」


「こないだは西方からの行商隊が丸ごと締め出しを食らったとかなんとか。ここまで締め付けが厳しくなるのなんて久しぶりじゃないか?」


「ここ数百年戦争もないってのにいったい何を殺気立ってるんだか。そんなことより早く魔物を殲滅してほしいもんだぜ」


「まさにそのための派兵ってことはないのかね」


「どうだか。ここ十数年の魔物の異常発生を放置してるような王国だぞ?今更そんな殊勝な働きをしてくれるかどうか…大体あいつらが派兵されてくるとやれ食料の供出だの寝床の提供だのでろくなことがないじゃないか。これから冬で俺たちも厳しいってのに…」


 ざわざわ…。


 村人たちの噂話は止まらない。その間にも王立軍の所業に関してあれやこれやと不平不満が繰り返されていた。


 ドラゴン急便で荷物を受け渡し、支払いを待っていた竹子は、ぱちぱちと目を瞬いた。


「なんか最近どの村に行っても王立軍の話ばかりですねー。そんなに珍しいことなんでしょうか?」


「…さあな。人間たちの事情なんて僕は知らん」


「あ、そう言えばドラゴンさんって数百年前から生きてるんですよね?その時の様子がどうだったかとか」


「知らんと言っとろーに。前も言っただろ、覚えてないって。洞窟に入る前のことは昔過ぎてわからないんだ」


「そうなんですかー。じゃあ何が何だかやっぱりわかりませんねぇ」


 ちょうどその時、竹子に向かって村人から声がかかった。受け渡した荷物について少々確認したいことがあるから倉庫まで来てくれ…とのことだった。


 竹子は軽快に返事をすると、一度くるりとドラゴンの方を振り返る。


「すみませんドラゴンさん、しばらくこちらで待っててくださいねー!」


「おう」


 ドラゴンが頷いたのを確認して、竹子はにんまりと笑う。

 そのまま踵を返して人間たちの呼んでいた倉庫へと吸い込まれていった。


 倉庫の壁を通しておぼろげながら村人たちが竹子に質問している声が聞こえる。

 納品したユーステス謹製の魔術道具の仕様について説明しているようで、しばらくの間ドラゴンはここで待ちぼうけになることを予測した。


 ドラゴンは軽く体の力を抜いてその場に座り込んだ。


 ドラゴンがいるのは村の入り口近くの広場である。

 この巨体では村の中に立ち入ることは叶わないので、大抵は村の外か中の広場で荷下ろしを行い、詳しい説明や金銭の授受は竹子が行っている。


 その間のドラゴンはいつもこうして一人待っていることになるのだが…。


「…」


 ああ、またか。

 ドラゴンは少しだけ溜息を吐き…そして目を伏せた。



「…というわけでここのボタンを押すと」


「わあ!?なるほど。こうして使用するのですね。この光を照射して疲労を回復すると…」


「ええ、ええ!うちの村の癒術士が筋肉を込めて作ったとっておきのヒーリングマシンでして」


「筋肉?」


「ヒロポン草五千本相当の魔術効果がたったの五百本相当のお値段で手に入るなんていやあ太っ腹ですねえ!正直こんなことしちゃ商売あがったりなのを特別価格でご提供!さっすが村長、買い物上手~!」


「い、いやあそれほどでも~!?あの、さっき筋肉を込めたとか言って…」


「ところでなんか外が騒がしくありません?お祭りですか?」


「私の声は聞こえないのに外の音は聞こえるんですか?」


「ちょっと見てきますねー!村長さんはどうぞ筋肉を鍛えててください!」


「だからなんで筋肉なんですか!?あ、ちょっと!」


 村長の制止の声も聞かず、竹子はすぐに倉庫から外に出た。


 きょろきょろと辺りを見回して音の発信源を探る。しかし探すまでもなく対象は見つかった。

 竹子の目がこれでもかと大きく見開かれた。


「化け物め!でかい顔してふんぞり返りやがって」


「牙も爪も尻尾もなんて醜い…お前になぞすぐに神罰が下るぞ!神がお前のような魔物を放っておくものか!」


「ここ最近の魔物の勃興も、お前のように冷たい血の悪魔のせいだろう!数百年前に討伐されつくしたと思っていたのに何たることだ…!」


 わあわあと騒がしく膨れ上がる喧騒、声…その中から浮かび上がってくるひときわ強い罵倒の声。


 それらはすべて、ただドラゴンだけに向けられていた。


 皆一様に目を血走らせ顔を歪ませ、恐怖と憎悪に塗れた顔を晒し、ドラゴンに罵声を浴びせている。

 らんらんと光る目に宿っているのは間違えようもなく敵意でしかなかった。


 ドラゴンはただ黙ってその場に座っていた。眼下の群衆を睥睨して、無表情のままに沈黙している。


 身じろぎをすると群衆が飛び上がってさっと輪が広がるが、ドラゴンがそれ以上動かないのを見るやすぐにその幅は縮まった。


 村人たちはどんどんヒートアップしていき、ついには一人が何かを投げた。


 べしゃ、とドラゴンの体に何かがぶつかる。


 それはただ地面からすくい上げた土を軽く固めただけのもの。

 攻撃力も殺傷力もかけらもないただの土くれ…だったが、しかし群衆に与える影響は絶大だったらしい。


 その一投を皮切りに、村人たちは獣のように吠えあがった。


「そうだ!出ていけ!村から出ていけ化け物!!!」


「荷物を運ぶだあ!?信用させといて後から手のひらを返す心づもりだろう!魔物の言う事なぞ信じられるか!」


「私たちみたいにか弱い人間はお前のその醜い爪でも牙でもひとたまりもないんだ!信用できるわけないだろ!こっちには子供だっているんだ!」


 ドラゴンの体には次々に物が飛来した。土、砂利、木の枝、焼き物の破片、木の実、ボロ布、それこそ卵まで。


 興奮した群衆は全く落ち着く様子もなく、狂乱のままに物を投げつけ続けている。


 ドラゴンが少し、鬱陶しげに目の形をゆがめた。

 顎が開き、ドラゴンの体が黒炎を吐き出すときと同じようにわずかな燐光を発し始め…。


「何やってんだこのクソどもがァーッ!!!!!!」


 辺り一帯揺るがす大音量に驚いて、ドラゴンはぱちんと口を閉じた。


 あれほど怒り猛っていた群衆も同じだった。背後からの轟音に誰もが肩をすくめ驚き、大慌てで振り返る。


 そしてドラゴンよりよっぽど怖い顔をしている人間を見た。


「きゃああああ!?」


 群衆から子供のような悲鳴が漏れた。


 ちょっと人間がしてはいけない表情をしている竹子は当然止まらず、そのままものすごい勢いで群衆に向かって突進した。


 その様はさながら怪異テケテケかダッシュババアか口裂け女かというほどの気迫があり、母親たちは一様に自分の子供の目を塞いだ。

 一人老人が心臓への多大なる負荷に耐えきれず倒れた。


「てっっっっめぇらドラゴンさんに何言ってくれとんのじゃワレしかも物なんぞ投げつけよってからに覚悟はできとるんじゃろうなアァン!??!?!」


「ヒィっ!?」


「傷害罪で現行犯逮捕どころか現行犯処刑で構いませんな構いますまい処刑させろするしたおいこら舌出せまずはそぎ落としてやっからよぉ!!!」


「どうどう、落ち着けー」


「げぶっ」


 ドラゴンの尻尾が竹子の腹に巻き付き、一気に後ろにひっぱった。

 竹子はちょっと苦しそうな声をあげていた。


 集まった群衆達は怯えた目つきでドラゴンと竹子を見た。今まで遠巻きにしていた面々も顔を出し、辺りは騒然とし始める。


「お、お前たち!いったい何をしているんだ!?」


 慌てて飛び出してきた村長が背後から大声を上げた。村人達に必死で落ち着くように語りかけているが、あまり効果は無いようだった。


 怯えに染まっていた目つきが、徐々に怒りへと変貌し始める。


 ドラゴンは無言で飛び上がった。翼の起こす風に煽られて一人は倒れ一人はよろめき、人々の輪はまたその円周を広げた。


 ドラゴンの尻尾に確保されたままの竹子も当然頭上に浮遊する。

 竹子は不満そうに暴れたが、ドラゴンの尻尾はしかと竹子を掴んで離さなかった。


「…とりあえず金品の受け渡しは済んだし今日は帰る。詳しい話が聞きたかったら鳩か手紙を使ってくれ。それじゃ」


 ドラゴンは短くそれだけを告げると、悠然と空に飛び立った。

 村人達の突き刺さるような視線は止まなかった。



 上空、先ほどの村から飛び立ってしばらく。


「あああああああ!?」


 竹子の絶叫が響いていた。広大な空の中、尾を引くように背後に垂れ下がってはそのまま小さくなって消えていく。


 ドラゴンは全くそれを気にかけず、無視してガンガン飛んでいた。


「ドラゴンさん怖い怖い怖い!!!おろしてぇ!!!」


「お前にも恐怖心がちゃんとあったのか…!」


「ドラゴンさんほんと私のことなんだと思ってるんですかあ!」


「人として大切なものをどっかに落としてきたと言うか…」


「頭のネジが抜けてると!?」


「むしろネジでしっかり閉じられてるのに中身だけ器用に落としてきた感じ」


「誰が頭ピーマンですってぇ!?いくらドラゴンさんでも怒りますよ!」


 竹子は珍しくぷりぷりと怒っていた。

 いつもへらへらニコニコしているのが常のこの人間にしては珍しい表情である。


 ドラゴンがそれを指摘すると、竹子は目に見えて怒りを増幅させた。

 と言ってそれはドラゴンに向けられたものではなく…先ほどの村での出来事が未だに竹子の中で強い怒りを呼び起こしているようだった。


「何なんですかあの人たち!無礼にもほどがあります!今までさんざんドラゴンさんのお世話になっておいてぇ!」


 竹子は随分と憤慨している様子だった。まさしく怒り心頭なのか、息が荒く、目は見開かれ、肩が激しく上下している。


 本当に珍しい。いつも大抵のことを笑って流す竹子がここまで怒りに駆られて…ドラゴンよりもよほど魔物らしい悪鬼のような表情を浮かべて村人たちに迫ったのだ。


 それぐらい、竹子にとっては許せないことだったのだろう。


「ドラゴンさん、どうして止めたんですか」


 竹子の顔が頭上を振り仰ぐ。ドラゴンの尻尾の先にからめとられた竹子からは、ドラゴンの顔はよく見えない。


 それでも怒気も殺意もまるで感じ取れないことだけはわかる。


 そもそもあの村でもドラゴンは無抵抗だったのだ。村人たちの浴びせる罵声をただ沈黙のままに受け入れ、投げられる土くれや石を甘んじて受け止めていた、ようにみえた。


 最後の方では黒炎を吐こうとはしていたが…せいぜいが威嚇程度だろう。


 ドラゴンと長く過ごし、彼が幾度どなく炎を吐くさまを見続けていた竹子は知っている。

 あの魔力のめぐり方ではせいぜいが数秒燃え上がる炎しか出てこない。出せて小さな松明程度だろう。


 罵声を受け無礼を受けた張本人であるはずのドラゴンは、どうしてかどこまでも冷静だった。


 竹子は疑問を感じずにはいられなかった。


「ふん。言わせておけばいいんだよ。あんな奴らわざわざ相手にする必要もない」


「い、言わせておけばって…あんな侮辱を放っておけって言うんですか!?」


「脆弱な人間風情が何を言ったところで構うもんか。お前はアリに文句言われて言い返すのか?」


「…アリ?」


 竹子が絶句して言い淀む。


 ドラゴンはまるで予測していたかのように鼻で軽く笑った。


「そうさ。偉大なる僕にしてみればお前たちの存在など知らぬ間に踏みつぶしているアリか葉虫のようなものだ。そんな奴らから馬鹿にされたところで僕にとっては痛くもかゆくもな…」


「えっでもドラゴンさんいっつも私に対してめちゃくちゃ言い返してきますよね?」


「…」


 途端にドラゴンが押し黙った。


「私だけじゃありませんよー!アレクさんもドロテアさんもどころかミーナちゃんやネットくんだって!えーとそれにベン爺さんともしょっちゅうアップルパイの味付け問題で議論してますし他の村の人たちともやんややんや言ってますよね?具体的に言うと日に十回ぐらい」


「ひ、日に十回はないだろ!さすがに五回ぐらいだ!」


「ほら!今だってそうじゃないですか。毎回毎回言い争いしてやれもっと敬え恐れよとかちゃんと怖がれよぉとか僕の威厳がーとか。それで気にしてないってのは無理がありますよ」


「うううううるさい!!!今の流れでそんな指摘する奴があるかー!」


「今の流れだからですよ!突然人間のことアリとか言ったり、らしくなさすぎるんです!」


 ドラゴンはまたも返事をしなかった。竹子の耳もとで風を切る音がする。


「ドラゴンさん、やっぱりなんか無理してますよね。そりゃそうですよ。あんなひどいことされたら誰だって傷つくし嫌な気持ちになるし怒ります。気を遣ったり遠慮したりしなくていいんです!怒って大丈夫ですよ!…ていうか私が怒ります。怒ってきます。今からでも引き返してください!見事にキレ散らかしてきますから!」


 竹子は必死に語り掛ける。相変わらず体は尻尾に絡めとられているだけの不安定な様子だったが、竹子は最早恐怖を感じていなかった。


 いや嘘だ。確かに恐怖を感じてはいる。だけどそれは単に高いところにいるという事実に対する本能的な恐怖。生物として当たり前の本能。


 それ以外…たとえば、落とされるんじゃないだろうかとか、締め上げられるんじゃないだろうかとか。そういう恐れは微塵も感じなかった。


 だから竹子はただただドラゴンに向かって語り掛けた。


 だけど。


「別に。無理なんかしてないし。ていうか怒ったところで何になるんだよ」


 ドラゴンの返答はにべもなかった。


「な、何にって…だったらあのまま放っておくんですか!?」


「じゃあお前、ちょっと考えてみろよ。あの村は昔っからシュゴドラ村と取引してる相手だ。今ここで波風立てて後々悪影響がないと言えるのか?」


「そ、それは…いや、それとこれとは話が別!です!」


「別じゃない。だいたい、僕があそこで怒って怒鳴ったり、あまつちょっとでも攻撃してみろ。ああやっぱりドラゴンと言うのは野蛮で危険な魔物なのねってあいつら余計に怖がるだけだろ。逆効果じゃないか」


「う…」


「わざわざあいつらのご期待通りのムーブをしてやる必要なんかないだろ。あいつらの中ではもう僕は危険で恐ろしい魔物って決め打ちで決まってるんだ。挙句ほんの少しでもけがをさせたら鬼の首を取ったように言い始めるぞ。ほら、ドラゴンは危険で野蛮な魔物だって…。だから僕は別に怒ったりしないんだっつの。はい。この話はおしまい」


 おしまい、の言葉を裏付けるかのように。ドラゴンはひときわ強く翼をはためかせると一気に加速した。


 舌噛むぞ、の言葉の通り竹子に口を開いていられる余地はなく、竹子は強制的に口を閉じざるを得なかった。


 確かに。ドラゴンの言うことはもっともだけど。


 でも、だけど、明らかに無礼を働いたのはあちらの方で、悪いのはあちらの方だ。ドラゴンには怒る正当な権利がある。


 だっていうのにただ忍従だけがとれる手段と言うのはおかしくないだろうか?

 ドラゴンは真実、村人たちを傷つけるような行動なんてとっていないのに。


 勝手に想像して勝手に怖がっているのは村人たちの方だ。そんなの、ドラゴンには全く関係ないことで、そしてどうしようもないことじゃないか。なんだか納得がいかない。


 言い知れぬもやもやを抱えたまま、竹子はひたすらドラゴンの尾に絡めとられていた。


 村に帰り着いた時も、やはりドラゴンは相変わらずだった。


 竹子が怒りのままにあの村でドラゴンが受けた仕打ちを話すと、村のみんなは竹子に同調して怒ってくれた。


 特にアレクが目に見えて激昂しており、即座に抗議の伝令文を送達すると言ってくれた。


 竹子はほっと息を吐いた。よかった。ドラゴンのために怒ってくれる人がこんなにいる。やはりドラゴンの怒りは正当なものだったのだ、と。そう思って安心した。


 竹子は期待を込めてドラゴンを見上げた。その顔が驚きか喜びか、あるいは同調して正当な怒りを発してくれていることを願いながら。


 しかし、ドラゴンはやはり無表情のままだった。


 竹子が話しかけても上の空の返事ばかり。好物のアップルパイを前にしてもあまり集中している様子はなく、何か深く物思いに沈んでいるように見受けられた。


 村人たちはやはりあの村での出来事が尾を引いているのだろうと言っていた。


 確かに普通に考えればそうだ。なんだかんだ言いつつドラゴンはあの出来事がショックだったのだと、そう思うより他に理由がない。


 だが…。


 竹子はどうしてか、それだけだとは思えなかった。

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