第7話 ドラゴン、働く(そして社畜は倒れる)
ざわめく人の声。こちらを見上げてぽかんと口を開けて、信じられないと噂する人々の群れ。
「ドラゴンだ…」
「本当に実在したのか…」
「数百年前に滅んだって…」
茫然と口にする人々の前で、ドラゴンはその巨躯を悠然と降り立たせた。集まった群衆が怯えた様子で飛び上がる。
あるものは咄嗟に子をかばい、あるものは腰を抜かして倒れ、あるものは色を無くして目の前を凝視した。
空からやってきた雄大な脅威。
自分たちとは生物の根幹から違う、生まれついての強者の降臨を、誰もが息を飲んで見守り…。
「こんにちはー!ドラゴン急便です!シュゴドラ村からのお荷物、交易品、お手紙に食料、お届けに上がりましたぁ!」
その背から顔を出したやけに明るい人間を見て変な顔になった。
群衆に先ほどの恐怖とは全く別種のざわめきが広がっていく。困惑したままその一組の動作を見守る人々。
ドラゴンの背から顔を出した人間-竹子は、するすると背を伝って、地面に降り立つ。
そしてドラゴンの掴んでいた荷馬車の前に立って手を広げた。
「さあさあ、皆さまお立ちあれ!これなるは絢爛怒涛、世にも珍しい貴重な品の数々…」
「はいストップー。あからさまな誇大広告すんなー。いつもシュゴドラ村から出してる野菜の定期便ですよー。申し訳ありませんが買い付け担当の方お願いしますー」
「あーっドラゴンさんなんでそんなこと言っちゃうんですかー!こういうのは盛り上げてなんぼなのに!」
竹子は憤慨した様子でドラゴンに食って掛かる。あのドラゴンに。あのドラゴンに文句をつけている人間がいる。
村の人間は全員信じられない気持ちで目の前を見つめたが、しかし現実だった。
竹子とドラゴンはやけに楽しそうにやり取りを繰り広げると、やがて竹子の方がもう一度群衆に向き直った。
「それではドラゴンさんのおっしゃる通り買い付け担当の方お願いしますー!郵送物についてはその後呼びかけますのでー!」
その人間の呼びかけに、群衆の中の一人がはっと気づいて近づいてきた。どうもそれが買い付け担当らしい。
竹子と買い付け担当が何やら話している。人間の細かいお金のことはよくわからないので、この間のドラゴンは大抵ぼーっとしている。
村の群衆の囁く声。小さくひそめられた声。自分たちからやや離れたところ、そこで小集団が寄り集まって、何やらしゃべっている。時折ドラゴンを見る。
今、ドラゴンは、例の雑音をシャットアウトする魔法を使っていなかった。
「…」
ドラゴンは何も言わなかった。ただ黙って竹子の交渉が終わるのを待っていた。
ざわめきが続いている。
〇
「いやあー、これで近隣の村はコンプリートですね!これからしばらくこの村々を往復して荷物を運ぶことになるかと!」
「…ふーん。まあ道を覚えたからいいけどさ。お前、さっきの村で何か言われなかったか?」
「え?何がです?三回ぐらい信じられないものを見る目で見られましたが、それだけでしたよ?」
「あっそ。じゃあいいや。お前がそういう目で見られるのはいつものことだし」
「ひどーい!私はいつでも正気で真面目な竹子さんですよ!」
「今世紀最大の大ホラを聞いた…」
〇
ドラゴンと竹子は、他の村々にも荷馬車を抱えて取引に向かった。
流石に最初の村ほどあっさりと受け入れられた所はなかったが、竹子のやけによく回る口と何より押しの強さによって人々はなんとなく押し切られてなんとなく取引を開始し、そしてなんとなく相場より高めの値段で物を売り付けられていた。
にこにこしながら意外にも強かな竹子の手腕にシュゴドラ村の面々は(若干ヒキながら)それでも頼りにし始め、結果としてドラゴン急便は大変な盛況を博した。
シュゴドラ村からの輸出はもちろん、他の村と村を繋ぐ輸送便の役割も果たし、(そして竹子がちゃっかりとその際マージンを取る仕組みを固めてしまい)、ドラゴン急便は近隣の村々で重宝された。
が。
「むり」
その結果竹子がオーバーワークになった。
ドラゴンの背中で大の字になりながら完全に沈黙している。無理もない。
何せここ数週間朝から晩までひたすら村々を駆け回っては取引の仲介をしマージンを取っては儲けその他輸送が必要な荷物を運び、と働きづくめだったので、さもありなんという有様である。
それこそドラゴンと出会った直後のような萎れ具合で竹子はドラゴンの背中で潰れていた。
あああ、と地の底を這うようなうめき声が聞こえる。
「翼が欲しい…授かりたい…」
「定期的に翼が欲しいって言うけどそれなんなの?」
「魔法の飲み物なんですよお…くいっと飲むと疲労がポン、目がキラキラぎらぎら眠らずに頑張れる」
「ぜってぇやばい奴だろそれ」
ドラゴンの呆れた声にも反応せず、竹子はひたすら呻きながら何かを呟いている。我に翼をー、とかなんとか。
「あああ、ドラゴンさーん、いつもの魔力でなんとかできませんかぁ…」
「お前魔力をお手軽魔法のランプかなんかだとでも思ってるのか?いいか、確かに魔法は魔力を使って様々な事が出来るが、それは出来ることが出来るだけだ。具体的に何をするのか、何を得たいのか、どんな結果を求めるのか、明確なイメージを持たなきゃいけない。見たこともない聞いたこともないものを出現させるなんて芸当は不可能なんだよ」
「え?でも私が背中から落ちかけた時にでっかいスライム出してくれたじゃないですか。あれドラゴンさんが出してくれたんですよね?」
「アレはお前が出したんだよ。僕には見たこともないあんな奇怪なもの出すような芸当は無理だっつの」
「いやいや、私の方が無理ですよ!魔法とか生まれてこの方使ったことないんですし!ていうか魔法使えるんだったらとっくのとうに翼を授かってます!」
竹子がそう言った時だった。
ぽん、と軽い音を立ててその場に何かが出現した。
「えっ」
空中に浮かんだそれはすぐに重力に従って落下すると、すとんと人間の手の中に収まった。
なにやら金属製の筒のように見える。いかなる技術によってか知らないがその筒は随分と整った円筒形をしており、不揃いな溶接の跡も手作業特有の形の崩れも見られない。
おまけに表面には鮮やかなペンキで煌々と赤や青色の装飾がついていた。
明らかにこの世界で作れる技術のレベルを超えている。少なくともドラゴン生うん百年の間(といっても大半は引きこもりだったのだが)に見たことがない代物だった。これは。
ドラゴンが脳内で答えをはじき出すより先に、竹子の顔がこれ以上無いほど光り輝いた。
「翼−!私の相棒!」
竹子は筒を抱えて上に掲げると、すぐに手を引っ込めてほおずりをし始めた。
当然その金属製の円筒はただの物であって生物ではないのでほおずりしたところで親愛の情など感じないはず…なのだが、竹子は生き別れの兄弟に出会ったかのようにその筒に求愛している。
シンプルに気持ち悪いなあ…。
ドラゴンは正直にそう思いそして目にも表情にもそれが出たが、竹子は相変わらず都合の悪いことを認識しない力を備えているらしく、全く気にした様子がなかった。
「あーこれで頑張れます!ファイト一発!さあドラゴンさん、ばりばり働きますよー!」
「ええ…」
そしてドラゴンが口を出す前に竹子は元気百倍になって復活したため、結局ドラゴンはその日その怪現象について追求することが出来なかった。
○
「むり」
そして竹子はぶっ倒れた。
原因は一つ。過労である。
ドラゴンの背中でひっくり返っているそいつにどうしようもなくデジャブが募った。
「だから休めって言っただろうが。この馬鹿ちん」
「いけると思ったんです…だって会社にいたときにはこれぐらいよくあることだったし…」
「お前いい加減カイシャ基準で考える癖やめろよ。村の奴らがまた反乱起こすぞ。つい先週労働条件改善どうのこうので詰め寄られたばかりだろ」
「あの時もドラゴンさんが仲裁してくださったから綺麗におさまったんですよねえ」
「うん。人間がドラゴンほっぽって喧嘩してる様を目にするとは思わなかった」
「えへへ、照れます!」
「褒めてない。反省しろ」
冷淡に返すドラゴンの言葉にダメージも受けず、竹子は相変わらずえへうふ笑っている。
ただし起き上がる気力は無いようでべったりとドラゴンの背中に突っ伏したままだった。
呆れて背中を振り返りながらドラゴンはため息を吐く。
いつものことは言え、本当にこいつは。
ばさりと翼をはためかせてドラゴンは村に向かって飛んだ。
村の大広場にずしりと音を立てて着地すると、程なくしてアレクはじめ村の面々が近寄ってきた。
ドラゴンの姿を見ても物怖じする様子はない。軽快に挨拶をしてくるだけ。最早慣れたものである。
ドラゴンの背中から竹子を助け起こすと、アレクがその体を担いだ。
「ほいよ。そんじゃ村の術士のとこに連れてってやるからなー。もうちょい辛抱しろよ、嬢ちゃん」
「ううう…すみません…」
「にしてもドラ坊、どうして嬢ちゃんに治癒魔法かけてやらねえんだ?お前さんの魔力なら村の術士なんか目じゃない癒術がかけられるだろ」
「かけたよ。でも僕じゃどうも疲労やら風邪やらを治すのは難しいらしい。外傷や火傷だったら一発なんだが」
「ははあ、なるほどねえ。まあ癒術ってかなり才能とセンスって言うしな。外傷修復と状態異常の解除はまた別の話らしいし、嬢ちゃんのこれは過労って言うバステに近いものってことかな」
「たぶんそう。あとついでに村の術士に聞きたいこともあるし…」
「うん?」
「なんでもない。とりあえず早く術士のとこに連れてってくれ」
おう、と声をかけてアレクがまた歩みを進める。
ドラゴンは体の幅的に村の中に立ち入れないためその場でうずくまっていた。
そうしているとどこからともなく現れた村の子供達がドラゴンに構い始める。
背中によじ登り尻尾に向かって滑り降りて、そして相変わらず興味津々な顔でドラゴンに話しかけてくる。
最初はあまりの扱いにドラゴンも怒りそうになったが、よく考えたら身近にもっと大問題の大不敬が居たのでどうでもよくなってしまった。
このぐらいなら可愛いものである。むしろあいつもこれぐらいにしてほしい。自重しろ自重。
最初はひやひやしながら子供達を見守っていた親もドラゴンが子供と竹子(でかい子供)と平和に遊んでいるのを見ていたら慣れたようだ。
今も多少心配そうな顔はしているものの、最初の時のような警戒心はほぼ薄れている。
ドラゴンさんにあまり迷惑かけちゃダメよなんて声をかけたうえ、お礼と行って菓子をくれるぐらいだった。
「おぅーい、ドラ坊。治療終わったぞ」
子供達にもみくちゃにされつつ待っていれば、程なくしてアレクと竹子が現れた。
先ほどのアンデッドもかくやという血色の悪さは多少改善されたようだ。
アレクの背でにこにこ笑いながら手を振っている。
その背後からもう一人、こちらに近づいてくる影があった。
「ほれ、うちの村の術士のユーステスだ。言われたとおり連れてきたぞ」
「お初にお目にかかります。ドラゴンさん。ユーステスと申します。お噂はかねがね」
そう言ってユーステスは頭を下げた。
術士という肩書きとは裏腹に随分とたくましい体格をしている。アレクと比較しても遜色しないほどである。
この筋肉は一体?
ドラゴンは若干疑問に思ったが、とりあえず一旦脇に置いておくことにした。
「すまんなわざわざ。ここまで来てもらって」
「いえいえ。私も一度お会いしたいと思っておりましたから。それでお話というのは」
「癒術を使ったからにはこいつの身体の魔力回路を調べただろう。何か変なところがなかったか?」
アレクと、それに背負われた竹子がきょとんと目を瞬かせる。一方ユーステスははっとした様子でドラゴンを見上げた。
「ドラゴン殿もお気づきでしたか」
「うん。今回癒術をかけておかしいなと思って、それで他の奴の意見を聞きに来たんだ。その様子だとやっぱり」
「ええ。術士を始めてそれなりに経ちますが、こんな状態は初めて見ました」
「え、どうしたんですか?私の身体になにかあったんですか?」
ドラゴンとユーステスが同時に竹子の方を振り向いた。ドラゴンの目配せを受けてユーステスが話し始めた。
「まずですが、タケコ殿の体内には自前の魔力が一欠片もありません。まっさらです。白紙です。ほんの僅かも存在しません」
「まあ、元の世界では魔力も魔法もなかったので当たり前っちゃ当たり前…」
「もう本当に全く少しも小指の先ほども魔力が見当たらなくてその辺の雑魚スライムの方がまだ強いレベルで私は術をかけながらこんなに虚弱で大丈夫だろうかと心配で心配で心配で」
「ユーステスさん?」
「でも大丈夫!魔力が無くても筋肉がある!筋肉だけは万民に平等!どれだけ攻撃魔法が強くても直接筋肉で殴れば相手は死ぬ!だからタケコ殿も私と一緒に筋肉を鍛えましょうさすれば不安も解消心身頑健雨が来ても嵐が来ても負けず挫けずそして殴れる!筋肉は全てを解決するのです!さあ私と一緒にレッツトレーニング!」
「あー待て待て」
アレクに後頭部を殴られてユーステスは一瞬沈黙した。しかしすぐに立ち直った。
「失礼。取り乱しました」
「お前その癖本当にやめろよなあ。嬢ちゃんが引くって相当だぞ」
「どういう意味でしょうかアレクさん!!!」
「話が逸れましたね。この通りタケコ殿は魔力的にはスライムどころかノミにも劣るクソ雑魚レベルですが、しかし体内に超高密度の魔力結晶体の球を保有しているのです」
「流れるように罵倒されませんでした?」
「こちらは本人の魔力回路とは全く無関係に成立しています。タケコ殿の体内に外から埋め込んだような…それこそ移植でもされたかのようなちぐはぐ具合です」
流石にここまで来ると竹子も突っ込むのをやめた。
魔力や魔法と言ったこの世界の事物に疎い人間でも、それが不可思議な事態であることはわかったらしい。
「癒術の過程で走査もしてみましたがあまりの密度の濃さに内部構造の把握すら叶いませんでした。わかったのはただただそれがタケコ殿の体内に存在していること、そして強固なロックがかけられているということだけです」
「ロック?」
「ええ。なんと言いましょうか…余程強い目的意識や願望を抱かなければ魔力が解放されないようになっている、ような」
「えーと…」
「死ぬ気にならないと魔法が使えないということです」
「なるほど!」
「お前もわりと脳みそ筋肉じゃないか?」
ドラゴンが呆れかえったような目で竹子を見ていたが、竹子は気にしちゃいなかった。いつものことである。
「え!?ちょっと待ってください、じゃあ私、死ぬ気になれば魔法使えるんですか!?」
「ええ、よく思い出してみてください。あっやばいこれは死ぬもう死ぬ死んだという段になって不思議なことが起こった経験は?」
「あっ」
ぴこんと竹子の頭上に驚きを示す記号でも浮かぶようだった。
やっぱり、とドラゴンは密かに納得した。
「つ、つまりこの間翼を授かったのも山のような大きさのスライムが出てきたのも全身を燃やしてた火が一瞬で消えたのも洞窟の壁をぶち抜いたのも全部!魔法のおかげ…!」
「ええそうです。翼を授かったのも山のような大きさのスライムが出てきたのも全身を燃やしていた火が一瞬で消えたのも洞窟の壁をぶち抜いたのもぜん…ちょっと待ってください何が起こってるんですかこれ?」
「もしかして私がこの世界に来たのもそのお陰ですか!?会社から逃げたい一念が魔法を発動させたと!?」
「カイシャ…?ええと、まあそれぐらいしか考えられないですね。違う世界へ移動するなんて、魔法でも使わなければ不可能でしょうから。あのところで翼を授かるって一体何が」
「うわーっ聞きましたかドラゴンさん!私ちょっとすごくないですか!」
「いたいいたい」
竹子はもはやユーステスの言葉を聞いていなかった。興奮してドラゴンの身体をぺしぺし叩いている。
最早慣れっこのドラゴンは好きなようにさせてやっていた。
興奮する竹子をアレクがどうどうと収めている。
「でもよぉ、どうしてそんなものが嬢ちゃんの体内に入ってるんだ?お前さん達の言うとおり嬢ちゃん自前の魔力じゃないんだろう」
「まずもって魔力というのは圧縮したり凝集したりすることが出来る性質の物ではありません。高密度の魔力体、という存在自体があり得ない。それが存在しているばかりか他者に分け与えられた挙げ句に体内で癒合しているなど、人知の及ぶ現象ではない。人間の技量技術の程を越えた人外魔境の出来事…それがタケコ殿の身に起こった。私にはその程度のことしか」
「つまり?」
「何が何だかわかりません」
最初からそう言ってくれ、とアレクは呆れた。
「えーとつまり、なんだか奇跡っぽいことが起きていて、嬢ちゃんは死ぬ気になれば魔法が使えるが、どうしてそうなっているのか原因は不明…でいいのか?」
「ええ。そして恐らくあと一回しか使えません」
「えっ」
素っ頓狂な声を上げて竹子がユーステスの方を振り向いた。
ユーステスはけろりと答えた。
「一回、というのは言い過ぎかもしれませんね。ただせいぜいがあと一、二回が限度じゃないでしょうか。死に瀕したとき、それと同じぐらい切迫した感情の時に発動する魔術…となると効果も威力も相当なものでしょう。そんな大魔術を使うなら残りの魔力から試算してそれぐらいかと。すでにもう六回もご使用されているようですし」
「え、あの、六回?私が使った魔法って多分五回…」
「そうなんですか?おかしいですね、表面の魔力痕は確かに六個ついていましたが…。まあとにかく、残存魔力はあとわずか。それでも相当な量ですが、泣いても笑ってもあと一、二回と覚えておいてください」
「えー!」
竹子が絶望的な声をあげた。その場でがっくりと項垂れて、あからさまに肩を落とす。
その竹子にすすすとユーステスが近づいたかと思うと、ぽんと肩を叩いた。
「タケコ殿。お気持ちはよくわかります。今まで自分をここぞと言うときに守ってくれた魔法があと一、二回しかとなると心細いに決まっていますよね。ましてあなたの身には自発的にわき上がる魔力は無く、今後どうやって自分を守ればいいのかわからない…そうは思っていらっしゃるのでしょう」
「ユーステスさん…」
「大丈夫。魔力はあなたを裏切りますが筋肉はあなたを裏切りません。いついかなる時もこの身に宿り無敵の力と自信を与えてくれるもの、それが筋肉。一緒に背中に鬼神を宿しましょう」
「ユーステスさん?」
「さあさあ!そうと決まればまずは簡単なトレーニングから始めましょう!大丈夫です!王都のような絢爛豪華な設備がなくてもこの!私のように!バルクアップ!マッスルファイヤー!もちろん可能ですから、ええ!共に世界を掴みましょうぞ!」
「ユーステスさん。着て。脱がないで。お願いだから」
なにやらひたすら興奮して叫びまくっているユーステスは、やっぱりアレクにべちこんと頭を殴られてようやく大人しくなった。
○
背中にべったりと倒れ伏す竹子を抱えながら、ドラゴンが空を駆けている。
と言って目的地は村の裏山、そこにあるドラゴンの巣穴なので、飛行はすぐに終わってしまった。
巣穴に着いたドラゴンはゆっくりと着陸すると、ぐるりと首を巡らせて自分の背中を振り返る。
「ほら、ついたぞ。一旦降りろ。ご飯食べなきゃ治るものも治らないぞ」
「うう…ありがとうございますドラゴンさん…」
ドラゴンの背中からずるずると這い降りて、竹子が洞窟の隅に腰掛ける。
先日作った竹子用の腰掛けである。洞窟の岩壁の一部をくりぬいて作ってある。ちょうどろうそくの燭台置き場のような形だ。
竹子はそこに座り込むと、背後の壁にだらりともたれかかった。
いつになく弱々しい。癒術治療を受けたとは言え全快にはほど遠いのだろう。
元々癒術というのはアレクの言っていたとおり才能とセンスが物を言う分野である上に、規格外の魔力量と高度な技術を要求される高等魔術である。継続して治療を受けなければ効果は薄い。
こりゃ明日も村に行かなきゃな、とドラゴンは思った。
「だから村のベッドで寝かせてもらえって言ったのにさあ」
「ドラゴンさんの背中より寝心地のいい寝具を知りませんので…」
「僕はベッドじゃねぇっつってんだろ」
いつもなら軽く風の魔法でも発動させて竹子の頭を軽く弾いている所だったが、流石に今この目の前でグダグダしている相手を痛めつけるのは気が引けた。
ドラゴンはただため息を吐くだけに収めた。
「…」
ドラゴンはおもむろに自分の爪を持ち上げた。
そのまま竹子に向かって振り下ろす−竹子の頭上、いやその首元に、びたりと爪が突きつけられた。
壁にもたれている竹子はその爪が振り抜かれた様子も、自分に向かって振り下ろされているさまも、全てばっちり目に写していたようだった、が。
「どうしたんですかドラゴンさん?あ、畝作りの時の爪の立て方の練習ですか?すみません明日起きたら一緒に考えますので…」
呑気にそんなことを言ってぺたぺたドラゴンの爪を触る。
魔法が発動する様子は微塵もなかった。
ドラゴンは軽くため息を吐いて爪を戻した。
竹子は相変わらず不思議そうに目を瞬いているだけだった。
「そう言えばさっき村でユーステスさんとドラゴンさんだけで何かお話ししてたじゃないですか。何喋ってたんですか?」
「お前の頭を治す術はないのかって話」
「ひどーい!私はいつでもドラゴンさんを第一に考えつつ健全で明瞭な思考をしてますよぉ!」
ばたばたと手を振りまわして暴れる竹子を見ながらドラゴンは考える。
死ぬほどの労働を課してくるカイシャとやらから逃げだそうとしたとき。
全身火傷まみれになったとき。
空腹から食料を求めて洞窟を破壊したとき。
遥か上空から落とされそうになったとき。
こいつには命に対する危機感がある。それほどの強い欲求、心から願う願望でなければ体内の魔力とやらは反応しない。つまり。
こいつはそれと同じぐらいあの翼を授かる飲み物が欲しかったってことかあ…。
今目の前でぎゃあぎゃあと喚いているこいつならさもありなん、とは思うものの。
命の危機と釣り合う欲求が謎のヒロポン飲み物というのはどうなんだろう。そう思わずには居られないドラゴンだった。
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