第3話 ドラゴン、ギャン泣き
「私、ドラゴンさんのために働きたいんです!次は何をすればいいですか!?」
人間はキラキラした目でドラゴンのことを見上げてくる。
本当に、心の底から、自分のことを慕ってお役に立ちたいと思っているらしい。
洞窟の掃除とやらは終わったのか、小さな破片がその辺にうずたかく積みあげられていた。当初確認できた瓦礫よりもよほど量が多い気がするのは気のせいだろうか。
ていうかそのドラゴンさんとやら、今お前のことを焼死体にしかけた張本人なんだが?
ドラゴンはその言葉をとりあえず飲み込んだ。
その代わりに努めて冷静な声音で告げた。
「うん。じゃあ今すぐここを立ち去れ」
「ドラゴンさん何をお望みですか?洞窟の掃除?片付け?それともクリーニング?」
「全部掃除だろそれ。もういい。とにかく早く消えてくれ」
「ところでドラゴンさんお腹すきません?私もうぺこぺこで倒れそうです!」
「何でかなぁ…言葉は通じてるのに会話が成立しないなぁ…こわいなぁ…」
ドラゴンが脱力して洞窟の壁に身体をもたれかけさせる。
人間が心配そうに見上げてきた
。
何心配そうな顔してるんだよ。お前だよ。お前が全ての原因だよ。ドラゴンは正直にそう言ってしまいたくなった。
「食料なんかあるわけないだろ…。僕は数百年ずっとここで飲まず食わずだよ…」
「ええ!?そんな!どうにかならないんですか!?」
「昔と変わってなければ麓に人間の村があるからそっからもらってくれば…?」
「ああ、なるほど!わかりました!不肖この私、食料を確保して参ります!」
もう勝手にしてくれ、とドラゴンは思った。とにかく一刻も早くこの人間から離れたかった。
今の発言でこの洞窟から出る気になったようだし…さっさと出て行ってくれとドラゴンはひたすらに祈った。
「それではドラゴンさん、先ほどの炎を吐く能力はどれほどの威力ですか?」
「はい?」
「ドラゴンさんは大変力持ちかとお見受けされますが物を牽引する力は何馬力ぐらいになりますかね。そもそも馬力って概念あります?あと炎以外にはどのような能力が?立派な翼をお持ちですがやはり空も飛べますか?どれぐらいの早さで、どのぐらいの高度まで飛び上がれるのでしょうか?」
「今度は何だよー!もう何言ってるかわかんないよー!いいから早く行けー!」
「いえ、事前調査をば!正確な情報はプレゼンの基本ですので!こちらが済み次第迅速に外回りに行ってまいります!」
「ぷれ…?ま、まあいい!それに答えたら本当に出ていくんだな!?」
「はい、それはもう!」
力強く頷く人間。ドラゴンは二度三度同じ質問を繰り返し、人間が出ていくことをしっかりと確認した。
人間はその度律儀に答えた。何度も何度も同じことを繰り返し聞かれているのに、少しも不機嫌になる様子もなく。
どころか弾けんばかりの笑顔なのでドラゴンは怖くて逆に引いた。
それでも、この質問にさえ答えれば目の前からこいつがいなくなると思えばもう何でもよくなった。
ドラゴンは腹を決めた。とにかく早く終わらせようと、ずらずらと早口で回答を並べ立てた。
「…炎を吐ける。ほぼ魔力消費もなくぽんぽん使える僕の基本魔法だ。限界とか試したことないけど、その気になればちょっとした草原丸焦げにできる、と思う。次に得意なのは風魔法。単純な暴風や爆風を吹かせて家二、三軒ぐらいなら吹き飛ばせる。あと、何本かの風を集めて乱気流起こして、特定の物体を浮かせてキープしたりもできる。まあ中でぐっちゃぐっちゃにかき回されるから原型とどめてないことも多いけど…。水とか土も基本属性ももちろん使えるし、それ以外にも治癒とか封印術とかも…まあ魔法って名前のつくものは大抵使える。細かい操作は苦手だが。あとなんだっけ、力?馬力?えーっと…人間達の使う荷馬車なら三台ぐらい一斉に引っ張れるし、腕で運べるはず。翼があるからには当然空も飛べる。高さは…とりあえず雲の上までなら余裕だ。早さも麓の村から隣村程度なら五分とかからない。はず」
早口でそれらを言い終わると、ドラゴンは溜息を吐いた。
人間は知らぬ間に懐から取り出したと見えるペンとメモ帳を片手に猛然とメモを取っていた。目が血走ってて怖い。ドラゴンはまた引いた。
「…これでいいだろ。さっさと行けよ」
「ドラゴンさんありがとうございます~!それではしっかり麓の村で食料を調達して参りますね!」
人間は喜び勇んで元気よくそう答えると、勢いよく身を翻した。
洞窟の岩壁に向かって猛ダッシュで突き進んでいく。
「あ、おい。そっちはただの壁…」
ていうか出ろ出ろ言っといてあれだけど、だからこの洞窟出口ないんだって。どうする気だよ。
ドラゴンはそう言おうとしたが、口を開くことは叶わなかった。
目の前の岩壁が突如として崩れた。
「…は?」
ドラゴンを封印していた洞窟の岩壁。侵入も、そしてもちろん脱出も…どちらも叶わぬ堅牢の檻。
それが砕けた。あっさりと。一瞬で亀裂が走ったと思ったら、クラッカーみたいに軽快に割れてしまった。
「はあああああ!?え、ちょ、なんで!?」
しかし、ドラゴンの疑問に答えてくれる相手はいない。
例の人間は土ぼこりを巻き上げながら猛然と走り抜けて、森の中へ消えていった。
あいつ意外と足速いな。ドラゴンは一瞬現実逃避でそんなことを考えたが、すぐに現実に復帰した。
「こ、この封印、本当に砕けてる…!なに!?なんで!?あいつがやったのか!?でもあいつ、魔力なんて少しも…!」
だが、それ以外に説明のしようがない。洞窟の入り口はあっさりと崩されて、今や青空がのぞいている。
「…と、とりあえず岩壁を直さないと…そうじゃないとまずい…!」
ドラゴンは魔力を練り上げた。緑色の魔素が自分の体に収束して、やがて崩れ落ちた岩壁の破片を取り囲む。ドラゴンはそれらを動かして岩壁をもう一度閉じようとした。
「…そう言えば、僕ってなんでここに閉じ込められてるんだっけ…」
ドラゴンの疑問に連動するかのように、岩壁の破片がもう一度床に散らばった。ドラゴンは茫然と砕けた壁を見ている。
「閉じ込められて…あれ、でも自分の意思でここに来たんじゃ…そうだよ、人間が嫌いで…でもそうなら封印なんて誰が…。何だっけ…?数百年前、何があったっけ」
ドラゴンは視線を破壊された壁の先、更に外へと移す。抜けるような青空。降り注ぐ日差しに清涼な外気、さわさわとわずかに揺れる梢の音。
「外…」
数百年ぶりに観た外の景色に、ドラゴンはしばし見惚れた。
「…直すの、もうちょっと後でいいか」
誰に言い聞かせるでもなく呟いて、ドラゴンはその場にうずくまった。
「あいつももう、多分こないし…」
日差しが暖かい。瞼が落ちる。
ドラゴンはそのまま眠りについた。
○
良い匂いがする。
鼻腔をくすぐるかぐわしい香り。
卵と砂糖と小麦粉とバター、それに焼けたフルーツの甘い香り。
それ以外にも肉や魚や野菜、ハーブに香辛料、とにかく人間の手の入った料理の匂い。
どこか懐かしい薫香に惹かれてドラゴンは目を覚ました。
ゆっくりとまぶたを持ち上げて辺りの様子を窺う。
「あ、ドラゴンさん!おはようございまーす!」
「え」
ドラゴンは目を瞬いた。
顔のほど近く、すぐそばでにこにこ笑っているのは間違いなく例の人間だった。
手には何故か大ぶりの骨付き肉が抱えられており、顔の周囲は油でギトギトにテカっている。きったね。
「ドラゴンさんは甘い物はお好きですか?このアップルパイすごいんですよ、シナモンがきいててぴりっと辛いのに優しくて甘くて本当に美味しくて!とにかく一口食べてみてください!」
「まてまてまてまて何で居る!?」
「何で、って。もちろん食料と飲み水を確保してきたからですよ!ほらドラゴンさん、どうぞどうぞ−!」
「おいやめっ…うまいな。ってじゃあなくて!!!」
抗議の言葉をあげようとしたドラゴンの口に、人間がパイを投げ込んでくる。
思わず素直に感想を言ってしまったがそれどころではない。
ドラゴンはくわと目を見開いた。
「食料を恵んでもらえたならそのままそこで食べれば良いだろ!何でこんな所にいるんだ!」
「え?何を言ってるんですかー、きっちり食料を調達してきたから戻ってきたんですよ!何せドラゴンさんに頼まれたことですからね!」
「はあ!?そんなこと頼んでない!出てけって言ったんだ!」
「嫌だなあ、何言ってるんですか!数百年飲まず食わずだってあんなにひもじそうな顔で!食料が欲しいから確保してこいって指示だと言うことはすーぐにわかりましたよ!言葉を額面通り受け取って言われたことしかやらないのは社会人失格ですからね!」
「僕のアホ−!」
ドラゴンは頭を抱えて地に倒れ伏した。
振動で地面がびりびりと揺れ、人間もおっとっととか言いながらぐらぐら揺れていたが、平和ボケした表情は全く変わらなかった。
「そうだよこいつは認識能力に致命的な欠点を抱えてるんだから!もっとハッキリ言ってやらなきゃいけなかったんだ…!疑問の余地もないぐらい、赤ちゃんどころか生まれる前の胎児ですらわかるように言わなきゃ…!」
「ドラゴンさんどうしました!?片頭痛ですか!?気象病ですか!?」
「こいつの事理弁別能力を高く評価しすぎてた…!わかってたのに、僕が誰より愚かだった!」
「なんだか絶妙に馬鹿にされてる気がしますが気のせいですよねドラゴンさん!!!」
「うん。もちろん。馬鹿になんかしてないよ。ただ僕がお前のことを正しく認識できてなかった。全てはお前の思考レベルを正しく理解してなかった僕のせいだからね。お前は悪くない」
「何でしょう酷いことを言われてる気がしますが気にしないことにします!!!」
ドラゴンはむっくりと起き上がると、改めて人間のことを見据えた。人間は相変わらずにこにこしながらドラゴンに料理を差しだしていた。
ドラゴンは自分と人間の間に黒炎の壁を出現させた。
「いい加減にしろ人間。わからぬようだからこの際はっきり言ってやろう。僕は人間が嫌いだ。当然お前のことも嫌いだ。何を勘違いしたのか知らんが、我の領域を侵す罪、これ以上見過ごすことは出来ぬ」
燃えさかる黒炎。洞窟の地面のような本来なら全く燃焼性のない物質の上だろうとお構いなしに、勢いよく炎が立ち上る。
それは丁度あの時と同じ、社畜の全身を徹底的に焼き焦がしたあの炎の壁と全く同じ様相だった。
「わかったら疾く立ち去」
「あっこの炎あるとパイがもう一度温められていいですね−!焼きたてには敵わなくとも冷たいよりは余程美味しいはず!お肉ももう一回あぶれますし頂いたフルーツを焼いて風味を変えるのもありかも!ありがとうございますドラゴンさん!」
「聞けェーッ!!!」
ドラゴンの突っ込みが辺りに虚しく鳴り響いた。しかし人間は先ほどの平和ボケした態度を全く崩すことはなく、相変わらずのほほんとしたまま眼下の黒炎を見下ろしている。
実際炎の近くにパイを寄せて火であぶり、焼きたての美味しさを少しでも再現しようと四苦八苦しているようだった。
今目の前にある炎の壁が数刻前には自らの身をことごとく焼き尽くしたことなど少しも気にした様子がない。
「何なんだよお前は!ついさっき僕のせいで全身丸焦げになったの忘れたのか!?死にかけたんだぞ!」
「うーん、まあそうなんですけど、でも私アレのお陰で生き返ったんですよねぇ」
「はぁ!?」
「会社辛い上司怖いもう嫌だ死ぬしかないって思ってたけど、一回マジで死にかけたおかげで実はやっぱり死にたくなかったことにようやく気づけたんですよ。結局火傷も傷も何もかも治してもらえたので結果オーライ的な!」
「お、お前頭おかしいぞ…」
「でも実際そうなんですよ−。だから私はドラゴンさんに感謝してます!ありがとうございます、ドラゴンさん!」
あくまでにこやかに語りかけてくる人間に、ドラゴンは思わず悲鳴を上げそうになった。
本当になんなんだこの人間は。意味がわからないにも程がある。
自分を殺しかけた相手に礼を言う精神状態など全く理解しがたい。
ドラゴンは流石に認めざるを得なかった。この人間、めちゃくちゃ怖い。
取るに足らない羽虫にも等しいちっぽけな生物に、ドラゴンは明白な脅威を感じていた。
「も、もういい…お前は食料とやらを僕に差し出しに来てくれたんだろ、うんうんわかったありがとう、わかったから今度こそ出てってくれ…」
「何言ってるんですかドラゴンさん!一度食料を差しだした程度でこのご恩が返せるわけがないじゃないですか!」
「返してる!返してるからもう十分だから!これ以上何も求めないから!パイめちゃくちゃ美味しかったし手元のお肉も美味しそうだもんありがとう!もうものすごく満足したから!」
「この世界、冷蔵庫や保存器具の類いがないみたいなので食料は加工を施さないとダメになってしまいますし、それにしたって限度があるようですね。継続的な食料の供給をご提供してこそドラゴンさんへの恩返しにかなうというもの。あっ、ところで私なんか知らない間に異世界に来てたみたいですね!びっくりしました!」
「なんでそんなに軽いの!?異世界!?いま異世界って言った!?」
「というわけでドラゴンさんに安定した食料を供給するべく、村の方々と契約を結んで参りました!」
「いやそんなことよりお前異世界って!!!…へ?契約?」
ドラゴンはぽかんと口を開けた。
人間はドラゴンの反応をなんと解釈したのやら不明だが、いやに得意そうに胸を張って、エヘンと鼻息をならした。
「ドラゴンさんの能力が如何に村のお仕事の役に立つのかをプレゼンし、その対価として食料を継続的に供出してもらう契約を結んで頂きました!やはり生きるには一日二日の飢えをしのげるだけでは足りません。ドラゴンさんにきっちりと安定的に食べていただく手段を創出!説明!ご提供!!!いやー前の世界で散々苦しめられた技術ですが役に立つもんですね!」
「頼んでない頼んでないそもそもドラゴン食事いらない魔素だけあれば十分」
「明日からバリバリ働きましょうね−!もちろん私も粉骨砕身!働かせて頂きます!こちらの食料はひとまずの前金と言うことでいただきました!なので今日はまず、顔合わせだけしましょう!」
ドラゴンは固まった。
人間はにっこにっこの笑顔のまま、洞窟の外を指し示す。
「こちら、麓のシュゴドラ村の皆さんです!」
今日突然ぶち開いた穴の先、何の入り口も出口もなかったはずの洞窟に唯一空いてしまった通路。外気溢れるその中で立ち尽くす複数人の影。
そこになんか人間がいっぱいいた。
「…えっ」
ドラゴンの間の抜けた声が鳴り響く。
洞窟の入り口の人間達も困惑のままにこちらを見つめていた。
ただ一人、ドラゴンの傍らの人間だけがにこにことして、入り口の人間達に勢いよく手を振っている。
「アレクさーん!先ほどおっしゃられてた通り、ドラゴンさんもドロテアさんのアップルパイのこと大層お気に入りとのことですよ!一緒に精一杯働かせていただきますので、これからもご褒美方どうぞよろしくお願いしますねーっ!」
場違いなほどに平和な人間の声。
場の空気とやらを一切読めていない間延びした声に、ドラゴンも入り口の人間達も完全に困惑している。
ドラゴンの身体がぶるぶる震えた。
入り口の人間達が色めき立ち少しだけ身構えたが、そんなことを気にしていられなかった。
「もうやだぁぁぁぁぁっ!!!」
ドラゴンは、流石に限界を迎えてしまった。
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